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通し読み版『空想を呼び声として、』(ショートスパンコール03)




木蓮

 最初は、2階建てのアパートの1階。
 たしか104号室だった。道路側の角部屋で、玄関を出て数歩で車道に出る。一方通行だったはずだ。いや、違ったか。いや、そうだったか。すくなくともそれくらい、道幅はせまかった。というより、1車線にしては中途半端に広かった。そういう道の途中に、エスポワール一乗寺は立っていた。道を挟んだ向かいには小さな酒屋があって、小さいけれど古びれてはいなかった。町の酒屋さん、といった風情の個人商店にしてはめずらしく、日付が変わるころまで店を開けていたので、私はそこでよく、発泡酒やチーズ、安いチリワインを買って、行くあてもなくふらふらと気のすむまで道を歩いて、戻って、敷きっぱなしの布団の上で、眠たくなるまでお酒を飲んだりしていた。19歳から22歳の4年間、つまり、大学生活のほとんどを、そのアパートとアパートの周辺で過ごした。
 築浅で、きれいな物件だった。実家のリビングの、ときおりピミコピミコココオオ……と不穏な駆動音を発するようになったデスクトップパソコンの前に毎日のように座り、はじめての物件探しでなにを見てなにに警戒すればいいのかまったくわかっていなかった私が、雑な検索としらみつぶしの閲覧の果てに見つけた場所だった。トイレの写真がやけに綺麗で、賃料も、すこし高いが妥当な気がした。まあ高くても、結局それを払うのは、仕送りをくれる母であり父なのだ。不動産屋にメールを打ち、1ヶ月後、休日を利用して夜行バスに乗り、その部屋を見に行った。はじめての内覧。きれいだな、と思った。実家のデスクトップパソコンに表示された景色とそう大差ないその部屋をぐるり見回して、ここがいいのかもしれない、と漠然と思った。すぐ隣の建物が邪魔して日当たりは悪いけれど、ベランダはそこそこの広さがあって、悪くないな、と思った。ベランダの外を毛並みの悪い黒猫が横切った。悪くない。ここがいいです。ここなのかもです。ここにしたいと思います。
 大学を卒業して、保険会社に就職した。入社後早々に大分の支社に配属されて、自分は大阪や東京近郊でしばらくは働くことになるのだろう、と高をくくっていた私は地方配属の辞令に一瞬戸惑ったが、九州地方には足を踏み入れたことがなかったし、大分には以前から多少の興味はあったから、気持ちは不思議と軽やかだった。地獄めぐり、地獄めぐり、別府べっぷべっぷっぷ〜、などと口ずさみながら、缶ビールを飲み飲み、ノートパソコンで物件サイトを検索する日々が続いた。社宅に入るのは気が進まなかった。家賃分が全額支給されなかったとしても、すきな部屋ですきなように生活しよう、と考えていた。いくつかの物件に目星をつけ、アポを取り、週末旅行気分で内覧へ行った。ここはパッと見広いけど、異様に天井が低くて気が滅入りそう。1階でもべつにいいけど、ここはベランダが路上からあまりにも丸見え。トイレが洋室の一番奥にあるのは、便利な気もするけどやっぱりちょっとな。ここは、窓が多いのはいいなと思っていたけれど、壁面がほとんどないから家具を置きづらいな。不動産屋をはしごして、やはり社宅だろうか、でもなあ、と悩みつつ、時間的にその日最後の内覧を終えて不動産屋の車に揺られているとき、あ、と声が出た。運転席に声をかけ、通り過ぎたばかりの十字路までUターンして、路地に入ってもらう。古めかしい不動産屋の、私より一回りほど年上に見える担当者の男性は優しくて、嫌な顔ひとつせずに従ってくれた。陽は暮れかけていて、空は濃い橙に染まっていた。
 このとき感じたことを、言葉にするのはむずかしい。後部座席の車窓から通り過ぎる風景を眺めていて、その十字路が視界に入った瞬間、不意に、あ、と思ったのだ。まったく関係のない記憶と記憶、つながりようのない場所と場所、いまの私が見る景色、時間、空気、両親や友達のこと、かつてつきあっていた人たちのこと、そういったとりどりの要素が、でたらめにぶつかり合って霊的とも動物的とも言える直感と予感のようなざわめきを私にもたらしたのだった。
 永野サンホーム。その路地の先にあった3階建てのアパートの、301号室で3年間暮らした。上から見るとI字型の、羊羹みたいな形の建物を途中で大幅に増築してL字型にした造りのアパートになっていて、共用廊下の途中にパッチワークのような接合面があり、元からあったほうと増築されたほうで、玄関扉やインターホンのデザインも間取りの構成も居住者の雰囲気も違っていた。増築されたほうの部屋には幼稚園から小学生ほどの年齢のこどもがいる核家族や、結婚しているのか同棲しているだけなのか図りかねる若い女性とおそらく海外にルーツのある男性のふたり組、なにやら税金をたくさん納めていそうな雰囲気が服装や容姿から滲み出ている30代半ばほどの男性、などの面々が住んでいて、元からあったほうの部屋には学生もしくはフリーターのような風貌の男の子、冬以外の季節はいつも玄関の扉を全開にしていてたまにいがらっぽい咳払いが珠暖簾越しに聴こえてくるおじいちゃん、重さで傾いてしまいそうな密度のベランダ菜園を日々世話している40代ほどの女性、そして私が住んでいた。L字の縦線と横線がぶつかる角のあたりがアパートの入口になっていて、道路に面していたのは縦線の左側だったから、敷地の内部はアパートのベランダと隣家に囲まれてちょっとした中庭のようになっていた。中庭にはクスノキが一本植わっていて、私の部屋がある3階部分よりクスノキのほうがすこしだけ背が高かったから、晴れた日にカーテンを開け放つと枝葉の形にくり抜かれた陽の光が部屋に入ってきて、さわさわとにぎやかに揺れるのだった。ずいぶんにぎやかな場所だった。気の合う友人もできなかったし、地獄めぐり地獄めぐり、とかつて口ずさんでいたわりには出不精な3年間だったけれど、不思議とさみしくはなかった。この光があれば、大丈夫。植物の気分がすこしだけわかったような気がした。
 大阪への配属辞令が下りて、そこからの数年間は、あまり覚えていない。覚えていたくない、と言ったほうが近いのかもしれない。私は会社を辞めて、千葉の実家へと帰った。光が怖くなってしまった。実家のデスクトップパソコンはもうとっくに処分されていて、リビングの隅に置かれたタブレットには埃が被っていた。よく眠ったし、眠れなかった。寝ていても起きていても気絶しているような日々をやり過ごすように生きた。その日々のさなか、九州で大きな地震が起こった。
 熊本で、大分で、地面が揺れていた。縦に横に激しく揺れる定点カメラ。潰れた木造家屋。崩れた石垣と歪んだ城。タブレットを持って、カーテンを閉め切った自室で、何度も何枚も映像を写真を見て、記事を読んだ。数日間、数週間、タブレットから光景を追い続けて、私は外へ出た。日中に家から出るのはずいぶん久しぶりだった。歩いて近所のコンビニへ向かって、缶ビールを買って、タウンワークを手にとって家へ帰った。缶ビールを飲みながら、タウンワークの紙面を1ページ1ページ時間をかけて眺めた。静かだった。実家から自転車で数分のところにある梨園がアルバイト募集を出していた。電話をかけて、翌日の昼に面接をすることになった。そして私は朝まで15時間ほど眠った。目が覚めてからお風呂に入り、久しぶりに眉毛を整えた。私はなぜか、すこしだけ元気になっていた。
 だだっ広い梨園で、筆に付着させた花粉をめしべにつけて受粉させていく。人の目鼻ほどの位置に咲いた梨の花と花の間を歩き回りながら、私は別府で内覧したやけに天井の低い古びたマンションの一室を思い出していた。そして永野サンホームのことを思い出していた。あの日の後部座席の車窓から見えた風景を思い出していた。梨園の仕事は季節ごとに短期のバイト募集をかける上に、天候によって出勤日数が左右される。私は梨園の合間合間に近所の銭湯の夜間清掃アルバイトに行き、その梨園で働き続けた。
 2年後、私は札幌にいた。梨園のアルバイトで知り合った年下の女の子が札幌の出身で、後継者のいない地元の銭湯を継ぐことになり、彼女を追いかけるような形で引っ越しを決めた。梨園のアルバイトで知り合った、と言っても彼女は梨園で働いていたわけではなく、私が夜間清掃に行っていた近所の銭湯に住み込みで働いていて、彼女は梨園から毎年梨を大量に仕入れて番台で売り捌いていた。不思議と風呂上がりにみんな買うんだよね、と彼女は笑って言っていた。だはは、と力強く笑う人だった。湯に浸かるためというより彼女に会いに行くために私は銭湯へ通うようになり、清掃の人手が足りていない、と嘆く彼女に、じゃあ私が、と立候補する形で夜間清掃をするようになったのだった。
 私の母の実家が札幌にあった。彼女が札幌へと帰るタイミングと重なるようにして、母方の祖父母が揃って養老施設に入ることになり、私は家財整理も兼ねて母と共に札幌へ向かった。彼女はいつの間にか私の母とも仲良くなっていて、札幌駅で合流した私たちは彼女の運転する車に乗って、3人で母の実家まで向かった。母は祖父母とあまり関係が良好ではなく、といって険悪なわけでもなく、なんとなく幼少期からウマが合わないと双方が思い続けてきたようで、大学進学で東京へ出て、そのまま関東で暮らし続けて父と結婚してからは盆暮れ正月に短い電話をする程度の繋がりになっていたから、私も母方の祖父母のことはほとんどなにも知らなかった。物心つくかつかないかのころに母に連れられて何度か札幌に来たことがあるらしかったが、私はまったく覚えていなかった。石山通をひたすら南下して、札幌市電の圏外へ。北の沢川とぶつかるあたりで右折してなだらかな坂道を上がり、住宅地へと入っていく。ここらへんも、変わらないようで変わっていくね。ああ知らない、知らない。ここも新しい建物がちらほらある。助手席で母がつぶやいた。私は後部座席の車窓から、徐々に近づいていく山肌や遠くの街並みを眺めながら母と彼女の会話を聴いていた。
 あ、と声が出た。
 え、なんですか、と彼女は言って、あっ、と母は言った。ごめんごめんぼーっとしてた、さっきの路地、戻って右に入ってもらえる? 続けて母は言い、通り過ぎたばかりのY字路まで車はUターンした。実際は2〜3歳の差なのだが、小柄な体型と、ほどよい肉付きのおぼこい顔立ちによって私より一回りほど年下に見える彼女は優しくて、嫌な顔ひとつせずに従ってくれた。陽は昇りきっていて、空は濃い青に染まっていた。
 あんた、覚えてたの。さっき、あ、って。車から降りたあと、母は私に言ったが、覚えてないよ、とだけ応えて私は大きく伸びをした。うまく言葉にすることができなかった。
 その路地の先にあった母方の実家、2階建4LDKの一軒家で、私は暮らした。庭には白木蓮が一本植わっていて、2階のベランダより白木蓮のほうが背が高かったから、晴れた日にカーテンを開け放つと枝葉の形にくり抜かれた陽の光が部屋に入ってきて、風に吹かれて葉が揺れると、紙をくしゃくしゃに丸めているようなざらついた音とともに、陽の光もにぎやかに揺れるのだった。白木蓮は花が咲くと木全体が大きな炎のようになり、近くで見たり触れたりすると花弁も葉っぱも肉厚でごわごわしていて、なんだかとても動物的な愛おしさのある植物だった。私は資格を取り、彼女の継いだ銭湯で、ボイラー技士として働き始めた。
 ずいぶんにぎやかな場所だった。
 私はそこで暮らし続けた。

ボディブラシ

 アルタ前でその人と僕はすぐにお互いを認識した。その人は黒いキャップに黒いコートを着ていて、身体の線がもとから細いのか、簡素な身なりがそうさせるのかはわからなかったけれど、輪郭が心許ない人だな、というような印象を僕に与えた。背はそこそこ高そうに感じたけれど、僕の身長は190を超えているから、僕はその人を見下ろして話すことになった。行きましょうかと僕は言った。行きましょうかとその人も言った。僕とその人は区役所通りまで歩いて、小綺麗なうどん屋に入った。新宿で、マッチングアプリで人と会うときはいつもこのうどん屋を使う。高すぎず安すぎず、美味しすぎず不味すぎない。味も価格帯も中の中。僕は自分の傲慢さ臆病さをよくわかっていた。この店で相手がメニューをどう読み、どう選び、お酒をどれくらい飲み、どれくらい食べ、どういった所作でなにを話すのか、なにを訊いてくるのか、観察しすぎない程度になんとなく観察する。査定ではない。なんとはなしにこの場にいる相手のことをただ眺める。このルーティンを噛ませないと、僕は後々うまく立ち回れなくなる。その人はあまり迷わずに生ビールといくつかの小鉢を頼んで、僕はいつもの組み合わせである小盛りのざるうどんと白ワインのグラスを頼んだ。自分でも不思議な取り合わせだとは思う。けれど僕は、この組み合わせでないとこの店ではどうにも落ち着いて振る舞えないのだった。それに、これは誰も同意してくれないけれど、冷たいうどんと白ワインは案外合う。
 琥珀色のジュレと絡み合ったウニを箸でつまみながら、さっき言っていたことですけど、とその人は言った。こういう、シンプルな格好がすきなんです。おしゃれなのかどうかはわからないですけど、これが自分にとっての心地よい姿で。だからなんというか、そう、……。その人はざるうどんの中心に添えられた髪の毛みたいな刻み海苔のあたりを見つめて、数秒、固まった。アルタ前から歩いているとき、せっかくなりたい身体になれたのだから、女になれたのだから、もっと女の子っぽいおしゃれがしたいとは思わないの?と僕が素朴に訊いたことへの応答であることはすぐにわかったけど、僕はその人が言ったことをあまり理解できていなかったと思う。そういうものか、とは思った。そうなんだね、と声にも出した。その人はしばらくするとまた小鉢に箸を伸ばし、ビールを喉に流しこみ、そういうものなんです、と静かに言った。言葉少なに他愛もないことを話しながら、僕とその人はうどん屋を出た。通りに出るとどこかから人の言い争う声が聴こえた。あるいは酔っ払い同士が愉快にじゃれ合っている声だったかもしれない。それでもそのとき、僕の耳には人々が険悪に諍う声に聴こえた。その人の耳にはどんな声として届いていたのだろう、なんてことをそのときは考えていなかった。僕はその人の手を取り、先導する形で歩いた。いつも使っているラブホテルにはすぐに着いた。
 並んでベッドに座って、フロントサービスでもらったボトルワインの赤を開けて、改めて乾杯をした。いつの間にかその人はコートを脱いでいて、深緑色のタートルネックとやけに色白で細長い手指の対比が綺麗だった。綺麗な人なのかもしれない、とそのときようやく僕は思った。緊張していたのかもしれない。なにかが僕の調子を狂わせていた。僕はその人の髪に触れた。その人はこちらを見て、顔を近づけてきた。そうしてしばらく、お互いの身体に触れ合ったり、撫で合ったり、キスをしたりしていくうちに、僕は喘ぐのを我慢できなくなっていった。ごめんね、僕はこういう人なんだ。事前に言っているからその人もわかってここに来ている。わかっていても、拒絶されてきた経験の多さが、弁解の言葉を紡いでしまう。僕はスーツを脱いで雑に畳んで椅子に置き、ブリーフケースの中からボディブラシを取り出した。ひとにお尻をいじめてもらうとき、僕はいつもこのブラシでやってもらう。お風呂で背中を洗うときなんかに使うこの木製のボディブラシの、毛がついていない、しゃもじのような背面部分で、力いっぱいひっぱたいてもらう。僕がどれだけ泣き叫んでも、やめてと懇願しても、100回叩くまでやめないでほしい、と僕はその人に伝えた。ボディブラシを受け取りながら、その人は何度かうなずいた。
 全裸になって、ベッドの上で四つん這いになった僕のお尻を、その人は一回一回、力強く引っ叩いた。頼んでもいないのに、リズムの緩急や強弱のバリエーションをつけながら、いーち、にーい、さんっ!しーい……、……ご!ろく!なな!はち、きゅーう。声に出してカウントしながらその人は僕のお尻にブラシを振り抜いた。途中で何度かその人は笑って、ハッとした様子で、ごめんなさい、と言ってすぐにまたカウントを始めた。笑ったほうが興奮するから、そのまま楽しんでもらえるとうれしい。僕はそう思っていたけど、思いが言葉として生成されるのを快楽が邪魔していたからなにも言えなかった。100回叩かれて、花火みたいにイッて、乳首をこねくり回されて、またイッて、どれくらいそうしていただろう。結局その人は服を脱がなかった。僕は全裸のままその人と一緒にすこしだけ眠ってしまった。いや、その人は眠ってはいなかったのかもしれない。眼が覚めるとその人はベッドの端に座ってワインを飲んでいて、ボトルはほとんど空になっていた。エマさん、強いんですね、酒。横になったまま僕が声をかけると、その人は振り返らずにうなずいてから、むかし浴びるほど飲んだので、と言った。その人は、なにか大切なことを思い出したのかもしれなかった。口角がわずかに上がっているのが見えたから。
 ボディブラシをしまい、スーツを着て、帰り支度を整えた僕とその人はホテルを出た。部屋から出るとき、靴を履いて、玄関の鍵を開けようとした僕の手を制してその人は短いキスをしてきて、僕は不思議と自然に、これが最後ってわけではないのに、と言っていた。それが嘘であることは、その人もわかっていたと思う。その人はもう僕の眼を見なかった。
 靖国通りまで一緒に歩いて、お互い別々のタクシーに乗って別れた。

大爆笑

 外国人とマッチするのは初めて? と訊いたら、初めて実際に会った人が年上のイギリス人だと言っていた。渋谷のHUBで会って、ただただ楽しく話して神泉の駅前で別れたらしい。その人とはそのあと何度か会ったの? と続けて訊いたら、会いかけたし会う約束もしていたけど、当日バックレてそれっきり、とのこと。落ち着いていて、話していて疲れない人ではあったのだけど、LINEのユーザー名が「日本」で。最初は、なんだそれ、おもしろいな、と思っていただけだったけど、それがだんだんと自分の中で不信感に変わっていったから。その人は淡々と話していて、なにそれ、怖いね、とぼくは短く相槌を打った。エマって名前は本名? そう、本名。へえ、そうなんだ。エマって名前はドイツとかそっちのイメージだから。そうなの? うん、だからそっちのほうにルーツがあるのかなって。ううん、ないと思う。エマ、っていう音には、日本語でも意味があって、なんて説明したらいいかな……。穏やかに話しながら中目黒駅から山手通りを北に歩いていて、特に目的地は決めていなかったけれど、このままぶらぶらし続けるのもな、と思ったから、カラオケに入ってぼくとその人はひとしきり交互に歌った。椎名林檎の病床パブリックを歌って、デジモンのOPを歌って、スパルタローカルズのトーキョウバレリーナを歌って、ブラック・ラグーンのED曲を歌って、フジファブリックのロマネを歌って、アジカンの遥か彼方を歌って、天才バンドのfireflyを歌った。ウケるだろうか、と思ってオー・シャンゼリゼをフランス語で歌ってみたけれど、反応は薄かった。と思っていたらそうでもなかったみたいで、デンモクをいじりながらその人はなにか考えこんでいるようだった。それからその人は、知っているかもしれないけれど、と前置きした上で、日本語版のオー・シャンゼリゼを選曲して、歌い始めた。もちろんぼくは知っていた。けれどまじまじと歌詞を見たことはなかったから、そして他人が歌っているところを実際に見たことはなかったから、なんだか新鮮な響きとして僕の耳に届いた。おそらくその歌手自身が手掛けたのであろう訳詞はよくできていて、フランス語の、フランス人のある陽気さをまとった機微を、日本語の、あるいは日本人のシャイな喜びの発露にうまいこと変換しているように感じた。歌い終えて、いい曲、とその人はつぶやいたが、自分の親世代の、日本語で言う懐メロってものをそれぞれの母語で歌いあったことがぼくにはなんだか急にこっ恥ずかしく思えて、うあー、みたいなへんな声が漏れた。このこっ恥ずかしさを、いまのぼくにはうまく伝えられる気がしなかったけど、その人はなにかを察したのか、あるいはふつうに話したくなっただけなのか、ぼくがデンモクで次の曲を選ぶまで、最近観たアニメの話をしていた。ぼくはアニメがすきで、とはいえ昼夜を忘れてのめり込むほど大好きってわけではないのだけど、さっきからアニソンばかり選んでいたから、それに合わせてくれたのかな。
 4時間ほど歌って、健全すぎる時間だった。カラオケから出て、そこから中目黒駅へと戻る道の途中にぼくの住むアパートはあって、ここぼくの家だよ、と指で示してから、ためらいがちに、ちょっと寄ってく? と訊いてみた。寄ってみようかな、とその人は言った。
 家に上げてすぐに、さすがに散らかりすぎているな、と後悔したけれど、その人は部屋の様子についてとくに反応を示さなかった。汚いな、と弁解するみたいにぼくは独りごちたけど、汚いうちに入らないよ、とその人は言った。本心なのかフォローなのかわからない口調だった。僕とその人は横長の座椅子に並んで座って、テレビとレコーダーの電源を入れた。録画されている番組のリストを表示させて、ぼくは自分か自分の知り合いが出演した番組くらいしか録画しないからどれを再生してもそういう話になる。この連ドラ、ほらここ、外国特派員の役で後ろに座ってる。この番組の再現VTR、あ、この人、この前あの歌手のMVで共演したんだ。この人はあの朝ドラにも出てて。この深夜バラエティに今度日本語がわからないガイジン役で出ることになっていて。話しながらリモコンを操作しながら、合間合間に、エマは耳がきれいだね、よく見ると手も、頬もかわいいね、なんて言葉を挟みながらゆっくりと距離を近づけていって、気づけば(それこそオー・シャンゼリゼの歌詞のように、バカみたいに、いつのまにか)その人はぼくのペニスを咥えていて、ぼくはその人に咥えられた状態で射精した。その人はびっくりしたのか、ペニスを咥えたままむせていて。ごめん、大丈夫? 座椅子の後ろのベッドからティッシュの箱を手繰り寄せているとその人の咳込みが徐々に笑い声に変わっていって、ティッシュで口元を拭うころには爆笑になっていた。なに、なになに、大丈夫? ペニスを拭きながら、ぼくは自分のペニスを見たりその人の顔を見たり、はたから見たら小鳥みたいな忙しなさだったと思う。いやごめん、ちょっと、いやあ……。けほけほと軽く咳払いをして、笑いの波が収まったらしいその人はぼくのペニスを見つめていた。テレビにレオが映っていて、その対面にいるレオのペニスを自分はフェラしていて、なんだこの、バカのサンドイッチみたいな状況は、と思ったら、ばかばかしすぎて。それを聞いてぼくもなんだか面白くなってきて、しばらくふたりで、ぼくのペニスを見つめ合った状態でそれぞれ、くつくつと笑った。テレビの画面ではどこかの研究所で重大な発見をしたらしいぼくが、というかぼく演じるだれかが、オーバーリアクションで喜びを露わにしていたけれど、ぼくの声はすべて吹き替えになっていて、ぼくとは似ても似つかない声で、そしてやけに流暢な日本語で独白をしていて、ぼくがほんとうはどういう声をしているのかこの映像を見てもだれもわからないのだな、そもそもだれもそんなこと知りたいわかりたいと思わないのだろうな。

