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三年前のクリスマス

2020年のクリスマスを一人で過ごした時の日記です。
無職になって、恋人と別れて、実家で昼まで寝ていた頃の自分。あまりにも暗すぎないか。



8時に起きる。昨日眠ったのは深夜2時くらいだったのに、不思議と目が覚めてしまった。朝起きて机の上にドーナツが置いてあることを確認し、ドーナツを食べようと思った。牛乳を注ぎ、ドーナツを1つ食べた後でコーヒーが飲みたくなった。お湯を沸かしてコーヒーを作った。ドーナツを3つ、牛乳を1杯、コーヒーを1杯を飲んだ。無職にしては飯を食べ過ぎている。

特段することも無かったので二度寝をしようと思ったがコーヒーのせいで全く眠くならなかった。コーヒーには目を覚ます作用があるみたいだったが、目が覚めたことよりも昨日は昼13時まで起きれなかった男が、飲み物を1杯飲んだだけで眠れなくなることの方が奇妙だった。

結局その後はドラマやバラエティを観て、風呂に入り、13時頃に家を出た。昨日の夜にいきなり美術館や展示会に行きたくなった。今朝起きた時もその気持ちは残っていたので、今日行くことにした。「変わる廃墟 VS 行ける工場夜景展」という題目の、廃墟と工場夜景の写真が同じくらい展示されている写真展に行った。廃墟の圧勝だった。

廃墟はそれまでその場所に日常として存在していたリアルな空間と、それから過ぎ去った時間が緑の濃さや建物の崩壊具合で読み取れるのが凄く良い。ウチとソトを明確に分けていたコンクリートの区切りが自然によって曖昧に侵食されている様を見ると、その非日常的な風景に興奮してしまう。

そこの空間で流れていた生活や文化、いなくなってしまった人たち、無機質な灰色の冷たい表情。1枚の写真を通じて、1つの廃墟を介して、本当に色々なことを考えてしまう。廃墟って何が良いんだろうか、と考えてみると、「寂しさ」が詰まっているからだと思った。寂しさって感情は、とてもエモーショナルだ。


写真展に行った後で、タバコが吸える喫茶店でコーヒーとサンドウィッチを頼んだ。コーヒーがすっごく美味しかった。

友達の演劇に関するラジオを聴きながら情報をまとめたり、昨日見た映画のことについて考えたりしていた。こんな風に、何かしらの文化的な事象に対して情報をまとめたり自分の私見を綴る文章を書きたいな、とコーヒーを飲みながら思った。

コーヒーとサンドウィッチで680円だったので1130円を払ったらおつりが500円だった。マスターに「おつり間違ってますよ」と声をかけ、450円にしてもらった。不思議と、元恋人と行った水族館のことを思い出した。



江ノ島水族館。クラゲが無数に浮いているエリアでのこと。そこのエリアは真ん中に大きい円形のベンチがあり、それを囲むようにして水槽とベンチが交互に設置されていた。クラゲの水槽はどこでも大体同じような色をしている。深海のはじまりのような藍色に囲まれた空間。ベンチに座ったまま動く気配の無い白いマスクたちと、ゆったりと絶えず動き続けているクラゲの群れ。その日は平日だったが、そこに存在しているベンチにはもれなく誰かが座っていた。

そこに子連れのお母さんが来た。子どもが「座りたい」と話している声が耳に入ったので、恋人に「行こう」と声をかけ席を立った。その親子はさっきまで僕たちが座っていた席に座った。彼女は「こういうところは本当に良い人なのに」と半分感心、半分呆れて呟いた。こういうところは??と彼女に詰め寄る。彼女は笑っていた。



喫茶店を出る時に「お疲れ様です」とマスターに言われた。無職なのにお疲れも何もないだろう、と思いつつもマスターの好意が嬉しかった。


電車に乗り、家とは反対方向に乗った。終点の中野まで行き、持っていたカメラで何枚か写真を撮った。中野から最寄りまで本を読んで過ごした。家に帰ってアーリオオーリオとラザニアを作った。失敗した割には美味しかった。得意料理が増えた。

今日はもう寝る。明日は劇評とnoteを書く。写真展に向かってる途中にメールボックスを整理していたら、先週末にアルバイトの面接してもらった企業から不採用のメールが届いていた。幸せのハードルがどんどん低くなってる気がする。

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