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0113「木魚」



 京成線とJR総武線・東京メトロ東西線の線路に挟まれたエリアには勝間田公園っていうひらけた公園があるんだけど、その隣には葛飾神社っていう地味めの神社があって、公園と神社の隙間には人ひとりぶん程度の横幅の道があって、その道沿いに俺の住んでいる一軒家がある。ベランダからは公園の広場が一望でき、玄関を出ると神社の境内が木々の連なり越しにわずかに見え、風景だけ取ればのどかだが公園と神社の目の前は千葉の中枢と東京の日本橋を繋ぐ国道14号線で、昼も夜もあらゆる車、あらゆるトラックがひっきりなしに通るから騒がしいしきっと空気もそんなに綺麗なもんじゃない。
 家は30坪ほどの広さの3LDK。2階の洋室3部屋を俺一人で持て余し、居室未満倉庫以上みたいな状態になっている以外は取り立てて特徴的なところはない。俺が5歳のころに、株ですこしばかり儲けた親父が気を大きくして建てた家だから、築年数はだいたい25年といったところか。その親父は東南アジアの絵画作品や中国の文房四宝を輸入する小さな商社で数十年勤め上げ、同い年のお袋と共に仲良く内房の下の方で隠居ライフを送っている。高齢出産だったんだ。だから俺はふたりの若い姿を写真でしか知らない。
 親父とお袋が何度目かの下見のすえ隠居先を決め、移り住むタイミングで、俺は3年半一緒に暮らした嫁と離婚した。向こうの不倫が原因で、あっけないもんだったな。最近の言葉で言うとサレ夫ってこと。あっけないっていうのは俺が向こうの不倫に勘付いてそれとなく探ってみて白状されて離婚届を用意して判を押し合って居を別つまでのすべてにおいてで、なんかもうすべてがどうでもよくて、でもそれは不倫に勘付く前からずっとそうだったんだと思う。どうでもよかったんだろうな。どうでもよかったのに結婚してしまって、だから俺も俺で悪いんだよ。いまさら責めるつもりもないし取り立てて面白おかしく脚色して誰かに話そうって気にもなれない。向こうにとっては俺のそういうところが、心地よかったし信用しきれなかったのだろう。俺も俺自身でいることが心地良いし信用しきれない。ああ、そうね、そうだね、それぞれお互いを見ているようで、その実、鏡を見ていたのかもしれないね。俺も、向こうも。
 まあそんな話はどうだっていいしこの話の全体がどうだっていいんだ。それで俺は元嫁と暮らしていた小岩のマンションを引き払って、この家に帰ってきた。親父はこの家をだれか人に貸すか売るかして小金を得ようとしていたらしいけど、離婚して帰ってくるっていうんならお前、住んでもいいよ、ってわけで、いまこうなってる。とはいえやっぱり狭くて広いね、ここは。部屋は持て余すけれど、もう体の一部みたいに住み慣れた我が家ではあるから、ここが世界のすべてみたいな気持ちになって、心がどんどんこの家の敷地から出られないような気分になって、そう、息が詰まる。気楽ではあるけれど、気楽なだけではこの世は面白くない。こういう話をお袋にしたところでお互い切ない気持ちになって終わるだけだし、親父に言うのもなんか違う。世間話みたいにすっと話せる友達ももうこの辺りにはだれも住んでいないし、わざわざ電話で話すようなことでもない。馴染みの店のひとつもないし、なんつうか、むずかしいお年頃ってやつだね。
 職場は新宿寄りの西新宿のあたりにあって、最近は主にAI用のプログラムを組んでる。ここから新宿は遠いけど総武線に乗っちゃえばあとは乗ってれば着く。どれだけ混んでいても錦糸町秋葉原あたりまでくればだいたいの場合座れる。市ヶ谷のあたりの、あれはなんて言ったらいいのかな。電車がお堀のような地点を通るときの光の当たり方がすきで、俺はいつもそのへんで一旦スマホから顔を上げる。帰るときはもうずっとスマホスマホだけど。本とか持って行きゃいいんだよねほんとは。
