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0119「オリエンタル・チャーム」



【総勢一人の百鬼夜行】
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2010-01-26
〈TSUTAYAスパイラル〉
から抜け出せない。どうも総勢です。寒し、眠し、あべし。金欠だ。ひでぶ。
CDを1泊2日で借りる→翌日、学校帰りに返却する→どうせならまた借りてくか→CDを一泊二日で…(以下略
これがTSUTAYAスパイラル。
見事にはまってしまった。抜け出せない。
今日もまたCDを借りてしまったんだ。
東京スカパラダイスオーケストラとRADWIMPSのアルバム。RADWIMPSは初めて借りた。聴かず嫌いはよくないからな。只今iTunesに絶賛インポート中。
しかし、どんどん財布からお金がなくなっていく。
本とCDと映画館に消えていく。
もう、お札がない。
寂しい。
今日はメダロットDVD-BOXの発売日。だが買えない。当たり前だ。そもそも買うつもりもなかったのだが。はっはっは……。

2010-01-27
〈魔法陣グルグルみたいな〉
おなかいたい。ああもう。おなかってなんでこうすぐ痛くなるかな。ああどうもどうも総勢っすうっすうっす……。
高2の3学期ってさあ。なんというかこう、へんな時期ですよね。
高校生ライフも板についてきて、高校生活もなーんか繰り返し繰り返しで。
もういいかな、とか思いつつ、果てしないな、とか思いつつ。
だがしかし差し迫る大学受験ってやつ。みんな牽制しつつ勉学の気配むんむんなわけです。
真面目に不真面目。そう魔法陣グルグルみたいな。みたいな?

こどものころ、親に連れられてダイエーに行ったときに
魔法陣グルグルの10巻だか11巻だかを買ってもらって、その巻だけ何度も何度も読み返していて
そういうのってありませんでしたか。長編漫画の、途中の巻だけわけわかんないまま読んで
でもなんか空気感だけはわかるから、その空気感をずっと、スルメみたいにかみかみする感じ。

でもスルメだって、いつかはぐずぐずになって飲み込むタイミングが来ちゃうわけで。
あららなんだか感傷的。んではでは。総勢でした。

2010-01-28
〈Σー!うしろうしろ!〉
ダジャレ的なね。数学の授業中にふと思いついてニヤニヤしてしまいましたわ。どうも総勢です。
いやあなんかね、ここ最近ずっと考えていたんですけど、やっぱ映画かなと。
今年も映画を撮るっきゃないかなと。今年度じゃないですよ。今年。
受験?
しらんよ。いやしってるよ。でもしらんよ。
今日の昼休み、学食でkaiに「やっぱ映画だと思うんだよね」とか大見得きったら
あの子『インスタント沼』パッケージの麻生久美子みたいな顔してやんの。
もうやるっきゃないでしょうこれは。kaiに麻生久美子顔されたらもうクランクイン待ったなしですわ。
次のPodcast収録までにタイガーにも打診して、いや懇願して、やったろうじゃないの。
受験?
わかってますよ。いやほんとに……。

でもこれだけは言わせてください。
科学の授業は読書の時間。ではでは総勢でした。

2010-02-05
〈もう、かえってもええかなぁ?〉
ドラマ『木下部長とボク』。よいですよ。どうも総勢です。
「もう、かえってもええかなぁ?」これ木下部長とボクのキャッチコピーなんですけども
俺もずっと思ってますね。なんなら学校から家に帰ったあとも思ってる。どこに帰るっちゅうねんな。母胎か?

今日も今日とてTSUTAYAにCDを返却してまた新しく借りるという、輪廻転生もかくや、みたいなスパイラルから抜け出せない、ゆとり教育が生んだ天衣無縫の無神論者こと総勢なわけですが。
今日はね、相対性理論の新譜と、ジョゼ虎のサントラ(くるり)と、あとはね、ジュディマリのトリビュートアルバム。これはジュディマリ結成15周年? 記念? に企画されたものっぽいすね。
インポートして早速聴いてるわけなんですけどもいいすね。
スネオヘアーの歌う「小さな頃から」なんてもう、もう……、どうしろと?
真心の「ドキドキ」もよかったね。カラオケに入ったりするんだろうか。真心バージョンで歌ってみたいものよの。

コメント返信
>味噌バタ子さん
いやほんと、返信滞りまくっていてすんません。許してほしい。
そしてドロヘドロ!!!むっちゃおもしろいですよ。マジで。保証します。一緒に追いかけていきましょうや。
あと最近読んで良かったのはアンソロジーで、『昨日のように遠い日』というやつですね。
古今東西の、少年少女にフォーカスされた海外文学を集めたアンソロジーです。
装丁がねえ。いいんすわ。安定のクラフト・エヴィング商會です。
全体的にファンタジー濃いめで、個人的に好きだったのはウォルター・デ・ラ・メア「謎」、マリリン・マクラフリン「修道者」すね。特に「修道者」のほうは、登場するおばあちゃんの生活の描写がね、とっても綺麗です。
あーあと、あと〜、ダニイル・ハルムスの「トルボチュキン教授」もよかったですね。これも収録作品です。
アンソロジー本とかトリビュートアルバムとか、なんか俺はそういうのが無性に好きなんですけど、
『昨日のように遠い日』、良かったす。ちょい薄めの単行本に2000円払うのは抵抗ありましたが、買ってよかった。
そろそろよかったよかったうるせえのでこの辺にしときますね。

2010-02-18
〈窮鼠猫を噛む、とは言うけれど〉
友達がなにか悩んでいるとき、落ち込んでいるとき、傷ついているとき、なーんかダルそうなとき、
かける言葉ってなくないですか。

大丈夫?とか、うるせーって感じだし(すくなくとも俺は言われたくない)

元気出してとか、くたばれって感じだし(すくなくとも俺は言われたくない)

きっと良くなるよとか、あ?って感じだし(すくなくとも俺は言われたくない)

心配してる、とか、なんかあった?とか、どうした?とか、おなかでも痛いのか、とか、これ食って元気出せ、とか、故郷のお袋さんも心配してるぞ、とか、だから早く白状するんだ、とか、お前がやったんだな?とか、そんなもの観てないではやくテレビ消してお風呂入りなさい、とか、はーい、とか、返事だけは一丁前にするんだから、とか、うるせえクソババア、とか、そのクソババアのケツからアンタは生まれたんですよ、とか、ちょっと出かけてくる、とか、どこ行くの?とか、そこらへん走ってくるだけだようるせえな!とか、夜の川とか、風とか、切れかかっている街灯とか、セブンイレブンにたむろってる幼稚園生時代の友達とか、突然鳴る目覚まし時計とか、ああ夢か……とか、おはよう、とか、行ってきます、とか、心とかからだとか、人間の全部、オリンパス。とか。そんなの全部全部、すくなくとも俺は言われたくないし、そうなってくると、もうどうしたらいいかわかんなくて、心配な友達の目の前でただ、ダラーっと過ごしちゃいますね。それもどうなの。ではでは総勢でした。

