【小説】長い夜が明けて④ -帳がおりる 第10話(野家直編)-
灯りをつけるのはやめておいた。校舎の中にはオンラインの防犯セキュリティが入っていると予想したからだ。この時間、仮にみつかったところで、外から警備員が駆けつけてくるなんてことはありえないが、代わりにドローンが出動してくるはずだ。
雲の動きで、窓に影が走ったように一瞬みえた。風の音も、なんだか不気味だ。
「……ドキドキする」と、アゲハが囁き声で。「静かだね。ちょっと怖いくらい。なんか肝試しみたい……」
「肝試しなんて、リアルでやったことないよ」と僕は答えた。「ねえ。アゲハの話、もっときかせて」
「私の話?」
「そう。夜でもコンビニが開いていて、夜でも電車が走ってる。そんな不思議な夜の話を」
「私の話、信じるの?」
「わからない。でも、信じたい、とは思ってる」と正直に僕は答えた。
「特別な話じゃないよ? 全部、フツーのこと。学校が終わって、みんなで買い食いしたり、おしゃべりしたり、買物いったり、で、バイバイまた明日ーって。私は夜、塾にも通ってたし。夏休みには、お祭りの花火をみにいったり」
「すごっ。打ち上げ花火は、こどもの頃にしかみたことない。きっと、おれより下の世代は、テレビかVRでしかみたことがないと思う」
僕は、アゲハのむかいの机に腰かけた。
明日になったら、アゲハは家に帰る。そしたら、この旅も終わりなんだな、と不意に思った。だけど、それは口にしないことにした。感情を、ビー玉みたいに炭酸の瓶の底にそっと沈める。
顔を上げたら、黒板の上の星座図が視界に入った。星空が、一枚の絵になっている。低学年でも読めるように、星座の名前は全部ひらがなとカタカナだ。
「ちいさい頃にさ、おれ、家族で、プラネタリウムに行ったことがあるんだ。部屋が真っ暗になった途端、妹がワーッって泣きだして……。妹は昔から人一倍怖がりだから」と僕は少し微笑った。何故こんな話をしているんだっけ、と自分でも驚いたが、理由はすぐに思い至った。妹とアゲハが似ているからだ。
僕につられて、アゲハも壁に貼られた夏の星座に目線を移した。息を短く吸って、アゲハが急に動きを止めた。
「それ、なに?」アゲハは黒板の前まで歩いて行った。星座図を真下から見上げている。「これなに?」と、また言った。
そちらに目を凝らしたが、彼女の言わんとすることがわからない。「その星座図が、どうかした?」と僕はきく。
「だって、この絵、変だよ。学校に、こんな嘘の絵を貼るなんて」
僕は首を傾げた。「嘘? どこが嘘なの?」
この星座図のどこかに間違いでも? 僕は星の並びを指で追う。目についたところから星座の名前を読み上げた。
「アルストロメリア座、金平糖座、ゴジアオイ座、水色座、そらみみ座……」
「ねえ、変な冗談やめて」とアゲハが遮った。
「意味がわからないよ、アゲハ。悪いけど、変なのはそっちのほうだよ」
アゲハの表情が曇った。次第に、完全に青褪める。「カシオペアは? 射手座はどこ? さそり座は? アルタイルとデネブとベガは?」と、呪文のような言葉を唱えた。
「なんだよそれ。きいたこともないけど」と僕は微笑った。
「知らないの……」アゲハは呟いた。「私、ここにある星座、全部知らない……。どういうこと!」と彼女は取り乱す。
「落ち着けって」僕は慌てた。咄嗟に、アゲハの背中に腕を回した。「大丈夫。大丈夫だから」
「怖い……」アゲハの声は震えていた。
アゲハは僕の肩に顔を埋めた。彼女の呼吸が落ち着くまで待った。
「明日は早めに出発しよう。うちに帰ろう。だから、今日はもう何も考えなくていい。朝が来るまで、ゆっくり休んで」
アゲハは頷き、目元を拭う。そのあと、教室の隅で横になって、目を閉じた。
「おやすみ、アゲハ」
