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0103「大爆笑」



 外国人とマッチするのは初めて? と訊いたら、初めて実際に会った人が年上のイギリス人だと言っていた。渋谷のHUBで会って、ただただ楽しく話して神泉の駅前で別れたらしい。その人とはそのあと何度か会ったの? と続けて訊いたら、会いかけたし会う約束もしていたけど、当日バックレてそれっきり、とのこと。落ち着いていて、話していて疲れない人ではあったのだけど、LINEのユーザー名が「日本」で。最初は、なんだそれ、おもしろいな、と思っていただけだったけど、それがだんだんと自分の中で不信感に変わっていったから。その人は淡々と話していて、なにそれ、怖いね、とぼくは短く相槌を打った。エマって名前は本名? そう、本名。へえ、そうなんだ。エマって名前はドイツとかそっちのイメージだから。そうなの? うん、だからそっちのほうにルーツがあるのかなって。ううん、ないと思う。エマ、っていう音には、日本語でも意味があって、なんて説明したらいいかな……。穏やかに話しながら中目黒駅から山手通りを北に歩いていて、特に目的地は決めていなかったけれど、このままぶらぶらし続けるのもな、と思ったから、カラオケに入ってぼくとその人はひとしきり交互に歌った。椎名林檎の病床パブリックを歌って、デジモンのOPを歌って、スパルタローカルズのトーキョウバレリーナを歌って、ブラック・ラグーンのED曲を歌って、フジファブリックのロマネを歌って、アジカンの遥か彼方を歌って、天才バンドのfireflyを歌った。ウケるだろうか、と思ってオー・シャンゼリゼをフランス語で歌ってみたけれど、反応は薄かった。と思っていたらそうでもなかったみたいで、デンモクをいじりながらその人はなにか考えこんでいるようだった。それからその人は、知っているかもしれないけれど、と前置きした上で、日本語版のオー・シャンゼリゼを選曲して、歌い始めた。もちろんぼくは知っていた。けれどまじまじと歌詞を見たことはなかったから、そして他人が歌っているところを実際に見たことはなかったから、なんだか新鮮な響きとして僕の耳に届いた。おそらくその歌手自身が手掛けたのであろう訳詞はよくできていて、フランス語の、フランス人のある陽気さをまとった機微を、日本語の、あるいは日本人のシャイな喜びの発露にうまいこと変換しているように感じた。歌い終えて、いい曲、とその人はつぶやいたが、自分の親世代の、日本語で言う懐メロってものをそれぞれの母語で歌いあったことがぼくにはなんだか急にこっ恥ずかしく思えて、うあー、みたいなへんな声が漏れた。このこっ恥ずかしさを、いまのぼくにはうまく伝えられる気がしなかったけど、その人はなにかを察したのか、あるいはふつうに話したくなっただけなのか、ぼくがデンモクで次の曲を選ぶまで、最近観たアニメの話をしていた。ぼくはアニメがすきで、とはいえ昼夜を忘れてのめり込むほど大好きってわけではないのだけど、さっきからアニソンばかり選んでいたから、それに合わせてくれたのかな。
 4時間ほど歌って、健全すぎる時間だった。カラオケから出て、そこから中目黒駅へと戻る道の途中にぼくの住むアパートはあって、ここぼくの家だよ、と指で示してから、ためらいがちに、ちょっと寄ってく? と訊いてみた。寄ってみようかな、とその人は言った。
 家に上げてすぐに、さすがに散らかりすぎているな、と後悔したけれど、その人は部屋の様子についてとくに反応を示さなかった。汚いな、と弁解するみたいにぼくは独りごちたけど、汚いうちに入らないよ、とその人は言った。本心なのかフォローなのかわからない口調だった。僕とその人は横長の座椅子に並んで座って、テレビとレコーダーの電源を入れた。録画されている番組のリストを表示させて、ぼくは自分か自分の知り合いが出演した番組くらいしか録画しないからどれを再生してもそういう話になる。この連ドラ、ほらここ、外国特派員の役で後ろに座ってる。この番組の再現VTR、あ、この人、この前あの歌手のMVで共演したんだ。この人はあの朝ドラにも出てて。この深夜バラエティに今度日本語がわからないガイジン役で出ることになっていて。話しながらリモコンを操作しながら、合間合間に、エマは耳がきれいだね、よく見ると手も、頬もかわいいね、なんて言葉を挟みながらゆっくりと距離を近づけていって、気づけば(それこそオー・シャンゼリゼの歌詞のように、バカみたいに、いつのまにか)その人はぼくのペニスを咥えていて、ぼくはその人に咥えられた状態で射精した。その人はびっくりしたのか、ペニスを咥えたままむせていて。ごめん、大丈夫? 座椅子の後ろのベッドからティッシュの箱を手繰り寄せているとその人の咳込みが徐々に笑い声に変わっていって、ティッシュで口元を拭うころには爆笑になっていた。なに、なになに、大丈夫? ペニスを拭きながら、ぼくは自分のペニスを見たりその人の顔を見たり、はたから見たら小鳥みたいな忙しなさだったと思う。いやごめん、ちょっと、いやあ……。けほけほと軽く咳払いをして、笑いの波が収まったらしいその人はぼくのペニスを見つめていた。テレビにレオが映っていて、その対面にいるレオのペニスを自分はフェラしていて、なんだこの、バカのサンドイッチみたいな状況は、と思ったら、ばかばかしすぎて。それを聞いてぼくもなんだか面白くなってきて、しばらくふたりで、ぼくのペニスを見つめ合った状態でそれぞれ、くつくつと笑った。テレビの画面ではどこかの研究所で重大な発見をしたらしいぼくが、というかぼく演じるだれかが、オーバーリアクションで喜びを露わにしていたけれど、ぼくの声はすべて吹き替えになっていて、ぼくとは似ても似つかない声で、そしてやけに流暢な日本語で独白をしていて、ぼくがほんとうはどういう声をしているのかこの映像を見てもだれもわからないのだな、そもそもだれもそんなこと知りたいわかりたいと思わないのだろうな。

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