【2003年】

 天井。三角、三角、三角、三角。線、線、線。
 黒、白、青、ピンク。六芒星。丸く切り取られた窓、空。点々と明かり。
 広い、遠い、高い、天井。
「トラ」
 眼をとじる。
「トラ」
 とじるとわかる。かたい床。けれどやわらかい床。
 声。足音。たくさんのちいさな声。いろんな人の声。
「ねえ。トラ、寅彦、ちょっといっかい起きなさい」
 眼をあける。
「あんた、いまのうちにおにぎり食べちゃいなさい」
 ぼくは上半身だけ起こし、伸びをしてから腰を左右にひねり、そしてママを見る。
「あとでお腹すいてもしばらく食べられないから。ほら」
「いい」
「いいの?」
「うん。……いや、やっぱ食べる」
 昨晩、バスに乗る前にコンビニで買ったツナマヨおにぎりをママからふたつ受け取り、ビニールの包みをはがして、かわいたのりのばりばりとした感触をとくに気持ちいいともわるいとも思わずに受け入れて食べていく。ほんとうは昨日の夜にバスの中で食べてしまうはずだったのだけど、コンビニおにぎりのお米はなんというかナマっぽすぎて、きもちわるくなってしまいそうだったから食べずにとっておいた。バスの座席に座ったまま眠るのがぼくは苦手で、夜、高速バスに乗るときは、いつもママが用意したブルーシートを座席の下のわずかな床面にしいて、ママの足元で、バスの駆動音と熱を肌で感じながら赤子のように縮こまって眠る。ここは名古屋。ドーム状の巨大な空間のなかに、所狭しと、それでいて規則正しくしかれた毛布のようなマットのようなものの上に、ぼくたちを含めた大勢の人間が座ったり寝転んだりしていて、ぼくはさっきまで、鉄骨のような素材が正三角形に組み込まれ、中心に向かうにつれて緩やかに高くなっていく天井を、大の字に寝転んでじっと眺めたり、周囲のしずかなざわめきに耳をすませたりしていた。
 いつも行く、岐阜の山のなかにあるほうの施設とは違って、ここは例祭専用の宗教施設ではない。それくらいは、ママに聞かなくてもなんとなくわかった。ぼくは行ったことがないから想像することしかできないけれど、きっと幕張メッセとか、ビッグサイトとか、そういう類のものだ、ここは。だいたい1ヶ月に1度くらいの頻度で行く岐阜の施設とは違って、名古屋のこの場所に集まるのは年に1回とかそれくらいだから、ぼくはこの状況をいつもけっこう新鮮に楽しめている。それに、こんな大きなホールのど真ん中で、大の字に寝転んで、天井をぼんやり眺めるなんて、きっとそうそう体験できることじゃない。夜通し乗り続ける行きの高速バスも、千葉から岐阜までに比べたら、千葉から名古屋のほうが、なんとなくしんどくないような気がしていて、それはきっとママもそう。なんといっても山じゃないから、12月の寒さもあまり手厳しくないように思えて、合間合間の時間にドームの外に立ち並ぶ焼きそばやたこ焼きの出店の間をふらふらと歩くのも楽しい。
 ママは新興宗教の信者だ。そしてぼくも、ママのお腹の中にいたころからいまに到るまで集会所に通い続けているから、信者ということになるのだろう。でもママは、新興宗教という言葉も、信者という言葉もあまり使いたがらない。ママはいつも自分の信仰する宗教を世教せいきょうと呼び、自らを含めた信者のことを先達者せんだつしゃと呼ぶ。宗教、とくに新興宗教のような、カルト的な存在ではなく、もっと広く世の中で信じられている、信じられるべき存在である、ということらしいし、わたしたち(と、ママはぼくを含めてそういう言い方をよくする)が世界の先達になってこの世の終わりに備えていくのだ、ということでもあるらしい。先達者は世界中にいるみたいで、岐阜での月に一度の例祭や、今日のこの名古屋での年に一度の例祭に向けて、飛行機でやってくる海外の先達者も大勢いる。ブラジルやガーナ、それからフランスなんかに大きな支部があるのだ。ぼくはそれを、ママに連れられて毎週のように通っている最寄りの集会所がときおり行うパネル展示によって知った。
 ママが世教の先達者であること。そしてぼくが、ママに連れられて岐阜や名古屋の例祭に行ったり、毎週のように集会所に行ったりしていることは、学校のみんなには言っていない。みんな、たぶん知らない。ガンバも、チートスも、コトも、ミヨシも。みんな知らない。
 パパは知っている。
「あ、はじまる。はじまるよ。ほらトラ、正座して」

