【小説】長い夜が明けて① -帳がおりる 第7話(野家直編)-
まーあれだ。大学生の春休みといえば、時間は売るほどあるがお金がない、と古今東西、相場が決まっているわけで……。なので、友人の横山に誘われて、僕はバイトを始めた。
「しっかし、マジでわからんなぁ」と僕は言う。
「なにが?」と横山が。
「なにもかも……。このバイト、謎すぎん?」
事の発端は、ネットの知り合いが、横山に持ちかけてきた話だったと言う。そのネトモ、就職が決まって、長く続けてきた警備のバイトをやめることになったとか。んで、後継者を紹介するよう頼まれて、そこで、とりあえずのツナギで白羽の矢が立ったのが横山だったというわけだ。「正式な次が決まるまでで良いから」と言われ、ひとまずは一ヶ月間の約束で。
場所は、製薬会社の新薬研究所。
「警備つったって、こんな山奥で一体何を相手に警備するわけ? 猿? 猪? 動物が薬を盗みに来るの? おれは甚だ疑問だね。いやね、昼の間はわかるよ。昼はね。けど、夜、意味ある? 仮に泥棒がいたとして、侵入なんて出来っこないよ。んなコトやったら、言わずもがな、ここに辿り着く前にトバリでお陀仏さ」
「そこはほらー、マンガの大泥棒みたいに、遠くから地中に穴でも掘ってさ」
「それ、本気で言ってるぅ?」
「まーとにかく。細かいことは気にするこたぁないって。余計な詮索不要、いるだけで良い楽なバイトと割りきりなさいな」と横山は一方的に締めくくる。
「横山は即物的だね。羨ましいよ」
「いやあ、それほどでも」
「あっ全然褒めてない、皮肉だよ?」
僕たちがいる守衛室からは、研究所内の防犯カメラの映像が常時確認できる。一定時間ごとにカメラをスイッチングしながら、四台のモニターが、所内の要所要所を監視していた。
「そろそろ時間じゃない?」と横山が時計を気にした。
「ああね」と僕は立って、伸びをした。「今日は、おれが行ってくる」
× × ×
ワゴンを押して、長い通路を進む。突き当たり、その部屋は、扉が二重扉になっている。手前の一枚めは簡単に出入りできるが、奥側は、セキュリティカードキーを通さないと通れない。
消毒を済ませて、自分のカードキーで中に入った。食事が載ったトレイを机におろす。焼き魚と、クラムチャウダー、缶詰のフルーツ。まるで給食。いや、こんなふうにチョク、缶で出てこないぶん、給食のほうがマシかもしれない。
部屋には、真っ白な服を着た少女が。ベッドの上に、膝を抱えて三角座り。
何が謎って、この部屋が一番謎なわけで……。上からの説明は受けていない。ただ、決まった時間に、こんなふうに食事を運び入れ、ついでに、簡単な掃除をするよう言われているだけだ。
のそのそベッドを下りてきて、白い少女はトレイを覗きこむ。「これ、いらない」と、クラムチャウダーの皿を突き返して一言。「人参嫌い」
またかぁ……。今日で、このバイトも一週間になるが、こんなふうに、でてきた料理になんだかんだケチをつけるのが、彼女のお決まりだった。
僕は床のモップ掃除の手を止めた。「知らないよ。おれが作ったわけじゃないし。おれ、ただのバイトだし。文句があるなら、食堂の人に言いなよ」
「ねー。ごはんの代わりに、お菓子とか持ってない?」
「あるわけないだろ」
「……使えないのネ」
「おまえ……」
「おまえはやめて。私、おまえなんて名前じゃない。私、アゲハ。そっちは?」
「おれ? おれは、野家直」
「直」
いきなりの呼び捨てだった……。
「あのさ。アゲハ、歳いくつ?」
「十五」
「高一?」
「中三」
「なんだチューボーかよ」
「直は?」
「じゅうく。大学生」
「ふぅーん」
「なんスか、そのリアクション……」
「もっと下かと思った。だって背ぇ小さいし」
「なっ……! そっちがデカいんだろ」
不本意だが、二人横に並んだ場合、むこうのほうが、僕よりもちょっとばかり大きいかもしれない。ちょっとね、ちょっと。まあその、五センチくらい? ……ウソごめん。十センチ。
「次な」と僕は呟いた。
「え?」
「次は、こっそり、お菓子を持ってきてやる」
「ホント? 約束ね」と、彼女は初めて僕に笑顔をみせた。
× × ×
守衛室に戻った僕は、「あの部屋は何なんだろ」と、ぼんやり話題に挙げた。
「あの部屋って?」と横山が。
モニタに映った白い部屋を、僕は指差す。
ライヴ映像の中のアゲハは、ベッドの定位置で宙をみている。
椅子と机、スチール製のベッド。古い小説の文庫本が数冊ある。それが、あの部屋にある唯一の娯楽だ。テレビやスマホもない。絨毯もない。このアングルからはパーテーションでみえないが、洗面台は奥にある。
「ああね。わかんないけど、何かの研究って噂……。噂では、この子もう半年、この部屋にいるらしい。身内がいるのかもよくわからんらしいワ。実際、半年の間、面会に来た人も、一人もいない」
「一人も、って……。だって、親とかは?」
「いやまあ、詳しくは知らないけどさ。どうした、直? この子のことが気になるわけ? もしてかして……」
「違う。おれは、自分より背が高い女は好きじゃない」
