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【小説】帳がおりる 第2話(都築群青編①)

 男は、身振りで、応接セットのソファを僕に勧めた。
 僕は渡された名刺に視線を落とす。
 遠藤縁(えんどう よすが)。それが、目の前の男の名前らしい。エニシと書いて、ヨスガ。変わった名前だが、目を惹くのは、その部分ではない。 ――その肩書きのほうだ。職業は、探偵。
 部屋には、真冬の生命線とも言える古い石油ストーブ、パンパンの本棚が壁にそびえ立ち、キャビネットと、奥にはデスク、スペースグレーのノートパソコン。なんだかんだと物が溢れているが、それでいて、片づいていない印象ではない。本棚も明らかにカテゴライズ化されて整頓されている。テレビはない。たとえば、あの隅の三脚も探偵の仕事に関係があるのだろうか……。腕時計型の麻酔銃は、さすがになさそうだ。

「ところで。都築(つづき)さんは、ここのことは、どこで? どなたかの紹介ですか?」

 僕は、いいえ、と首を振る。「電柱に貼ってあったチラシで、たまたま」

「それはまた……。あれに目を留めるなんて随分珍しい方ですね」

 これにはリアクションに困ってしまって、はぁ、と曖昧に僕は返した。

「探偵なんて、本当にいるんですね。マンガの中だけのフィクションの存在かと思っていました」

 言ったあとに失礼な発言だったかもと焦ったが、気分を害した様子はなくて、遠藤さんは頬を緩めた。「マンガの探偵みたいに、派手で格好良いものではないですが」それから、会話に緩衝材を詰めるみたいに、「……雨、嫌ですね」とぽつりと呟き、彼は白く煙った窓をみた。
 つられて僕もそちらに目をやる。
 空が、不吉な色をしていた。覆った雨雲が暗いグラデーションになっていて、まるで日没間際の姿と錯覚しそうだ。
 音も強い。ここは、雑居ビルの屋上に建ったペントハウスだ。みぞれ混じりの雨が、野生動物のように屋根を打っていた。

 ごめんなさい、と謝った僕に、「ええっ?」と遠藤さんは目を丸くした。

「僕、雨男なんで……。昔から、大事な日はいっつも雨で。入学式も卒業式も。運動会も毎年……。全部、僕のせいで」

「そんな……。それは、あなたのせいでは……」と彼は頭をかいた。「雨にも悪気はないでしょうし。ただ、こういう天気だと、今にも陽が沈んでトバリがおりそうな怖さがあるっていうか……。それだけの話です。忘れてください。たいした話ではありません」

「……たいした話じゃない?」僕は相手の言葉を繰り返す。

「そうだ、知っていましたか? この国では、ここ何年か、トバリの犠牲者は、交通事故よりも数が少ないんですよ」

「…………。」

 返事をせずに、急に黙りこんだ僕をみて、遠藤さんは怪訝げな顔をする。「……都築さん?」

 僕はそれにも言葉を返さなかった。
 夜、外にでたら百バー死ぬ。身を守る手段は、夜は外にでない、窓を閉めて朝を待つ、それしかない。
 理不尽で。
 横暴で。
 絶対。
 それが、トバリだ。俗称だが、みんなそう呼んでいる。
 シ者五十億人。最初の一日で、壊滅的な被害があった。
 目を閉じて、ただ眠っているかのような綺麗な遺体たち。まるで魂だけを容れ物からスッと盗まれたみたいに……。例外的に、一部の遺体には腫瘍が確認されるものの、これも直接の死因とは関係ないと見られている。腫瘍ができる場所も人それぞれで、法則性も見いだせない。
 すでに存在する言葉になんとか当て嵌めるとするならば、……急性心不全?
 トバリの正体は十年経った今も未知。ホワイもハウもわからない。
 トバリによって、人間は、日没から日の出までの、一日の半分の自由を奪われた。未曾有の禍いが、世界の在りかたを変えたんだ。

 でも、と僕は声に発した。「どんな異常事態も、十年続けば日常になるんですか。こんなの、なんでもないって顔して……。みんな、異常に慣らされてる。こんなの、全然普通じゃないコトなのに」

 目の前の顔が、はっきりと眉をひそめる。どうして今そんな話を……、と疑問に感じている表情だった。
 この後に及んで尚、僕は、ここから先の本題に入ることを躊躇した。

「都築さん、話してください。ご安心を。ここでの話は、他言はしません。秘密厳守は絶対です」

「……探偵って、どんなことでも調査してくれるんですか?」

「可能な範囲で。常識の範疇ならば」

 僕は、頷く。心を決め、要件に入ることにした。「僕がお願いしたいのは、まさにその、トバリ絡みのことなんです。僕が好きだった人は、二年前、トバリで亡くなりました」

 遠藤さんは、思わず開きかけた口を寸でで噤んだ。無言で先を促した。

 僕は続けた。「その人は、僕の高校時代の担任で……。先生の死にかたは、あまりにも不自然でした。夜中にひとり外にでて、朝方、死体で発見されました。服はパジャマのまま、靴も履かずに裸足で、携帯電話も財布も持っていなくて、一人暮らしだったけど、家の鍵も開けたまま。夜中に家をでれば、命を落とす。そんなこと、今どきは、幼稚園児だって知っている常識だ。なのに、どうして……。死ぬとわかっているのに、外に……。警察は、それを事故死だと……。事故死? 変でしょう、そんなの。どう考えたって、おかしい。不自然すぎる。トバリで亡くなった人は、検死を受けることもないとか。警察は、きっと、ろくに調べもせずに、いい加減に済ませたんだと思います。ちゃんと調べれば、必ず何かわかるはず。僕は、先生が何故死んだのか、本当の理由を知りたい。調べてください、お願いします」

 僕が話す間、遠藤さんは相槌も打たずに、耳を傾けてくれていた。

「一つ質問させてください。あなたはそれを知って、それで、どうするつもりなんですか?」

「わかりません。だけど、僕は知らなくちゃいけないんです。先生のことが、好きだったから。世界で一番。や、二番なんていなくて……。僕が一生でたったひとり、好きになった人でした。だから、僕はどうしても真実が知りたい」

 射抜くような眼差しで僕をみる。長い沈黙。やがて、遠藤さんは頷いた。「わかりました。調べてみます」

(続く)

(第2話・了)


※一部、YouTube朗読版とは内容が異なる場合があります。


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