−−−−−−−−−−

 例祭の会場である岐阜や名古屋から帰りのバスに乗り、千葉の集会所に着くのはいつも夜の8時とか9時で、そこから解散して、大抵は帰る前にサイゼリヤとかとんかつ和幸で晩御飯を食べて、家にたどり着くころには22時を回っていて、当然パパは先に家に帰っている。
 今年の夏の終わりは特にはげしかった。
「おい」
 玄関の鍵を開け、靴を脱ぎ、ぼくとママがリビングへ入ってきた瞬間、パパはつかつかとママのもとへ歩み寄って、ママのおでこを片手でわしっと掴み、そのまま力一杯、壁に押し付けた。
「てめいままでどこに行ってたんだよ。あ?」
「ちょっとやめてよ」
「どこ行ってたかって聞いてんだよ」
 ごん、ごん。ごんごんごんごん。ごん。
「ちょっと、痛い。やめて」
「おい」
 ごんごんごんごんごん。
「やめてって言ってるでしょ!」
「ああ?」
「やめて!」
「おい、どうした。神様のとこに行ってきたんだろ。教祖様のとこに行ってきたんだろ。だったらいま、止めてみろよ。おれを止めてみろよ。世教の先達者かなんだか知らねえけどいまおれを止めてみろよ。くだらねえ力で止めてみろよ。なあ。止めてみろ。おい。止まんねえな。なあ!!!」
 ごんごん、ごんごん、ごんごん。ごんごんごんごん。
「いんあっ、むぅぬぐ!あ!あ!あ!いやああああああ!!!!!!!!」
 ごんっ。動物みたいなママの叫びをさえぎるようにパパがママの頭で壁を鳴らす。
 パパはママのおでこから手を離し、踵を返してテーブルの上のビールグラスを手に取り、きれいなフォームでぼくとママがいる方向とは逆の壁に向かって投げた。衝撃に似つかわしくない軽い音が鳴り、グラスだったものがきらきらと光の破片になって床に散っていく。ぼくにはその光景がスローモーションで見えた。
「あーあ、それ掃除するの大変なんだよ」
 ぼくより幼い女の子みたいな口調でママが言う。いーけないんだいけないんだ、みたいな声色で。あーあ、はこっちのセリフだよ、とぼくは思う。その一言さえなければ、あとは静まっていくだけだったのに。
 大人って、学習しないんだろうか。
「おい」
 背を向けたままパパが声を発する。
「ガキはもう寝ろ」
 コトはいまごろ寝ているだろうか。ミヨシはいまごろ寝ているだろうか。
「聞こえなかったのか」
 ガンバはいまごろ寝ているだろうか。チートスはいまごろ寝ているだろうか。
「いったあ。いたーい。そうやってすぐ暴力を振るうのっていけないんだよ」
 パパがこちらを向く。ガンバ、チートス、それから5年ではじめて同じクラスになったヒロポン、バヤシの5人で観に行った『千と千尋の神隠し』、ヒロポンがやる坊の真似が全然似てなくて笑いすぎて自転車からこけそうになった。ミヨシの伸びた髪は走るときによく揺れてきれいなんだよな。パパがこちらへ歩いてくる。ミヨシ。新しいクラスでも、いじめられなくてよかった。ミヨシ。ミヨシもコトも別のクラスになってしまって、コトは体育の時間にカツラとカツラで隠していたハゲがバレてしまっていじめられ始めているけど、でも、コト、大丈夫。パパがぼくのお腹を足で押してぼくはふらついて。大丈夫。ふらついたぼくにパパは肩を前に出した姿勢で体ごとぶつかりそのまま壁になすりつけるように力をかける。「ねえこどもにはやめてよ!」。コト、大丈夫。「言ってもわからないなら体にわからせるしかないからな」。パパの口から濃いアルコールと動物が生きているにおい。来月の林間学校、ぼくはぼくのやり方で。ごがんがんががんがんがん。ぼくの頭で壁が鳴っている。そうしていつのまにかぼくはベットのなかにいて、枕の下からいつものようにマイナスドライバーを取り出して、両手で握りしめて眠る。眠ろうとする。
 それが、一番はげしかった例祭帰りの夜。9月。夜の空気はもう涼しくて、トイレのドアは一部が凹み、リビングの壁には新しい穴があく。ぼくはそれらを次の日の朝、とくべつな感想もなくただ視界に収めていた。

−−−−−−−−−−

「漫画。はい」
 例祭は滞りなく終わり、ドームは朝以上のざわめきに包まれている。海外も含めた全国各地の支部ごとに手配された大量の高速バスに、集結した先達者たちが手際よく乗り込んでいくため、時間差で退場指示が出される。関東地方の各支部に退場支持が出るまですこし時間がありそうだった。
「おう。どうだった?」
「面白かった。これってもう完結してんの?」
「いや、してないはず。俺も全部は読んでなくて。途中で買うのやめたんだよな。でもまだ家に何冊か続きあるから、今度貸すわ」
「イエーイ最高。イエローのポケモンが一斉に進化するところ、めっちゃよかった」
 世教には、ぼくみたいに親に連れられて例祭に来るこどもがたくさんいる。普段行く集会所にもたくさんいて、住んでいる場所も、通っている学校も、年齢もばらばらだから、ぼくは世教のなかでは、学校のときとはすこし違うテンションでいる。名古屋に着いてから例祭が始まるまでの長い待ち時間のとき、ぼくとママが座っていたエリアにやってきて漫画を貸してくれた近松に、はしゃぐようにタックルしてから漫画を返す。
「あついよな。そう、ポケスペのそのへんはあついのよ」
 近松はもう高校2年生で、ぼくよりずいぶん年上だけど、世教のとくに成人前後くらいの年齢からぼくらくらいの年齢までの先達者(だいたいぼくくらいの年齢の先達者を少年組、近松くらいの年齢の先達者を青年組と呼ぶ)には年功序列みたいなものがぜんぜんなくて、ぼくは年下が年上に敬語を使う場面を見たことがない。大人の先達者たちにはまた違った関係性や力関係があるみたいだけど、すくなくともぼくらは、ここでは対等な友達同士だった。同じ集会所からここへやってきた近松は、けれど行き帰りのバスは別便になってしまって、会えるのはいまこのドームか、帰りのトイレ休憩中か、千葉に帰ってから。借りた漫画を汚したくなかったから、いま返せてよかった。
 ぼくはこれまで近松に、いろいろなことを教わった。Queenの携帯ファンサイト、良いヘッドホンで聞くBUMP OF CHICKEN、ゲーセンのギタフリ、ドラマニ、美味しいたい焼き屋で買い食いすること、合気道のかんたんな技、受け身の取り方、オナニーという言葉、パイパンという言葉、中学に上がってからはじまる体の変化、声変わり、オナニーの仕方、コミケで買い込んだたくさんの同人誌。
「そうだ。トラ」ぼくから受け取った漫画を手の中で軽く叩きながら近松は言った「お前太鼓やらないか。入れよ太鼓部」
 少年組から青年組の先達者が入ることのできる、太鼓部という活動が世教にはあって、ときどき行われる全国演舞で各支部ごとに腕を競ったり、いくつかの支部が合同で神社に奉納演舞を行ったりしていた。
「お前が入ってくれたらうれしいんだけどな〜。いまちょうど青年組から何人か退部するってことで、新しい部員を募ってるんだけど」
 近松はなにかと理由をつけて、ぼくを太鼓部に入れようとしていた。
「やんねえよ」
「んなこと言わずにさ……。まあいいや。お前が入るまで俺、これ続けるから」
「最悪」
「んひへへ。あ、うちらのとこ退場支持出始めたな。んじゃ行くわ」
「やんないからな」
「わかったわかった。またあとで」
 しばらくぼくのいる方向に体をひねって手をふりながら歩いて、それからスッと体を戻して近松はすたすたと人ごみに紛れていった。
「ママ。ぼくらも行こう」
「………………………………………………」
 ぼくと近松がしゃべっている間、ママはずっとぼくの足元でカタツムリのように丸まっていて、ときおり頭をはげしく掻きむしったり、両頬を自分の両手でピシャリと打ち付けたり、鼻をはげしくすすったり、すすった勢いで咳き込んだりしていた。
「ママ……、ママ!」
 例祭のとき、ママは大抵こうなる。ママのなかの先祖の霊や前世の霊が苦しんで、ママの心に悪さをするらしかった。それがほんとうかどうかをぼくに確かめるすべはないし、ママにもないのかもしれない。でもママやママ以外の先達者がそう言うのだから、ぼくとしては受け止めるしかない。
「……ぁ」
「ママ!行くよ!」
「あっ!」
 ママはカタツムリの姿勢から器用に背中だけビクンと跳ねさせて、それから数秒静かになって、ゆっくりと顔を上げた。
「……あぁ。はい。ごめんねトラくん。行こっか」
「うん、行こう」
「あれ。近松さんとこの正晃くんは」
「もう先に行ったよ」
「ああ、そう。はい、はい、……はい、行こう。行こうね」
 そう言いながら、涙と鼻水でべしょべしょになった顔をハンカチで叩くように拭い、ママは立ち上がる。これからバスに乗って、来た道を戻って、夜には集会所の近くに着く。バスがいつも立ち寄るパーキングエリアで巨峰のソフトクリームを買ってもらうのをぼくはいつも楽しみにしていて、大人の先達者たちは帰りのバスのテレビ画面で観る『男はつらいよ』や『釣りバカ日誌』のビデオテープをいつも楽しみにしている。そしてまた明日から、ぼくは学校へ行く。