まるで僕の言葉がきこえたかのように、偶然、アゲハが頭を上げた。レンズ越しに目が合ったような気がして、僕は慌ててモニタから視線をはずした。
「そういうんじゃないんだけどさ……、」と僕は呟いた。「……いや、なんでもない」
口にするのはよしておいたが、あの部屋に運びこむトレイには、毎回、食事のほかに、白い錠剤が四錠おまけのようについている。僕は、あの薬が何かを知っている。あれは、精神安定剤だ。
「まあアレだね。気になるなら、本人に直接きいてミレバ?」横山の物言いは淡白だった。しかし、まあ言っていることは正論に思えなくもなかったが。
× × ×
次の出勤日も、お昼ごはんを僕が運んだ。
「こんにちは。お菓子は? 持ってきてくれた?」
「あ。考え事してて忘れてた」
「ええーっ。約束したのに。嘘つきぃ」アゲハは頬を膨らます。
「悪ィ悪ィ。次は絶対」
ふぅーん、と白い目。アゲハは、トレイにちょこんと載ったそれに気づいた。「これ、カモメ……?」
「うん。カモメだよ」と僕は頷いた。
白いペーパーナプキンを折り紙代わりにして作ったカモメ。
「これ、直が折ったの?」
「うん」
「なんで?」
「なんとなくだよ。ただの気まぐれ」
「ねぇね、これ、もらって良い?」
「え、うん」
「折り紙、ほかにも折れるの?」
「多分、三十種類くらいは……」
「折って」
リクエストに応えて、追加で二つ折った。ペーパーナプキンの、カエルとキリン。
「すごぉい」
「別にすごかないって。練習すれば、誰でもできるよ」
「猫は? 猫、折れる?」
「折れるけど、ペーパーナプキンがもうないよ」と食事が載ったトレイを指差した。「アゲハは、猫が好きなわけ?」
「うん。家で飼ってるから」
「おれも。実家で飼ってるよ」咳で一拍間を置いて、あのさ、と僕は話題を変えた。「質問いいかな、アゲハ。答えにくかったら別にいいけど……。アゲハは、どれくらい前からここにいるわけ?」
「半年?」
もちろん、それは知っていた。あえて尋ねたのは、横山からきいただけでは、にわかには信じがたい話だったからだ。
「この部屋は何? ここでやってる研究って? アゲハは何者? っていうか、アゲハ、食べ物の好き嫌い多すぎない? 食べられない野菜、多くない?」喋っているうちに勢いづいて、僕は今日まで溜めこんでいた質問をここぞとばかりに早口で捲したてた。
突然の僕の攻勢に、アゲハは目を白黒させる。「カ、カレーに入っている人参は食べられるよ」
「あ、そうなんだ……。じゃなくて。その質問は、一番どーでもいいんだケド」
「か、風邪薬」
「ん?」
「新しい風邪薬の研究だよ。私、風邪ひいたことないから。だから、私のコト、研究してるんだって言ってた」
「……本当にぃ?」
「ほんとほんと。めちゃくちゃホント」
「本当に本当?」
「ほんとにほんと」
「本当に本当に本……、」「しつこいな」
「ゴメン……」と僕は反射で謝った。
会話が一旦、そこで途切れた。
アゲハはカモメの折り紙に視線を落とす。数秒じっと、そいつをみていた。
「直、お願い。私をここからだして。私、家に帰りたい。お父さんとお母さんに会いたい」
それは、あまりにも急なお願いだった。
「えっ……。いや、そんなこと、おれに言われても……」返答に困って、僕は意味なく笑って、頭をかいた。「おれにそんな権限ないんで。わかんないけど、そういうの、おれみたいなバイトじゃなくてさ、もっと、ちゃんとした人に頼みなよ」
部屋の構造的に、アゲハは自分の意志でここをでることが叶わない。出入口は一箇所だけで、カードキーなしでは、あの扉は、たとえ内側からであっても、開けることはできないからだ。
「ここの人たちは、言ってもムダだから……」とアゲハは言った。「私、何度も頼んだよ。ちょっと会うだけでもいい。それでもいいから会わせてほしいって。でも、ここの人たちは、私はお父さんとお母さんには会えない、って」
「待って。それ、どういう……」
「わかんないよ、私にきかれても……。ねえ、一生のお願い。ここからだして。叶えてくれたら、なんでもするから」
「……なんでも?」
「うん、なんでも。あ、なんでもって言ってもエロいの以外ね」
「バ、バカっ。そんなコト考えてないよ」
「なに慌ててるの。キモ。冗談に決まってるじゃん」
「おまえ……」
「おまえはやめてって言ったじゃん」
「家族に会って……、会って、それでどうするのさ?」
「どういう意味? 家族に会うのに理由がいるの? 家族には会いたいのが普通でしょ? 違うの?」
「いや、違わないね。アゲハの言うとおりだ。…………。……会いにいくだけなら」
「えっ。いいの? いいの?」
「いいっしょ。一回会ってすぐ帰ってくるだけなら、そんなに怒られはしないだろ」
アゲハは、わーいと両手を挙げた。「ありがと。直、大好き!」
なんだよそれ……と僕は、また溜息。「いいから行くぞ。五分で支度しな」
(第1話・了)
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