僕は、暗い窓に目をやった。朝が来るまで見張っていようと思った。僕の目には窓の外にいるヤツらの姿はみえないけれど。アゲハが安心して眠れるようにそうしていよう、と僕は思った。
アゲハのことは僕が守る、と胸に誓った。
× × ×
翌朝は、日の出とともに、小学校を後にした。
始発の電車で、昨日の続きの西を目指した。
最初は、僕たち以外、乗っていなかった。三駅四駅と停車していくうちに、話し声があちらこちらに増えていく。
アゲハは窓の外に顔を向けていた。緊張した面持ちで、口数も少ない。
昼前には到着し、電車を降りた。
海を見たのは、いつぶりだっけ。年季の入った小さな漁船が、波止場に、頭を並べて停泊している。海水浴をするための海じゃない。鉛色に光った海面だ。
わずかに湾曲した海辺の道をはずれて、僕たちは平坦な道を行く。
徐々にアゲハの足取りが速くなる。ついには、小走りほどのスピードになった。
立ち止まった頃には、アゲハは息を大きく弾ませていた。
小さな庭付きの一戸建て。
「ここだ」とアゲハが呟いた。誘われるように、玄関の門へ足が向かった。
まさにそのとき、庭木の奥にみえるドアが開いた。小さな門を抜けて表にでてきたのは、若い夫婦だった。父親のほうが、小さな娘の手を引いている。娘はキャッキャと無邪気な笑い声を上げていた。
「……誰?」
「えっ」とアゲハのほうをみた。
「あの人たち、誰……」
目の前の親子が、この家の住人であることは、雰囲気からして明らかだった。
「待って」僕は混乱した。「待ってよ。どういうこと? 本当にアゲハの家はここで合ってるの?」
「ここだよ! 自分の家を間違うわけないないよ!」と彼女は声を張り上げた。
視界には入ったはずだが、まったく気に留めることなく、親子は立ち尽くすアゲハの前を素通りしていった。
周囲に、雪崩のような靴の音。それが、一斉にピタリと止まった。気づけば、僕たちは警官隊に包囲されていた。パトカーも三台。
白髪交じりの、白衣の男が、警官隊を二つに割って進みでる。この男には、見覚えがあった。あの新薬研究所で働く職員だ。
「おつかれさま。ここに来るとわかっていたよ。何故かは知らないが、きみはここを自分の家だと思っていたようだからね。だから、言ったよね。きみは、家族には会えない、って」
「私のお父さんと、お母さんは……?」かすれた声で、アゲハがきいた。
「さあ。不思議な話だけど、我々と会うよりも以前のきみの過去は、どこにも記録が残っていない。さぁ、もう気が済んだだろう。おいで。帰ろう」と男は手を差しだした。
イヤイヤするこどものように、アゲハは首を振る。後ろに下がって、僕のシャツの裾をぎゅっと掴んだ。
僕は無言で、アゲハを背中に庇った。男を睨む。
「その子は、人類を救う鍵だよ」と男は言った。
「だからなんだ」と言い返す。
男はアンニュイに肩をすくめた。それを合図にしたように、警官隊が動いた。
僕は「やめろ!」と叫んだ。直後、両肩を羽交い絞めにされた。「離せっ! 離……せっ!」
白衣の男が、アゲハの腕をひったくる。
抵抗してアゲハが暴れた。僕の名前を呼んでいる。
僕は警官の手に噛みついた。
ぎゃっ、と悲鳴。
羽交い絞めの拘束が緩んだ。その隙に、僕は一気に飛びだした。「アゲハ!」
だけど、そこまでだった。
グイと背中に乗った重みで、息が止まった。押し潰されて、僕はアスファルトに胸をつく。警官が二人三人、這いつくばった僕の背中にのしかかる。
今度こそ、完全に自由を奪われた。
もがくと、肘がギリッと痛む。腕を無理やり背中にねじ上げられて、身動きとれない。痛みで涙が浮いてくる。
「直! 直っ!」アゲハが僕を呼んでいる。
どけ。
どいてくれ。
僕が守ると誓ったんだ。
僕が。
僕が、アゲハを守らなきゃ……。
(第4話・了)
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