−−−−−−−−−−

 5年からぼくのクラスの担任になった田口は4年のときの柏木とどこか似ていて、言動の端々にどこか嘘っぽいやさしさが宿り、それでいて基本的にはぼくたち生徒に過干渉しないタイプだったから帰りの会が終わるのも早く、5年生全3クラスのなかで生徒が教室から放課後の廊下に解き放たれるのもいつもぼくたち2組の面々が一番早くて、
「もれ彦またなー」
「もれちゃん彫刻刀ありがとな」
「おーいもれぞう、ばーか、呼んだだけー」
「トラ今日は待たずに帰んの?」
 チートスが割烹着の入った白い袋をげしげし蹴りながらこちらに歩いてきた。
「コトは休みだしミヨシは用事があるって。バヤシとガンバは?」
 チートスはこのごろ、バヤシとガンバの3人でだらだら帰ることが多かった。
「バヤシは……、あいつ今日アドバンスと通信ケーブル持ってきてんだよ。ランドセル隠して、一旦帰ってまた戻ってきたんですってフリして朝礼台の下でヒロポンとエグゼ3やるんだろ。おれはパス。3組の帰りの会待つのもたるいし帰ろうぜ」
 つらつらと語りながらチートスはひたすら白い袋を蹴り続けている。
 それでぼくとチートスはふたりで教室を出て、階段を降りて、上履きからスニーカーに履き替えて、下校路を並んで歩いていた。
 ぼくの通う小学校では、2年から3年、4年から5年に上がるときにクラス替えがある。5年のクラス替えでそれまで一緒だったミヨシ、コト、ガンバとは別のクラスになってしまった。コトは1組、ミヨシとガンバは3組、そしてぼくとチートスは2組。コトとミヨシは3年4年と同じ組で、ガンバとは1年から4年まで同じ組だった。チートスは1年から同じ組だったから、ぼくはチートスと6年間同じ組ということになる。チートスにはすこし悪いけど、これが腐れ縁というやつなのかもしれないとぼくは思った。コト、ミヨシ、それぞれバラバラのクラスに分けられたことがぼくはいまだに新鮮にさみしく、でも12月ともなるとさすがにその環境にも慣れてきて、放課後、1組と3組の帰りの会が終わるまで廊下にたたずむ時間も、すきでもきらいでもない、ただ当然の時間として過ごせていた。
「蓼原とラッシー、あいつら付き合ってるらしいな」
「ああ、な」
 チートスの家はぼくの家とは方角が違う。校門を出て、ぼくはすぐに右に曲がるけどチートスはまっすぐ進む。けれど今日はチートスも右に曲がってぼくの横やすこし後ろを歩いたりしてなんでもない話を続けながらずっと同じ道をついてくる。
「このまえ手ぇ繋いで登校してたぜ。堂々だよなあ」
「付き合ってどうするんだろうね」
 理由も意味もわからないけれど、まあ、そういうことだってあるよな、と思いながら、特につっこんだことは聞かずに、ぼくはチートスと話しながら大小さまざまなマンションのすきまをくぐり抜けるようないつもの下校路を歩いた。チートスとこうしてふたりきりで話したり過ごしたりするのは、そういえば5年に上がってからは初めてのことかもしれない。運送会社のトラックがぼくたちの脇をゆっくり通り過ぎ、止まり、すこしバックをしてからまた止まり、運転席から動きやすそうな制服を着た人が降りてきて、荷台の扉を慎重に開けていた。
「どうするってどうするもこうするもないだろ」
「あ、そこ犬のフンある」
「あぶねっ」
「そうだ。ガンバがさあ。当てただろ、パックマン」
「あれか!ゲームキューブの!」犬のフンを踏みそうになってしばらくのろのろと歩いていたチートスが、ランドセルのなかの教科書をがたがた鳴らしながら小走りで近寄ってくる。
「そう。コロコロの。コロコロだったかな?抽選で」
「あいつそういう、応募して当てるやつ得意なんだよな」
 ガンバは3年生のころ、ゲームキューブの本体もはがきで当てている。ガンバ曰く、そういうものにはコツがあって、「当ててくださいとか、当たるといいな〜とか、当たれ〜、とか。選ばれたいとか、……とにかく、そういう邪念を一切入れないようにしながら、でも、ていねいに住所とか名前とか、書いて、なんにも考えないようにしながら、ポストに入れる。それをずーっと繰り返す。……繰り返していると、忘れたころに」なにかが当たる、ということらしかった。とにかくなにも考えない、ぼんやりすることが大切らしい。それがほんとうに当てるコツなんだとしたら、たしかにガンバが得意なのもうなずけた。
「あれやっぱマックス4人でやるのがいちばんおもしろいみたいでさ」
「おれよくわかってないんだけど、パックマンなの?ふつうの」
「うーん。うん。だけど対戦なんだよ。パックマン側と敵側、おばけ?側に別れて逃げたりする」
「やろうぜ。おれガンバに言っとくわ」
「なんか、バヤシもヒロポンも、そういうレトロはハマんないみたいでさ」
「だからあいつおれらと帰るときには言ってなかったんだな」
「あいつらはいまエグゼしかやってないだろ」
「そうなんだよな。おれもロックマンはちょっと。つかエグゼがちょっとな。ゼロ2はいまもたまにやるんだけど」
「だれがいいかな。おれだろ、ガンバにチートスに、あとひとり」ぼくは5年に上がったころから、学校のみんなの前では自分のことをおれと言うようになっていた。「それこそラッシーか?」
「コト呼ぼうぜ」ガードレールをイルカが跳ねるように左手で叩きながらチートスがさらりと言った。
「コト。ああ、」チートスがわかるかわからないか、くらいの微妙な間。「たしかにコト、意外とそういうちょこちょこしたゲームやるんだよな」
「まじ?そうなんか」自分で提案しておいてチートスは真剣に驚いたふうだ。
「うん。じゃあおれはおれでコトに言っとこうか」
「決まりな。ぬはーっ」両腕を腰ごとぐんぐん捻りながらチートスは大股で数歩進み、「いつがいいかな」顔を空に向けてすぐに戻した。
「まあコトも忙しいからな。次会ったときに話すよ」
「頼むぜトラ」ぼくの肩をぱんぱんと軽く叩いてチートスは言った。ちょうどそのあたりにできていたアザにチートスの手のひらが当たって、ぼくは一瞬、身を硬くする。「ビクった?なんで?」チートスが不思議そうにぼくの顔を眺めるが、ぼくはなにも言わずにランドセルを背負い直した。
 コトは中学受験に向けた勉強のために、5年に上がってからは受験用の学習塾に通い詰めている。今日も病欠ではなく、受験勉強のために学校を休んでいるらしいが、ほんとうのところはよくわからない。
 そうして話しながら歩いているうちにぼくの家の目の前まで来てしまって、ぼくたちは道端にだらりと突っ立って向かい合っている。
 ぼくの家の前に着いてからもチートスは帰ろうとせず、なんとなく話したいことがありそうな沈黙をしばらく続けてから、じゃあな、とぼくが言いかけたところで、
「このままトラんち、上がっていい?」と言った。
