来て早々のこと
三原に来たのは9月7日。せっかくなので、来て早々起きたことをざっと記録しておきます。
引越しの挨拶って、何渡を渡せば良いんだろう?
三原市への引越し初日。不動産屋で鍵を受け取りいざ家へと向かう。
新しく住む家は、隣同士の距離が近くて生活音が割と聞こえてくる。食器を重ねる音、扉を開ける音、テレビの音。隣近所と物理的な距離が近いため、尚ご近所さんと仲良くしておいた方が良さそうだ。
少しでも引越し費用を浮かそうと思って引越し業者は使わなかった。今回は千葉でアパートを引き渡してから、車に荷物を積み込み直接千葉から訪れていた。
車にある荷物を部屋に運び入れたら、すぐに残りの荷物を取りに実家まで走る必要がある。実はその前に運び切れない分の荷物は、あらかじめ三重の実家に運んでいた。
千葉から三原まで約800kmの道のり。そして三原から三重の実家まで片道325km、往復で650km。気が重くなってきた。
本当は荷物を全て運び入れてから引越しの挨拶を廻ろうと考えていたけれど、やっぱり体力が残っている今のうちに終わらせてしまおう。一段落したら、きっと一度は体調を崩すだろうし。
家に寄る前に近くのイオンで挨拶の時に渡すものを買おう。そう思って来たものの、何を渡せばいいのか全くわからない。
実は今まで住むところは何度も変えていたが、アパート物件にしか住んだことがなく、ご近所さんへの挨拶自体ほとんどしたことがなかった。
屋上の立体駐車場に車を停め、スマホで「引っ越し 挨拶 渡すもの」と検索しながら店内に入り、1階のギフト品売り場へと向かう。
両隣と前後向かい、そして貸主さん。厳密に言うと斜め隣の家にも挨拶をする必要があるらしいが、今から住む家はレイアウト的に斜めのお宅は離れているから含めなくても良さそうだ。最低でも5つ用意すればいいのか。
ずっとエアコンが壊れた車に乗っているせいで、1階に降りると、店内の空調がやけに涼しく感じる。
ギフト品売り場に到着し、お菓子のサンプルが飾ってあるガラスケースを覗く。お菓子ではなくその前にある値札にばかり目が行ってしまう。2,000円は高くないかい?
結局何を選べば良いのかわからずじまいで、思い切ってレジの店員さんに訊いてみた。どうやらガラスケースの中にあるお菓子は、少し値段が高めのものを置いているらしい。
店員さんは隣の売り場にある売り場を案内してくれた。
そこには数百円から千円程のギフト用のお菓子がいくつかあった。それと、食品売り場の方にある、ゴミ袋の販売コーナーを案内してくれた。どうやら三原市は”燃やすゴミ”だけ指定のゴミ袋を使う必要があるらしい。実用性があるため、人によってはゴミ袋を渡す人もいるらしい。
お菓子かゴミ袋か。
1つ数百円のゴミ袋だけで済ませられるのなら、さほど費用はかからない気が。なんて、ついお金が掛からない方ばかり採用しようとしてしまう。さすがに人に渡すものをケチるのはどうかと思う。
ちなみにお菓子の場合だと、向かい隣のご近所さんには千円以下、貸主さんにはもう少し高めのお菓子を選ぶと良い、ともアドバイスを頂いた。
しばらく売り場をうろうろしながら考えた末、ゴミ袋とお菓子の両方の合わせ技を採用することにした。両方渡せば絶対失敗しないだろう、と。
家主さん◯亡説
家に車の荷物を下ろし終えると、早速お隣さんの家に挨拶に向かう。
片側の家は年期の入った長屋で、呼び鈴が付いていない。玄関のドアが半開きになっていたため、隙間から何度か声をかけるが反応がない。人のいる気配も感じない。きっとドアを開けたまま買い物にでも行ったのだろう。田舎あるあるだ。
気を取り直して反対側のお隣さんの家に向かう。こちらは二階建ての一軒家で、呼び鈴も付いている。ボタンを押してしばらくすると、中からおばあちゃんが出てきた。
挨拶がてらさっきイオンで買ったお菓子とゴミ箱を渡す。見たところおばあちゃんはかなり年配のようだが、物腰が柔らかく優しそうな印象だ。
ついでに町長さんの家はどこか尋ねてみると、おばあちゃんは私の背後の方に視線をずらした。振り向くと別のお婆ちゃんが佇んでいた。確かさっき向こうの道の方からこっちに歩いてきていたっけ。
2人のおばあちゃん達のやりとりを聞いていると、どうやら通りを歩いていたお婆ちゃんは、この辺りのことは何でも知っている長老的な方らしい。