井の頭

 10代のころ、井の頭公園を「いのずこうえん」と読んでいた。「いのかしらこうえん」と読むのだと知ってからも、頭の中では井の頭公園はイノズ公園だった。井の頭公園にそこまで思い入れはないけれど、イノズ公園には特別な気持ちがある。そういうものってたくさんある。
「やっぱカレー飲むと牛乳食べたくなるんだよあひゃあひゃひゃ」
 金曜夜の下北沢は様子のおかしい人が多くて、あまりこの時間帯にはここらへんに来ないわたしにとってはそれが新鮮でもあり、怖くもあり。学生のころ、アルバイト先で知り合った人が代々木八幡のあたりに越してきて、久しぶりに会って、ごはんを食べた。お店は向こうが見繕ってくれて、代々木八幡の小さなヴィーガンレストランでわたしたちはパワーサラダやレンズ豆のコロッケを摘み、クラフトビールやナチュラルワインを飲んだ。
「なんか、いったいなにがどうなっているのかよくわかんないけど美味しいね、これ」
 サラダの上にかかっている、細かく砕かれたクラッカーのような鮮やかな赤紫色の欠片をフォークで掬って竹光さんはちいさく首を傾げた。肩にかかるかかからないかの黒髪が店の明かりを反射して艶っぽく光っていて、フォークを持つ右手の人差し指には大ぶりの真鍮でできた指輪がはめられていて、久しぶりに会ったけどやっぱりきれいな人だな、とわたしは思う。土色のサマードレスが地味すぎず派手すぎず、よく似合っていた。
「このパテも。美味しいな」
 なにやら説明を受けたけど忘れてしまった、マッシュルームとなにかのパテを摘みながらわたしは言った。わたしも今日は久しぶりにワンピースを着ていて、白黒ボールドストライプの厚手のコットンワンピースの質感を肌で感じたり視界の端に映ったりするたび、ほくほくとした気持ちになった。
 東京で一人暮らしをはじめて、まだ3年と数ヶ月。といっても、母方の祖父母の家が東京の飯田橋と市ヶ谷の中間あたりにあって、盆暮正月やそれ以外のなんてことのない休日にも母にときおり連れて来られていた土地だったから、出戻りのような感覚に近い。
「お互い、恋人同士だったときはね、滝くんがうちに来るときとか、逆にわたしが滝くんのうちに泊まりに行くときとか、なんか、わざわざ感があったんだよね」
「ふん、ふん」
 ワイングラスを傾けながら、わたしは竹光さんの話を聞いていた。
「来てくれる。会いに来てくれた。会いに行く。行きたい。でも、結婚して、一緒に暮らすようになって、それはそれで喜びだってちゃんとあるんだけど。でも、もう、わたしが」
 ワインの味についてぺらぺらと語れるようなうんちくはわたしにはないけれど、嫌味ったらしくない渋みと鼻の通りが良くなるような微かな甘さが奥にあって、ほどよくゴージャスで美味しい。竹光さんみたいなワインだな、とわたしは瞬間思ったが、竹光さんの話を遮るほどの強い感情として意識に乗っかってくるわけでもなく、言葉にされる前に想念は別の記憶や感情に洗い流されていく。
「わたしが滝くんに会いに行くことはもうなくて、会いに来ることももうないんだよね。すくなくとも、家っていう空間においては。毎日のように滝くんは帰ってくるけれど、わたしのもとに来るけれど、でもそれって、ただ、そこが自分の暮らす場所だから、っていうことでしかないんだよね。ん、このフムス美味しいね」
 しゃべりながら、聞きながら、わたしたちは自然、似たような所作でピタパンを手に取りフムスをつけ口に運んでいた。寂しそうに微笑んでいる竹光さんが可愛らしくて手を繋ぎたい。湯ですすがれたガーゼのようなピタパンのほの甘い風味。店内に流れる心の置き所のないボサノヴァ。強いウーハーで割れてしまいそうな幽けきワイングラス。友達みたいに心強い白磁の丸皿。感情を含んだ五感がドレッシングみたいに混ざり合いながら相反して、さざなみのようにそよそよとわたしのなかに入ってくる。それらすべてがいまわたしの目に映る竹光さんを竹光さんたらしめていた。
「美味しい。うん。ね。美味しいです」
「へへへ」
「へへへへ……」なにが恥ずかしいのか、わたしたちはちいさく笑い合う。
「……それが、わたしはたまに、すごくさみしい」

「なあーんで!なんでよ!行くよ!おまぜってえ明日行くからな」
「あそこの皮タレすげえうまくてさ」
「おれあいつのTwitterミュートしてるから」
「でもいつも正しいんですよ」
「まあ及川さんがそう言うんならっていうんで立ち上げたプロジェクトではあって」
「やーめーろ!やめろばか。もうばっ!ああもうっ、ん〜ばか!」
「ははっ!ははははははははははは!」
 ふらふらと下北沢の駅を降りて、人っていうより声、声っていうより音をいくつも追い越して、世田谷代田の方向へ歩く。結局、わたしと竹光さんはボトルワインを2本飲み干して、お互い平気な顔をして代々木八幡の踏切前で別れた。わたしも竹光さんもよく飲む。それでこうして連絡を取り合うようになった仲だった。
「奈美ちゃんは、それで、経堂だっけ」
「はい。だから、ここで」
 竹光さんはわたしを奈美ちゃんと呼ぶ。最初のころはサガミさん、と呼んでいて、バイト先で何度か会ううちにいつしか奈美ちゃんになった。奈美ちゃん。ナミちゃん。◯◯ちゃん。あたりまえのように呼ばれ、そして受け入れている名前。嵯峨見奈美さがみなみ。あるとき変わった、変えることにして事実変わった名前をもう不思議とすら思わないし、不思議とすら思わないことが却って不思議でもあって、いまのわたしはもっとアルコールを欲している。けれどどこかお店に入るような広やかな気分にはなれなくて、逡巡しつつデイリーヤマザキで缶ビールを買って、斜向かいの月極駐車場の奥まで進んで、隠れるようにブロック塀にもたれてプルタブを開ける。竹光さんは竹光さんだな。苗字が滝に変わっても、竹光さんは竹光さんのまま。わたし以外の友人知人大半には真緒さん、真緒ちゃん、真緒と呼ばれているらしい竹光さんは、でもわたしにとってはやっぱり竹光さんで、中途半端な敬語も抜けないのだけど、そういう好意、そういう線引き、そういう信頼がちゃんとあるってこと、竹光さんはちゃんとわかっているってわかる。って勝手に信じている。こうして数年ぶりに会って別れてもう二度と会わないかもしれないし一週間後にまたどこかで待ち合わせるかもしれないし、そのどちらでも構わない、でも会えば瞬間瞬間が大切。そういう。
 ビールをあおり、中途半端に存在することしかできない星を見て、手癖でスマホを取り出すと、糸井くんからのLINEが数件来ている。
−−もう一踏ん張りと思って、1本満足バー食べながらゆるキャン観てたら
−−もう踏ん張れなくなった
 糸井くんはまだ事務所にいるのだろう。
−−もう今日は帰りな
−−そうする……。お泊まりしてもいい?
−−お、いいよー
−−〈スタンプ〉
−−いま家?
−−ううん。下北。と世田谷代田の間くらい。ビール飲んでる
−−あ、今日京都の友達と飲む日か
−−そう、だったけど、もう解散して、ひとりで飲んでる
−−そうなんだ
−−でももう帰るよ。いつでもおいで
−−〈スタンプ〉
−−〈スタンプ〉
−−ありがとー。すき
−−ンギイイ
−−鳴かないで
−−〈スタンプ〉
 デイリーヤマザキのそばに車の停まる気配がして、誰かが車から降りる音がして、数泊置いてタクシーが視界に現れて道路の感触を味わっているような速度で通り過ぎていく。糸井くんは糸井くんだな。でも、竹光さんは竹光さんだな、と思うのとはまた違う心許なさがある。付き合いはじめてまだ日が浅いからでもあるだろうし、糸井くんの糸井くんらしさが性愛をまとってわたしに降りかかってくることの、快楽を伴った居心地の悪さがそう思わせるのかもしれなかった。糸井くんとわたしでは、わたしに対する性別の強度や確度のようなものが違うとしばしば思う。いまの状態で出会った糸井くんはわたしのことをものすごい強度や確度で女性だと思っている。思っている、というか、自明すぎて考えすらしない。わたし自身はそんな強度や確度では自分のことを女性とは思えない。その強度が欲しい、と思うことがある。
「その強度が欲しい、って思うことがあります」
 その強度が欲しい、羨ましい、と思うことがあるし、その強度の差がせつなさやさみしさ、かなしさを生んだりもする。もちろん救われたりもする。パテの残りをワインで流し込みながら、竹光さんにそう言ったとき、
「手、こっちに伸ばして」
 言われるがままグラスを置いて、手の甲を上にして伸ばしたわたしの左手を、竹光さんは上からそっと掴んだ。
「いまわたしには、奈美ちゃんに言いたいこと、言っちゃいたいことが、もわ〜って、あれこれ浮かんだんだけどね、なんかどれも、言っちゃいけないことでもある気がして。でも、言いながら思ったけど、言葉って全部そうなのかもね。必要な言葉は不必要な言葉でもあるし、不必要な言葉は必要な言葉でもあって、幸せだから寂しいし、辛いから楽しいし、痛いけど痛くなくて、痛くないけど痛いのかもね。あれ、なんだったっけ。ごめんね、怖いよね急に」
 竹光さんは手を離して、図ったようなタイミングで店員がそれぞれのグラスにワインを注ぎ足しにやって来た。
「竹光さん、わたしも、竹光さんの手、握っていいですか」
「えー、もちろん」
「わたしも。竹光さん。わたしもわからない。滝くんと竹光さんの間にある絶望とか、救いとか、全部くっきりとはわからないです。だから聞くことしかできない」
「聞いてくれるだけでわたしはうれしいよ」
「わたしも、わたしの話を聞いてくれてうれしい。わたしも、竹光さんに言いたいこと、言うべきって思ったこと、いっぱいあるんですけど。でも」
「うん」
「へへへ……。やっぱり言葉って、なんにもなんないですね。いまこの状況以上のもの、言葉では伝えられないです、わたしは」
「奈美ちゃん」
「なんですか」
「きっといつか、これは言葉になるよ」
 ビールを飲み干して、かるく握り潰してからトートバッグの底に捩じ込むようにしまう。来た道を引き返して、経堂に帰るため、糸井くんを迎え入れるため、駅に向かっていく。うるせえなクソ。お前になにがわかる。だれにどんな言葉を投げかけられてもそう思ってしまうことだって事実。人っていうより声、声っていうより音。この街の脇役にすらなっていない星。もう不思議とすら思わないし、不思議とすら思わないことが却って不思議でもある。ワンピースが足を動かすたび視界の端でちらちら揺れる。肌が布と触れ合ってゆるく擦れる。きっといつかこれらは言葉になる。茶沢通りの短い急坂を上りきったところで、京王イノズ線の最終電車が踏切を通過していくのが見えた。

窃盗録(9)

場所:アパートから徒歩数十秒の空き家。

モノ:庭から道路へと大きく枝葉を広げている山椒の木

中身:の、葉っぱ。

行動:早朝や深夜、人気のない時間帯を見計らって何度も。

感情:ありがたく使わせていただきます、という気持ち。

ポーズ

 まばらな街灯に照らされてゴミ捨て場に可燃ごみ不燃ごみ粗大ごみ資源ごみをドコドコ捨てていくおれは今年で百二歳。
 亀の甲より年の功とは言うけれど、ひとさまの言うことなんて鵜呑みにしていたらそれこそ鵜に丸呑みされちまうぜ。
 百二年生きてきたって、自分の性格とか性質とかそういったものはどう足掻いたって変わらないものは変わらない。ああもう正味な話、ガチでな。だからこんな夜も更けきった、誰もいない時間帯に大量のごみを捨てている。ご近所の顰蹙を一身に背負わなくちゃいけない。ファック。シット。Shit!と嫉妬が同じ音なのはなんの因果か、マッポの手先。やぶらこうじのぶらこうじ。とっぴんぱらりのプー太郎。んなことばっかり口走っていたらいつのまにかこんな歳だ。まったくもっていやんなるぜ。あ?
 ごみ袋とそれによる重力から開放された両手をぶいぶい振り回しながら、にゅるりと曲がりくねった細い坂道を軽快に下っていく。空はまだ朝を思い出せないでいる。時折ごうごうと吹いてくる風にはひとつまみ程度の潮のにおいが混じっている。ここから数km先の海からやってくるにおい。夏の終わりの嵐が近づいている。
 午前深夜のごみ捨て。そのあとの朝焼け。誰もいない道。アパートの外壁や道祖神に吹きつけられたスプレー缶のうんこマーク。同じくスプレー缶で「ちんこ」「まんこ」「SEX」の文字。文字。文字っていうかうんこそのもの。駐車場の端から、ブロック塀の上から、電柱の陰から、様子を伺ってくる猫、猫、猫の眼が反射する光。長距離トラックの走行音。虫の声。雨で湿ってくちゃくちゃになったタバコの吸い殻。なにかが羽ばたく気配。アスファルトをこする便所サンダルの音……。
 おれは気分がいい。年に4回、季節の変わり目にこうして溜め込んだごみを捨てるこの日このときのためだけにおれはどうにかこうにか生きている。ごみに生かされている。
 人はきらいだ。おれ自身のことだって例外ではない。ずっと変わらない。死ぬまで変わらない。
 誰もいない道の真ん中で、おれはおれではなくなる。最強になる。
 夜のポーズ!
 夜の舞!
 猿のポーズ! 鷹のポーズ! 鶴の舞! 蝶の舞!
 くるくるきびきび踊り狂って、息がきれぎれになったおれを見ているのは言っちゃあなんだが神みたいなもの。
 もうすぐおれの寿命がやってくる。

ローソン

 1

 エレベーターの扉が開き、つま先あたりを見るともなく見ていた状態から顔を上げると、視界の端に、人間のつむじのようなものが映ったような気がした。
 いや、これはつむじだ。
 そのあと、土下座だ、と気づいた。3人。私に向かって頭を垂れている。
「……あ」
 エレベーターから出られずにそのまま〈開〉ボタンを押して、なんとなく気まずい思いでしばし黙って見ていると、横並びになっている人/つむじのうち、真ん中の人/つむじがクワッと動いて、私と目が合った。
「ちょ、や、ちょ〜〜〜っとやだやだごめんなさいごめんなさいねえほ〜んと!」
 それで両隣のつむじもクワッと動いて、一斉に私の顔を見た。燕の巣、その中にいて、餌を待つ雛のような、そういう画が浮かんで、へへへと笑う私のその表情に、この人たちを間接的に追い詰めるどんな些細な意味も含まれていないといいな、と思いながら、「あの、どうぞ。行ってください」と正座のまま手を横にやってどうぞどうぞと促す真ん中の人に「ごめんなさいこちらこそ、おつかれさまです」と言って、私はエレベーターを出て、ビルを背にして歩いていった。
 ビルの目の前にある小さな道路を渡ると、立地のわりに大きな駐輪場がある。自転車のチェーンを外して、そのままチェーンを肩にかけていると、さっきの3人の「どうもありがとざぁっしたぁ〜〜〜〜!!!!」という、怒号にも似た叫び声が聞こえてきた。続けて数人の笑い声。お客さんだろう。「なんやねん」とか「寒いやろ。はよ戻りいや」とか「またな〜」とか、口々に言っている。私はビルと一緒に、それらの気配にも背を向けて、自転車に跨った。

 2

 ピンキーベアーという名前のキャバクラで、ボーイとして働いている。学生のころからお世話になっているから、もう5年以上働いていることになる。繁華街の入り口みたいな場所に立つ、8階建てのビルの4階。そのひとつ上の5階には、パワーバランスという名前のニューハーフパブが入っていて、さっきエレベーター前で土下座していたのはそこで働いているドラァグクイーンやニューハーフのキャストだ。お店の出口である5階のエレベーターホールでお客さんをお見送りして、エレベーターの扉が閉まった瞬間、非常階段を猛スピードで駆け下りて、お客さんの乗ったエレベーターが1階に到着するより早く、1階のエレベーターホールで土下座をして待機する、という、さっきの土下座はその鉄板のお見送り芸だ。エレベーターは2基あるから、きっと他の階で乗り降りがあったりして、私の乗ったエレベーターのほうが早く着いてしまったのだろう。こういうことはたまにある。パワーバランスのキャストと私が顔を合わせて、言葉らしい言葉を交わすのは、こういう「芸のタイミングミス」みたいな瞬間しかない。

 3

 夜明け前の川端通りを、自転車で走る。帰る。通り過ぎていく。いろんなものを。景色のひとつひとつに揺り動かされる感性がすこしずつすり減っていって、まっすぐ伸びた道の遠景も、川の音も、やけくそみたいなスピードで通り過ぎる空車のタクシーも、帰り道、ということでしかなくなって。それでもたまに、目の前でパワポのスライドが始まるみたいにして、思い出すというより映される記憶はあって。それは例えば学生時代、ビンゴカードに穴を空けるように毎週毎月違う人と寝ていた時期に飲んでいた缶コーヒーの平べったい味、それは例えばピンキーベアーで働き始めたころ、お客さんに灰皿を出すのがいつもワンテンポ遅れてしまう私の覚えの悪さに耐えかねて「殺すぞ!!」と吠えてきた代表の両眼の黒いところと白いところ、それは例えば10代の終わり、泣きながらXVideosでエロ動画を観ていたときの実家の冷蔵庫の駆動音、それは例えば、例えば、例えば、が続いていくうちに私の身体と私の自転車は冷泉通りの手前まで来ていて、ブレーキをかける。自転車を停めて、ローソンに入っていく。決まりきった歩幅と腕の振りでおにぎりコーナーまでずんずん進んで、おそらく棚に補充されたばかりであろう納豆巻きを取って、レジへと向かう。お釣りを渡してくる店員の〈康〉という名札が微かに揺れる。〈康〉さん。いつも無言で、もしくは必要最低限の声しか出さなくて、この時間、という感じが私はとても好きだ。この時間帯のこのローソンにはあと〈パク〉さんがいて、〈パク〉さんは〈康〉さんよりすこしだけ声に強さがある。それはそれで、この時間への抗い、みたいなものを感じて好きだ。ふたりは私を、バックヤードで〈納豆巻き〉とでも呼んでいるだろうか。どうだろうか。明け方にやってくる、納豆巻きの、アイツ。

 4

 川端通りから冷泉通りに入って、東大路通りとぶつかる交差点の一角に馬渕マンションという建物があって、私はそこに住んでいる。帰り道、川端二条をすこし上がった先にあるローソンまでは自転車を漕いで、ローソンで納豆巻きを買って、そこからは歩く。琵琶湖疏水や、ちんまりした造りの夷川ダムを視界の端に捉えつつ納豆巻きの包装を外して、海苔を歯で切るように食べながら、馬渕マンションまでの一本道を歩く。以前付き合っていた人が、納豆を異様に嫌う人で、目の前で食べることはおろか、会っていない間に納豆を買うことすら許してくれなかった。納豆がないと生きていけないくらい納豆が好き、というわけでもないけれど、そこまで固く禁じられるとなんとなくむずむずと食べたくなってくるというものだ。だから当時は、どうしても納豆が食べたくなったら、コンビニで納豆巻きを買って鴨川を散歩しながら食べたり、コンビニの前で立ち食いしたり、そうやってバレないように、外でこっそり納豆を摂取していた。その人とは比較的すぐに別れたのだけど、納豆巻きの買い食いは、日々の平静を保つための、なにか、お守りめいた行為にいつの間にかなっていた。

 5

 家に帰って、寝支度を一通り済ませて、アラームをセットしようとしたところでようやく、店にiPhoneを忘れていることに気がついた。と同時に、私の部屋には時間を確認するものがiPhoneしかなかったのだな、ということにも気がついた。

 6

「夜、おっきい道を自転車で走っているとき、ここで暮らしているんやな、って不意に意識が近いのか遠いのかわからん感じになる。道路の上の、あの青い、道路標示、道路標識か、道路標識がやたらとはっきり目に映ったり、道路工事の作業員がコンクリ均したりかち割ったり、とか、ぽつぽつ歩いている人、たまに追い越していくバイク。なんかそういう。わからんけどなんかそういうの。ここにいることが、信じられんくなる、なるし、はっきり実感として受け取ったりもする。そういうの。わからんけど、なんか、そういうの」

 7

 目が覚めて、外の景色は薄暗くて、数十分しか眠っていないのか、半日眠っていたのかがわからない。着替えて、顔を洗って、歯を磨いて、すぐに外に出る。自転車に乗って、冷泉通り、川端通りを、まっすぐ、まっすぐ、下る。身体と自転車。風。スライドみたいに映る記憶。もう5年以上、あそこで働いていることになる。わからんけど、なんか、そういうの。友達だったかもしれない人の、親密だったかもしれない言葉が私の眼に映る。自転車を停めて、エレベーターホールに立って、ボタンを押して、下降するエレベーターを待っている。ただ待っている。

自転

 くるまの車輪が球状だったらと思ったことはこれまでに一度もなかったが、想像してみると楽しそうだ。みっつの、あるいはよっつの、ゴムボールのようなタイヤに包まれたアルミの球。ハンドルの形も円から球へ。トラックボールのようにころころと転がすような形状へと作り変えざるをえず、その場でぐるぐると車体を回転させることも可能だ。地球だって球なのだから絵空事にならない可能性だってあるはずだ。