「だめ」
「なんか用事あんのか」
「ない。けどだめ」
「だよなあ」肩を腕ごとだらりと下げ、のっぺりした声でチートスは言った。「おれはなあ、一度くらいお前んちで遊んでみたいぞ」
「なんでだよ」
「なんか、気になる」
「気にすんな」
「いーじゃん」
「おれんちはな、遊べる家じゃないの」
「それいっつも言うよなあ」チートスの両腕がだらしなくぶるぶる揺れる。
「とにかく」とにかく、なんだろう?言ってからぼくはしばらく考えた。「……もう帰れ。おれは帰る」
 小学5年生らしくない幼さで、えーっ、とちいさく叫ぶチートスに背を向けて、ぼくは家の敷地に入り、玄関に鍵を差し込む。
「じゃあな、また明日」
「この借りは必ず返すからな!」玄関扉が閉まる直前、チートスがそう叫んでいるのが聞こえて、ぼくはちらと振り返る。振り返るころには玄関扉はもうほとんど閉まりかけていて、だからチートスの姿はもう見えなかった。
 借り?
 なんのことだろう。意味がわからない。
 窓からもれる外の光だけで照らされたうす暗い家に電気をつけていき、カーテンを閉めていく。この時間、パパは仕事だし、ママはたいてい集会所に行っているから家は無人だ。リビングが、キッチンが、外の光に照らされたよそよそしい質感から人工的な光に照らされた親しげな質感に変わる。その対比がいつも不思議で、だからぼくはこうしてだれもいない家に帰る瞬間がそんなに嫌いではない。というより、嫌いではないと思うことにした。放課後、家には帰らずに、コトやミヨシと一緒に真間川を下り水門のあたりまで歩いて夕暮れまで過ごすことの多かった3、4年のころと比べて、コトにはコトの、ミヨシにはミヨシの、それまでとは違った毎日のリズムがクラス替えによって否応なく出来上がりつつあったから、それは仕方のないことだった。なによりミヨシのクラスにはガンバがいる。ガンバがなにかしてくれるわけでもないが、ガンバがいるだけで保たれる治安があることもたしかで、ぼくはミヨシがガンバと同じクラスに割り振られたことにかなり安堵していた。そしてコト。
「もれ彦ー」
「もれちゃーん」
「もっちゃんまたな」
「もれぞうやーい」
 放課後の他愛無い呼びかけが頭の中で繰り返される。ぼくは手を洗い、うがいをし、ランドセルをソファに投げるように置いて、リビングの隅に置かれているデスクトップパソコンの前に座り、電源ボタンを押す。
 9月末に行った林間学校、その全体レクの時間にぼくは5年生ほぼ全員のいる場でおしっこを漏らした。その日から、ぼくはクラスをまたいだ多くの同学年から「もれ彦」「もれちゃん」「もれぞう」「もっちゃん」などと呼ばれるようになっていた。
「一つ一人の姫はじめ〜、右手よ今年もよろしくな〜」
「あ、そ〜れ!」
「ちんっこも〜みも〜みも〜みもみ〜」
「ちんっこも〜みも〜みも〜みもみ〜」
 近松からのメールで知ったおもしろフラッシュ倉庫にアクセスし、ちんこ音頭のリンクをクリックして、カクカクと歌い踊るさまざまな頭身のアスキーアートを眺めながら、ぼくはコトやチートスのことを考えていた。4年が終わるころまでは、どちらかというと、コトがチートスのことを気にかけていた。気にかけていたというか、気になっていたというか。もしかしたら好きなのかもしれないな、という微妙な気配があった。それがいまは逆転している。チートスはコトが気になっているのだろう。そしてチートスは、以前コトに意識されていたことに気づいていないし、コトがもうチートスへのそういう意味での興味を失っていることにもおそらく気づいていない。チートスってあんなに幼いキャラだったっけな、とぼくは最近たびたび思うのだけど、もしかしたらそれは、からだの成長や上がっていく年齢や学年が、チートスの心の成長スピードを追い抜いていってしまっただけなのかもしれない。あるいはぼくが、これまでチートスのことを見誤っていただけって可能性もある。チートスは3年のころ担任の柴井にいじめられ続けていて、体罰こそなかったが1日に何度も理不尽に怒鳴られたり他人の失敗をなすりつけられたりしていた。この柴井というやたらガタイの良い彫りの深い肌の浅黒い男はとにかくおかしな教師で、体育の授業のほとんどは柴井オリジナルの「ひっぱりっこ(クラスを2チームにわけて敵チームの身体や衣服をただただ全力で引っ張りまくるだけ)」「ひまわり(校庭の地面に足で大きなひまわりを模した簡素な線を描き、クラスを2チームにわけて、片方のチームはひまわりの絵の外から円を描くように、花びら部分をけんけんぱの要領で進み、もう片方のチームはひまわりのつぼみ部分に密集して、けんけんぱで進む敵チームをひたすら押して花びらの外に出すだけ)」などのレクに費やされ、各教科の授業中は「この問題、わかるひと?」という問いかけのあとに「手を挙げて!」と柴井が命令するまで手を挙げることも発言することも固く禁じられ、どうしてもトイレを我慢できなくなったときはその場に立ち上がって「先生!」と申告し、教卓の前でクラス全員に向けて「トイレに行ってきます。授業を中断させてごめんなさい」と必ず言わせ、給食の時間に食べ残したものは素手で鍋に戻すというルールが強制され、全体的に女子に甘く、男子に厳しかった。チートスには特別に厳しかった。
 きっかけは音楽の授業だ。
 その日は楽譜の読み方の初歩の初歩、みたいな授業内容で、柴井は黒板にいくつかの音楽記号をでかでかと描き、「え〜これは、ト音記号、ですね〜。え〜、で、これは……」と説明していた。そのとき、
「ヘ音記号だ!」
 唐突に、手も挙げずにチートスが言った。チートスには歳の離れた姉がいて、姉はピアノを習っていたから、すでに知っている記号がたくさん出てきてテンションが上がったのだろう。気持ちはわかる。でも柴井の前でそのテンションになってはいけなかった。柴井はピタリと動きを止め、上げかけていた腕をおろしてチョークを静かに黒板に置いた。「あのな?」黒板を見つめたまま柴井が声を出す。3年2組の教室全体がピンと張り詰め、あ、これ知ってる、と当時のぼくは思った。パパの機嫌が悪いときとおんなじだ。柴井はゆっくりと声を発し続ける。「おれはな」「音楽が」「とっても、苦手なんだ」「だから」「だからな」「ヘ音記号は」ここで柴井はスッとクラス全体に向き直り、教卓の縁に両手を着いた。一瞬の沈黙。
「おれが言いたかったんだああああ!!!!!!!!!」
 当時3年2組に所属していたぼくたち(主にそのなかでも、ぼく、ミヨシ、コト、ガンバ、チートスとその周辺)は、その日の出来事を「ヘ音記号事件」と呼んでいる。
