竹林タエ

きょうも わからないことばかりでふあん と こうふん をかんじている。 短歌や詩、森と…

竹林タエ

きょうも わからないことばかりでふあん と こうふん をかんじている。 短歌や詩、森と水辺、ともだちのおかげで生きていると思う。 趣味や性格、じぶんやあなたのことについて、ことばを書きます。おとこでもおんなでもない。

最近の記事

分けると食べやすいと分かる

ちっちゃく、ちっちゃく、おにくをちっちゃく 何年も前、わたしがまだ5歳くらいだったころだと思う。 家族旅行で沖縄の離島のリゾートホテルに来ていて、夕食にステーキが出た。たしか鉄板焼きのコースかなにかだ。 わたしはきょうだいや「おともだち」に比べて食が細くて、自然、食べることへの執着も薄かったらしい。質も量もたいして求めない子だった。せっかくのリゾートだろうがおかまいなく、食べ慣れたものを食べられるぶんだけの食事がしたかった。豪華な一枚肉なんてその対極だ。だから、そのときも朝

    • なにも言えなくなる前に

      ハロー、インターネット。 ネットめちゃ楽しいよね。 わたしも大好き、つい何時間もやってる。 常に動いてるんだもん。更新がとまらない。 なんせ色んな人が使ってるわけで。反応が反応を呼ぶわけで。 きょうもたくさんのご意見を勝手に拝見しています。 例えばある日のインターネットにこんなことが書かれている—— 女は、男は、つまり、不倫は、ところが、フェミは、ただ、発達は、陰キャは、なぜなら、彼氏彼女は、中国人は、それから、キャバは、そして、トランスは、おじさんは、だから、家庭は、金

      • 勝手に愛する 交換と無根拠と

        たまに恋愛の相談をしてくれるひとがいる。 わたしは常日頃から「恋愛は意味不明」と言っていて、だいたいそれが相談への答えになるんだけど、それではあんまりなので「一応わかる部分」と「意味不明さ」についてもお伝えする。 まずはわかる部分について。たとえば日常にはこんなシーンがある。 ・100円払うと100円相当のモノが手に入る。 ・バレンタインデーにお菓子を渡すとホワイトデーにお返しがある。 ・寒いねと話しかければ寒いねと返答がある。 上にあげた例は、生活のなかでよく見られる

        • 桜をやり過ごす 傷ついた“新卒”たちへ(後編)

          今年の桜が咲いたころ、わたしは再び彼らにそそのかされる。 過去を評価しなさい。未来を逆算しなさい。 気が付けばわたしはもう「第二新卒」と呼ばれる年齢のギリギリにいるらしい。 就活市場でこのワードは「すこし経験もあり、一方でまだまだ前途もある新卒」みたいなパッケージとして扱われるようだ。 果たして。 わたしの実感では、自分はそれにあたらない。 どちらかというと「経験(を/に)スポイル(した/された)新卒」といった状態だと思う。 日本では「新社会人」をしばしば「フレッシュマ

        分けると食べやすいと分かる

          桜をやり過ごす 傷ついた“新卒”たちへ(前編)

          世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし /在原業平 むかしからこの花はひとの心をかきたてていく。 桜。 めでたい春の この国の 宴の はかなさの それから、新生活の。 象徴としてできすぎた花が今年も咲いていた。 例年よりも人知れず列島を北上して、もう過ぎ去ったことだろう。 桜は新しい環境への門出や生活の変化の隣にあって、瞬間を晴れやかに飾り立ててくれる。 その名演出でもれなく記憶に居座っては、見る者に個人的過去——思い出を再生させる。 同時にそれは、この世界に

          桜をやり過ごす 傷ついた“新卒”たちへ(前編)

          男の子のふり、恋のふり

          東京がこの冬一番の寒さを記録したという日 わたしは、身の凍るような寒空の下、風俗街で号泣していた。 きっかり三十分間泣いていたと思う。 わたしをそこに誘った友だちが、三十分でこ、と、を、す、ま、せ、て、戻ってくるまでの時間。 もういちど書こう。 わたしは、風俗街で、号泣、していた。 なんだそれ。コントかよ、って思う。 滑稽で、だけど真剣で、わたしのためには書かずにはいられない思い出。 あらためて、これからするのは、ちょっと古風かもしれない、男性用性風俗に

          男の子のふり、恋のふり

          クリスマス百態

          ――みなさま、いかがおすごしでしょうか。クリスマスほど、このことばがふさわしい日も少ないんじゃないかと思う。 わたしたちの多くは、その日がクリスマスであることを前提に 働いたり、人と会ったり、ひとりでいたりする。 よろこんだり、寂しくなったり、はしゃいだり、耽ったりする。 あなたがその歓声のなかにいようが、それとも遠い海鳴りのように聞いていようが いずれにせよこの日を無感動にやりすごすことはできない。 にほんクリスマス百態。みんなの心に横たわる大きな一日がやってきた。 ――

          クリスマス百態