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Who I amをさぐる旅vol.2 〜「武士とはなにか」の教えと個人の中にある葛藤〜

「Who I amをさぐる旅」、vol.2は僕の生まれ育った土地についての第2弾です。

前回は地域性についての内容だったので、今回はよりそのルーツとなる福島県の歴史について書こうと思います。

僕はこれまで、福島県の歴史について、小中学生時代の授業や教科書で見聞きした情報としか捉えたことがありませんでした。

それこそテストや受験の一問一答に正解するために暗記するものとしてしか触れたことがなく、それぞれの時代がどんな社会的、経済的、文化的状況だったのか、そこに生きる人々はどんな価値観を強く持っていたのか(いなかったのか)については考えたことも、思いを巡らせたこともありませんでした。

そのような僕がこの歳になって、改めて福島県の歴史について調べてみました。

福島県の歴史と聞いて僕が最初に思い浮かべたものは「会津藩」です。

歴史に詳しい方は会津藩と聞くと、幕末や戊辰戦争、白虎隊について思い浮かべるかもしれません。また数年前に大河ドラマが会津藩を舞台とした内容だったので、見た人もいるかもしれません。(←ちなみに僕は見れてません。)

(非常にざっくりとではありますが)当時の時代背景として、ペリー来航、尊王攘夷、十五代将軍徳川慶喜による大政奉還、戊辰戦争etc…と、非常に目まぐるしい変化のうねりが起きていたそうです。

そのような中、会津藩では藩内での教育に非常に力を入れていて、「武士とはこうある者」という価値観の情勢に取り組んでいたようです。

具体的には、6歳〜9歳の間は、「什(じゅう)の掟」という教えを毎日グループで学び、その教えに沿った行動ができたか振り返る、という慣習がありました。

「什の掟」とは以下のような内容でした。

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

そして、10歳になると学校に通い、「武士としての」より詳細な心得、立ち振る舞い、態度などと合わせて、学問も合わせて学んだそうです。

そういった教育を受けた若者たちが白虎隊を組織し、「武士として」幕府のために戦った、というのが会津藩の歴史です。
(→武士としての教えや戊辰戦争の是非は僕があれこれ言えることではないのでそこへのコメントは特にしません。)

これは150年以上も前の出来事ではあるけど、きっとこの教えは少なからず、前回の記事でも書いた今の福島県の県民性にも影響を与えているのかもなと思いました。

それと同時に、(あくまで僕の想像なのだけど)当時の「武士として」生きる若者はどんな気持ちだったんだろう、とも考えるようになりました。

もちろん僕が今生きる時代とは状況が全く異なるし、身分制度があったことから、最初から彼らは武士になることが「あたりまえ」だったのかもしれません。

そのあたりまえは、当然本人が望んだことなのかもしれないし、もしくは教育によってそうなっていったのかもしれないし。もしかしたら「武士としての自分」と「そうでない側面を持つ自分」との間で感情が揺れ、葛藤し、その思いを抱えたまま生きた人はいたんだろうかとか、そんなことを想像しました。

(もしかしたら歴史や地域性とは関係ないのかもしれないけど)現代に生きる僕も、(当然当時の若者とは異なるのだけど)主に「男性として」や「障害」が関係するもので、「●●としての自分」と「そうでない自分」との間にあるギャップにもやもやすることがあります。

そのギャップがどこから来ているのか、そもそも自分がどんな価値観を持っているのか、それを持つに至ったルーツはなにか、ということを知ることも、この「Who I amをさぐる旅」のテーマの一つなので、僕の中でなにかがちょっとだけ繋がった、そんな歴史を知る機会でした。

次は自分の小学校時代について書こうかなと思います^^

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