親切なことに、私を町長さんの家まで案内してくれるらしいので付いていくことにした。
途中で何度か話しかけてみるけれど、お婆ちゃんはほとんど反応せず、まるでRPGの案内係のキャラクターのようにゆっくりと我が道を歩んでいた。耳が遠いというより、聞いていないという方が近いのかもしれないが、これは多分年齢的なものであって、決して本人には悪気があるわけでもないし、私も気にはしない。
T字路を曲がると、月極の駐車場に青い軽自動車が駐車をしている最中だった。町長さんが買い物を終えて帰ってきたらしい。
町長さんご夫婦が車から降りるなり、お婆ちゃんは私を紹介してくれた。町長さんも結構な年配の方で、でもやっぱり優しそうな印象をしている。
畏まって挨拶をすると、そんなに気を遣わなくても良いし、近いうちに町内会の集まりがあるため、その時に私のことを紹介しておいてくれるとも言ってくれた。
町長さんに家の場所と家主さんの名前を伝えておく、
「あれ?たしか〇〇(家主)さんって、この前亡くなったんじゃなかったっけ?今管理している人は△△さんになっているはずだよ」
……なんだって?
亡くなっていということは、契約書に書かれている貸主はいないことになるんじゃないか。これって相当不味いのでは?
町長さんも奥さんも、そしてお婆ちゃんも不思議そうな顔をしている。
「……ちょっと不動産屋さんに連絡してみます」
そう言って私は家に戻り、さっき鍵を受け取った不動産屋に連絡し、担当の方にさっきまでの一連の流れと、家主さんが亡くなっていることになっていると説明する。
「家主さんとは一昨日電話で話したばかりなので、生きてますよ」
「……どういうことですか?」
「確か、最近お兄様が亡くなられたらしく、その話が混ざってしまっているんじゃないでしょうか。家主さんは今お兄様の住んでいた隣町に住んでいるのですが、そこから病院に通院しているみたいなんです。だから、もしかすると”病院に通院している”から、いつの間にか”亡くなった”になったんじゃないかと」
なるほど。知らない間に、亡くなったことにされ……なっていたのか。
でもこれって、今、町の人みんな家主さんが亡くなったと認識してしまっているんじゃないだろうか。冷静に考えると、怖くないか?
町全体がその人が亡くなったと認識すれば、少なくとも、もうこの町には存在しないことになるわけで。もし町ぐるみで誰かを◯んだことにしてしまったら、その人は社会的に殺されたも同然になるんじゃなかろうか。
あるVtuberが所属事務所を卒業する時に言っていた。存在がなくなることは、そのVtuberは◯ぬのと同義になる。ただ、みんなが忘れなければ、私は永遠に生き続けることができると。今まさにその逆バージョンが起きているのでなないだろうか。
家主さんに連絡してみると、すぐに本人が出てくれた。よかったちゃんと生きてた。
電話越しに挨拶をすると、家主さんも歓迎してくれているようだった。やっぱり足が悪いが、それ以外の身体は元気だと言っていた。
足が悪くてほとんどこちらには来れないため、家の修繕が必要な時はできるだけこちらで対処してほしい、一報だけ入れてくれれば大抵のことは好きにして構わないとも言ってくれた。それと、前回入居していた方はすぐに引っ越してしまったから、できれば長めに住んでほしいとも。
大家さんと電話をしていると、町長さんが私のもとへとやってきた。
「〇〇さんは今もご存命です。今ちょうど話していたところです」
「おおそうか。で、ゴミを捨てる曜日だけどーー」
あっさり流されてしまった。町長さんにとっては大したことではない、というか、それはそれで良かったということなのだろう。考えすぎだったのだろうか。これ以上深く考えない方が良さそうだ。
引っ越したばかりでゴミの収集カレンダーを持っていない私を気遣ってわざわざ教えにくてくれたし、雰囲気からして悪い人でもなさそうだ。それに、さっき案内してくれたお婆ちゃんも、「町長さんは優しい人だから」としきりに言っていた。
典型的な高齢化が進んだ町だけれど、出会った人はみんな優しそうな人ばかり。初めは少し驚いたが、住みやすそうな町だと思った。2週間が経った今も、その印象は変わらない。
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