 土日祝日は基本家にいて、どっか遊びに行くことってほとんどないな。でもさっき言ったみたいに、家に居続けるのもなんか、自分と俺のふたりでずっと家にいるような感覚になって、そのうち始終独り言をつぶやきつづける人間になってしまいそうなのがちょっとこわくて、昼過ぎには家を出て公園のベンチに座ってみたり、国道14号と180号がぶつかる交差点を原木ICの方に曲がってなんとなくドンキやデニーズのあたりまで行ってみたりする。ここらへんも変わったなあなんて、たまに、何度も、思いながら。というか、独り言をぶつぶつ言いながら。神社の隣、公園とは反対側のね、は、俺が中坊のころは精肉店で、品揃えは乏しいし特に美味い肉をこだわり持って仕入れている風でもなかったからお客さんはいつもぜんぜんいなくて、俺は部活帰りによくそこで鶏カツを買い食いしてた。コロッケとか唐揚げとかそういうのはなくて、買ってすぐ食べられるものは鶏カツしかなかった。ファミチキみたいな、あんな感じじゃなくて、ほんと、カツって感じの。味も塩とコショウが効いているくらいでシンプルなもんだった。いくらだったかな、でもかなり安かったよ。注文してから揚げてくれるんだけど、揚げている間、たまにその店のおっちゃんがオトナのありがたい話、内容なんてないけどさ、そういうのを聞かせてくれて、というかあれは、ほとんど独り言だったないま思えば。いまを生きろよ的なね。いまその精肉店は潰れてぼろぼろの小屋みたいな外観だけが残って、シャッターが閉まっていてそのシャッターには共産党のポスターがびっしり貼ってある。さっき言った交差点を曲がってしばらく歩いていくと煉瓦造りのお城みたいな立派なラブホテルがあって、昔はニューシャトーって名前だったけどいまは名前だけ変わって別のラブホテルになってる。それから総武線と東西線の高架の下を通って、さらに歩く、街はどんどん変わる。ゲームセンターやボウリング場が入っていたビルにはパチスロが入り、JAGUARのディーラーだったところはJEEPのディーラーになり、長崎ちゃんぽんだった場所はなんとかゼミナールになり、ゲームやCDやカードを中古で売っていた店はCoCo壱になり、なんだったか思い出せないけれどなんかファミレスが入っていた気がする一階部分が駐車場で二階に店舗があるテナントはカラオケになり、なにかが建っていたはずだけどなにも思い出せない空き地がぽつぽつとあり、ステーキ屋があった場所にはマンションが建ち、ブックス・ホークアイという本屋が入っていた建物は一時期イタリアンを提供する店とボルダリングジムが入っていたがその後どちらも潰れてステーキ屋が建物そのままに移転してきた。セブンイレブン、ローソン、デニーズは生き残っている。逆に言うとそれくらいしか生き残っていない。あとガチャガチャ。
 ガチャガチャはいつもそこにいる。総武線と東西線の高架の下、短いトンネルみたいになっているその薄暗い道に、ぼろぼろの段ボールを敷いていつもあぐらをかいて座ってる。くすんで元の色がわからないけれどおそらくターコイズブルーだったんだろうな、みたいな厚手のジャンパーとニッカポッカを季節問わず着ていて、顔はガサついて茶色い。ホームレスかな?と一瞬思うけどヒゲはいっさい伸びていないし頭も丁寧に剃髪されていて、じゃあホームレスじゃないのかな?と思い直すけどホームレスじゃないならじゃあなんなのかな?とも思う。朝も昼も夜もガチャガチャはいつもそこにいるから、その道に住んでいるのかな、じゃあやっぱりホームレスだ、と再度思うのだけど尻に敷かれた段ボールと傍らに置かれた大きな木魚以外には生活を営めそうなものはなにもないからきっとどこかに住まいがあるのだろう。その道を通る人の多くは昔っから触らぬ神になんとやらな姿勢でガチャガチャのことはいないものとしてすっす通り過ぎていくから、みんなきっとガチャガチャのことについてはほとんどなにも知らない。とにかく、ガチャガチャはそこにいる。俺が物心つくかつかないかのころから、ずっと。
 ガチャガチャをガチャガチャと呼ぶのは俺ともうこの街にはいない俺の小中の旧友数人くらいだから、実質もう俺しかいない。子どもっていうのは大人が見たくないものに限って見たがるもんだから、怖いよな。俺らは放課後、ドンキを冷やかしたりゲーセンに行ったり、中古屋でカードを万引きしたりローソンでサンデー立ち読みしたりするたびにその道を通るもんだから、よくガチャガチャにちょっかい出しては勝手に逃げ出したりしてた。ちょっかいったってかわいいもんで、そこでなにしてんのー、とか、だいじょうぶですかあ、とか、声かけたり、あとはひどいやつだと手を横に広げながら走ってそのまま広げた手がガチャガチャのつるつるの頭にぱちんと当たってそのまま走り去ったりとか。でもガチャガチャはえらいもんでまったく無反応。ぴくりとも動かないし喋りもしない。猫背であぐらをかいて、そのままの体勢で斜め下をじっと見ているだけ。まばたきすらしていなかったんじゃないかな。だからみんな、次第に飽きて、あるいは何とはなしに恐ろしくなって、だんだん素通りするようになっていった。俺と同じ卓球部だった三ツ野を除いて。
