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0112「サガミ」



「サガミ。嵯峨見奈美です。わたしにはいくつかの名前があって、そのうちのいくつかはもうここにはない。名前は、個人が身に纏う最初の衣服みたいなものだとわたしは考えていて、でもその衣服はたいていの場合、その人が産まれる前にしつらえる、しつらえ、られる。あつらえるか。あれどっちだろ。あつらえ、あれ、しつらえるかな。ものだから。まあいいやごめん、なさい。だから、ええと、そうだ、サイズが合わないことだってある。着ていくうちに生地が薄くなったり、ほつれたりして、穴があいたり、ちぎれたり、使い物にならなくなる。こともある。こともあるっていう、だからこれは、これ?ええと。
やり直し。サガミです。嵯峨見奈美。サガ、ミナミ、なのか、サガミ、ナミ、なのか、って訊かれたら、サガミです、サガミ、ナミです、と答える。自分の名前を言うときわたしは、すこしだけ、強くなれる。強くなれるし、なんというか、遠くなれる。思い出すことが、たくさんあるから。人と話すとき、わたしは、なんだけど、近さより遠さが大切だと思っていて、近くで抱きしめる、抱きしめられることも大切だし、わたしはときおりそれを強烈に欲、っする、ことんんっ、こともあるけど、それでもわたしは遠さが必要だと思ってる。遠くにいないと、その人の美しさ、尊さを、はっきりわかってやれない、やれないってやだね。分かりきれない、そうだね、分かりきれないだね。分かりきれないことって、遠くに行かないと、遠くにいないとね、たくさんあるから。解る、解決の解のほう、というより、分裂の分なんだと思う。分かる。その人をわかるっていうことは、わたしと、分けて考えて初めて成り立つものなんじゃないの。
もっかい。はは。やり直し。サガミ、です。嵯峨見奈美。でも親がしつらえた名前はそうでなくて、嵯峨見夜潮だった、わたしは、こどものころね。夜に、満ち潮とか引き潮とかの潮で、ヨシオ。いまだったらキラキラネームって言われるのかな。でもぎりぎり、わたしがこどものころは、そんな言葉なかったんじゃないかな。ヨシオのほうじゃなくてキラキラネームのほう。なかった、うん、すくなくともなかった、んじゃないかなキラキラネームって。いじめられてたけどね。でもそれは、名前うんぬんというより、もっと、わたしの、なんていうのかな、全部への拒絶反応だったから、名前がどうであれそうだったんじゃないかな。いじめられてたんじゃないかな。わかんないけどね。
え?うんあははやり直さないこれでいいこれでいいよ回して。奈美ちゃんとか言われたりもするけれど、みんなにはサガミって呼ばれているよね。こどものころの名前と全然違う名前にしたから、昔の名前が、ああいう名前だったこともあって、わたしが、その、夜潮をね、忘れたい、ほんとうに消したい、なんか、名前だって、やさしい勘違いをしてくれる人もいるのだけど、そしてそれは、うん、ありがたいのだけど、もちろんね、ありがたいのだけど、んーでも、わたしはヨシオもヨシオですきだった。うん、愛おしかったよ。丁寧に縫われたハンカチみたいな、こう、そうねあるいはぬいぐるみ、みたいな名前でしょう。ふふわかんないかなあ。そうなんだよ。でもいまそう思えているのは、小学生のときにね、ほんとうに一緒にいて、いた、男の子がいて、その子はトラっていうのだけどね、呼び名がね。陽寅彦っていう名前でね、フルネームはね。綺麗な名前。太陽の陽でミナミ、十二支の寅に彦星の彦でトラヒコ。綺麗だなあ!あはは。痛いこととか乱暴なこともたくさんしてきて、こまったやつではあったんだよね、嫌だなって思ったこともたくさんあったと思うな、うん、うん。その、トラが、わたしのことをミヨシって呼んでいたんだよね。サガミヨシオで、ミヨシ。なんかね。なんか……。どこまで伝わるかわからないけれど、呼ばれるたびにほんとうに、うれしかったんだ。それでわたしはわたしの名前を、ああ、と思った。ああ、綺麗だなって。だからそれはほんとね、ああ、って。あはは、ああしか言ってない。ああ。あはは。そうそう。ああ。って。思って。下を向いていた顔が持ち上がる感じ。ああ。あははそうそう。トラとはしばらく会っていないのだけど、だからもちろん改名をするときも、そうだったんだけど、それがね、あって、ミナミトラヒコのミナミから取って、奈美にしたんだ。