財力

 その町には海があった。
 海、と言っても、水たまりのようなささやかなものだ。すくなくとも、ぼくはそう思っている。駅前の、さびれたロータリーを抜けて丁字路を右に曲がり、きしめんのような上り坂をしばらくあがると道の途中に車よけのふくらみがあって、そこから町を前景として海があらわれる。水平線をたたえたなめらかで広大なはずの海の模様を、ぼくは水たまりと重ねる。重ねてしまう。
 町でいちばん、というより、唯一栄えている魚屋の真向かいにぼくの家はあって、魚屋というのは魚を見つめる頻度と店先から目の前の道を眺める頻度がとんとんな商売だから、しぜん、ぼくと毎日のように顔を合わせることになる。ぼくはそれがちょっといやだった。
 トロ箱の中で光をためこんだアジやらタイやらを三毛やらブチやら野良の猫ががっぷり咥えてさらっていく。あっ、というセキさんの声。ぼくは猫になりたい。なりたいなあと思った。さらって、逃げて、喰らいつく。与えられたくなかった。与えられる立場にいる自分のことがきらいだった。
 ぼくの家にはベランダが無い。昔ながらの二階家で、ぼくの部屋は階段を上がってすぐ右手の引き戸を開けた先にある六畳の和室だ。だいたい南西の方角に窓があって、夜、磨りガラスの窓を開けていると、ときおり飛行機なのか自衛隊の戦闘機なのか、点々と光りながら一直線に飛ぶ何物かを見ることができる。音はほとんど聴こえない。それは音もなく、まっすぐ、流れ星よりは遅いスピードで、ぼくの視界を、窓から見える夜空を、横切っていく。
 その町には本屋があった。その町の四方八方、隣町には本屋がなくて、だからぼくはその町に本屋があることがすこし誇らしい。とはいえ、本なんて教科書以外滅多に開かない。手にも取らない。流行りの漫画を親にねだったりもしない。まだるっこしいのだ。本の中の物語に身をあずけるには、その本を開かないといけない。字を、画を、追わないといけない。その場にじっと留まって、ただただその身を捧げないといけない。それが、どうしてもできなかった。ぼくは本に自分を与えることができなかった。じっとすることは得意だったけど、じっとすることと、本の中の世界にじっと身を預けることのあいだには、擦り合せようのない溝があった。ぼくは絵を描くことも嫌いだった。苦手だったし、嫌いだった。
 本屋は、水たまりみたいな海が見える、あの車よけへと続く道とは反対方向にあった。丁字路を左に曲がり、しばらく歩くとぶつかる十字路の一角に、その本屋はあった。でもぼくは、本屋には行かない。行かないくせに誇らしかった。その本屋の隣にある三菱洋品店に、ぼくはいつもいた。
「っすう」
 ぼくがお店の重たい扉を押し開ける。エボシさんはきまって、うっす、と、おっす、が混じっているような、なんとなく覇気のない、おおきめの吐息みたいな声でぼくを出迎える。エボシさんは三菱洋品店の店主で、歳はたぶん、ぼくの親と同じか、すこし若いくらい。エボシさんは大学を出ていない。高校も出ていない。中学も、あやしい。ずっとこの町に、というかこの店に、というかこの家に、籠もっていたらしい。なにがきっかけだったのか、二十代も半ばを過ぎたころ、軒先で景気よくキセルをくゆらせていたエボシさんのお父さんが、灰を捨て、お店の中に入ったとき、エボシさんはレジ前に座っていて、それからなんとなく、お父さんの代から続いている洋品店の二代目店主候補として、お店に立つこととなった。
 エボシさんが、っすう、と言うとき、エボシさんはだいたいコーヒーを挽いているか、淹れているか、飲んでいる。というか、エボシさんは店番の時間のだいたいを、コーヒーを挽くか、淹れるか、飲むかに費やしている。洋品店の書き入れ時は三月。近隣に点在する中学やら高校やらの学生服の注文が舞い込んでくる時期で、書き入れ時といってもたかが知れている。それ以外の季節に洋品店に用がある人間は、この町に数人程度。裁縫趣味のおばあちゃんたち、エボシさんのお父さんの昔なじみの地元連中と、あとはぼく。ボタンも、糸も、布も、洋服も、メルカリで売ったほうがずっといいよ。と、エボシさんは語っている。口には出さないけれど、マグカップにゆっくりと口をつけるエボシさんの姿で、ぼくはエボシさんの言いたいことがだいたいわかる。語っているのがわかる。
 三菱洋品店の軒先にはいつも小さなワゴンが一台置かれていて、その上にはダンボールいっぱいに詰まったボタンが置いてある。ダンボールには「ボタン一個十円」と太いマッキーの黒で書かれていて、これはおそらくエボシさんのお父さんが書いたもの。ぼくはその中からひとつ、ボタンをてきとうに選んで店内に入る。ぼくのお小遣いは一ヶ月五百円だから、ボタンを毎日一個買っても大丈夫。ぼくにとってそのボタンは、この店への入場料みたいなものだった。エボシさんはなにも言わずにお会計を済ませてくれる。
 お会計を済ませたら、レジから右に進む。店内の、糸やら針やら布やら肌着やらが立ち並ぶ棚をずんずん進み、一番奥、お店の入り口からだいたい対角線上、そこにぼくは用がある。
 まふ。
 もういつからそこにあるのか。ぼくの親が子供のころからそこにあったのではないか、といった風格の、毛羽立った、茶色い、大きなくまのぬいぐるみ。マフ。ぼくはぬいぐるみに、マフという名前をつけていた。心の中で呼びかけて、ぼくはマフに抱きつく。マフはぼくの背丈よりすこしおおきい。ぼくがマフに抱きつくと、骨も筋肉もないマフの身体はその衝撃に素直に反応する。腕がぼくの肩甲骨に当たる。マフに抱きしめられている。ぼくはふかくふかく息を吸う。けむたい。これはきっと、エボシさんのお父さんのキセルのにおい。
 早朝、魚屋が港で魚を物色しているころ、ぼくは家を出る。春、夏、秋、冬。時間はだいたいおんなじなのに、季節が違うだけで、太陽の様子が違うのが、人間みたいでおかしい。冬はさむくて、太陽も布団でもうちょっと眠っていたいのか。家とも学校とも反対方向の、あのきしめん坂を上って、海を見て、引き返して、マフを抱きしめにいく。ぼくの朝がはじまる。いちにちのはじまり。
 学校で、ぼくはうまくやっているほうだ。
 きしめん坂を降り、そのまま駅のほうへ、町中のほうへ。どの角にも入らず、ときおり海の方向へ大きく曲がっていくのをひたすら道なりに進むと、やがて学校にたどり着く。
「すう〜」
 道の途中で、校門で。下駄箱で、階段で。廊下で、教室で。ぼくはクラスメイトの挨拶を受ける。たぶん文字にしてしまえば、エボシさんの声と大差ない。けれど、あきらかに違う。声色も覇気も意味だってきっと違う。今日は教室に入るまで、誰とも会わなかった。この町で、ぼくくらいの年齢の人間はあまりいない。ぼくはさみしくなかった。ふしぎなきぶん。比べられる他人がすくないぶん、気楽だけど窮屈でもあった。比較されないぶん周囲の人間からの期待値や注目度は高くて。期待値も注目度もぼくは言葉としては知っていて、前者はポケモン後者はネットニュースで学んだ。でも、それらの言葉が自分に降りかかり、景色のなかでゆれ動く意味の中で、自分がつねになにごとかの当事者であることにはまだ気がついていない。
 ぼくはまだ気がついていない。
「んぅわ!」
 ぼくの耳元で、音が炸裂する。全身が心臓になって、反射的に身をよじりながらぼくは気がつく。尾けられていた。廊下で?階段で?下駄箱で?
「すう〜」
「やめぇ」
「駅になにがあるん」
「カミキリ。やめぇ」
「校門のシイノキにおったからさ」
「手。おろして。逃して」
「知ってるで」
「え」
「ボタンばっか買ってなにするんや」
「座ろ」
「うん。あ、ちょおこっち向いて」
 めぇとじて。なんもせんから。キクイケの言葉にぼくは従う。なにかがそっと目元に近づいてくる気配があって、今度は眉間が心臓になるけれど、キクイケの動かんといてになんとか従う。気配が離れていくのを感じ、はいよし、とすぐに言われて目をあける。キクイケが指でなにかをつまんでいる。大きな糸屑だ。おそらくマフの。カミキリムシはキクイケの身体が気に入ったのか、二の腕のやわらかな肉にしがみついてじっとしている。ありがと、と言って、ぼくは席に座る。そのとなりにキクイケも座る。カミキリムシが飛び立ち、キクイケの机に着地する。キクイケはにこにこしている。
 キクイケはぼくよりひとつ上の、センパイだ。センパイだけど同じ教室で、ふたりで授業を受ける。ぼくの通う学校は、もともと四校あったこの町の学校が統廃合を繰り返してできた、最後の一校だった。校章は、かつてここに四つの学校があったことを忘れないように、四葉のクローバーを模ったもの。皮肉だー、と覚えたての語彙でぼくは思う。この学校のこの町のこの姿が、幸せなわけなかった。不運の四葉のクローバー。ぼくは本物のクローバーを見たことがない。あるのかもしれない。見ないようにしているだけなのかもしれなかった。
 ぼくとキクイケのほかに、教える立場の大人以外で学校に通っている人間は、下の学年にひとり、上の学年に五人いる。一二年生、三四年生、五六年生で教室はくくられ、ときおり一二三四、三四五六で同じ部屋に集められて授業を受けることもあった。ぼくにとってただひとりのコウハイが、支給されたタブレットで絵を描いたり、かんたんな足し算を解いているのを、ちらっちらっと横目で見て、自分は自分で掛け算を覚えていく。あどけない身体でタブレットを握りしめるコウハイの姿と年老いた人間の姿がぼくの中で重なるけど、しちゃいけない想像のような気もして、イメージを振り払うようにぐるり首を回してキクイケの方を向く。キクイケは国語の教科書をちいさな声で音読している。ごんぎつね。「おれと同じひとりぼっちの兵十か」
 すべての学年がひとつの教室に集まり、給食の時間がはじまる。麦飯、サバのトマト煮、蒸されたブロッコリーとにんじん、牛乳。学校の裏手で畑を耕しているゴトウさんが、スイカをお裾分けしてくれました。とウツノミヤ先生がぼくらに向かって言う。先生は教卓の前に立っていて、その横に汗と泥でまみれたゴトウさんも立っている。ぼくたちはせーので感謝を伝える。ありがとうございますっ。ゴトウさんはにこにこしている。キクイケのにこにこと、ゴトウさんのにこにこも、同じにこにこ。同じにこにこなのに、キクイケのにこにこに感じるようなものをゴトウさんに感じないのはなぜなのだろう。そのときその瞬間に思うわけではなくて、たとえば朝、きしめん坂の車よけで海を眺めているときなんかに、意識の隅をかすめる。それは水たまりの波紋のように、隅からはじまってまんべんなく意識の水面を揺らしていく。エボシさんのにこにこを、ぼくは見たことがない。笑った顔を見たことはあるけれど、にこにこって感じではない。エボシさんのお父さんは、あるのだろうか。ゴトウさんはぼくたちのありがとうございますっに、
「あぁい。どもども」
 とうれしそうに片手を上げたり頭を深く下げたりする。それからいただきますの唱和があって、ぼくたちはごはんを食べる。ゴトウさんはその光景をしばらく眺めてから、じゃ、わたしは、と言いながら今度は先生へ向けて片手を上げ、頭をちいさくへこへこさせながら教室を出ていく。ゴトウさんも、この町のどこかで、これからご飯を食べる。
 一ヶ月に一回くらいの間隔で、午後の授業ではゴトウさんとゴトウさんのお母さんと一緒にゴトウさんの畑にお邪魔したり校庭の花壇のお世話をしたりする。「総合」や「生活」と時間割表に割り当てられた、生活は言葉としてはわかるけれど総合は音としてのそーごーで、なにがどうなると総合と呼ばれるものなのかぼくもわからないしコウハイやキクイケもきっと知らないし、お互い尋ねもしない。そういう時間のたまにある特別な季節、種付けとか土を混ぜて濃く柔らかくするとか芽吹くもの咲いたものたちのスケッチとか収穫とか、そういうタイミングにちょうどある時間割の「総合」とか「生活」が、ゴトウさんとゴトウさんのお母さんが、監督みたいになってぼくたちの背後に付く。ゴトウさんの両手は掘り立ての野菜みたいに肉が張っていて溝が深く、身体というよりお金があれば買える商品みたいだったから、ぼくはゴトウさんのこと、どこか人間と思っていない、思えないところがあって。もっと言うと、人間というより畑や学校にくっついている物事それ自体のように思っていて。だからぼくはゴトウさんには気持ちや心というものがないのかもしれないと思っていたし、逆に言うと、ゴトウさんに気持ちや心があるのなら、魚屋で光る魚、八百屋でじっとしているナスやじゃがいも、貝殻や、校庭に半分埋められたぼくたちが跳びこえていくためだけにあるタイヤ、雲や雨、そしてマフにも心や気持ちがあるのかもしれないとも思っていた。というより、マフの心や気持ちの存在をぼくは信じていたし疑ってもいたから、マフを中心とするぼくの気持ち、心が、ゴトウさんの気持ちや心の有無を信じさせたり疑わせたりしていた。そして、おじいちゃんにしか見えないゴトウさんにもお母さんがいて、そのお母さんがまだ生きていて、ずっとそばにいる、そういう光景も、ぼくをひそやかに混乱させていた。ゴトウさんのお母さんとゴトウさんの身体のかたちは瓜二つで、どちらの年齢が上で下で、という実感も湧かなかったから、ぼくはいまよりちいさいころ、ふたりのことを夫婦だと思っていたし、最近までは兄妹だと思っていた。キクイケはキクイケで、すこし前までは腐れ縁の友達同士と思っていたらしい。
「ずっと一緒におったら、しぜん似てくるやろ」
 そういうもんか、とぼくは思った。ゴトウさんのお母さんがゴトウさんのお母さんと知ったあとも、キクイケのその言葉に対するそういうもんかという気持ちは変わらない。
 放課後はだいたい、家に帰らず、そのまま塾へ向かう。朝歩いた通学路をそのまま引き返し、家を通り過ぎて駅まで向かう。電車は一時間に一本しかないから家を経由すると時間が中途半端に流れてしまい、何度か面倒くさい思いをしたからいつしか家を素通りして駅へ行くようになった。車で送るのに、とお母さんは言うけれど、駅や電車の定めた時刻に従い続ける経験も塾での勉強とつながっているというようなことを足りない語彙で言い募って納得させた。でもほんとうは、このままひとりでどこへでも行けるんだな、というワルな気分を満喫したいだけ。学校を出て最初の十字路で駅や家の方向へ曲がるとき、チラと反対方面に顔を向けて、三菱洋品店のほうを見る。運が良ければ、セキさんやウツノミヤ先生と同じくらいの歳のようにもゴトウさんのお母さんくらいの歳のようにも見える、その印象が季節や時間帯や日によってまるきり変わる、万華鏡と内心勝手に呼んでいる本屋の店主とエボシさんが軒先でなにやら話している光景を目撃することができる。そういうとき万華鏡は大抵こちらに背を向けていてエボシさんはぼくが曲がる十字路の方向に顔を向けているから、エボシさんだけがぼくの姿を認めて万華鏡と話しながら手を挙げるわけでもなくそこに漂う空気に遊ばれているようにダラリと腕をぶら下げたままひらひらと手を振ってくれる。ぼくはぼくで、ん!というような感じで瞬間、エボシさんに向かってピッと胸を張り、それまでより機敏に駅まで歩いていく。エボシさんの反応が気になって、一度だけそうしてからすぐに振り向いたことがあったけど、エボシさんは万華鏡の話に相槌を打つようにしながら俯いてほほえんでいるのがなぜだかカメラのズームのようにはっきり目に映ったから嬉しいけれど恥ずかしくて、ん!のあとはもう振り向かないというルールにした。
 ワンマン二両編成の電車に乗りこんで、一駅で降りる。「ワンマン」という言葉も「総合」のようで、状況から意味を想像することはできても言葉それ自体がなんなのかをあまり理解していない。駅から駅への距離が長いからたとえ一駅であっても歩いて行くのは難しいしぼくはこの歳になっても補助輪無しで自転車に乗れたことがなくてそれがなによりも恥ずかしい。勾配とカーブのはげしい路線を電車は加速と減速をこまめに繰り返し進む。季節によってはすでに空が夜に備えて光度を落としはじめている様子で、まだ夕方にもなっていないからそれは微かな違いなのだけど、朝とは明らかに違う終わりの気配。加速。減速。そのたび身体の重心もこまめに変えながら、ぼくはがらがらの座席に座らずに窓にへばりつく。こういう電車以外の電車をワンマンではなくなんと呼ぶのかを知らない。
 ぼくの住む町にはない商店街があり、ない匂いがあり、ない喧騒があり、ない灯りがあり、ない声がある一駅先の町。塾に向かうためこの町にひとりで来るたび、どうしてこの町にはない本屋がぼくの住む町にはあるのだろうと不思議に思う。なにに由来されてかわからない煉瓦造りのちんまりした駅舎を出て、商店街を抜けた先の信号を渡ってすぐのところにある、東家にトタンを貼っつけたような寂れた建物がぼくの通う塾で「明愛塾めいあいじゅく」という名前だ。建て付けだけは良い引き戸をガラガラ開けると五列ほど置かれた細長い机ひとつにつき横並びで二三人、銘々になにかしらのドリルや塾長お手製のプリントを一心に解いている。建物の面積に見合っていないよく通る声で塾長が「来たか!まあ座れよ!」と言う。女の人が今日ぼくがここでなにをやりたいのかを聞いてくる。
「今日は地図記号を覚えたい気分」
「昨日もそうやってずっとやってたろ!駄目だ!」女の人に言ったのに机を通り越して塾長が笑いながら口を出してくる。
 明愛塾にはいつも塾長と女の人がいる。大人はそれだけ。塾長はたぶんエボシさんよりずっと歳上だけど、ゴトウさんよりは若いかもしれない。塾長と女の人の関係性も、ぼくはよく知らない。ぼくの前で名前を呼び合ったこともなくて、女の人は塾長を「塾長」と呼ぶし塾長は女の人を「おい」とか「ちょっと」とか「あのさあ」とか「ねえねえ」とか呼んだから女の人と認識するしかなかった。名前を訊くという発想はなかった。結局ぼくはすこし背伸びした算数問題のプリントを真剣に解く。解く。解き続ける。解き続け、女の人や塾長を都度都度呼んで採点してもらい、よくわからないところは自分なりの理解を説明してから詳しく訊いてみる。一日に二度ほど、女の人があらゆる飴玉の入っている大きな丸い缶の容器を持ってきて、塾にいるぼくたち子供にすきな飴玉を取らせる。ぼくは薄緑色のメロン味の大きな飴玉がすきでよくそれを取るのだけど、あんまりそればかり取っているとたまに塾長がめざとく発見して「メロンなくなっちゃうだろ!たまには黒飴だ黒飴。黒飴だってうまいんだ」と言ってメロンと黒飴をむんずと交換してくる。塾というより大人も子供もひとしく厚かましい寄り合い所のような空気でいつも夜までそこで生きる。
 塾から帰るときは隅のほうに置いてある固定電話で親に電話して「いまから帰ります」もしくは「もうすぐ帰ろうと思うからそろそろ迎えに来て」などと報告する。ぼくは帰りは電車ではなくお母さんが塾まで車で迎えに来るから「迎えに来て」と電話して車に乗る。「ごめんもうちょっとプリントやりたいから遅くなりそう」という電話をする子もいて、キクイケはよく遅くまで居残って塾長のプリントを嬉しそうに解いていた。ぼくはキクイケに誘われてこの塾に入った。キクイケはいまはいない。あんなに嬉しそうだったキクイケがどうして明愛塾を辞めたのかをぼくは知らない。考えたところでわからないからぼくはプリントを解く。キクイケの代わりに、みたいな気持ちは微塵も湧かずそれでも嬉しく解いていく。「お母さん来たぞ!」塾長の声が耳に刺さってハッと顔をあげる。そのとき解いていたプリントにつけられた花マルをぼくはお母さんの運転する車の助手席でぼーっと見ている。
 猫になったらマフに食べられてしまうのかな。夜、自分の部屋の布団のなか、眠るとき、ぼくは考える。食べられてしまうのかな。一旦、言葉として考えて、それからすぐに浮かぶ光景。森の中、大木の根元で座り込むマフのボテッとした両足の間で、つつまれ身を丸くして眠る猫としての自分の姿。猫として自分の姿を想像するとき、毛並みは決まって茶白のバイカラーだった。むかし、ぼくがいまよりもっと幼かったころ、まだぼくは三菱洋品店のマフに出会っておらず、キクイケといまほど仲が良くなかったころ、駅舎の脇のいつも日陰になっていて不思議な形の草がまだらに伸びていたあたりで、ちいさく丸まった子猫を見かけた。どうしてそのときひとりで駅前にいて、どうしてそんな場所を覗いたのかまったく覚えていないし、覚えていたとして大した意味も理由もないけれど子猫はそこで丸まっていて、弱っているようには見えなかったけどぼくは猫に詳しくない。子猫にはもっと詳しくない。触るのも憚られてその場を立ち去り、その日の夕方にはお母さんに子猫のことを話し、飼いたい、と言ったはずだけどそんなに幼いころからぼくは「飼う」という言葉を知っていて、「総合」や「ワンマン」や「塾長」以上にその言葉の意味を知って使っていてぼくはそのころのことを思い出すと自分じゃないみたいだなと思う。それからその子猫がどうなったのかを覚えていない。でも飼ってはいない。お母さんはなにかお金のこと、お世話のこと、家のことをぼくに訥々と説明してきたような微かな記憶というよりそうなんじゃないかという予感に近いものが身体に残っていて、その予感を確かめることと夢を見て見た瞬間から忘れていくくすぐったさはとても似ているから、いま夢を見ているぼくはゴトウさんの商品みたいな両手、セキさんが追いかける猫が咥えている豆アジ、ウツノミヤ先生の後ろにまとめられて揺れる髪、塾長が飴を舐めている、加速と減速繰り返す、万華鏡、しぜん似てくるやろ、お前もマフもなにもかも、その町には海がないのだから、嫌い、きらいきらいきらい、与えてください、教えてください、思い出すみたいに思い直す、マフ、ぼくに財力があれば、ぼくはあの子猫を飼えたしマフを買えた。

村長

 はじめまして、村長です。平成がまだ打ち消し線を引かれた飲食店の但し書きで、Windows Meがこの世の喜びで、オレンジの顔文字辞書をダウンロードした晩、顔文字、と打鍵してスペースキーを押し込んだときに出てくる変換候補のとりどりの記号の羅列、それによる錯視、人が人を人だと思うときの要素の連なり、に自分自身を重ねて止まない時間の流れの中、ねるねるねるねが弧を描きながら色をかえていくように慣性に則って授かった命です。お、は押さない。か、は駆けない。し、は喋らない。も、は戻らない。そういうおかしもに支えられて自転と公転をしばらくは信じてきました。トラジハイジがファンタスティポのマスタリングデータをレコーディングスタジオで聴いていたころに投げかけられた言葉の端々をいまでも覚えていますが、よくよく点検してみるとそれは顔文字、あるいは顔文字を顔文字足らせる記号の北斗七星だったので、錯視に次ぐ錯視はわたしをまんまとまろやかにして、二人三脚を夢見させたのでしょう。いま思えばそこからが、そこからのはじまりだったのかもしれません。押して駆けて喋って戻って、荼毘に伏すことも辞さないモノトーンの仕事着で、姿形を変えてわたしはいまもあべこべになったおかしもに支えられています。地震です。雷です。火事です。おやじです。誓います。あのとき、とわたしが回想の近似値になったとき、Nortonのパッケージ版を後生大事に残したりはしないと。誓います。駄菓子屋で買ったおこづかいラーメンのはずれがただゴミとして公園のベンチに残されているさまを否定したりはしないと。誓います。長い一日のおわりにヤマト運輸からのお荷物お届けのお知らせLINEが自殺幇助のような煌めきを見せていたとしても。誓います。指示語の多い世界に生まれ育ち命令形が愛のようであったとしても白米は炊かれていくことを。幼い、書けない、シャベルがない、もう戻れない。それは自信です。そして誓います。雪が雪として音を吸い込むとき、この村の片隅であらわれる絵文字の炎のその熱源を。

