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手仕事は離れた時をつなぐ

例年より早くお米の収穫時期になって、週末をすぎるごとに刈り取りが終わった田んぼが増えてきました。僕の作っている田んぼはまだ水が入っていて、また今年もこの辺りで最後まで稲刈りせずに残っていくところになりそうです。

 去年稲刈りしていたのは、秋も深まりつつある10月末のころのこと。ここだけが島のように稲が残っていました。ゆっくり成長させていくので実が入るのは人一倍遅い。さらに手刈りで進めていくのだから相当に遅い。機械のなかった昔は、雪が降る前に何とか終わっていたと聞いたことがあります。まさにその通りの進み具合でした。

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 そんな稲刈りを家族総出で進めているところに、近所のおばあちゃんが杖を突きながらやってきました。田んぼに入ってくるとどこからかか鎌を取り出し、凄まじいスピードで刈り倒し始めます。二人で縛り役をやりながらついていこうとしても、追いつくようなものではありません。持っていた杖は田んぼの脇に忘れ去られ、田んぼの中のほうが動きが早いくらいです。

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 おばあちゃんはしばらく休憩してのちに、藁の縛り方を見せてくれました。古いわらではなく、その束の中から2本取り出して、その束自体を縛っていきます。縛ったわらも稲穂は先端を向けておきます。古いわらを使うよりも固いので難しいのですが、慣れてしまうと「そこにあるもの」で出来るので作業がスムーズなのです。

 さらに、縛った藁の束を傘のように広げて、さかさまにして立てかけておきました。これを夕方まで乾かしておいて、軽くなったらハデにかけるのだそうです。確かに、束にして持つとその重さの違いは全く違いました。

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 昔はあるものをつかうやり方で、その中で効率化した方法を考えてやってたよって話を聞きました。そのやり方が手になじんでくると、それがとてもしっくりくる。そういえば、エンジンの音もしないから作業しながらでも話声が楽に聞こえました。

 そんなやり取りを、手伝ってくれていた子どもたちも隣で聞いています。稲を刈りとって並べたり、稲を立てかけることはできます。結び付けるのはまだ難しいけど、一緒に習ってやってみました。出来ることをやれるように手伝ってくれる。できることを見つけると遊びながら手伝ってくれます。手作業では危ないからと遠ざける必要はありません。

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 今、手にしている稲はお米になって、この後は自分たちで食べていく。特にそれが自分の口に入るものだから、これをやらなけば食べれない。どんなものをどうやって作っているのかを知って食べることができる。当たり前のようになってしまったが、生産と消費の繋がりをリアルに実感する機会は少ない。遠くの国からやってきた、どんなものかわからない、お金以外に自分との繋がりの無いものを食べているのだから。そんなことを、子どもたちとも話しながら稲刈りをする。


 夕方の放送が鳴ってしばらくすると、いつのまにか何も言わず、おばあちゃんは帰っていってしまいます。刈り倒した稲をたくさん残して。これもハゼにかけるところまでやらないと終わらないので、真っ暗になってライトをつけながらの作業になります。そんなおばあちゃんは、翌日も気になって手伝いに来てくれました。

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 今どきはイベントでもなく手刈りしているところはほとんどなく、おばあちゃんが手仕事で活躍できる場所はありません。手作業の技術を持っていたとしても伝える場も人もいないのです。

 手仕事は多世代が手の出しやすい、入り込む余地のある作業です。離れた世代が同じ場所にいて、同じ目的の作業をしている。そこでは昔から培ってきた技術が伝わり、子どもたちに手仕事の心地よさや働く姿を見せることができます。時代を飛び越えて、技術や文化、価値観を繋いでいくための場所を用意することは、その作業の間にはいっている世代の本来の役割なのではないでしょうか。

そんな去年の出来事を思い出し、これから手刈りの時期がやってきます。 

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