名前。わたしの中にはね、だから、ヨシオと、ミヨシと、ミナミと、ナミと、サガミがあるんだ。それぞれに時間があって、記憶があって、それはほんと衣服だと思う。クローゼット。あー、そうか。そうだ。いやこれは言葉遊び、うん、みたいなものなんだけどね。わたしはクローゼットが大切なんだなって、思った。いま。カミングアウトじゃなくってね。外に開け放つことじゃなくって。クローゼットのなかが、大切、いやこれはなんでもないや。えっとそう、だから、どういうときにどの服を着て、着ていて、その服を着ているときに、どんなことがあったか、なんだと思う。名前って、そうなんだと思う。で、それって、わたしのほとんどすべてなんじゃないかって、そんなことも思う、思うな、思ってしまうな。うん。
ヨシノと過ごしたあの時間。だから、サガミを着ていた時間だよね。わたしそれで思い出したことがあって。ああ、っていう。そうそう。ヨシノとの、というより、ヨシノたちとの時間でも、ああ、っていうそれは、あったんだよね。その、ああ、を、いま、ミヨシのときの、ああ、を話していて、思い出したよ。あれはわたしたちが卒業間際のころだったと思う。アダムとカジのあのシェアハウスでさ、飲んでいて、あのころのわたしたちは、というより、特にカジが、ヨシノが、いいものつくろうってずっと言っていて。ことあるごとにね。うるせえなってくらいさ、逐一言っててさほんとさ。エマがさ、それで、飲んでいたときぼそっとさ、それでどうするの、って言ったんだよね。いいものつくって、それでどうするの。って。エマはかわいいからさ〜あっはは、うん、不安だったんだよね、いろんなことが、だから聞きたかった。というより、ほんと不安でその発露だったんだよね。どうするの。って。詰問みたいな感じだったけど、不安だったんだよねきっと。いいものをつくって、それがなんにもならなくて、だれもなにも報われなくて、いまこうして学生の身分でいて、っていうこの、いまが、人生の最高到達点だったらどうするの、更新できなかったらどうするの、みたいな。これはわたしの解釈だけど。うん。いいものをつくって、ってまずアダムが口を開いた、で、いいものをつくるんだよ、って、ヨシノが言った。いいものをつくって、いいものをつくるんだよ、って、もう一度ちゃんとヨシノが言った。カジは飲みすぎて床で口を開けて寝ていて、みんなカジをキャンプファイヤーみたいに取り囲んで三角座りしていて、カジを起こさないように小さな声で話し続けていた。エマはしばらくカジを見つめて黙ってた。アキが、料理ってさ、ってそのあと口を開いて、作っている本人はなんてことないものを作っているつもりでも、それを食べた誰かの記憶に深く刻まれることがあるって、言って。あの味が忘れられないとか、あれは一体どうやって作ったんだとか、あれがまた食べたいとか、実際にわたしも言われたことがあるし、そういうことを、人は、いろんなものに対して思うんだと思うし、わたしは人にそう言われて初めて自分のレパートリーとして頭の中でレシピになっていくような料理がいくつもあるって、アキは言って。料理は残さず食べるものだけど、レシピは残る、だからわたしは美味しいものを作りたいし、食べたいんだと思うから、だから、いいものをつくるっていうのは、そういうことなんじゃないのかな、わかんないけど、どうかな、って、エマにというより眠っているカジに言っているように、言って。アダムが、自分が作っているものがアキの言う、レシピに残るような美味しい料理なのかはわかんないけど、でもとにかく、なにかをつくるのはたのしい、いま自分は生きているって思う、だから自分は作っているし、作っていたら自然とそのなかのいくつかはいいものになっているかもしれない、って言って。エマはアダムをじっと見つめていた。しばらく沈黙があって、ヨシノはもう一度、いいものをつくって、いいものをつくろう、それしかできないかもしれないし、それすらできないかもしれないけれど、でも、それを、やらないといけない気がしているんだ、って言って。そのあとの話は覚えていないけど、それからなんかすごいくだらない、愛おしい時間になって、それをね、思い出したよ。ヨシノ。どこかでこれを、ちゃんと見てる?聞いている?」

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