枕カバー

 街なかでブルーリボンのパネル展示が行われていて、それだけなら素通りするはずのエマの歩みを止めさせたのは、パネルの中に2枚、"多様な性、知っていますか"、"セクシュアルマイノリティって、どんな人たち?"と書かれたものがあったからだった。多様な性、知ってるよ。でも同じくらい、わかってないな。"オネェ系"か。その言葉は使わないでほしかったなって個人的には思うな。"からだの性"と"こころの性"かあ……。そんなわけではないことくらいわかっているのに、エマは自分自身が磔にされてここで展示されているような心地になり、この場に留まっているのが怖ろしくなり、また歩きはじめた。それでもエマの頭の中では、目に焼き付いてしまった先程のパネルの文言の数々がリフレインしていた。"30人に1人くらいいると言われています"、"これって、すごく身近なことだと思いませんか?"、"社会の偏見や無理解から、自分のことをなかなか言い出せずにいます"。ちがう。ちがう。ちがうちがうちがう。エマの歩みはだんだんと早まり、大通りの交差点を赤信号なのに渡りかけて直前でつんのめるように立ち止まるころには、ほとんど競歩のような速度になっていた。ちがう!と、パネルを背にして往来の人々に叫びたい気分でもあったし、いますぐ消えていなくなってしまいたいような気分でもあった。自分でもわからない、"身近なことだと思"わないと身近なことだと思えないようなやつらに、自分でもわからないあらゆることを、パネルにまとめて語られてたまるかとエマは思った。
 人類史上初めて性適合手術を行った人物を描いた海外映画を、日本での封切り直後に観に行ったときのことを、エマは思い出す。映画は最終的に主人公が手術によって死に、主人公のパートナーとして付き添っていた女性が別の男性と恋仲のような雰囲気になり、主人公の死後、シスジェンダーであるその女性と男性がふたりきりで抱き合うところで映画は終わった。史実に基づいた話だろうが、なんだろうが、これはトランスの話ではない、これは私に向けられた物語ではない、とエマは思った。客席からはエマ以外の客のすすり泣く音が聞こえていた。そうあれは声ではなく音だった。たとえばいま泣いているあなた、あなた、そこのあなたは、私に手を差し伸べてくれるのですか、私を見て同じだけ泣くんですか、と訊いてみたい気もした。ひとりひとり、おまえらをぶん殴ってやろうか。キリキリした気分で映画館を出て駅まで歩いていたあのときの速度と、さっきのパネルの前から立ち去ったときの速度は、似ていた。それは世界を、社会を、その他大勢を見放す速度でもあり、世界から、社会から、その他大勢からはみ出て濁流に飲まれ流され滝つぼに落ちていく速度でもあった。
 かわいそう、と泣かれ、悲劇として扱われ、お涙頂戴として描かれるくらいなら、トランスの物語なんて無くていい。配慮だとか、ジェンダーバランスだとか、多様性の社会だとか、そんな理由で恐る恐る、あるいはニコニコと差し出される物語もいらない。目配せなんて必要ない。私の物語なんて必要ない。用意してくれるな。
 そんな物語がなくても、私はまだ生きている。ここにいる。まだ死んでいない。完結していない。まだ物語になっていない。私は、自分は、おまえらに物語を用意されたいと思っていない。
 駅前で自転車に乗る。カッシュカッシュとペダルを漕いで、家の近くをゆっくり進む。そこまで考えて、エマは今度はしおらしい気分になってきた。あのときの、映画の帰り道の激しい気持ちが瞬間的に蘇って熱くなってしまったけれど、形はどうあれ、語られ方はどうあれ、ああいったパネルが展示されていること、それ自体はとてもいいことだと思う。とてもいいことだと思わなくちゃいけないとも思う。ただ、とエマはさらに思う。何度も、ただ、ただ、と。自分は、自分の気持ちの置き場がいつもわからない。うれしいことも、かなしいことも。くやしいことも、かなしいことも。さみしいことも、たのしいことも。気持ちの置き場がいつもどこにも見当たらなくて、周りの人がその重たい荷物を降ろして一息ついているとき、自分はただただ、自分の重たい気持ちを背負ったまま、身体の軋みを無視して立ち尽くすことしかできないのだった。
 曲がるべき道を何度か素通りし、通らなくてもいい道を通り、止まる必要のない場所で止まり、またペダルを漕いで、だらだらと家に帰ったエマは、リュックや鍵、財布や帽子、ポストから抜き取ったピザ屋のチラシをぼとぼと落としながら玄関からベッドまで項垂れつつ進み、枕めがけてうつ伏せに倒れ込んだ。大きく息を吸う。シャンプーと皮脂の残り香がフィフティ・フィフティ。いまから洗濯したら寝るまでには乾かないな。コインランドリーで乾燥すればいいか。はあ、クソ。クソクソクソだぜクソ。あーあっ。はあ。よし。エマは枕カバーを枕から引っこ抜いて、玄関とトイレの中間あたりにべしゃりと落ちているリュックに突っ込んで、財布を掴んで、また家を出る。

サガミ

「サガミ。嵯峨見奈美です。わたしにはいくつかの名前があって、そのうちのいくつかはもうここにはない。名前は、個人が身に纏う最初の衣服みたいなものだとわたしは考えていて、でもその衣服はたいていの場合、その人が産まれる前にしつらえる、しつらえ、られる。あつらえるか。あれどっちだろ。あつらえ、あれ、しつらえるかな。ものだから。まあいいやごめん、なさい。だから、ええと、そうだ、サイズが合わないことだってある。着ていくうちに生地が薄くなったり、ほつれたりして、穴があいたり、ちぎれたり、使い物にならなくなる。こともある。こともあるっていう、だからこれは、これ?ええと。
やり直し。サガミです。嵯峨見奈美。サガ、ミナミ、なのか、サガミ、ナミ、なのか、って訊かれたら、サガミです、サガミ、ナミです、と答える。自分の名前を言うときわたしは、すこしだけ、強くなれる。強くなれるし、なんというか、遠くなれる。思い出すことが、たくさんあるから。人と話すとき、わたしは、なんだけど、近さより遠さが大切だと思っていて、近くで抱きしめる、抱きしめられることも大切だし、わたしはときおりそれを強烈に欲、っする、ことんんっ、こともあるけど、それでもわたしは遠さが必要だと思ってる。遠くにいないと、その人の美しさ、尊さを、はっきりわかってやれない、やれないってやだね。分かりきれない、そうだね、分かりきれないだね。分かりきれないことって、遠くに行かないと、遠くにいないとね、たくさんあるから。解る、解決の解のほう、というより、分裂の分なんだと思う。分かる。その人をわかるっていうことは、わたしと、分けて考えて初めて成り立つものなんじゃないの。
もっかい。はは。やり直し。サガミ、です。嵯峨見奈美。でも親がしつらえた名前はそうでなくて、嵯峨見夜潮だった、わたしは、こどものころね。夜に、満ち潮とか引き潮とかの潮で、ヨシオ。いまだったらキラキラネームって言われるのかな。でもぎりぎり、わたしがこどものころは、そんな言葉なかったんじゃないかな。ヨシオのほうじゃなくてキラキラネームのほう。なかった、うん、すくなくともなかった、んじゃないかなキラキラネームって。いじめられてたけどね。でもそれは、名前うんぬんというより、もっと、わたしの、なんていうのかな、全部への拒絶反応だったから、名前がどうであれそうだったんじゃないかな。いじめられてたんじゃないかな。わかんないけどね。
え?うんあははやり直さないこれでいいこれでいいよ回して。奈美ちゃんとか言われたりもするけれど、みんなにはサガミって呼ばれているよね。こどものころの名前と全然違う名前にしたから、昔の名前が、ああいう名前だったこともあって、わたしが、その、夜潮をね、忘れたい、ほんとうに消したい、なんか、名前だって、やさしい勘違いをしてくれる人もいるのだけど、そしてそれは、うん、ありがたいのだけど、もちろんね、ありがたいのだけど、んーでも、わたしはヨシオもヨシオですきだった。うん、愛おしかったよ。丁寧に縫われたハンカチみたいな、こう、そうねあるいはぬいぐるみ、みたいな名前でしょう。ふふわかんないかなあ。そうなんだよ。でもいまそう思えているのは、小学生のときにね、ほんとうに一緒にいて、いた、男の子がいて、その子はトラっていうのだけどね、呼び名がね。陽寅彦っていう名前でね、フルネームはね。綺麗な名前。太陽の陽でミナミ、十二支の寅に彦星の彦でトラヒコ。綺麗だなあ!あはは。痛いこととか乱暴なこともたくさんしてきて、こまったやつではあったんだよね、嫌だなって思ったこともたくさんあったと思うな、うん、うん。その、トラが、わたしのことをミヨシって呼んでいたんだよね。サガミヨシオで、ミヨシ。なんかね。なんか……。どこまで伝わるかわからないけれど、呼ばれるたびにほんとうに、うれしかったんだ。それでわたしはわたしの名前を、ああ、と思った。ああ、綺麗だなって。だからそれはほんとね、ああ、って。あはは、ああしか言ってない。ああ。あはは。そうそう。ああ。って。思って。下を向いていた顔が持ち上がる感じ。ああ。あははそうそう。トラとはしばらく会っていないのだけど、だからもちろん改名をするときも、そうだったんだけど、それがね、あって、ミナミトラヒコのミナミから取って、奈美にしたんだ。名前。わたしの中にはね、だから、ヨシオと、ミヨシと、ミナミと、ナミと、サガミがあるんだ。それぞれに時間があって、記憶があって、それはほんと衣服だと思う。クローゼット。あー、そうか。そうだ。いやこれは言葉遊び、うん、みたいなものなんだけどね。わたしはクローゼットが大切なんだなって、思った。いま。カミングアウトじゃなくってね。外に開け放つことじゃなくって。クローゼットのなかが、大切、いやこれはなんでもないや。えっとそう、だから、どういうときにどの服を着て、着ていて、その服を着ているときに、どんなことがあったか、なんだと思う。名前って、そうなんだと思う。で、それって、わたしのほとんどすべてなんじゃないかって、そんなことも思う、思うな、思ってしまうな。うん。
ヨシノと過ごしたあの時間。だから、サガミを着ていた時間だよね。わたしそれで思い出したことがあって。ああ、っていう。そうそう。ヨシノとの、というより、ヨシノたちとの時間でも、ああ、っていうそれは、あったんだよね。その、ああ、を、いま、ミヨシのときの、ああ、を話していて、思い出したよ。あれはわたしたちが卒業間際のころだったと思う。アダムとカジのあのシェアハウスでさ、飲んでいて、あのころのわたしたちは、というより、特にカジが、ヨシノが、いいものつくろうってずっと言っていて。ことあるごとにね。うるせえなってくらいさ、逐一言っててさほんとさ。エマがさ、それで、飲んでいたときぼそっとさ、それでどうするの、って言ったんだよね。いいものつくって、それでどうするの。って。エマはかわいいからさ〜あっはは、うん、不安だったんだよね、いろんなことが、だから聞きたかった。というより、ほんと不安でその発露だったんだよね。どうするの。って。詰問みたいな感じだったけど、不安だったんだよねきっと。いいものをつくって、それがなんにもならなくて、だれもなにも報われなくて、いまこうして学生の身分でいて、っていうこの、いまが、人生の最高到達点だったらどうするの、更新できなかったらどうするの、みたいな。これはわたしの解釈だけど。うん。いいものをつくって、ってまずアダムが口を開いた、で、いいものをつくるんだよ、って、ヨシノが言った。いいものをつくって、いいものをつくるんだよ、って、もう一度ちゃんとヨシノが言った。カジは飲みすぎて床で口を開けて寝ていて、みんなカジをキャンプファイヤーみたいに取り囲んで三角座りしていて、カジを起こさないように小さな声で話し続けていた。エマはしばらくカジを見つめて黙ってた。アキが、料理ってさ、ってそのあと口を開いて、作っている本人はなんてことないものを作っているつもりでも、それを食べた誰かの記憶に深く刻まれることがあるって、言って。あの味が忘れられないとか、あれは一体どうやって作ったんだとか、あれがまた食べたいとか、実際にわたしも言われたことがあるし、そういうことを、人は、いろんなものに対して思うんだと思うし、わたしは人にそう言われて初めて自分のレパートリーとして頭の中でレシピになっていくような料理がいくつもあるって、アキは言って。料理は残さず食べるものだけど、レシピは残る、だからわたしは美味しいものを作りたいし、食べたいんだと思うから、だから、いいものをつくるっていうのは、そういうことなんじゃないのかな、わかんないけど、どうかな、って、エマにというより眠っているカジに言っているように、言って。アダムが、自分が作っているものがアキの言う、レシピに残るような美味しい料理なのかはわかんないけど、でもとにかく、なにかをつくるのはたのしい、いま自分は生きているって思う、だから自分は作っているし、作っていたら自然とそのなかのいくつかはいいものになっているかもしれない、って言って。エマはアダムをじっと見つめていた。しばらく沈黙があって、ヨシノはもう一度、いいものをつくって、いいものをつくろう、それしかできないかもしれないし、それすらできないかもしれないけれど、でも、それを、やらないといけない気がしているんだ、って言って。そのあとの話は覚えていないけど、それからなんかすごいくだらない、愛おしい時間になって、それをね、思い出したよ。ヨシノ。どこかでこれを、ちゃんと見てる?聞いている?」

木魚

 京成線とJR総武線・東京メトロ東西線の線路に挟まれたエリアには勝間田公園っていうひらけた公園があるんだけど、その隣には葛飾神社っていう地味めの神社があって、公園と神社の隙間には人ひとりぶん程度の横幅の道があって、その道沿いに俺の住んでいる一軒家がある。ベランダからは公園の広場が一望でき、玄関を出ると神社の境内が木々の連なり越しにわずかに見え、風景だけ取ればのどかだが公園と神社の目の前は千葉の中枢と東京の日本橋を繋ぐ国道14号線で、昼も夜もあらゆる車、あらゆるトラックがひっきりなしに通るから騒がしいしきっと空気もそんなに綺麗なもんじゃない。
 家は30坪ほどの広さの3LDK。2階の洋室3部屋を俺一人で持て余し、居室未満倉庫以上みたいな状態になっている以外は取り立てて特徴的なところはない。俺が5歳のころに、株ですこしばかり儲けた親父が気を大きくして建てた家だから、築年数はだいたい25年といったところか。その親父は東南アジアの絵画作品や中国の文房四宝を輸入する小さな商社で数十年勤め上げ、同い年のお袋と共に仲良く内房の下の方で隠居ライフを送っている。高齢出産だったんだ。だから俺はふたりの若い姿を写真でしか知らない。
 親父とお袋が何度目かの下見のすえ隠居先を決め、移り住むタイミングで、俺は3年半一緒に暮らした嫁と離婚した。向こうの不倫が原因で、あっけないもんだったな。最近の言葉で言うとサレ夫ってこと。あっけないっていうのは俺が向こうの不倫に勘付いてそれとなく探ってみて白状されて離婚届を用意して判を押し合って居を別つまでのすべてにおいてで、なんかもうすべてがどうでもよくて、でもそれは不倫に勘付く前からずっとそうだったんだと思う。どうでもよかったんだろうな。どうでもよかったのに結婚してしまって、だから俺も俺で悪いんだよ。いまさら責めるつもりもないし取り立てて面白おかしく脚色して誰かに話そうって気にもなれない。向こうにとっては俺のそういうところが、心地よかったし信用しきれなかったのだろう。俺も俺自身でいることが心地良いし信用しきれない。ああ、そうね、そうだね、それぞれお互いを見ているようで、その実、鏡を見ていたのかもしれないね。俺も、向こうも。
 まあそんな話はどうだっていいしこの話の全体がどうだっていいんだ。それで俺は元嫁と暮らしていた小岩のマンションを引き払って、この家に帰ってきた。親父はこの家をだれか人に貸すか売るかして小金を得ようとしていたらしいけど、離婚して帰ってくるっていうんならお前、住んでもいいよ、ってわけで、いまこうなってる。とはいえやっぱり狭くて広いね、ここは。部屋は持て余すけれど、もう体の一部みたいに住み慣れた我が家ではあるから、ここが世界のすべてみたいな気持ちになって、心がどんどんこの家の敷地から出られないような気分になって、そう、息が詰まる。気楽ではあるけれど、気楽なだけではこの世は面白くない。こういう話をお袋にしたところでお互い切ない気持ちになって終わるだけだし、親父に言うのもなんか違う。世間話みたいにすっと話せる友達ももうこの辺りにはだれも住んでいないし、わざわざ電話で話すようなことでもない。馴染みの店のひとつもないし、なんつうか、むずかしいお年頃ってやつだね。
 職場は新宿寄りの西新宿のあたりにあって、最近は主にAI用のプログラムを組んでる。ここから新宿は遠いけど総武線に乗っちゃえばあとは乗ってれば着く。どれだけ混んでいても錦糸町秋葉原あたりまでくればだいたいの場合座れる。市ヶ谷のあたりの、あれはなんて言ったらいいのかな。電車がお堀のような地点を通るときの光の当たり方がすきで、俺はいつもそのへんで一旦スマホから顔を上げる。帰るときはもうずっとスマホスマホだけど。本とか持って行きゃいいんだよねほんとは。
 土日祝日は基本家にいて、どっか遊びに行くことってほとんどないな。でもさっき言ったみたいに、家に居続けるのもなんか、自分と俺のふたりでずっと家にいるような感覚になって、そのうち始終独り言をつぶやきつづける人間になってしまいそうなのがちょっとこわくて、昼過ぎには家を出て公園のベンチに座ってみたり、国道14号と180号がぶつかる交差点を原木ICの方に曲がってなんとなくドンキやデニーズのあたりまで行ってみたりする。ここらへんも変わったなあなんて、たまに、何度も、思いながら。というか、独り言をぶつぶつ言いながら。神社の隣、公園とは反対側のね、は、俺が中坊のころは精肉店で、品揃えは乏しいし特に美味い肉をこだわり持って仕入れている風でもなかったからお客さんはいつもぜんぜんいなくて、俺は部活帰りによくそこで鶏カツを買い食いしてた。コロッケとか唐揚げとかそういうのはなくて、買ってすぐ食べられるものは鶏カツしかなかった。ファミチキみたいな、あんな感じじゃなくて、ほんと、カツって感じの。味も塩とコショウが効いているくらいでシンプルなもんだった。いくらだったかな、でもかなり安かったよ。注文してから揚げてくれるんだけど、揚げている間、たまにその店のおっちゃんがオトナのありがたい話、内容なんてないけどさ、そういうのを聞かせてくれて、というかあれは、ほとんど独り言だったないま思えば。いまを生きろよ的なね。いまその精肉店は潰れてぼろぼろの小屋みたいな外観だけが残って、シャッターが閉まっていてそのシャッターには共産党のポスターがびっしり貼ってある。さっき言った交差点を曲がってしばらく歩いていくと煉瓦造りのお城みたいな立派なラブホテルがあって、昔はニューシャトーって名前だったけどいまは名前だけ変わって別のラブホテルになってる。それから総武線と東西線の高架の下を通って、さらに歩く、街はどんどん変わる。ゲームセンターやボウリング場が入っていたビルにはパチスロが入り、JAGUARのディーラーだったところはJEEPのディーラーになり、長崎ちゃんぽんだった場所はなんとかゼミナールになり、ゲームやCDやカードを中古で売っていた店はCoCo壱になり、なんだったか思い出せないけれどなんかファミレスが入っていた気がする一階部分が駐車場で二階に店舗があるテナントはカラオケになり、なにかが建っていたはずだけどなにも思い出せない空き地がぽつぽつとあり、ステーキ屋があった場所にはマンションが建ち、ブックス・ホークアイという本屋が入っていた建物は一時期イタリアンを提供する店とボルダリングジムが入っていたがその後どちらも潰れてステーキ屋が建物そのままに移転してきた。セブンイレブン、ローソン、デニーズは生き残っている。逆に言うとそれくらいしか生き残っていない。あとガチャガチャ。
 ガチャガチャはいつもそこにいる。総武線と東西線の高架の下、短いトンネルみたいになっているその薄暗い道に、ぼろぼろの段ボールを敷いていつもあぐらをかいて座ってる。くすんで元の色がわからないけれどおそらくターコイズブルーだったんだろうな、みたいな厚手のジャンパーとニッカポッカを季節問わず着ていて、顔はガサついて茶色い。ホームレスかな?と一瞬思うけどヒゲはいっさい伸びていないし頭も丁寧に剃髪されていて、じゃあホームレスじゃないのかな?と思い直すけどホームレスじゃないならじゃあなんなのかな?とも思う。朝も昼も夜もガチャガチャはいつもそこにいるから、その道に住んでいるのかな、じゃあやっぱりホームレスだ、と再度思うのだけど尻に敷かれた段ボールと傍らに置かれた大きな木魚以外には生活を営めそうなものはなにもないからきっとどこかに住まいがあるのだろう。その道を通る人の多くは昔っから触らぬ神になんとやらな姿勢でガチャガチャのことはいないものとしてすっす通り過ぎていくから、みんなきっとガチャガチャのことについてはほとんどなにも知らない。とにかく、ガチャガチャはそこにいる。俺が物心つくかつかないかのころから、ずっと。
 ガチャガチャをガチャガチャと呼ぶのは俺ともうこの街にはいない俺の小中の旧友数人くらいだから、実質もう俺しかいない。子どもっていうのは大人が見たくないものに限って見たがるもんだから、怖いよな。俺らは放課後、ドンキを冷やかしたりゲーセンに行ったり、中古屋でカードを万引きしたりローソンでサンデー立ち読みしたりするたびにその道を通るもんだから、よくガチャガチャにちょっかい出しては勝手に逃げ出したりしてた。ちょっかいったってかわいいもんで、そこでなにしてんのー、とか、だいじょうぶですかあ、とか、声かけたり、あとはひどいやつだと手を横に広げながら走ってそのまま広げた手がガチャガチャのつるつるの頭にぱちんと当たってそのまま走り去ったりとか。でもガチャガチャはえらいもんでまったく無反応。ぴくりとも動かないし喋りもしない。猫背であぐらをかいて、そのままの体勢で斜め下をじっと見ているだけ。まばたきすらしていなかったんじゃないかな。だからみんな、次第に飽きて、あるいは何とはなしに恐ろしくなって、だんだん素通りするようになっていった。俺と同じ卓球部だった三ツ野を除いて。
 思えば三ツ野はちょっと、人より子どもだったんだな。なんつうか、みんながどんどん大人になっていくことが許せないタイプの子どもっていうかね。おれはずっと無垢だぞ、っていうのを、勇気紛いの無礼で証明しようとするその行為が、おれはお前らが大人になることを許した覚えはない、っていうメッセージになっていることを、本人が気付けていない、みたいな、ない?あったよな、そういうの。いたよな、たぶん。そういうやつだったんだ三ツ野は。そういうわけで俺らの周りで三ツ野だけは、ガチャガチャにちょっかいを出し続けた。そしてあるとき三ツ野は、ガチャガチャの傍らにいつも置かれている、大玉のスイカみたいなデカさの木魚の、あの、ベイマックスの顔みたいな部分、あそこの穴に、お賽銭みたいに、持ってた小銭を入れたんだ。
ようやく子どものような絵が描けるようになった。
 ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ。