 作文の時間、すこし耳のあたりをかいただけで「作文中に耳をかくな!」と言われたり、給食の時間「箸の持ち方が汚い。お里が知れるぞ」と背後でじっとりと観察され続けたり、「ヘ音記号事件」以来、柴井はとにかくチートスに対して粘着質に接するようになった。酷かったのは帰りの会で、柴井は帰りの会の最後にも定期的にオリジナルのショートレクを行うのだったが、そのバリエーションのなかに「オカマゲーム」というものがあった。
「わたしオカマよぉ〜ん。ンッフゥ〜ン」
 柴井がまず、教卓の前で全力の手本を見せる。それを、柴井が指名した生徒が教卓の前で再現する、という、ただそれだけの「ゲーム」だ。
「おれの予想が正しければ、千歳、お前このゲーム好きだろう。得意だろ。なあ?」
 チートスはこのゲームに毎回指名された。そのころのチートスの我慢強さには目を見張るものがあり、「ヘ音記号事件」以後のさまざまな柴井からのいじめをなんでもなさげに無視したり、へらりとかわしたり、嫌がるそぶりも見せずに応答したりしていたから、「オカマゲーム」においてもチートスは「へへ、はぁい」などと素直に立ち上がり、「オカマよぉ〜ん。アッハァン」などとクネクネ振る舞って任務をまっとうしていた。ぼくが全身で危険を察知したのは、「オカマゲーム」が行われ始めてからしばらく経ったある日の帰りの会、柴井が「千歳ばっかりだと不公平だから、たまには他のみんなにもやらせてあげよう」と言い出したときで、ぼくはそのころミヨシのある性質、ある変化、些細な言動から来る予感のようなものをミヨシ全体から一方的に感じ取りはじめていたから、この最悪なゲームの標的がチートスに集中していることになんならホッとしてすらいた。
 ミヨシが指名されたら、なにかが終わる。
「ぼっ……く、ぼくやりま、ぼくやります!!!」
 ぼくは手を挙げながら立ち上がり宣言した。どちらかと言うと大人しい部類の男子、という認識でいたらしい柴井は突然の宣言にひるんだ素振りを見せたが、そのひるみをほかの生徒に悟られたくなかったのか、ぼくはそのまま教卓の前に招かれ、「……。……わ、たしオカマよぉ〜ん!うふぅん!」とクラス全員に全力のオカマポーズを披露することとなった。
 この日の出来事は、主に3年2組のぼく、ミヨシ、コト、ガンバ、チートス以外の面々から、しばらくのあいだ、陰で「オカマ記念日」と呼ばれることとなった。
 結局柴井は、3年の2学期後半から学校を休みがちになり、3学期が始まる前に学校をノイローゼで辞め、柴井が休みの日に臨時の担任として授業をしていた柏木がそのまま3年2組の担任となり、4年に上がってからの1年間も担任として2組を任されることとなる。
 5年に上がるときのクラス替えで散り散りになった3年2組出身者は、他の組出身のやつらからは「柴井組」と呼ばれている。経験の質が違う、というような意味合いの、ある種尊敬や畏怖の念を込めてそう呼ぶやつ。かわいそうに、という哀れみから陰でそう呼ぶやつ。掘り返せばおもしれー体験談が無限に聞ける、という野次馬根性からあえて堂々と呼ぶやつ。いろいろいる。
「オカマ記念日」のことをチートスがどう思っているのかを面と向かって聞いたことはないが、もしかしたらチートスは、トラが自分をかばってくれた、と思っているのかもしれない。いや、そこまで考えているのかもよくわからない。あのころの日々のことをどういうふうに覚えているのかも、どれくらい忘れているのかもわからない。けれどチートスは、林間学校から帰ったあともぼくのことを「トラ」と呼び続けている。
 あれ。もしかして、借りって、「オカマ記念日」のことか?
「二つフリチン男のしるし〜、もっとふれふれちんちんを〜」
「あ、そ〜れ!」
「ちんっこも〜みも〜みも〜みもみ〜」
「ちんっこも〜みも〜みも〜みもみ〜」
 あまりにも遠く、遠く、昔のことのように思える3年2組の日々を思い出していているうちに、そんな思いが頭をかすめたけれど、それにしてはタイミングがおかしいし、やっぱりシンプルに、コトを遊びに誘ってくれることに対しての借りってことなのかもしれない。あるいはなにかのマンガで使われていた「貸し」「借り」のシチュエーションやセリフを、自分に落としこんで演じるように使ってみたくなったか。あんがい、そんなもんかもしれない。
 あるいは……。
 ちんこ音頭を一通り再生し、おもしろフラッシュ倉庫からいくつかリンクを飛んで、男性が女性に、女性が男性に、主に裸でいろいろなことをしている様子がかなりオーバーに描かれている漫画が大量に貼られたサイトをじっと見つめる。画面をつどつどスクロールさせながらゆっくり見ていって、すこしの恐怖とともに自分が勃起してきていることに安心して、それでブラウザを閉じる。PostPetを起動して、メールチェックをクリックするとかわいたノック音が鳴ってポストマンと一緒にひみつメカとハムスターがやってくる。ポストマンが届けてくれたのは近松のメールで、近松はHotmailを使っているから、いつもメカメカしいポストマンがディスプレイ上に表示されたPostPetのウィンドウ内をシャーッと地面をすべるように移動してメールを届けてくれる。ひみつメカのジョニーはミヨシのペットで、ハムスターのヒカルはコトのペット。2匹が運んできたそれぞれのメールに書かれている内容はどちらもなんてことのない今日のできごとが主で、コトは塾用に使っているリュックのなかにアンモナイトの化石の入った小さいプラスチックケースを入れて、それをお守り代わりにしてるらしかった。春ごろ、ミヨシと3人で電車に乗って行った恐竜博で買ったおそろいの化石で、おそろいと言っても化石は化石だから同じアンモナイトでもすこしずつ形に差がある。ぼくもその化石を学習机の鍵付きの引き出しに入れていて、たまに鍵を開けて化石が入っていることを確かめるだけでしずかにうれしい気持ちが体の芯を通っていくのがわかった。ミヨシはミヨシでガンバがパックマンのソフトを当てたことについて書いていて、それはもう知ってるって、とぼくは画面を見つめながらすこし笑った。
 あるいは。もしかしてぼくは、チートスに心配されているのかもしれない。
 でも、チートス、気づいているか? ぼくは自分のペット(ハムスターで、名前はレオン)におやつのままかりをあげて、ウィンドウ上の部屋でばたばた移動しているジョニーとヒカルにも同じのをあげてやる。もうだれも、コトのカツラやハゲのことを話題にしていない。目には目を、歯には歯を、トピックにはトピックを、だよ、チートス。わかるか。
「だろ? ジョニー、ヒカル」
〈洗う〉のコマンドをクリックし、ビニールプールのような容器のなかでジョニーとヒカルがざぶざぶ洗われている様を、自分でもなぜだかわからないけれど、いつもより真剣に見つめる。ぼくだけがいる家の、リビングの片隅で、にせものの水音が鳴り続けている。

