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【映画】『流浪の月』から感じる社会の不条理さ

おはようございます。
今日は映画『流浪の月』を見た感想について。

広瀬すず、松坂桃李、横浜流星、多部未華子など豪華な面々が名前を連ねるこの映画、
監督は、数々の賞を受賞した『パラサイト半地下の家族』と同じ、ホン・ギョンピョさんです。

この女優/俳優さんがこの役をやるのか、という驚きもありました。
以下、ネタバレ含みますのでまだご覧になっていない方はご注意ください。

あらすじ

帰れない事情を抱えた少女・更紗(さらさ)と、彼女を家に招き入れた孤独な大学生・文(ふみ)。
居場所を見つけた幸せを噛みしめたその夏の終わり、文は「誘拐犯」、更紗は「被害女児」となった。
15年後。偶然の再会を遂げたふたり。それぞれの隣には現在の恋人、亮と谷がいた。
公式HPより引用

物語は、文が更紗を誘拐するところから始まります。

ただ、"誘拐"と呼べるかは別問題。
一般的に誘拐とは本人の意思に反して無理矢理連れ去るイメージだが、本作品ではむしろ更紗がお願いしている。

更紗が家に帰りたくない、もっと文と一緒にいたい、と願っていたが故の"誘拐"。
そうだとしても、世間からしたらそれは立派な犯罪であり、本人が何と言おうが文は誘拐犯。

国含め、一定以上の組織が健全に物事を進めるためにはルールが必要。
そのため、法治国家であることは至極真っ当だし、何かしらで線引きする必要がある。

とはいえ、文が受けた代償は大きすぎるものだった。

世間からのバッシング

文は、少女誘拐犯としてありとあらゆる批判を受けた。
それは、何年も経った後も同じ。

世間一般的に、批判の対象となるものがある場合こぞって集中砲火するのはよくあること。

特に、事情も深くは理解せず、ただ単に批判したり便乗して攻撃したりしている場合が多い。

文についても、自分で立ち直り、カフェをオープンさせ、静かに暮らしていた。
更紗との再会を機に、再び文に着目が集まり、カフェごと炎上。

単に子供を預かっていたというだけで現行犯逮捕、というシーンは、
いかにその人に対する先入観が影響を及ぼすのか、真実と相違があっても抗えない力がこの世の中にはあるその不条理さを痛感しました。

打ち明けられないコンプレックス

この物語は、文、更紗それぞれに潜むコンプレックスがベースになっています。

文は身体的特徴によるもの、更紗は過去の経験に基づくもの。

先天性か後天性かの違いはあるものの、両者とも本人にとっては生活に支障を及ぼしうる大きな問題で、かつ、世間一般に安易に公表しうるものでもなかった。

それらを打ち明けることができる存在の大切さだったり、打ち明けられない苦しさ、
1人で抱え込むことの辛さ、人間の弱さを如実に表していると感じました。

人間1人で生きていくには限界がある。
そう感じる映画でした。


色々なメッセージが込められていることを推測しつつ鑑賞してましたが、
個人的にはやはり世の中の理不尽さを強く感じました。

この理不尽さがあるから、人々は何かに挑戦すること、自分の意思を表現することを躊躇う。

子供の頃は無邪気に思ったことを全て口にしていたはずなのに、色々な経験を経て"世間に馴染む"ことを当たり前としてしまう。

半ば諦めの感情が入っているのかなとも思います。

"挑戦しやすい世の中に"

私が事業を立ち上げている理由はこれです。

努力をしたら、描いたものを実現できる。
それを世の中に示していく。
そして、何かに挑戦したい方々の背中押しとなるような存在でいる。

全力で打ち込める仕事があることに感謝です。
皆様素敵な1日をお過ごしください。

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