 ガチャガチャは突如言葉を発した。三ツ野曰く、その声は低く、しかしどこか凛とした清潔な響きがあり、なんというか「ナレーターみたい」だった。あまりにも突然、しかも脈絡のない謎めいた言葉が発されたものだから、三ツ野はしばらく身を強張らせて、じっとガチャガチャを見た。そして三ツ野は走り出した。三ツ野を置いて先にゲーセンに入って競馬ゲームに興じている俺らの肩を叩き、俺らは興奮気味に話す三ツ野に半ばシラけつつ、しばらく遊んでからその道へ戻ってガチャガチャを囲うように見下ろした。三ツ野が再び小銭を一枚入れる。
誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか。人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ。
 ずいぶんあとになってから知ったことだが、それはかの有名な画家、パブロ・ピカソの名言だった。俺の隣にいた高間が小銭を入れる。
私は捜し求めない。見出すのだ。
 俺も小銭を入れる。
芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ。
 そうしてガチャガチャは、俺らによってガチャガチャと命名された。小銭を入れてレバーを回すとカプセルトイが出てくるあの機械のように、小銭を入れると言葉が出てくるから。
 でもそれ以降、俺らはもうガチャガチャについては特になにも話さなくなったし、ちょっかいをかけることもなくなった。その道を通り過ぎるときに、お、ガチャガチャ、とたまに声を発する程度。理由はわからないし、なんならさらに謎は深まったのだが、一応の、機能みたいなもの、正体のようなものの片鱗を知ることはできて、それで満足してしまった。なんせ俺らはそのころ子ども。興味なんて蝿みたいに気まぐれだ。
 その道を、俺はいまも頻繁に通る。ガチャガチャはいる。木魚も変わらず置いてある。不思議なもの、不思議な存在は、その場にいる全員が不思議だと思ったそばから不思議ではなくなっていくし、全員が不思議だと思わなければそれもまた不思議ではない。人が不思議を維持するってのはむずかしい。でも、これはうまく説明できないけれど、俺くらいはガチャガチャのことを不思議に思ったままこの街にいたい。この街で俺がこの先も暮らし続けるというのなら、俺はガチャガチャのことを不思議がり続けたいと思ってる。これはガチャガチャのためではなく、俺のためですらない。強いて言うならこの街のため。わけわからんよな。俺もそう思う。でもそう思う。離婚届を出してから初めての休日、いま俺が住んでいてまだ親父とお袋が住んでいた家に一泊した日、うまく眠れなくって、深夜に家を出た。深夜とは思えない交通量の交差点を曲がって、気がついたら高架下、ガチャガチャの前に立っていた。
「人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ。」
 そのとき俺は中坊ぶりにガチャガチャの木魚に小銭を入れたんだ。そうさ、俺だって、俺のすべてに意味を見出そうとしているんだよ。

カーセックス(14)

 アサイはツジとお風呂あがりに海まで行って、生まれて初めて漁火を見た。砂浜は暗くてだだっ広くて、遠くばかりが明るくて、まだプログラミングが終わっていないゲーム空間みたいだとアサイは思った。マップの外みたいな。ツジは車のエンジンを切って、アサイはツジを見つめていた。ツジの左腕がアサイの首筋に伸びて、シートベルトをつけたままアサイとツジは何度かキスをした。
 車を降りて、アサイとツジは漁火の方向へ歩いた。捨て置かれたゴミや漂着物の類もなくて、すこし歩いただけで車がどこにあるのかすぐには見つけられなくなる。海へ海へと近づいている実感も薄い。いつのまにか波打ち際に着いて、今日はまったく波がないな、とツジが言った。アサイは白くて細い罫線のような波が絶え間なく現れては消える海を見つめながら、バグみたいだ、と思った。吸い込まれそうだ、とも。
 アサイもツジも、タバコを吸いながら歩いた。タバコを吸っていてもはっきりとわかる潮のにおいを、アサイは深く吸った。吸って吐いた。
 車に戻り、ツジは運転席に座って、公道じゃないからいいんじゃない、と言うアサイの指南を受けながら、生まれて初めて車を運転した。みんなこんな繊細なことをしていたのか、とツジは震撼した。怖がっているうちはまだ大丈夫だよ、とアサイは言った。徐行や急発進、バックやターンをツジはおっかなびっくり繰り返し、ちいさな砂山に乗り上げそうになったところでアサイにバトンタッチし、ふたりはツジの家に帰った。歯を磨き、スマブラをして(ツジのパックンフラワーは仕上がりつつある)寝て、ツジはひさびさに長い夢を見た。東京で働いていた会社の夢だった。
 夢にはそのころの同僚が何人か出てきて、あなたはどうして遠くへ引っ越していくのか、と訊いてきた。朝起きて、ああわたしは、ほんとうにあそこを辞めたくなかったんだな、とツジは思った。背中を向けて眠っているアサイを抱きしめながら、ままならないな、と思った。ままならないな、と思ったから、そろりと起き出し、ベランダへ出た。ベランダからは山が見える。夜が明けかけた空に薄く照らされて、影のようになった山々が見える。ベランダの下には駐車場があって、アサイの車が停まっている。ダイハツの、赤い軽自動車。ツジは山とアサイの車を順番に見て、昨夜見ていた漁火と白い波を思い出す。思い出したから、眼を閉じる。ツジは自分に言い聞かせる。ここはマップの外ではない。バグでもない。不安や虚無には吸い込まれない。吸い込まれたくない。アサイはツジがベランダへ出たあたりから起きていて、思考の糸が言葉に結びつかないまどろみの中で、ほぐされた意識の端で、アサイ自身も自覚できないほどかすかに、でもたしかに、ツジのことを考えている。ツジがベランダから戻ってくる。アサイは、なぜ自分がそんな演技をするのかわからないまま、いま目覚めたかのように小さく伸びをして呻き、口をもにもにさせながら薄目を開けた。

ゴールデンバージニア

 HUBってなんか、名前はちょいちょい聞くけど行ったことはないな。京都にはあったっけ。なんかあったような気もするし、なかったような気もするし、なんにせよ行くのははじめてだな。渋谷駅からHUBへと向かう短い道のりのあいだ考えていたことのほとんどそのままを、エマは短くまとめて独り言のようにして、すでにギネスビールをちびちび飲んでいたジョージに投げる。そうなんだ。まあ楽しもうよ。みたいなことをジョージは言って、持っていたパイントグラスを掲げて控えめに微笑んだ。それで一旦席を立って、カウンターで生ビールのパイントを注文して、こういうとき「いちパイント」と言えばいいのか「ワンパイント」と言えばいいのか、それとも「パイント」と言えば1パイントという理解が成されるのか、そういう微細な逡巡がある一定の人間をその場所から遠ざけることってあるよな、とエマは思う。まあでも「パイントで」って言えばいいんだよな、"ふつう"に。スタバのトール、グランデ、みたいな。そしてここ、生ビールはキリンなんだな。店員がボウリングのピンを逆さにしたような形のレバーを押したり引いたりして、エマのための生ビールが液体と泡で綺麗に分かれてパイントグラスに注がれていく。それを見ながらエマは思い出す。三条木屋町の交差点のあたりに、高瀬川を臨むような立地で、いつも外国人なのか日本人なのかわからないけれどなんか賑々しく酒が酌み交わされている空気が充満していたあそこ、HUBだったかもしれない。グラスを受け取りお金を渡してお釣りを受け取って、エマがジョージの座っている離れ小島のようなテーブルに戻る。ジョージは身体をねじって遠くの壁面のテレビ画面を眺めていて、テレビにはサッカーの中継が映っていた。サッカーは見る?とジョージはエマに訊いて、好き?でもなくやる?でもなくルールはわかる?でもなく見る?なのがいいな、と思いながらエマは見ないなあと応えた。やさしく乾杯をして、テンポよく飲みながらお互いのことを訊いたり応えたりした。「なんの仕事をしているの?」「貿易会社」「貿易会社」「そう。金ならあるふふふ」「そうですか」「エマはなんの仕事をしているの?」「シガレットバーで。狭い店内に8人も座ればぎゅうぎゅうになるし、バーっていうかコーヒースタンドみたいな感じでもあるし、ただの気の利いたタバコ屋でもある」「へえ、エマは働いていて楽しい?」「楽しいのかなあ。いつも出勤前はそれなりに新鮮に緊張するよ。ちょっとした気合いを入れないと玄関のドアを開けられないし、店についた直後からしばらくはドキドキしてるいまだに。ジョージはどうなのさ」「僕?」「うん、仕事は楽しい?」「どうかな、仕事は仕事だな。ところでそれは手巻きタバコだね」
 1本巻かせて、と言ってきたジョージに手巻きタバコ一式を渡す。OCBの巻き紙を取り出し、折り目を開いてカウンターに置き、巻き紙の上に盛り塩のようにシャグを乗せ、巻き紙の折り目に合わせてシャグの脇にフィルターを置き、シャグやフィルターごと掬うように巻き紙を持ち上げて、紙縒こよりを作る要領で捻り伸ばす。シャグを均しながら筒状に巻き、糊面を舌で濡らして接着する。そうして巻いたタバコを、ようやく取ることができたチェスの駒のようにジョージはしげしげと眺め、どうぞ、と言ってエマに差し出した。「ジョージは吸わないの?」「むかしおじいちゃんのタバコをよく巻いていたんだ」「そうなんだ」「うん、だからぼくは、巻くのだけはうまいんだ、そしてその葉っぱはイギリスのものだよ」「ああ、ゴールデンバージニアって、そういえばそっか、おじいちゃんもこの葉っぱを吸っていた?」「うん」「イギリスに帰りたいとか思うことは」「僕はイギリスには帰らない」ジョージが突然感情を消した声でそう言って、そうか、この人にもいろいろあるんだな、とエマは素朴に思った。そもそもエマは、ジョージという名前が本名なのかどうかすらわからない。エマはジョージの巻いたタバコを吸いながら、ジョージはエマを見たり壁面のテレビ付近で画面の展開を熱心に見ている白人の集団を見たりしながら、明日には忘れてしまいそうな話をたくさんした。
 HUBを出て、神泉駅の踏切前まで歩く。渋谷のHUBから新泉の駅へ行く途中にラブホの立ち並ぶエリアがあり、エマは動揺を悟られまいとジョージに話しかけようとしたが、なにを話しても動揺の裏返しになってしまうような気もして、結局ジョージの顔を見ないように、ラブホの看板や外観を見ないようにさっさと歩くことしかできないのだった。ラブホの連なりが途切れ、神泉駅の踏切が視界に入り、ホッとしたエマの隙を突いてジョージは素早くエマの頬にキスをした。なぁっ!と声が出たエマにジョージは前屈みになって笑う。「いや、ごめんごめん、はあ、ごめん、はー、いやあ、エマはかわいいね」「ジョージ、わざとあの道通っただろ」「いやあ、ごめんって」「はあ、もう、びっくりしたな」それでエマとジョージはハグをして、ハグをするふたりの横を通った京王井の頭線吉祥寺行きには仕事帰りの嵯峨見奈美と糸井恋吾れんごが乗っていたのだがエマとジョージにその姿は見えず、嵯峨見と糸井も路上のふたりには気づかない。エマとジョージは新泉駅南口の階段前で手を振り合って別れ、エマは南口の階段を上り切って、改札は通らずに西口の階段を降り、小道を何度か曲がって東京都道317号環状六号線・通称山手通りに出た。エマの住むアパートは幡ヶ谷と初台の境目あたりにある。新泉からだと電車の乗り換えがやや面倒で、加えてエマは電車が嫌いで、今日は歩いて帰りたい気分だった。どうして自転車で来なかったかな、と思いながら、エマはだだっぴろい山手通りをひたすら北上する。ジョージからLINEが来ていて、HUBで交換したジョージのLINEアカウントは「日本」という名前で、エマはそれをいまのところ面白がれているけれど数日後には怖くなってきて2ヶ月後にはブロックする。ヘーイジョージ、しごーとは決まったカーイ。ヘーイジョージ。ふふ。そしていま、エマはひとりで歩きながら、つぶやきながら笑っている。子供のころ、千葉のローカルテレビで繰り返し流れていた、地域密着型の求人情報サービスのCM。ヘーイ、ジョージ、仕事は決まったカーイ。オー、決まったよー、チバキャリでねー。不意にそのCMのことを思い出したエマは、あは、ははは、笑いながら、スキップしながら、マッチしてはじめて会った人がジョージでよかったかも、と思っている。

練り消し

 最初から故郷/地元があるんじゃなくて。産まれた場所、育った場所が故郷/地元なのではなくて、どこかに自分の故郷/地元があって、自分が望むと望まないとに関わらず、死の予感とともにそこにどんどん向かっていっているような感覚に、たまに襲われる。
 とはいえ、べつに転々と引っ越し続けているわけでも、当て所のない旅に焦がれているわけでもないし、すべてから逃げ出して、ここではないどこか遠くへ行きたい気持ちも、ないのだけ、どっ!と伸ばした練り消しのもわもわした部分のようにおぼろげな空想に勢いをつけて、エマは玄関の扉を開ける。自転車に跨って、細い坂道を井の頭通りに向かって下り、井の頭通りでさらに勢いをつけて飲み込まれるような速度で原宿方面へ。身体も自転車も、ブレーキをかけないかぎり加速し続ける。エマの頭の中で幡ヶ谷から井ノ頭通り、井の頭通りから代々木公園までの地形のイメージがコーヒードリッパーと重なる。ほんとうに、飲み込まれていくようだ。人も、自分も。いや自分だって、人なんだけ、ど……!坂道の終わりの赤信号でちょうど止まるようにゆるくブレーキをかけて、信号が変われば上がって上がって、代々木公園を過ぎたら原宿から表参道へ至る並木道をまた下ったり上がったりする。サンダーを通り過ぎ、Apple Storeを通り過ぎ、交差点を直進してYOKU MOKUを通り過ぎ、ひとつひとつの風景を点検していくような感覚で、エマの気持ちも今日の仕事に向けて整っていく。いまは早朝で、このあたりの通りは時間帯によって大きく表情を変える。早朝は、それぞれのビルやテナントの清掃員、出勤途中のサラリーマンやアルバイト、ドラマや映画、雑誌の紙面なんかを飾ったりする役者やモデルにその撮影クルー、そういう人たちの時間。通りの中途半端な位置に点在する喫煙所が、このごろの東京にしてはめずらしく、どれもしぶとく生き残っていて、それは深夜や早朝、タフに生きる裏方たちのためのものとエマは認識している。早番と遅番のシフトが毎月店の都合によって不規則に組まれるエマにとって、早番は行きの早朝、遅番は帰りの深夜、この通りを抜けていくのが、ささやかな生活の慰めのようになっていた。
 美術館前の交差点を渡ってから青山霊園の方へ曲がってすぐのところに、エマの働くシガレットバー「Municipality Humidor」はある。ミュニシパリティ・ヒュミドール。直訳すると「自治体のヒュミドール」で、ヒュミドールとは葉巻や紙巻きタバコを保管するための保湿箱のこと。この店の外の世界でどれだけタバコが吸いづらくなっても、ここでだけはどうぞ気兼ねなく存分に。水タバコはないけれど、葉巻や手巻き用のシャグ、めずらしい輸入タバコはいつでも店内で買えるし、試し吸いすることもできる。この店自体が大きなヒュミドールってこと。バイトの面接で、店主の滝友介からヘラリとした笑顔でそう説明された通りのことを、正直覚えづらい店名ですよねーなどとへこへこしつつ、エマはたまにお客さんにも説明する。店に立つ、というのは、立っている間は店そのものになる、ということ。俺の代わりに立つっていうことじゃないよ。俺だって、この店に立っている間は店そのものになってる。まあ、つまり、あんまり気負わなくて大丈夫、ってこと。そんなこと言われてもな、と出勤初日のエマは思ったしいまもそう思ってはいる。でもたしかに、一週間、一ヶ月、半年、一年とここに立つ時間が蓄積されていくにつれ、店がわたしに、わたしが店にすこしずつ溶け出して、練って叩いて使われ続けた練り消しが日ごと木炭色に染まっていくように、エマは働いている瞬間瞬間で店になった。
 シガレットバーという名目だが、業態はカフェバーのようでもありコーヒースタンドのようでもあるし、ただの気の利いた軒先のタバコ屋のようでもある。日によっては店内利用客の飲酒や喫茶の売り上げより、ただシャグを買いに来ただけの人、テイクアウトでコーヒーやラテを買いに来た人からの売り上げのほうが多かったりする。時間帯によっても店の雰囲気は変わり、早番と遅番それぞれに身体の動かし方や気構えのコツみたいなものがある。早番はテイクアウトのオーダーや店外カウンターでタバコのみ買うお客さんが緩やかに立て続く瞬間がスポットスポットであり、平日ともなるとエマの立ち居振る舞いはコーヒースタンドのそれになる。比較的回転率のゆったりした店内では酒類がオーダーされることは稀で、出るとしたらハートランドの瓶かジントニックやハイボールくらいで、カクテルなんて滅多に出ない。それでもごくたまに、平日の早い時間にお店にやって来て、バーボンサワーなりダイキリなり、スプモーニなりパナシェなりを頼んで、カウンター越しのエマにとくに話しかけるでもなくテイクアウトカウンターの窓から見える往来をぼんやり眺めたり、持参した文庫本を開いたり、手帳や日記になにか書き付けたりしてのんびり過ごす人もいたりして、エマはそういう、いったい普段どんな仕事や生活をしているのか想像もつかない、けれど職場にいない時間もときおり顔の浮かぶ何人かにせっせとカクテルを作る時間がすごく好きだ。店に立つ、というのは、立っている間は店そのものになる、ということ。店そのものになる、ということは、自分の中で心地よく過ごす人の気持ちが、手に取るようにわかるということ、共感/共鳴/共振するということ。滝はエマにそこまでのことを言ったわけではなかったが、エマは滝の言葉を補完するように心の中で反芻する。お客様は神様?違う。お客様は自分の鏡だ。そして自分は店だ。店とはお客様で、お客様は店なのだ。神様みたいに崇め奉る存在ではなく、あくまでイコール。でも、だからこそ、店にやってくるすべての人間がお客様というわけではない……。
 夕方と呼ぶにはまだ早いような時間帯にテイクアウトのラッシュがあり、17時手前に今日の遅番の関昌一郎せきしょういちろうがやってきて、洗い物やグラスの棚戻しをしばらくふたりでこなしてから、外に出て簡単に引き継ぎをする。普段はカウンターの中で引き継ぎ事項を手短に伝えて帰るのだが、この日は店内カウンターが見知ったお客さんで埋まっていて、ちょっと離れても大丈夫、とエマは判断した。よく晴れた日の終わりの生ぬるくも冷たい風がエマと関の髪をでたらめに散らした。冬の終わり。すこし外の空気を吸いながら関に引き継ぎたかった。お疲れ様です。お疲れさま。今日はなんか、テイクアウトがへんな時間に立て続いて。ああ、ね、伝票見たわ。あざます洗い物。いやいや、あれくらいはね。えっと、まああとで見てもらったらって感じなんですけど、ハートランド発注するついでにリキュールそろそろ見たほうがいいかも、とか思っているうちにバタバタして手がつけられなかったんで。うん、うん。もし夜ゆったりめだったら裏見てもらって。ほい、ほい。あとは、あ、まあでもそれくらいかも。おけー、まあ適当にやること探すよ、グラインダー周りそろそろ掃除したいな。たしかに。滝さんそういえば今日も祐天寺だよ。滝は2号店を祐天寺にオープンさせる予定で、近頃は施工中のテナントやその近辺であれこれ打ち合わせをしたりメニューのコンセプトを詰めたりしているようだった。「Municipality Humidor」のアルバイトはエマと関を入れて現在5人。歴は関さんが一番長くてその次がエマ。あとの3人は最近入った面々で、祐天寺の店舗で早いうちから一人で立てるように、青山の外れにあるこの店で、関やエマと一緒に店に立ってあれこれ教え教わりつつ働いていた。だから、ひとりって久しぶりじゃない?たしかに、そうかも。俺も久しぶりだわ。へへ、じゃあまた明後日ですね。あれっ、あそっか明日の朝はシフト滝さんか。ですよ。んじゃあ明後日。お疲れ様です。お疲れ様。裏手に停めていた自転車に跨って、エマは赤く光る空を視界に収めながらペダルを漕ぐ。交差点を曲がり、YOKU MOKUを過ぎ、Apple Storeを過ぎ、サンダーを過ぎ、下がって上がって下がって上がる。井の頭通りの登り坂に差し掛かったところでエマは自転車から降り、身体全体で抗うようにして自転車を押して歩く。歩く。歩く。お昼過ぎ、テイクアウトが凪いでからしばらくのあいだ、店である自分とエマである自分が揺らいだ数分、今日も京都で同じように店に立ち働いているであろうアキのことを思い出し、ふと懐かしさが込み上げて、レジ下からブロックメモを取り出してボールペンで雑に描いた店とお客さんのスケッチ。あれ、捨て忘れてしまったな。そんな手慰みのような行為をサボりと誹られるような職場でもなければ、茶化すような関でもないのだが、だからこそエマは恥ずかしい。どこかから、熱心に話し込む若い男数人の声がして、別の場所からはパンと裂けるような笑い声。それら街の音の隙間に糸を通すように、ああっ!とエマは小さく声に出してから、拳で自分の腿を何度か弱く叩く。

カーセックス(15)

 ヤマグチとウチムラは見つめ合った。そして互いにフロントガラス越しの外の光景を眺めた。
 市街地から車で1時間ほどかければたどり着く、だだっ広い山頂駐車場の一角で、ヤマグチとウチムラは身体を舐め合っていた。ふたりの身体の汗や熱が車の窓を曇らせ始めたころ、指向性の強い光が遠くから徐々に近づいてきて、やがてその光の出処は車の形を成して1台、また1台と駐車場へ侵入してきた。ヤマグチはウチムラの身体に覆いかぶさるようにして窓の下に隠れ、ふたりは息を殺した。あとからもう2、3台、音や光の加減で侵入してきたのが伝わり、なに、なに、とウチムラはヤマグチの耳元でささやいた。こんな時間に、こんな場所に来るなんて、ろくな奴じゃない。そう思ってからヤマグチは、では我々は? と思い直して静かに笑う。我々はまあ、ともかく。たったいま、立て続けにやってきたあいつらは、いったい何しにここへ来たんだ? ドアやトランクを開閉する音が断続的に響き、かすかに漏れ聞こえる声だけでは正確に判別できないが、3〜40代ほどの男女数人におそらくちいさなこどももひとりふたり混じっている。どうする? とウチムラ。どうしよう? とヤマグチ。……とりあえず服、服着よう。しばらく経ってからどちらからともなく言い合って、ふたりは互いの腕を何度かぶつけながらいそいそと服を着た。ヤマグチがジーパンのベルトを締め、ウチムラがサマーニットに袖を通したころ、駐車場の奥では焚き火が燃え盛り、謎の集団のひとりが持参したのであろう時代錯誤な大型のラジカセからはハーモニカを暴れ吹いているような音が再生されていて、焚き火を取り囲むように置かれたキャンプ用の椅子では銘々がなにかを飲んだり言葉少なに話したりしている様子で、ひとりだけ人の輪からやや外れた場所に立ち、人差し指と中指を立てた手や顔を焚き火のほうへ向けたり頭上へ向けたりしながら大声で何かを唱え続けていた。繰り返し繰り返し聴いているうちに、ヤマグチには「〜ドラア、〜ンヌラア、レントアア、エントラア」、ウチムラには「ベントゥラア、ベントゥアア、エントゥアア、ン〜トゥアア」という音としてそれぞれの耳に入ってきた。呆然と目の前の光景を見ていたウチムラはハッとし、行こう、出ようここ、とヤマグチの腿を揺すった。言われたヤマグチも遅れてハッとし、車を走らせ、ふたりは山を下った。鬱蒼と繁る杉林にくり抜かれた空から、流れ星にしては激しい光が山頂の方角へ流れていったのを、ヤマグチもウチムラも目撃したが言葉にはしなかった。

梶沙耶の愉快な一年(7)

 風光り罫線で支えた言葉

オリエンタル・チャーム

【総勢一人の百鬼夜行】
https://■■■■■■■■■■■■■■■■.hatenadiary.org/

2010-01-26
〈TSUTAYAスパイラル〉
から抜け出せない。どうも総勢です。寒し、眠し、あべし。金欠だ。ひでぶ。
CDを1泊2日で借りる→翌日、学校帰りに返却する→どうせならまた借りてくか→CDを一泊二日で…(以下略
これがTSUTAYAスパイラル。
見事にはまってしまった。抜け出せない。
今日もまたCDを借りてしまったんだ。
東京スカパラダイスオーケストラとRADWIMPSのアルバム。RADWIMPSは初めて借りた。聴かず嫌いはよくないからな。只今iTunesに絶賛インポート中。
しかし、どんどん財布からお金がなくなっていく。
本とCDと映画館に消えていく。
もう、お札がない。
寂しい。
今日はメダロットDVD-BOXの発売日。だが買えない。当たり前だ。そもそも買うつもりもなかったのだが。はっはっは……。

2010-01-27
〈魔法陣グルグルみたいな〉
おなかいたい。ああもう。おなかってなんでこうすぐ痛くなるかな。ああどうもどうも総勢っすうっすうっす……。
高2の3学期ってさあ。なんというかこう、へんな時期ですよね。
高校生ライフも板についてきて、高校生活もなーんか繰り返し繰り返しで。
もういいかな、とか思いつつ、果てしないな、とか思いつつ。
だがしかし差し迫る大学受験ってやつ。みんな牽制しつつ勉学の気配むんむんなわけです。
真面目に不真面目。そう魔法陣グルグルみたいな。みたいな?