−−−−−−−−−−

 ごがばたん。ど。ごんっ。ばんばったばん。
 だん。だ……だ……だだだんだんだだん……だだだだ。
 暗闇にべつの暗闇が混じり入ってくる気配がして、ぼくは慎重に寝たふりを続ける。
「トラ」
 今日はめずらしく、ママがやってきた。
「うぉあい!」
 階下からパパの鳴き声。ママを呼んでいるのだろうか。
 それとも、もしかしてぼくだろうか。
「トラ」
 ママはぼくの枕元に座り込んでいるらしかった。
「……起きているんでしょう。トラ」
 自分で言うのもなんだけど、ぼくは寝たふりがうまい。
 そしてママが、ほんとうは寝たふりに気がついていない、ということもわかっている。
 ぼくは眼をとじ続ける。
「……トラ」
 だっがん。ずぁっしゃ。ががん。
 階下で次々になにかが壊れている。
「トラ。離婚したら、トラはどっちについていきたい?」
「おあああ!?」
 ぼくは眼をとじ続ける。
「ゥ降りてこい!」
「どっちの子どもになるのが幸せか、わかってる?」
 これまでに、もう何度も耳にした質問だな。ぼくはにせの寝息を慎重に立てている。
 ばっがぁん。
 うっすらうんざりしつつも、ぼくはそう聞かれるたびに、つい真剣に考えてしまう。
 ママの子になれば、暴力はないけれど、貧乏な暮らし。
 パパの子になれば、暴力まみれだけれど、裕福な暮らし。
 カレー味のうんこか、うんこ味のカレーか。お前どっち?
 小学生として過ごしてきたこれまでの、さまざまな時間、あらゆる男子に聞かれてきた「きゅうきょくのせんたく」そのものだとぼくは思った。
「ねえトラ」
 ぼくの肩をゆする手。ぼくは体の力を抜いて、ママのやさしい力を受け入れる。
「……考えておいて」
 ママが立ち上がり、部屋を出ていく気配がして、混じり合っていたふたつの暗闇がほどけていき、するりとまたひとつの暗闇に戻った。だ……だ……だだだんだんだだん……だだだだ。ごん。ごんごごんごん。ごん。ごん。ごん。ごんごんごんごん。ぼくはしばらく寝たふりを続けて、布団のなかでマイナスドライバーを握りしめていた両手をゆっくりと開いて、何度か大きく息を吸う。息を吸って、吐く。

−−−−−−−−−−

 ガンバにはおばけの才能があるらしかった。
「ちがうよ。だって……だってみんながわかりやすすぎなんだもん」
 逃げまどうぼくたちを効率よく追い詰めてひとりひとり捉えていく、ガンバが操っているとは思えないおばけのテクニカルな動きにツバが口からほとばしるほど白熱したぼくたちは、ぜえぜえ笑いながらそれぞれ畳の上でとんがりコーンを指にはめたりコップのなかでぬるくなったサイダーを飲んだりしている。焼肉屋の奥の、座敷席のさらに奥、間仕切りのカーテンを開けるとすぐに一段一段が急な階段があって、それを上がると簡素なキッチンにリビング、和室が2部屋。それがガンバの家で、ぼくたちはいつもガンバの家族が全員で川の字になって寝ているという、2階の入って手前の和室で、ゲームキューブのパックマンをひたすらプレイしていた。
「はあ。あー笑った……。そろそろ帰るよ、わたし」テレビ台の脇、日に焼けて元の色がわかりづらくなった目覚まし時計は午後4時半のあたりを指していた。
「あー、この時計、けっこう遅れてんだよね」ガンバが体をねじって目覚まし時計をわしっと掴む。「たぶん、もう5……」
 ガンバが言い終わらないうちに、窓の外から5時のチャイムが聞こえてきた。
「え! ガンバほんとにさあはやく言ってよ!」途中までムッとした口調だったのに、途中で笑いが混じって、最後は体を抱え込むようにして声を上げずにコトは笑った。そのコトの背中をチートスがちら、と見て、すぐに眼をそらして人差し指と中指にはめていたとんがりコーンを鳥のようなすばやさで食べている。
「帰る帰る。わたし帰るから。今日も模試の勉強やんなきゃ」
 帰る、と言いつつ、家には帰らないのをぼくは知っている。家からそこまで遠くない場所にデニーズがあって、そこに行くか、もしくは西船橋駅前のマックにでも行くのだろう。コトが勉強に集中できるような環境で暮らせていないことはよくわかっていた。
 そしてぼくも、今日は早めに帰りたかった。ママにここ数週間、言え言えと指示され続けていたことを、パパに言わないといけない。
 ぼくはカレー味のうんこを選ぶことにした。
 わたしは世教の先達者です、と宣言するのだ。パパの前で。
「おれも帰るわ。チートスは?」
「おれはもうちょい遊んでくわー。だめ?」おれのほうを見たりガンバのほうを見たりしながらチートスが言った。
「ん。ぜんぜん、オレは大丈夫」
「なんだよ。家の鍵ないとか?」せっかくコトと一緒に帰れるのに。まあ、ぼくもいるけど。
「なくても入れるよ。姉ちゃんがいる。あー。最悪。姉ちゃんがいるからうぜえんだよ」どうやら姉ちゃんとケンカでもしたようだ。「ガンバ。お前は上がいなくていいよなあ」
 ガンバは4人きょうだいの長男で、下には妹がふたり、弟がひとりいる。ガンバ以外のこども3人はいまはそれぞれ1階の店舗部分にいて、妹ふたりは座敷席のあたりでちいさい人形やレゴブロックを散乱させていて、いちばんちいさい弟は仕込みをしているガンバ母の背負い込んだ抱っこ紐のなかですやすやと眠っている。開店準備のために、そろそろ妹ふたりが座敷を片付けて2階に上がってくるはずだ。
「チビどもふたり誘ってパックマン再開しようぜ」自分もチビのくせに、チートスは嬉しそうにガンバの肩に手を回す。
 だっだだっだだだだだだ。階段を駆け上がる音がして、ぎゃははと笑いながらガンバの妹ふたりが和室にやってくる。「チッチちょっとじゃま!」妹の片方がそう言ってチートスにぶつかり、チートスのあぐらの上にうつ伏せで倒れ、にたにた笑いながらその姿勢で手を伸ばしてコンソメパンチの残りをせわしなく口に運んでいた。