 思えば三ツ野はちょっと、人より子どもだったんだな。なんつうか、みんながどんどん大人になっていくことが許せないタイプの子どもっていうかね。おれはずっと無垢だぞ、っていうのを、勇気紛いの無礼で証明しようとするその行為が、おれはお前らが大人になることを許した覚えはない、っていうメッセージになっていることを、本人が気付けていない、みたいな、ない?あったよな、そういうの。いたよな、たぶん。そういうやつだったんだ三ツ野は。そういうわけで俺らの周りで三ツ野だけは、ガチャガチャにちょっかいを出し続けた。そしてあるとき三ツ野は、ガチャガチャの傍らにいつも置かれている、大玉のスイカみたいなデカさの木魚の、あの、ベイマックスの顔みたいな部分、あそこの穴に、お賽銭みたいに、持ってた小銭を入れたんだ。
ようやく子どものような絵が描けるようになった。
 ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ。

 ガチャガチャは突如言葉を発した。三ツ野曰く、その声は低く、しかしどこか凛とした清潔な響きがあり、なんというか「ナレーターみたい」だった。あまりにも突然、しかも脈絡のない謎めいた言葉が発されたものだから、三ツ野はしばらく身を強張らせて、じっとガチャガチャを見た。そして三ツ野は走り出した。三ツ野を置いて先にゲーセンに入って競馬ゲームに興じている俺らの肩を叩き、俺らは興奮気味に話す三ツ野に半ばシラけつつ、しばらく遊んでからその道へ戻ってガチャガチャを囲うように見下ろした。三ツ野が再び小銭を一枚入れる。
誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか。人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ。
 ずいぶんあとになってから知ったことだが、それはかの有名な画家、パブロ・ピカソの名言だった。俺の隣にいた高間が小銭を入れる。
私は捜し求めない。見出すのだ。
 俺も小銭を入れる。
芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ。
 そうしてガチャガチャは、俺らによってガチャガチャと命名された。小銭を入れてレバーを回すとカプセルトイが出てくるあの機械のように、小銭を入れると言葉が出てくるから。
 でもそれ以降、俺らはもうガチャガチャについては特になにも話さなくなったし、ちょっかいをかけることもなくなった。その道を通り過ぎるときに、お、ガチャガチャ、とたまに声を発する程度。理由はわからないし、なんならさらに謎は深まったのだが、一応の、機能みたいなもの、正体のようなものの片鱗を知ることはできて、それで満足してしまった。なんせ俺らはそのころ子ども。興味なんて蝿みたいに気まぐれだ。
 その道を、俺はいまも頻繁に通る。ガチャガチャはいる。木魚も変わらず置いてある。不思議なもの、不思議な存在は、その場にいる全員が不思議だと思ったそばから不思議ではなくなっていくし、全員が不思議だと思わなければそれもまた不思議ではない。人が不思議を維持するってのはむずかしい。でも、これはうまく説明できないけれど、俺くらいはガチャガチャのことを不思議に思ったままこの街にいたい。この街で俺がこの先も暮らし続けるというのなら、俺はガチャガチャのことを不思議がり続けたいと思ってる。これはガチャガチャのためではなく、俺のためですらない。強いて言うならこの街のため。わけわからんよな。俺もそう思う。でもそう思う。離婚届を出してから初めての休日、いま俺が住んでいてまだ親父とお袋が住んでいた家に一泊した日、うまく眠れなくって、深夜に家を出た。深夜とは思えない交通量の交差点を曲がって、気がついたら高架下、ガチャガチャの前に立っていた。
人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ。
 そのとき俺は中坊ぶりにガチャガチャの木魚に小銭を入れたんだ。そうさ、俺だって、俺のすべてに意味を見出そうとしているんだよ。

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