こどものころ、親に連れられてダイエーに行ったときに
魔法陣グルグルの10巻だか11巻だかを買ってもらって、その巻だけ何度も何度も読み返していて
そういうのってありませんでしたか。長編漫画の、途中の巻だけわけわかんないまま読んで
でもなんか空気感だけはわかるから、その空気感をずっと、スルメみたいにかみかみする感じ。

でもスルメだって、いつかはぐずぐずになって飲み込むタイミングが来ちゃうわけで。
あららなんだか感傷的。んではでは。総勢でした。

2010-01-28
〈Σー!うしろうしろ!〉
ダジャレ的なね。数学の授業中にふと思いついてニヤニヤしてしまいましたわ。どうも総勢です。
いやあなんかね、ここ最近ずっと考えていたんですけど、やっぱ映画かなと。
今年も映画を撮るっきゃないかなと。今年度じゃないですよ。今年。
受験?
しらんよ。いやしってるよ。でもしらんよ。
今日の昼休み、学食でkaiに「やっぱ映画だと思うんだよね」とか大見得きったら
あの子『インスタント沼』パッケージの麻生久美子みたいな顔してやんの。
もうやるっきゃないでしょうこれは。kaiに麻生久美子顔されたらもうクランクイン待ったなしですわ。
次のPodcast収録までにタイガーにも打診して、いや懇願して、やったろうじゃないの。
受験?
わかってますよ。いやほんとに……。

でもこれだけは言わせてください。
科学の授業は読書の時間。ではでは総勢でした。

2010-02-05
〈もう、かえってもええかなぁ?〉
ドラマ『木下部長とボク』。よいですよ。どうも総勢です。
「もう、かえってもええかなぁ?」これ木下部長とボクのキャッチコピーなんですけども
俺もずっと思ってますね。なんなら学校から家に帰ったあとも思ってる。どこに帰るっちゅうねんな。母胎か?

今日も今日とてTSUTAYAにCDを返却してまた新しく借りるという、輪廻転生もかくや、みたいなスパイラルから抜け出せない、ゆとり教育が生んだ天衣無縫の無神論者こと総勢なわけですが。
今日はね、相対性理論の新譜と、ジョゼ虎のサントラ(くるり)と、あとはね、ジュディマリのトリビュートアルバム。これはジュディマリ結成15周年? 記念? に企画されたものっぽいすね。
インポートして早速聴いてるわけなんですけどもいいすね。
スネオヘアーの歌う「小さな頃から」なんてもう、もう……、どうしろと?
真心の「ドキドキ」もよかったね。カラオケに入ったりするんだろうか。真心バージョンで歌ってみたいものよの。

コメント返信
>味噌バタ子さん
いやほんと、返信滞りまくっていてすんません。許してほしい。
そしてドロヘドロ!!!むっちゃおもしろいですよ。マジで。保証します。一緒に追いかけていきましょうや。
あと最近読んで良かったのはアンソロジーで、『昨日のように遠い日』というやつですね。
古今東西の、少年少女にフォーカスされた海外文学を集めたアンソロジーです。
装丁がねえ。いいんすわ。安定のクラフト・エヴィング商會です。
全体的にファンタジー濃いめで、個人的に好きだったのはウォルター・デ・ラ・メア「謎」、マリリン・マクラフリン「修道者」すね。特に「修道者」のほうは、登場するおばあちゃんの生活の描写がね、とっても綺麗です。
あーあと、あと〜、ダニイル・ハルムスの「トルボチュキン教授」もよかったですね。これも収録作品です。
アンソロジー本とかトリビュートアルバムとか、なんか俺はそういうのが無性に好きなんですけど、
『昨日のように遠い日』、良かったす。ちょい薄めの単行本に2000円払うのは抵抗ありましたが、買ってよかった。
そろそろよかったよかったうるせえのでこの辺にしときますね。

2010-02-18
〈窮鼠猫を噛む、とは言うけれど〉
友達がなにか悩んでいるとき、落ち込んでいるとき、傷ついているとき、なーんかダルそうなとき、
かける言葉ってなくないですか。

大丈夫?とか、うるせーって感じだし(すくなくとも俺は言われたくない)

元気出してとか、くたばれって感じだし(すくなくとも俺は言われたくない)

きっと良くなるよとか、あ?って感じだし(すくなくとも俺は言われたくない)

心配してる、とか、なんかあった?とか、どうした?とか、おなかでも痛いのか、とか、これ食って元気出せ、とか、故郷のお袋さんも心配してるぞ、とか、だから早く白状するんだ、とか、お前がやったんだな?とか、そんなもの観てないではやくテレビ消してお風呂入りなさい、とか、はーい、とか、返事だけは一丁前にするんだから、とか、うるせえクソババア、とか、そのクソババアのケツからアンタは生まれたんですよ、とか、ちょっと出かけてくる、とか、どこ行くの?とか、そこらへん走ってくるだけだようるせえな!とか、夜の川とか、風とか、切れかかっている街灯とか、セブンイレブンにたむろってる幼稚園生時代の友達とか、突然鳴る目覚まし時計とか、ああ夢か……とか、おはよう、とか、行ってきます、とか、心とかからだとか、人間の全部、オリンパス。とか。そんなの全部全部、すくなくとも俺は言われたくないし、そうなってくると、もうどうしたらいいかわかんなくて、心配な友達の目の前でただ、ダラーっと過ごしちゃいますね。それもどうなの。ではでは総勢でした。

【2003年】

 天井。三角、三角、三角、三角。線、線、線。
 黒、白、青、ピンク。六芒星。丸く切り取られた窓、空。点々と明かり。
 広い、遠い、高い、天井。
「トラ」
 眼をとじる。
「トラ」
 とじるとわかる。かたい床。けれどやわらかい床。
 声。足音。たくさんのちいさな声。いろんな人の声。
「ねえ。トラ、寅彦、ちょっといっかい起きなさい」
 眼をあける。
「あんた、いまのうちにおにぎり食べちゃいなさい」
 ぼくは上半身だけ起こし、伸びをしてから腰を左右にひねり、そしてママを見る。
「あとでお腹すいてもしばらく食べられないから。ほら」
「いい」
「いいの?」
「うん。……いや、やっぱ食べる」
 昨晩、バスに乗る前にコンビニで買ったツナマヨおにぎりをママからふたつ受け取り、ビニールの包みをはがして、かわいたのりのばりばりとした感触をとくに気持ちいいともわるいとも思わずに受け入れて食べていく。ほんとうは昨日の夜にバスの中で食べてしまうはずだったのだけど、コンビニおにぎりのお米はなんというかナマっぽすぎて、きもちわるくなってしまいそうだったから食べずにとっておいた。バスの座席に座ったまま眠るのがぼくは苦手で、夜、高速バスに乗るときは、いつもママが用意したブルーシートを座席の下のわずかな床面にしいて、ママの足元で、バスの駆動音と熱を肌で感じながら赤子のように縮こまって眠る。ここは名古屋。ドーム状の巨大な空間のなかに、所狭しと、それでいて規則正しくしかれた毛布のようなマットのようなものの上に、ぼくたちを含めた大勢の人間が座ったり寝転んだりしていて、ぼくはさっきまで、鉄骨のような素材が正三角形に組み込まれ、中心に向かうにつれて緩やかに高くなっていく天井を、大の字に寝転んでじっと眺めたり、周囲のしずかなざわめきに耳をすませたりしていた。
 いつも行く、岐阜の山のなかにあるほうの施設とは違って、ここは例祭専用の宗教施設ではない。それくらいは、ママに聞かなくてもなんとなくわかった。ぼくは行ったことがないから想像することしかできないけれど、きっと幕張メッセとか、ビッグサイトとか、そういう類のものだ、ここは。だいたい1ヶ月に1度くらいの頻度で行く岐阜の施設とは違って、名古屋のこの場所に集まるのは年に1回とかそれくらいだから、ぼくはこの状況をいつもけっこう新鮮に楽しめている。それに、こんな大きなホールのど真ん中で、大の字に寝転んで、天井をぼんやり眺めるなんて、きっとそうそう体験できることじゃない。夜通し乗り続ける行きの高速バスも、千葉から岐阜までに比べたら、千葉から名古屋のほうが、なんとなくしんどくないような気がしていて、それはきっとママもそう。なんといっても山じゃないから、12月の寒さもあまり手厳しくないように思えて、合間合間の時間にドームの外に立ち並ぶ焼きそばやたこ焼きの出店の間をふらふらと歩くのも楽しい。
 ママは新興宗教の信者だ。そしてぼくも、ママのお腹の中にいたころからいまに到るまで集会所に通い続けているから、信者ということになるのだろう。でもママは、新興宗教という言葉も、信者という言葉もあまり使いたがらない。ママはいつも自分の信仰する宗教を世教せいきょうと呼び、自らを含めた信者のことを先達者せんだつしゃと呼ぶ。宗教、とくに新興宗教のような、カルト的な存在ではなく、もっと広く世の中で信じられている、信じられるべき存在である、ということらしいし、わたしたち(と、ママはぼくを含めてそういう言い方をよくする)が世界の先達になってこの世の終わりに備えていくのだ、ということでもあるらしい。先達者は世界中にいるみたいで、岐阜での月に一度の例祭や、今日のこの名古屋での年に一度の例祭に向けて、飛行機でやってくる海外の先達者も大勢いる。ブラジルやガーナ、それからフランスなんかに大きな支部があるのだ。ぼくはそれを、ママに連れられて毎週のように通っている最寄りの集会所がときおり行うパネル展示によって知った。
 ママが世教の先達者であること。そしてぼくが、ママに連れられて岐阜や名古屋の例祭に行ったり、毎週のように集会所に行ったりしていることは、学校のみんなには言っていない。みんな、たぶん知らない。ガンバも、チートスも、コトも、ミヨシも。みんな知らない。
 パパは知っている。
「あ、はじまる。はじまるよ。ほらトラ、正座して」

−−−−−−−−−−

 例祭の会場である岐阜や名古屋から帰りのバスに乗り、千葉の集会所に着くのはいつも夜の8時とか9時で、そこから解散して、大抵は帰る前にサイゼリヤとかとんかつ和幸で晩御飯を食べて、家にたどり着くころには22時を回っていて、当然パパは先に家に帰っている。
 今年の夏の終わりは特にはげしかった。
「おい」
 玄関の鍵を開け、靴を脱ぎ、ぼくとママがリビングへ入ってきた瞬間、パパはつかつかとママのもとへ歩み寄って、ママのおでこを片手でわしっと掴み、そのまま力一杯、壁に押し付けた。
「てめいままでどこに行ってたんだよ。あ?」
「ちょっとやめてよ」
「どこ行ってたかって聞いてんだよ」
 ごん、ごん。ごんごんごんごん。ごん。
「ちょっと、痛い。やめて」
「おい」
 ごんごんごんごんごん。
「やめてって言ってるでしょ!」
「ああ?」
「やめて!」
「おい、どうした。神様のとこに行ってきたんだろ。教祖様のとこに行ってきたんだろ。だったらいま、止めてみろよ。おれを止めてみろよ。世教の先達者かなんだか知らねえけどいまおれを止めてみろよ。くだらねえ力で止めてみろよ。なあ。止めてみろ。おい。止まんねえな。なあ!!!」
 ごんごん、ごんごん、ごんごん。ごんごんごんごん。
「いんあっ、むぅぬぐ!あ!あ!あ!いやああああああ!!!!!!!!」
 ごんっ。動物みたいなママの叫びをさえぎるようにパパがママの頭で壁を鳴らす。
 パパはママのおでこから手を離し、踵を返してテーブルの上のビールグラスを手に取り、きれいなフォームでぼくとママがいる方向とは逆の壁に向かって投げた。衝撃に似つかわしくない軽い音が鳴り、グラスだったものがきらきらと光の破片になって床に散っていく。ぼくにはその光景がスローモーションで見えた。
「あーあ、それ掃除するの大変なんだよ」
 ぼくより幼い女の子みたいな口調でママが言う。いーけないんだいけないんだ、みたいな声色で。あーあ、はこっちのセリフだよ、とぼくは思う。その一言さえなければ、あとは静まっていくだけだったのに。
 大人って、学習しないんだろうか。
「おい」
 背を向けたままパパが声を発する。
「ガキはもう寝ろ」
 コトはいまごろ寝ているだろうか。ミヨシはいまごろ寝ているだろうか。
「聞こえなかったのか」
 ガンバはいまごろ寝ているだろうか。チートスはいまごろ寝ているだろうか。
「いったあ。いたーい。そうやってすぐ暴力を振るうのっていけないんだよ」
 パパがこちらを向く。ガンバ、チートス、それから5年ではじめて同じクラスになったヒロポン、バヤシの5人で観に行った『千と千尋の神隠し』、ヒロポンがやる坊の真似が全然似てなくて笑いすぎて自転車からこけそうになった。ミヨシの伸びた髪は走るときによく揺れてきれいなんだよな。パパがこちらへ歩いてくる。ミヨシ。新しいクラスでも、いじめられなくてよかった。ミヨシ。ミヨシもコトも別のクラスになってしまって、コトは体育の時間にカツラとカツラで隠していたハゲがバレてしまっていじめられ始めているけど、でも、コト、大丈夫。パパがぼくのお腹を足で押してぼくはふらついて。大丈夫。ふらついたぼくにパパは肩を前に出した姿勢で体ごとぶつかりそのまま壁になすりつけるように力をかける。「ねえこどもにはやめてよ!」。コト、大丈夫。「言ってもわからないなら体にわからせるしかないからな」。パパの口から濃いアルコールと動物が生きているにおい。来月の林間学校、ぼくはぼくのやり方で。ごがんがんががんがんがん。ぼくの頭で壁が鳴っている。そうしていつのまにかぼくはベットのなかにいて、枕の下からいつものようにマイナスドライバーを取り出して、両手で握りしめて眠る。眠ろうとする。
 それが、一番はげしかった例祭帰りの夜。9月。夜の空気はもう涼しくて、トイレのドアは一部が凹み、リビングの壁には新しい穴があく。ぼくはそれらを次の日の朝、とくべつな感想もなくただ視界に収めていた。

−−−−−−−−−−

「漫画。はい」
 例祭は滞りなく終わり、ドームは朝以上のざわめきに包まれている。海外も含めた全国各地の支部ごとに手配された大量の高速バスに、集結した先達者たちが手際よく乗り込んでいくため、時間差で退場指示が出される。関東地方の各支部に退場支持が出るまですこし時間がありそうだった。
「おう。どうだった?」
「面白かった。これってもう完結してんの?」
「いや、してないはず。俺も全部は読んでなくて。途中で買うのやめたんだよな。でもまだ家に何冊か続きあるから、今度貸すわ」
「イエーイ最高。イエローのポケモンが一斉に進化するところ、めっちゃよかった」
 世教には、ぼくみたいに親に連れられて例祭に来るこどもがたくさんいる。普段行く集会所にもたくさんいて、住んでいる場所も、通っている学校も、年齢もばらばらだから、ぼくは世教のなかでは、学校のときとはすこし違うテンションでいる。名古屋に着いてから例祭が始まるまでの長い待ち時間のとき、ぼくとママが座っていたエリアにやってきて漫画を貸してくれた近松に、はしゃぐようにタックルしてから漫画を返す。
「あついよな。そう、ポケスペのそのへんはあついのよ」
 近松はもう高校2年生で、ぼくよりずいぶん年上だけど、世教のとくに成人前後くらいの年齢からぼくらくらいの年齢までの先達者(だいたいぼくくらいの年齢の先達者を少年組、近松くらいの年齢の先達者を青年組と呼ぶ)には年功序列みたいなものがぜんぜんなくて、ぼくは年下が年上に敬語を使う場面を見たことがない。大人の先達者たちにはまた違った関係性や力関係があるみたいだけど、すくなくともぼくらは、ここでは対等な友達同士だった。同じ集会所からここへやってきた近松は、けれど行き帰りのバスは別便になってしまって、会えるのはいまこのドームか、帰りのトイレ休憩中か、千葉に帰ってから。借りた漫画を汚したくなかったから、いま返せてよかった。
 ぼくはこれまで近松に、いろいろなことを教わった。Queenの携帯ファンサイト、良いヘッドホンで聞くBUMP OF CHICKEN、ゲーセンのギタフリ、ドラマニ、美味しいたい焼き屋で買い食いすること、合気道のかんたんな技、受け身の取り方、オナニーという言葉、パイパンという言葉、中学に上がってからはじまる体の変化、声変わり、オナニーの仕方、コミケで買い込んだたくさんの同人誌。
「そうだ。トラ」ぼくから受け取った漫画を手の中で軽く叩きながら近松は言った「お前太鼓やらないか。入れよ太鼓部」
 少年組から青年組の先達者が入ることのできる、太鼓部という活動が世教にはあって、ときどき行われる全国演舞で各支部ごとに腕を競ったり、いくつかの支部が合同で神社に奉納演舞を行ったりしていた。
「お前が入ってくれたらうれしいんだけどな〜。いまちょうど青年組から何人か退部するってことで、新しい部員を募ってるんだけど」
 近松はなにかと理由をつけて、ぼくを太鼓部に入れようとしていた。
「やんねえよ」
「んなこと言わずにさ……。まあいいや。お前が入るまで俺、これ続けるから」
「最悪」
「んひへへ。あ、うちらのとこ退場支持出始めたな。んじゃ行くわ」
「やんないからな」
「わかったわかった。またあとで」
 しばらくぼくのいる方向に体をひねって手をふりながら歩いて、それからスッと体を戻して近松はすたすたと人ごみに紛れていった。
「ママ。ぼくらも行こう」
「………………………………………………」
 ぼくと近松がしゃべっている間、ママはずっとぼくの足元でカタツムリのように丸まっていて、ときおり頭をはげしく掻きむしったり、両頬を自分の両手でピシャリと打ち付けたり、鼻をはげしくすすったり、すすった勢いで咳き込んだりしていた。
「ママ……、ママ!」
 例祭のとき、ママは大抵こうなる。ママのなかの先祖の霊や前世の霊が苦しんで、ママの心に悪さをするらしかった。それがほんとうかどうかをぼくに確かめるすべはないし、ママにもないのかもしれない。でもママやママ以外の先達者がそう言うのだから、ぼくとしては受け止めるしかない。
「……ぁ」
「ママ!行くよ!」
「あっ!」
 ママはカタツムリの姿勢から器用に背中だけビクンと跳ねさせて、それから数秒静かになって、ゆっくりと顔を上げた。
「……あぁ。はい。ごめんねトラくん。行こっか」
「うん、行こう」
「あれ。近松さんとこの正晃くんは」
「もう先に行ったよ」
「ああ、そう。はい、はい、……はい、行こう。行こうね」
 そう言いながら、涙と鼻水でべしょべしょになった顔をハンカチで叩くように拭い、ママは立ち上がる。これからバスに乗って、来た道を戻って、夜には集会所の近くに着く。バスがいつも立ち寄るパーキングエリアで巨峰のソフトクリームを買ってもらうのをぼくはいつも楽しみにしていて、大人の先達者たちは帰りのバスのテレビ画面で観る『男はつらいよ』や『釣りバカ日誌』のビデオテープをいつも楽しみにしている。そしてまた明日から、ぼくは学校へ行く。