−−−−−−−−−−

何の匂いでしょう
これは

これは
春の匂い
真新しい着地の匂い
真新しいかわの匂い
新しいものの
新しいにおい

匂いのなかに
希望も
ゆめも
幸福も
うっとりと
うかんでいるようです

ごったがえす
人いきれのなかで
だけどちょっぴり
気がかりです
心の支度は
どうでしょう
もうできましたか

−−−−−−−−−−

 ガンバの家からの帰り道。並んで歩いていたコトが、ちいさな声で詩を暗誦してきた。
「よく覚えてるな」昨日、学年全員に配られた学級だよりに載っていた詩だった。
「黒田三郎。『支度』。なんか覚えちゃったな」
 ぼくのスニーカーが、コトのスニーカーが、歩道のアスファルトをざりざりと鳴らす。空は赤くて、カラスの群れがどこかからどこかへ飛びながら鳴いている。救急車のサイレンが遠くで鳴っている。コトは口元をおおっていたマフラーに指をかけて、顔をすこしだけ上げて大きく呼吸している。
「希望。夢。幸福。希望。夢。幸福」ぼくはコトが暗誦した詩の一部を繰り返す。「って、なんのことだと思う?」
「なんだろうね」
「それってほんとうにあるのかな」
 どちらとも、なにも言わなくても進む方向は自然とそろって、ガンバの家から学校、学校の敷地に沿うように何度か曲がって、ぼくたちは西船橋の駅に向かって歩いていった。
 ぼくもコトも、しばらく黙っていた。
「トラはさ」
 駅前の居酒屋やスーパー、コンビニが近づいてきたあたりで、コトが言った。
「ミヨシのことが好きでしょ」
 まったく予想していなかったことを言われて、ぼくはコトのほうに顔を向けるだけでなにも言えない。
「好きっていうか。チートスがわたしのこと気になってる程度には、ミヨシのこと、気になってるでしょ」
「チートス?」なぜかそれしか言えず、ぼくはコトのほうを向き続けている。コトはいつのまにかぼくより身長が伸びていて、顔を上げないとコトの肩や腋のあたりを見ることになる。でもいまはそれでよかった。電柱にぶつかりそうになってぼくはふるえるように立ち止まり、また歩き出す。
「わかりやすいんだよトラは。チートスもだけど」
 コンビニから足早に出ていくスーツ姿の2人組とぶつかりそうになって、ぼくはまた立ち止まる。頭だけつんのめるようにすこし前に倒れて、遅れて体全体がわずかによろめく。右足、左足、左腕、右腕。歩くって不思議だ。どうやって歩くんだっけ、と考えるまでもなく、歩こう、と思うまでもなく気づいたら体は歩いていて、意識し始めると不安定な棒のようになる。コトはぼくよりすこし進んだところで立ち止まってこちらを振り返っていた。どうやって歩くんだっけ、と考える前に体はコトのそばまで進む。ぼくたちは再び並んだ。
 まばたきのふりをして、瞬間、眼をとじる。
 眼をあける。
 急に全部の音が聴こえた。
「ミヨシが、ガンバと同じクラスになって。なったって知ったとき。5年のはじめ、ずいぶん、もう前のことだけど」
 ぼくたちは人通りの激しいコンビニ沿いの道で立ち止まっていた。もう一度、眼をとじる。あける。ぼくはコトの眼を見た。
「すごく安心した。ガンバがミヨシのそばにいるなら、クラスのなかでさみしくないだろうし、もしかしたらたのしいかもしれないし、いじめられることもなさそう、よっぽどのことがなければ。だからすごく安心した。でもぼくはさみしい。さみしかった。さみしい、いまも、さみしいかもしれない。それが、コトから見て、チートスみたいな感じで気になってるように見えているんだとしたら、それは、そうなのかもしれない。おれは、」ぼくとおれが混ぜこぜになっていることに気づいたり忘れたりを繰り返しながらぼくはコトの顔を見上げ続けた。「ミヨシにしあわせになってほしいって思ってる。ミヨシになにか夢があるんだとしたら、その夢が叶うといいなって思ってる。希望とかいちばんわけわかんないけどそういうものがあるんだとしたら、あったらいいなって思ってる。でもそれは、ぼくがそばにいたら全部だめになってしまうもののような気もしてる。うまく言えないけど。おれはたまに、これは、こんなこと言うと思わなかったけど、思ってるけど、ぼくはミヨシが死んだときのことをたまに想像することがあって、ミヨシの葬式でぼくが冷たくなってるミヨシを見て泣くっていう、そういうことおれたまに想像するけどミヨシにしあわせになってほしいって、ああ違うわ、おれ、ミヨシはすでに、もうしあわせなんじゃないかって、思っているのかもしれない。コト、」ポケットティッシュを配っている人、鼻をこすりながら歩いている人、電話ボックスのなかで肘をつきながらなにかをまくし立てている人、重そうな楽器を背負って歩く人、スーツをだらしなく着て耳元に指を当てている客引きの人、腕時計を見ながら階段を駆け上がる人、片手を上げながらタクシーに近寄っていく人、かたまりになってコンビニから出てくる人、人、人、その全部の音。「ごめん、途中からなにが言いたいのかおれもわかんなくなった」
「歩こう」
 コトはそう言って、ぼくから眼をそらして、歩き始めた。それでぼくの耳も元に戻って、ふたりで駅舎南口の階段をのぼり、北口に抜けていく。
「わたしはトラのことが好きだよ。でもそれだけ」北口の階段を降り、ロータリーを横断している途中で「返事したら殺すから」コトが前を向いたまま言う。「だれかに言っても殺す。あはは。殺さないけど。じゃあね!」そして横を歩いていたコトは走り出し、ぼくを置いてマックへ入っていった。
 ぼくはそのままロータリーを渡り切り、それから回れ右をして、北口の階段に向かってロータリーをもう一度渡る。混乱している頭のなか、不思議と浮かんでいる思いはシンプルで、コトはずいぶん明るくなったな、ということと、
「この借りは必ず返すからな!」
 チートス、借りを返すって、もしかしてこのことかよ、いやそんなわけないよな、ということと。

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