−−−−−−−−−−

 5年からぼくのクラスの担任になった田口は4年のときの柏木とどこか似ていて、言動の端々にどこか嘘っぽいやさしさが宿り、それでいて基本的にはぼくたち生徒に過干渉しないタイプだったから帰りの会が終わるのも早く、5年生全3クラスのなかで生徒が教室から放課後の廊下に解き放たれるのもいつもぼくたち2組の面々が一番早くて、
「もれ彦またなー」
「もれちゃん彫刻刀ありがとな」
「おーいもれぞう、ばーか、呼んだだけー」
「トラ今日は待たずに帰んの?」
 チートスが割烹着の入った白い袋をげしげし蹴りながらこちらに歩いてきた。
「コトは休みだしミヨシは用事があるって。バヤシとガンバは?」
 チートスはこのごろ、バヤシとガンバの3人でだらだら帰ることが多かった。
「バヤシは……、あいつ今日アドバンスと通信ケーブル持ってきてんだよ。ランドセル隠して、一旦帰ってまた戻ってきたんですってフリして朝礼台の下でヒロポンとエグゼ3やるんだろ。おれはパス。3組の帰りの会待つのもたるいし帰ろうぜ」
 つらつらと語りながらチートスはひたすら白い袋を蹴り続けている。
 それでぼくとチートスはふたりで教室を出て、階段を降りて、上履きからスニーカーに履き替えて、下校路を並んで歩いていた。
 ぼくの通う小学校では、2年から3年、4年から5年に上がるときにクラス替えがある。5年のクラス替えでそれまで一緒だったミヨシ、コト、ガンバとは別のクラスになってしまった。コトは1組、ミヨシとガンバは3組、そしてぼくとチートスは2組。コトとミヨシは3年4年と同じ組で、ガンバとは1年から4年まで同じ組だった。チートスは1年から同じ組だったから、ぼくはチートスと6年間同じ組ということになる。チートスにはすこし悪いけど、これが腐れ縁というやつなのかもしれないとぼくは思った。コト、ミヨシ、それぞれバラバラのクラスに分けられたことがぼくはいまだに新鮮にさみしく、でも12月ともなるとさすがにその環境にも慣れてきて、放課後、1組と3組の帰りの会が終わるまで廊下にたたずむ時間も、すきでもきらいでもない、ただ当然の時間として過ごせていた。
「蓼原とラッシー、あいつら付き合ってるらしいな」
「ああ、な」
 チートスの家はぼくの家とは方角が違う。校門を出て、ぼくはすぐに右に曲がるけどチートスはまっすぐ進む。けれど今日はチートスも右に曲がってぼくの横やすこし後ろを歩いたりしてなんでもない話を続けながらずっと同じ道をついてくる。
「このまえ手ぇ繋いで登校してたぜ。堂々だよなあ」
「付き合ってどうするんだろうね」
 理由も意味もわからないけれど、まあ、そういうことだってあるよな、と思いながら、特につっこんだことは聞かずに、ぼくはチートスと話しながら大小さまざまなマンションのすきまをくぐり抜けるようないつもの下校路を歩いた。チートスとこうしてふたりきりで話したり過ごしたりするのは、そういえば5年に上がってからは初めてのことかもしれない。運送会社のトラックがぼくたちの脇をゆっくり通り過ぎ、止まり、すこしバックをしてからまた止まり、運転席から動きやすそうな制服を着た人が降りてきて、荷台の扉を慎重に開けていた。
「どうするってどうするもこうするもないだろ」
「あ、そこ犬のフンある」
「あぶねっ」
「そうだ。ガンバがさあ。当てただろ、パックマン」
「あれか!ゲームキューブの!」犬のフンを踏みそうになってしばらくのろのろと歩いていたチートスが、ランドセルのなかの教科書をがたがた鳴らしながら小走りで近寄ってくる。
「そう。コロコロの。コロコロだったかな?抽選で」
「あいつそういう、応募して当てるやつ得意なんだよな」
 ガンバは3年生のころ、ゲームキューブの本体もはがきで当てている。ガンバ曰く、そういうものにはコツがあって、「当ててくださいとか、当たるといいな〜とか、当たれ〜、とか。選ばれたいとか、……とにかく、そういう邪念を一切入れないようにしながら、でも、ていねいに住所とか名前とか、書いて、なんにも考えないようにしながら、ポストに入れる。それをずーっと繰り返す。……繰り返していると、忘れたころに」なにかが当たる、ということらしかった。とにかくなにも考えない、ぼんやりすることが大切らしい。それがほんとうに当てるコツなんだとしたら、たしかにガンバが得意なのもうなずけた。
「あれやっぱマックス4人でやるのがいちばんおもしろいみたいでさ」
「おれよくわかってないんだけど、パックマンなの?ふつうの」
「うーん。うん。だけど対戦なんだよ。パックマン側と敵側、おばけ?側に別れて逃げたりする」
「やろうぜ。おれガンバに言っとくわ」
「なんか、バヤシもヒロポンも、そういうレトロはハマんないみたいでさ」
「だからあいつおれらと帰るときには言ってなかったんだな」
「あいつらはいまエグゼしかやってないだろ」
「そうなんだよな。おれもロックマンはちょっと。つかエグゼがちょっとな。ゼロ2はいまもたまにやるんだけど」
「だれがいいかな。おれだろ、ガンバにチートスに、あとひとり」ぼくは5年に上がったころから、学校のみんなの前では自分のことをおれと言うようになっていた。「それこそラッシーか?」
「コト呼ぼうぜ」ガードレールをイルカが跳ねるように左手で叩きながらチートスがさらりと言った。
「コト。ああ、」チートスがわかるかわからないか、くらいの微妙な間。「たしかにコト、意外とそういうちょこちょこしたゲームやるんだよな」
「まじ?そうなんか」自分で提案しておいてチートスは真剣に驚いたふうだ。
「うん。じゃあおれはおれでコトに言っとこうか」
「決まりな。ぬはーっ」両腕を腰ごとぐんぐん捻りながらチートスは大股で数歩進み、「いつがいいかな」顔を空に向けてすぐに戻した。
「まあコトも忙しいからな。次会ったときに話すよ」
「頼むぜトラ」ぼくの肩をぱんぱんと軽く叩いてチートスは言った。ちょうどそのあたりにできていたアザにチートスの手のひらが当たって、ぼくは一瞬、身を硬くする。「ビクった?なんで?」チートスが不思議そうにぼくの顔を眺めるが、ぼくはなにも言わずにランドセルを背負い直した。
 コトは中学受験に向けた勉強のために、5年に上がってからは受験用の学習塾に通い詰めている。今日も病欠ではなく、受験勉強のために学校を休んでいるらしいが、ほんとうのところはよくわからない。
 そうして話しながら歩いているうちにぼくの家の目の前まで来てしまって、ぼくたちは道端にだらりと突っ立って向かい合っている。
 ぼくの家の前に着いてからもチートスは帰ろうとせず、なんとなく話したいことがありそうな沈黙をしばらく続けてから、じゃあな、とぼくが言いかけたところで、
「このままトラんち、上がっていい?」と言った。
「だめ」
「なんか用事あんのか」
「ない。けどだめ」
「だよなあ」肩を腕ごとだらりと下げ、のっぺりした声でチートスは言った。「おれはなあ、一度くらいお前んちで遊んでみたいぞ」
「なんでだよ」
「なんか、気になる」
「気にすんな」
「いーじゃん」
「おれんちはな、遊べる家じゃないの」
「それいっつも言うよなあ」チートスの両腕がだらしなくぶるぶる揺れる。
「とにかく」とにかく、なんだろう?言ってからぼくはしばらく考えた。「……もう帰れ。おれは帰る」
 小学5年生らしくない幼さで、えーっ、とちいさく叫ぶチートスに背を向けて、ぼくは家の敷地に入り、玄関に鍵を差し込む。
「じゃあな、また明日」
「この借りは必ず返すからな!」玄関扉が閉まる直前、チートスがそう叫んでいるのが聞こえて、ぼくはちらと振り返る。振り返るころには玄関扉はもうほとんど閉まりかけていて、だからチートスの姿はもう見えなかった。
 借り?
 なんのことだろう。意味がわからない。
 窓からもれる外の光だけで照らされたうす暗い家に電気をつけていき、カーテンを閉めていく。この時間、パパは仕事だし、ママはたいてい集会所に行っているから家は無人だ。リビングが、キッチンが、外の光に照らされたよそよそしい質感から人工的な光に照らされた親しげな質感に変わる。その対比がいつも不思議で、だからぼくはこうしてだれもいない家に帰る瞬間がそんなに嫌いではない。というより、嫌いではないと思うことにした。放課後、家には帰らずに、コトやミヨシと一緒に真間川を下り水門のあたりまで歩いて夕暮れまで過ごすことの多かった3、4年のころと比べて、コトにはコトの、ミヨシにはミヨシの、それまでとは違った毎日のリズムがクラス替えによって否応なく出来上がりつつあったから、それは仕方のないことだった。なによりミヨシのクラスにはガンバがいる。ガンバがなにかしてくれるわけでもないが、ガンバがいるだけで保たれる治安があることもたしかで、ぼくはミヨシがガンバと同じクラスに割り振られたことにかなり安堵していた。そしてコト。
「もれ彦ー」
「もれちゃーん」
「もっちゃんまたな」
「もれぞうやーい」
 放課後の他愛無い呼びかけが頭の中で繰り返される。ぼくは手を洗い、うがいをし、ランドセルをソファに投げるように置いて、リビングの隅に置かれているデスクトップパソコンの前に座り、電源ボタンを押す。
 9月末に行った林間学校、その全体レクの時間にぼくは5年生ほぼ全員のいる場でおしっこを漏らした。その日から、ぼくはクラスをまたいだ多くの同学年から「もれ彦」「もれちゃん」「もれぞう」「もっちゃん」などと呼ばれるようになっていた。
「一つ一人の姫はじめ〜、右手よ今年もよろしくな〜」
「あ、そ〜れ!」
「ちんっこも〜みも〜みも〜みもみ〜」
「ちんっこも〜みも〜みも〜みもみ〜」
 近松からのメールで知ったおもしろフラッシュ倉庫にアクセスし、ちんこ音頭のリンクをクリックして、カクカクと歌い踊るさまざまな頭身のアスキーアートを眺めながら、ぼくはコトやチートスのことを考えていた。4年が終わるころまでは、どちらかというと、コトがチートスのことを気にかけていた。気にかけていたというか、気になっていたというか。もしかしたら好きなのかもしれないな、という微妙な気配があった。それがいまは逆転している。チートスはコトが気になっているのだろう。そしてチートスは、以前コトに意識されていたことに気づいていないし、コトがもうチートスへのそういう意味での興味を失っていることにもおそらく気づいていない。チートスってあんなに幼いキャラだったっけな、とぼくは最近たびたび思うのだけど、もしかしたらそれは、からだの成長や上がっていく年齢や学年が、チートスの心の成長スピードを追い抜いていってしまっただけなのかもしれない。あるいはぼくが、これまでチートスのことを見誤っていただけって可能性もある。チートスは3年のころ担任の柴井にいじめられ続けていて、体罰こそなかったが1日に何度も理不尽に怒鳴られたり他人の失敗をなすりつけられたりしていた。この柴井というやたらガタイの良い彫りの深い肌の浅黒い男はとにかくおかしな教師で、体育の授業のほとんどは柴井オリジナルの「ひっぱりっこ(クラスを2チームにわけて敵チームの身体や衣服をただただ全力で引っ張りまくるだけ)」「ひまわり(校庭の地面に足で大きなひまわりを模した簡素な線を描き、クラスを2チームにわけて、片方のチームはひまわりの絵の外から円を描くように、花びら部分をけんけんぱの要領で進み、もう片方のチームはひまわりのつぼみ部分に密集して、けんけんぱで進む敵チームをひたすら押して花びらの外に出すだけ)」などのレクに費やされ、各教科の授業中は「この問題、わかるひと?」という問いかけのあとに「手を挙げて!」と柴井が命令するまで手を挙げることも発言することも固く禁じられ、どうしてもトイレを我慢できなくなったときはその場に立ち上がって「先生!」と申告し、教卓の前でクラス全員に向けて「トイレに行ってきます。授業を中断させてごめんなさい」と必ず言わせ、給食の時間に食べ残したものは素手で鍋に戻すというルールが強制され、全体的に女子に甘く、男子に厳しかった。チートスには特別に厳しかった。
 きっかけは音楽の授業だ。
 その日は楽譜の読み方の初歩の初歩、みたいな授業内容で、柴井は黒板にいくつかの音楽記号をでかでかと描き、「え〜これは、ト音記号、ですね〜。え〜、で、これは……」と説明していた。そのとき、
「ヘ音記号だ!」
 唐突に、手も挙げずにチートスが言った。チートスには歳の離れた姉がいて、姉はピアノを習っていたから、すでに知っている記号がたくさん出てきてテンションが上がったのだろう。気持ちはわかる。でも柴井の前でそのテンションになってはいけなかった。柴井はピタリと動きを止め、上げかけていた腕をおろしてチョークを静かに黒板に置いた。「あのな?」黒板を見つめたまま柴井が声を出す。3年2組の教室全体がピンと張り詰め、あ、これ知ってる、と当時のぼくは思った。パパの機嫌が悪いときとおんなじだ。柴井はゆっくりと声を発し続ける。「おれはな」「音楽が」「とっても、苦手なんだ」「だから」「だからな」「ヘ音記号は」ここで柴井はスッとクラス全体に向き直り、教卓の縁に両手を着いた。一瞬の沈黙。
「おれが言いたかったんだああああ!!!!!!!!!」
 当時3年2組に所属していたぼくたち(主にそのなかでも、ぼく、ミヨシ、コト、ガンバ、チートスとその周辺)は、その日の出来事を「ヘ音記号事件」と呼んでいる。
 作文の時間、すこし耳のあたりをかいただけで「作文中に耳をかくな!」と言われたり、給食の時間「箸の持ち方が汚い。お里が知れるぞ」と背後でじっとりと観察され続けたり、「ヘ音記号事件」以来、柴井はとにかくチートスに対して粘着質に接するようになった。酷かったのは帰りの会で、柴井は帰りの会の最後にも定期的にオリジナルのショートレクを行うのだったが、そのバリエーションのなかに「オカマゲーム」というものがあった。
「わたしオカマよぉ〜ん。ンッフゥ〜ン」
 柴井がまず、教卓の前で全力の手本を見せる。それを、柴井が指名した生徒が教卓の前で再現する、という、ただそれだけの「ゲーム」だ。
「おれの予想が正しければ、千歳、お前このゲーム好きだろう。得意だろ。なあ?」
 チートスはこのゲームに毎回指名された。そのころのチートスの我慢強さには目を見張るものがあり、「ヘ音記号事件」以後のさまざまな柴井からのいじめをなんでもなさげに無視したり、へらりとかわしたり、嫌がるそぶりも見せずに応答したりしていたから、「オカマゲーム」においてもチートスは「へへ、はぁい」などと素直に立ち上がり、「オカマよぉ〜ん。アッハァン」などとクネクネ振る舞って任務をまっとうしていた。ぼくが全身で危険を察知したのは、「オカマゲーム」が行われ始めてからしばらく経ったある日の帰りの会、柴井が「千歳ばっかりだと不公平だから、たまには他のみんなにもやらせてあげよう」と言い出したときで、ぼくはそのころミヨシのある性質、ある変化、些細な言動から来る予感のようなものをミヨシ全体から一方的に感じ取りはじめていたから、この最悪なゲームの標的がチートスに集中していることになんならホッとしてすらいた。
 ミヨシが指名されたら、なにかが終わる。
「ぼっ……く、ぼくやりま、ぼくやります!!!」
 ぼくは手を挙げながら立ち上がり宣言した。どちらかと言うと大人しい部類の男子、という認識でいたらしい柴井は突然の宣言にひるんだ素振りを見せたが、そのひるみをほかの生徒に悟られたくなかったのか、ぼくはそのまま教卓の前に招かれ、「……。……わ、たしオカマよぉ〜ん!うふぅん!」とクラス全員に全力のオカマポーズを披露することとなった。
 この日の出来事は、主に3年2組のぼく、ミヨシ、コト、ガンバ、チートス以外の面々から、しばらくのあいだ、陰で「オカマ記念日」と呼ばれることとなった。
 結局柴井は、3年の2学期後半から学校を休みがちになり、3学期が始まる前に学校をノイローゼで辞め、柴井が休みの日に臨時の担任として授業をしていた柏木がそのまま3年2組の担任となり、4年に上がってからの1年間も担任として2組を任されることとなる。
 5年に上がるときのクラス替えで散り散りになった3年2組出身者は、他の組出身のやつらからは「柴井組」と呼ばれている。経験の質が違う、というような意味合いの、ある種尊敬や畏怖の念を込めてそう呼ぶやつ。かわいそうに、という哀れみから陰でそう呼ぶやつ。掘り返せばおもしれー体験談が無限に聞ける、という野次馬根性からあえて堂々と呼ぶやつ。いろいろいる。
「オカマ記念日」のことをチートスがどう思っているのかを面と向かって聞いたことはないが、もしかしたらチートスは、トラが自分をかばってくれた、と思っているのかもしれない。いや、そこまで考えているのかもよくわからない。あのころの日々のことをどういうふうに覚えているのかも、どれくらい忘れているのかもわからない。けれどチートスは、林間学校から帰ったあともぼくのことを「トラ」と呼び続けている。
 あれ。もしかして、借りって、「オカマ記念日」のことか?
「二つフリチン男のしるし〜、もっとふれふれちんちんを〜」
「あ、そ〜れ!」
「ちんっこも〜みも〜みも〜みもみ〜」
「ちんっこも〜みも〜みも〜みもみ〜」
 あまりにも遠く、遠く、昔のことのように思える3年2組の日々を思い出していているうちに、そんな思いが頭をかすめたけれど、それにしてはタイミングがおかしいし、やっぱりシンプルに、コトを遊びに誘ってくれることに対しての借りってことなのかもしれない。あるいはなにかのマンガで使われていた「貸し」「借り」のシチュエーションやセリフを、自分に落としこんで演じるように使ってみたくなったか。あんがい、そんなもんかもしれない。
 あるいは……。
 ちんこ音頭を一通り再生し、おもしろフラッシュ倉庫からいくつかリンクを飛んで、男性が女性に、女性が男性に、主に裸でいろいろなことをしている様子がかなりオーバーに描かれている漫画が大量に貼られたサイトをじっと見つめる。画面をつどつどスクロールさせながらゆっくり見ていって、すこしの恐怖とともに自分が勃起してきていることに安心して、それでブラウザを閉じる。PostPetを起動して、メールチェックをクリックするとかわいたノック音が鳴ってポストマンと一緒にひみつメカとハムスターがやってくる。ポストマンが届けてくれたのは近松のメールで、近松はHotmailを使っているから、いつもメカメカしいポストマンがディスプレイ上に表示されたPostPetのウィンドウ内をシャーッと地面をすべるように移動してメールを届けてくれる。ひみつメカのジョニーはミヨシのペットで、ハムスターのヒカルはコトのペット。2匹が運んできたそれぞれのメールに書かれている内容はどちらもなんてことのない今日のできごとが主で、コトは塾用に使っているリュックのなかにアンモナイトの化石の入った小さいプラスチックケースを入れて、それをお守り代わりにしてるらしかった。春ごろ、ミヨシと3人で電車に乗って行った恐竜博で買ったおそろいの化石で、おそろいと言っても化石は化石だから同じアンモナイトでもすこしずつ形に差がある。ぼくもその化石を学習机の鍵付きの引き出しに入れていて、たまに鍵を開けて化石が入っていることを確かめるだけでしずかにうれしい気持ちが体の芯を通っていくのがわかった。ミヨシはミヨシでガンバがパックマンのソフトを当てたことについて書いていて、それはもう知ってるって、とぼくは画面を見つめながらすこし笑った。
 あるいは。もしかしてぼくは、チートスに心配されているのかもしれない。
 でも、チートス、気づいているか? ぼくは自分のペット(ハムスターで、名前はレオン)におやつのままかりをあげて、ウィンドウ上の部屋でばたばた移動しているジョニーとヒカルにも同じのをあげてやる。もうだれも、コトのカツラやハゲのことを話題にしていない。目には目を、歯には歯を、トピックにはトピックを、だよ、チートス。わかるか。
「だろ? ジョニー、ヒカル」
〈洗う〉のコマンドをクリックし、ビニールプールのような容器のなかでジョニーとヒカルがざぶざぶ洗われている様を、自分でもなぜだかわからないけれど、いつもより真剣に見つめる。ぼくだけがいる家の、リビングの片隅で、にせものの水音が鳴り続けている。

−−−−−−−−−−

 ごがばたん。ど。ごんっ。ばんばったばん。
 だん。だ……だ……だだだんだんだだん……だだだだ。
 暗闇にべつの暗闇が混じり入ってくる気配がして、ぼくは慎重に寝たふりを続ける。
「トラ」
 今日はめずらしく、ママがやってきた。
「うぉあい!」
 階下からパパの鳴き声。ママを呼んでいるのだろうか。
 それとも、もしかしてぼくだろうか。
「トラ」
 ママはぼくの枕元に座り込んでいるらしかった。
「……起きているんでしょう。トラ」
 自分で言うのもなんだけど、ぼくは寝たふりがうまい。
 そしてママが、ほんとうは寝たふりに気がついていない、ということもわかっている。
 ぼくは眼をとじ続ける。
「……トラ」
 だっがん。ずぁっしゃ。ががん。
 階下で次々になにかが壊れている。
「トラ。離婚したら、トラはどっちについていきたい?」
「おあああ!?」
 ぼくは眼をとじ続ける。
「ゥ降りてこい!」
「どっちの子どもになるのが幸せか、わかってる?」
 これまでに、もう何度も耳にした質問だな。ぼくはにせの寝息を慎重に立てている。
 ばっがぁん。
 うっすらうんざりしつつも、ぼくはそう聞かれるたびに、つい真剣に考えてしまう。
 ママの子になれば、暴力はないけれど、貧乏な暮らし。
 パパの子になれば、暴力まみれだけれど、裕福な暮らし。
 カレー味のうんこか、うんこ味のカレーか。お前どっち?
 小学生として過ごしてきたこれまでの、さまざまな時間、あらゆる男子に聞かれてきた「きゅうきょくのせんたく」そのものだとぼくは思った。
「ねえトラ」
 ぼくの肩をゆする手。ぼくは体の力を抜いて、ママのやさしい力を受け入れる。
「……考えておいて」
 ママが立ち上がり、部屋を出ていく気配がして、混じり合っていたふたつの暗闇がほどけていき、するりとまたひとつの暗闇に戻った。だ……だ……だだだんだんだだん……だだだだ。ごん。ごんごごんごん。ごん。ごん。ごん。ごんごんごんごん。ぼくはしばらく寝たふりを続けて、布団のなかでマイナスドライバーを握りしめていた両手をゆっくりと開いて、何度か大きく息を吸う。息を吸って、吐く。

−−−−−−−−−−

 ガンバにはおばけの才能があるらしかった。
「ちがうよ。だって……だってみんながわかりやすすぎなんだもん」
 逃げまどうぼくたちを効率よく追い詰めてひとりひとり捉えていく、ガンバが操っているとは思えないおばけのテクニカルな動きにツバが口からほとばしるほど白熱したぼくたちは、ぜえぜえ笑いながらそれぞれ畳の上でとんがりコーンを指にはめたりコップのなかでぬるくなったサイダーを飲んだりしている。焼肉屋の奥の、座敷席のさらに奥、間仕切りのカーテンを開けるとすぐに一段一段が急な階段があって、それを上がると簡素なキッチンにリビング、和室が2部屋。それがガンバの家で、ぼくたちはいつもガンバの家族が全員で川の字になって寝ているという、2階の入って手前の和室で、ゲームキューブのパックマンをひたすらプレイしていた。
「はあ。あー笑った……。そろそろ帰るよ、わたし」テレビ台の脇、日に焼けて元の色がわかりづらくなった目覚まし時計は午後4時半のあたりを指していた。
「あー、この時計、けっこう遅れてんだよね」ガンバが体をねじって目覚まし時計をわしっと掴む。「たぶん、もう5……」
 ガンバが言い終わらないうちに、窓の外から5時のチャイムが聞こえてきた。
「え! ガンバほんとにさあはやく言ってよ!」途中までムッとした口調だったのに、途中で笑いが混じって、最後は体を抱え込むようにして声を上げずにコトは笑った。そのコトの背中をチートスがちら、と見て、すぐに眼をそらして人差し指と中指にはめていたとんがりコーンを鳥のようなすばやさで食べている。
「帰る帰る。わたし帰るから。今日も模試の勉強やんなきゃ」
 帰る、と言いつつ、家には帰らないのをぼくは知っている。家からそこまで遠くない場所にデニーズがあって、そこに行くか、もしくは西船橋駅前のマックにでも行くのだろう。コトが勉強に集中できるような環境で暮らせていないことはよくわかっていた。
 そしてぼくも、今日は早めに帰りたかった。ママにここ数週間、言え言えと指示され続けていたことを、パパに言わないといけない。
 ぼくはカレー味のうんこを選ぶことにした。
 わたしは世教の先達者です、と宣言するのだ。パパの前で。
「おれも帰るわ。チートスは?」
「おれはもうちょい遊んでくわー。だめ?」おれのほうを見たりガンバのほうを見たりしながらチートスが言った。
「ん。ぜんぜん、オレは大丈夫」
「なんだよ。家の鍵ないとか?」せっかくコトと一緒に帰れるのに。まあ、ぼくもいるけど。
「なくても入れるよ。姉ちゃんがいる。あー。最悪。姉ちゃんがいるからうぜえんだよ」どうやら姉ちゃんとケンカでもしたようだ。「ガンバ。お前は上がいなくていいよなあ」
 ガンバは4人きょうだいの長男で、下には妹がふたり、弟がひとりいる。ガンバ以外のこども3人はいまはそれぞれ1階の店舗部分にいて、妹ふたりは座敷席のあたりでちいさい人形やレゴブロックを散乱させていて、いちばんちいさい弟は仕込みをしているガンバ母の背負い込んだ抱っこ紐のなかですやすやと眠っている。開店準備のために、そろそろ妹ふたりが座敷を片付けて2階に上がってくるはずだ。
「チビどもふたり誘ってパックマン再開しようぜ」自分もチビのくせに、チートスは嬉しそうにガンバの肩に手を回す。
 だっだだっだだだだだだ。階段を駆け上がる音がして、ぎゃははと笑いながらガンバの妹ふたりが和室にやってくる。「チッチちょっとじゃま!」妹の片方がそう言ってチートスにぶつかり、チートスのあぐらの上にうつ伏せで倒れ、にたにた笑いながらその姿勢で手を伸ばしてコンソメパンチの残りをせわしなく口に運んでいた。

−−−−−−−−−−

何の匂いでしょう
これは

これは
春の匂い
真新しい着地の匂い
真新しいかわの匂い
新しいものの
新しいにおい

匂いのなかに
希望も
ゆめも
幸福も
うっとりと
うかんでいるようです

ごったがえす
人いきれのなかで
だけどちょっぴり
気がかりです
心の支度は
どうでしょう
もうできましたか

−−−−−−−−−−

 ガンバの家からの帰り道。並んで歩いていたコトが、ちいさな声で詩を暗誦してきた。
「よく覚えてるな」昨日、学年全員に配られた学級だよりに載っていた詩だった。
「黒田三郎。『支度』。なんか覚えちゃったな」
 ぼくのスニーカーが、コトのスニーカーが、歩道のアスファルトをざりざりと鳴らす。空は赤くて、カラスの群れがどこかからどこかへ飛びながら鳴いている。救急車のサイレンが遠くで鳴っている。コトは口元をおおっていたマフラーに指をかけて、顔をすこしだけ上げて大きく呼吸している。
「希望。夢。幸福。希望。夢。幸福」ぼくはコトが暗誦した詩の一部を繰り返す。「って、なんのことだと思う?」
「なんだろうね」
「それってほんとうにあるのかな」
 どちらとも、なにも言わなくても進む方向は自然とそろって、ガンバの家から学校、学校の敷地に沿うように何度か曲がって、ぼくたちは西船橋の駅に向かって歩いていった。
 ぼくもコトも、しばらく黙っていた。
「トラはさ」
 駅前の居酒屋やスーパー、コンビニが近づいてきたあたりで、コトが言った。
「ミヨシのことが好きでしょ」
 まったく予想していなかったことを言われて、ぼくはコトのほうに顔を向けるだけでなにも言えない。
「好きっていうか。チートスがわたしのこと気になってる程度には、ミヨシのこと、気になってるでしょ」
「チートス?」なぜかそれしか言えず、ぼくはコトのほうを向き続けている。コトはいつのまにかぼくより身長が伸びていて、顔を上げないとコトの肩や腋のあたりを見ることになる。でもいまはそれでよかった。電柱にぶつかりそうになってぼくはふるえるように立ち止まり、また歩き出す。
「わかりやすいんだよトラは。チートスもだけど」
 コンビニから足早に出ていくスーツ姿の2人組とぶつかりそうになって、ぼくはまた立ち止まる。頭だけつんのめるようにすこし前に倒れて、遅れて体全体がわずかによろめく。右足、左足、左腕、右腕。歩くって不思議だ。どうやって歩くんだっけ、と考えるまでもなく、歩こう、と思うまでもなく気づいたら体は歩いていて、意識し始めると不安定な棒のようになる。コトはぼくよりすこし進んだところで立ち止まってこちらを振り返っていた。どうやって歩くんだっけ、と考える前に体はコトのそばまで進む。ぼくたちは再び並んだ。
 まばたきのふりをして、瞬間、眼をとじる。
 眼をあける。
 急に全部の音が聴こえた。
「ミヨシが、ガンバと同じクラスになって。なったって知ったとき。5年のはじめ、ずいぶん、もう前のことだけど」
 ぼくたちは人通りの激しいコンビニ沿いの道で立ち止まっていた。もう一度、眼をとじる。あける。ぼくはコトの眼を見た。
「すごく安心した。ガンバがミヨシのそばにいるなら、クラスのなかでさみしくないだろうし、もしかしたらたのしいかもしれないし、いじめられることもなさそう、よっぽどのことがなければ。だからすごく安心した。でもぼくはさみしい。さみしかった。さみしい、いまも、さみしいかもしれない。それが、コトから見て、チートスみたいな感じで気になってるように見えているんだとしたら、それは、そうなのかもしれない。おれは、」ぼくとおれが混ぜこぜになっていることに気づいたり忘れたりを繰り返しながらぼくはコトの顔を見上げ続けた。「ミヨシにしあわせになってほしいって思ってる。ミヨシになにか夢があるんだとしたら、その夢が叶うといいなって思ってる。希望とかいちばんわけわかんないけどそういうものがあるんだとしたら、あったらいいなって思ってる。でもそれは、ぼくがそばにいたら全部だめになってしまうもののような気もしてる。うまく言えないけど。おれはたまに、これは、こんなこと言うと思わなかったけど、思ってるけど、ぼくはミヨシが死んだときのことをたまに想像することがあって、ミヨシの葬式でぼくが冷たくなってるミヨシを見て泣くっていう、そういうことおれたまに想像するけどミヨシにしあわせになってほしいって、ああ違うわ、おれ、ミヨシはすでに、もうしあわせなんじゃないかって、思っているのかもしれない。コト、」ポケットティッシュを配っている人、鼻をこすりながら歩いている人、電話ボックスのなかで肘をつきながらなにかをまくし立てている人、重そうな楽器を背負って歩く人、スーツをだらしなく着て耳元に指を当てている客引きの人、腕時計を見ながら階段を駆け上がる人、片手を上げながらタクシーに近寄っていく人、かたまりになってコンビニから出てくる人、人、人、その全部の音。「ごめん、途中からなにが言いたいのかおれもわかんなくなった」
「歩こう」
 コトはそう言って、ぼくから眼をそらして、歩き始めた。それでぼくの耳も元に戻って、ふたりで駅舎南口の階段をのぼり、北口に抜けていく。
「わたしはトラのことが好きだよ。でもそれだけ」北口の階段を降り、ロータリーを横断している途中で「返事したら殺すから」コトが前を向いたまま言う。「だれかに言っても殺す。あはは。殺さないけど。じゃあね!」そして横を歩いていたコトは走り出し、ぼくを置いてマックへ入っていった。
 ぼくはそのままロータリーを渡り切り、それから回れ右をして、北口の階段に向かってロータリーをもう一度渡る。混乱している頭のなか、不思議と浮かんでいる思いはシンプルで、コトはずいぶん明るくなったな、ということと、
「この借りは必ず返すからな!」
 チートス、借りを返すって、もしかしてこのことかよ、いやそんなわけないよな、ということと。

プール

「佐倉造です。アキさんの店の二階に居候、っていうか住んでいて、でもぼく、ヨシノさん?のこと、ぜんぜん知らないですよ?いいんですか?そ……ああいや、それならいいっていうか。なにがいいかもわかんないんですけど、いいならいいです。
 知らないけど……ああでも見かけたことはあるっていうか。大学で。在籍してたときに。アキさんから聞いて知ってるとは思いますけど、おれ三本と同期なんで。三本と話すとき、話のなかでもたまに出てきたし、大学構内でも、カフェとかで、三本とか、あー、とアキさんですよね。とか、そういう面々となにか話していたり、喫煙所でたばこ吸ってる姿は、ですね、見たことあって、でも話したことはないですよ。ああでも……、そうだ、でも、そうだそうだ、パフォーマンスは観に行って、その終演後、会場から出たところで。あ、違うか。ごめんなさいそれは別の人でした。いや、ヨシノさんとそのときすこしだけ立ち話したなって思ってたけどそれは別の人で、でもその人の名前が思い出せないな……。まあいいや。展覧会のほうは申し訳ないけど観に行ってないすね。だからそれくらい、っかなあ?
 ぼくあんまり、うーん、中高と水泳部だったんですけど、そのころ顧問からサクラって苗字で呼ばれていたくらいで、基本みんなからはイタルなんですよ。イタルとか。イタルくんとか。小学生のころちょっとだけ行ってたくもん式ではタルちゃんとかタルタルって呼ばれてたなあ。なつかしいなあ。オオニシ、元気かな……。くもんで仲良かったやつで。学校は一緒だったけどくもんくらいでしかまともに話さなかった、そういう友達で。友達って言っていいのかわかんないけど、でもぼくのなかではいま思い出してあー友達、って思ったから友達だったんだろうけど、あとオオニシのほかにリョウジとミズハラってやつらがいて、ぼく含めその四人でいつもくもんから自転車でそれぞれ家に帰る。帰る途中のミニストップでジャンプとかサンデーを立ち読みして、そのころミニストップってフカヒレまんってやつがあったんですよ。いまもあるのかなあ。リョウジがそのフカヒレまんすげー好きで、ぼくはそこまで好きでもなかったし嫌いでもなかったんですけど、うん、なんかみんな買ってましたね、買って、イートインコーナーでみんな座って、やっぱこれだよなこれ、って毎回リョウジが嬉しそうに言って頬張るから、なんかぼくもフカヒレまんがすごく好きなもののようにそのときだけ感じて、うんうん、とかうなずいたりして、でもオオニシは四人のなかでは一番マイペースだったからたまにオオニシだけブタメン買ってたりして、オオニシはオオニシですげー大事そうにブタメンをちっちゃいプラスチックのフォークで食べるから、フカヒレまん食べ終わったあとにオオニシ以外のぼくら三人もブタメン追加で買って食ったりして。そうすると先に食い終わったオオニシはしばらく手持ち無沙汰になるんすけど、でも、あー、っふふでもオオニシはひとりでジャンプまた立ち読みしに行ったり、今週のボーボボの展開とかセリフをツバ撒き散らしながら再現してひとりで爆笑したり、いま思うとまじうっせーって感じでしたけど、クソガキどもっすよね店員から見て、でもなんか、ぼくはその時間すきだったな。オオニシは中学に上がってからいじめの標的になっちゃって、でも……、あー、……いや、こんな話するつもりじゃなかったな。ごめんなさい。あー。
 もともとぼくは、いや、絵本とか小説とか読むのは好きではあったんですよ。ちっちゃいころよく読んでいた絵本の何冊かはいまも手元に置いていて、手に取ることはほとんどないんですけど、でも大事にとってます。そんなに大した、うーん。いや、けっこう普通というか。違うか。まあいいや。ハリー・ポッターもダレン・シャンも追って全巻読んだし、読んでいたし、宮部みゆきのブレイブストーリーとかほんとどきどきしながら読んでいましたね、当時。小学生のころ。忘れらんないですよ、第一部の最後、主人公の家庭がどん詰まりのなか異世界に行く場面とか。しばらくそのことしか考えらんなかった記憶ありますね。都市ガスでは死ねないんだなっていう。夢にも出たな。都市ガスってものがつまりなんなのかもわかってなかったあのころに。あとは順当に……順当に?青い鳥文庫、パスワードシリーズ……パ〜スワ〜ドシリィズ〜〜……!はあーなつかし、なつかしい。はやみねかおるの探偵モノも読んでいたし、そこから江戸川乱歩とか、アガサ・クリスティとか、エラリィ・クイーンとか、赤川次郎とか、西村京太郎とか、有栖川有栖とか伊坂幸太郎とか歌野晶午とかあああ〜もうなつかしいな……いやいやすみません。そんな感じですね。だからファンタジーとかジュブナイル、うん、でミステリ行って、そんな感じ。そこからじわっとほかのものほかのもの、って感じで、ああ高校生のころは京極夏彦すげー読んでましたね。とか、安部公房もまっとうにまっとうに?ふふっ、ざっと読んだし、あー、坂口安吾とかね。稲垣足穂とかね。村上春樹、舞城王太郎、あー、……あー。うなってばっかですんませんね。でもまあ、そんな感じ、で、す。はい。んでもべつに、でもってわけでもないですけど、文学青年って感じでもなくって、ぜんぜん外遊びのほうがすきだし水泳楽しいしゲーム最高みたいな。そんな感じだったのがすこしずつ書くほうにシフトしていって、うん、なんでかな、なんでかなっていうか思い当たるきっかけとかいくつかあるんですけど、でもこれっていうおっきなものは、……いやあるのかな?あー、るかもですけど、っていうかあるんですけど、でもそれ話し始めるとすごい。……うーん。なんて言ったらいいのかな。いや違うな。シンプルに。うん。シンプルにいまここでは話したくないっていうことなんだと思いますね、ぼくが。ここではっていうか、あんまり人に話すようなことではないって、ぼくは思っているのかもしれないですね。ああ〜っ。いやいやこれ、あー、これぼくのほんと悪いところで。自分でこれ人に言わないほうが、違うな、あんまり言いたくない、うーん、秘めておきたいって言うとなんかそれも違うんですけど、そういう、なんか、あーえーっと、つまり口が、すべっちゃったりとか、こうして話しているときリアルタイムで思考がおっついてない、おっつかないことが多々あって、シラフのときもですよ。なんていうか、まだ言葉にしておきたくないことを性急に言葉に固定させてしまうようなところがぼくにはたぶんあって、これもうまく言えてない感じがするんですけど、そう、ぼくの嫌いなところですね。でもいまは踏みとどまりましたね。ふふ。最近それできるようになりました。たまにですけどね。
 なのでそれと関係あること、関係あるけど別の話、というか最近、でもないな、すこし前にふと思いついて、それからなんとなくぼくの頭のなかにあるイメージの話をすこしだけすると、小説を書くことって、ジグソーパズルが入れられたプールの中に入っていくような行為だよなって思うんです。手でゆるく水流をつくるようにして、水の中でピースをそっと集めて、自分の身体の動きでかんたんに崩れてしまうけど、それでも水の中でピースをはめていく、はめていこうとする、断片的なシーンをつくる。そういう人もいれば、うん。浮かんだり沈んだりしているピースをプールサイドにひとつひとつ置いていって、着実に完成させる、そういう人もいれば、ピースの浮かんだプールでただ泳いだり歩いたり、身体の力を抜いて浮かんだりする、そういう人もいる。プールの水をぜんぶ抜いてしまって、それからピースを拾っていくような人もきっといるでしょうね。プールには誰でも入ることができるけど、でもそれがどんなプールなのかは、入ってみないとわからないというか。いわゆる市民プールとか、学校のプールのようなもの。それから、飛び込み用の、水深の深い、足の届かないようなプールかもしれないし、ドーナツ状の流れるプールかもしれないし、もっと小さい、ビニールプールのようなものかもしれない。あと、あとパズルのピースに刷られている絵が、シーンが、なんなのかもわからない。精緻な風景画のようなものかもしれないし、なにかのキャラクターかもしれないし、家族写真かもしれないし、青空かもしれない。ぜんぶ真っ白かもしれないですよね。何ピースかもわからないし。うん……。プールに入りたいと思った人は入るし、入って、パズルを完成させたいな、と思った人はそれぞれのやり方で完成させようとするし、ただ遊びたいと思った人はそのまま泳いだり、飛び込んだり……。うん。うん……。あーあと、そうですね、こうやって、いまのぼくみたいに、えっと違う、いまのぼくがそうなっているみたいに?プールにいる人、を、プールサイドから見ている人、なんかもきっといますよね。スマホなんかで撮っている人だっているかもしれないし。それこそプールサイドの監視台の上で、監視している人だってきっといる。いることも、ある。ぼくですか?ぼくは、あー、なんだろ、なんでしょうね。ぼくはそれで言うとなんなんだろう。……。ふふ、あーいや、ぼくっていうか、ぼくじゃなくて三本のことをいま考えていて。そうですね、これはぼくの勝手なイメージなんですけど、ぼくから見た三本ってことでしかないんですけど、三本はー、あれですね、プールに入ったら、その場で水に潜って、浮かんだり沈んだり、流れたり止まったり、光を反射してちらちらとまぶしかったり、影にかくれていたり、そういうあちこちある、プールのなかのピースを、水の中で何度も何度も眺めて、その光景を目に焼き付けるようなタイプかもしれないですね。わかりますか?なんとなく。ふっ。ぼくにとっての三本は、そうですね。そういうやつです」

まっすぐ

 30台は収容できそうなAコープの駐車場のアスファルトに大の字に寝転んで星空を眺める。目をとじて虫の声を聞く。自分の呼吸の音を確かめる。すぐそばの歩道を人が歩いてもきっと気づきはしないし、そもそもこの町のこの時間帯に人通りなんてほとんどない。車すらほとんど通らない。天に向けていた手のひらを返してアスファルトに触れる。日中太陽に当たり続けたアスファルトはまだあたたかい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい生きているみたい生きているみたい生きているみたい生きているみたい生きているみたい生きているみたい生きているみたいあたたかい生きているみたいまだあたたかいほとんどないほとんど通らない生きているみたい生きているみたい。生きているみたい。生きているみたい目をあける。寝てたかも。半身を起こして胸ポケットからタバコを取り、1本吸ってから立ち上がり、歩き出して駐車場を出てすぐ電柱にゆっくりぶつかってそれを目撃した人は誰もいない。夜だったからでもあるし、誰もいなかったからでもあるし、まっすぐ家まで帰ったからでもある。

キャッチボールがしたい、と恋人に話すと
買ったよ、とこちらを見ずにひとこと。
なにを?という顔で、首をかしげて眼を見ると
わたしの目の前にスマートフォンをかざして、
メル
カリとさらにひとこと。
それが先週の話で、届いたグローブ
には油性ペンで「たくと」
「たくと」はかび臭い。古き良きクソみたいな
におい。
お互いの鼻に「たくと」をあてがって、クソみたいにげらげら笑い合った。
わたしのグローブには「しょうま」これも油性ペンこれもメルカリ。
「しょうま」がわたしの家に届いたのは、いつだったっけかな、そう、
まだわたしが京都にいて、
国だか行政だか、
古き良きクソみたいな場所から送られてきた朱色の封筒を、

けられずに、ネタとして職場に持っていったころだったはず。
督促やろこれはまだ大丈夫やわ。
焼却炉みたいにデカイ図体 コックさんに
眼差しで殴り殺されてひとこと、
でも封筒を開
いたら差し押さえで、
これはたぶんあかんわ、思いのほかやさしくて、それはコックさんの話。
そのころのわたしにはキャッチボールをしたい別の人がいて
その人もメルカリだったから「  」とどこかしら、書
かれていたはずなのだけど、
その話はしたのだっけなしたのだろうな。
油性ペンなら消えない。趨勢ならどうかな。
話の尾ひれもパッチパチに輝いて
くっついて消えるだろうなボールはグローブに吸い込まれていくから
その現象を真
実にするために眼で追っていく。夜だった。
そのころからの「しょうま」だったから、かび?って顔して、においだってしない。
土曜日
天気がよかったらしようよ。
言われて、天気予報を見るのが仕方のない
降水確率が絶望的で。もうこれはあれやろ。
恋人はわたしの目の前にスマートフォンをかざして、
ぼくのは雪だよ。
ほんとうだ。
それがおとといの話。
やわい風で容易になびく雪

前景に
後景
に、
吸い込まれていく。
その現象を真実にするために眼で追っていく。

秘密

「ふう。ああごめんごめん。お待たせしちゃって。ええと。ここでいい?ここでいいのかな……、はい。えー、と。そうか、はいはい。えっと、んんっよし。丸井です。丸井亨といいます。美容師、ですね。もう15年以上やってます。最初は大阪の別の店で修行みたいな感じで、下積みっていうか、ですね、働いていたんですけど、それからこの店にやってきて、それは……、だいたい10年くらい前かな。そんな感じで、毎日お客様と、お客様のカラダの一部である毛髪、それらとあとは自分のなかの矜持、や、美意識、と言葉にしてしまうのは個人的には気が引けるところがあるのですが、照れ臭いし、はは、お客様のコンディションと性質、性格、そして自分ができうる最大限の施術を掛け合わせてなにができるのか、なにができたのか、そんなあれこれと、向き合う日々ですね、ずっと。
 うん。よく覚えていますよ。みんなまだ学生さんでしたよね。覚えてる……うんうん。電話で、今日五人大丈夫ですかーって。ちょうどその日は暇な日で。うん、うん。はは、美容院をジャックしたら楽しいかなと思って、って。言ってましたね。楽しかったな。実際私たちも楽しかったですよ、あれは。だからあれから一年くらい経って、ヨシノくんがおひとりでいらしたときも、ああ、あのときの子だ、って思いました。カルテを見るまでもなく、わかりましたね。うれしかった。それから三〜四ヶ月に一度くらいのペースでヨシノくんはカットにいらっしゃるようになって、ヨシノくんが大学を卒業して、京都を離れるまで、私はヨシノくんの髪を切ってきました。ヨシノくんは。……あーいや。うん。これは、プライバシーに関わることなので……、でも、……ああいや。うーん。……。まあいいでしょう。いやいや、ほんの些細なことなんです。けれど本人にとっては隠したい、大切な情報ということもありうるなと。それは、わからないじゃないですか。誰にもわからない。毛髪というのは人の、プライバシーの塊でもあるんです。美容師という職業は、毛髪や頭皮、という、個人の膨大な情報をいっとき扱う職業でもあるわけでして。とはいえ私はここでこうして話し始めているわけですし、うん。いや、ごめんなさいね。じゃあ、そもそもこの話を受けることにした私は一体なんなんだ、という。ああ、いやいや、責めているわけではないんです。それに、わかっています。うん。
 ヨシノくんの髪は比較的クセがすくなくて、毛量はそこそこあったのですが、一本一本がどちらかというと細いほうで、ほどよくコシもあったので、施術する側としても扱いやすい、鋏の通りの良い毛髪でした。ただ、左側頭部の、こめかみの辺りから耳のすぐ後ろ辺りにかけてだけ、すこし髪の流れが違っていて。右と左で微妙に違っていて。こう……、右はストンと落ちるように生えるんですけど、左はすこし後ろに流れるように生えるんですね。なので、左右で形を揃えるときには、その流れの違いを考慮して、角度や長さを微妙に調整する必要があって。とは言ってもそれはほんとうに些細な違いでもあって、仮に左右を同じように切ったとしても、はたから見たら、というかじっくり見ないとわからない、いや、じっくり見たとしてもわかるかどうか、という、そういう違いではあったのですが。うん、うん。そうだなあ。そうですね。私も、数ヶ月に一度の頻度で何度もヨシノくんの髪に触れているうちにわかってきた差異ではあって。だから、そういう微妙な調整に至ったのは、ヨシノくんが大学を卒業するすこし前のころとかで。ずいぶん時間がかかってしまいましたね。ヨシノくんも、ご自身のそういった毛髪のクセについては気がついていなかったようで。ヨシノくんが最後にうちの店にいらしたとき、話の流れで、毛髪の左右の微妙な違いについてお伝えしました。知らなかったな……、とヨシノくんはやけに神妙な声でつぶやいていて、私は私で、ようやくわかってきたのになー……、と引っ張られるようにしんみりとつぶやいたのを、なぜだかやたらとはっきり、覚えています。そうそう、その、最後の日、ヨシノくんからコーヒー豆をいただいたんですよ。一杯分くらいの量の。友達が煎った豆なんですけど、コーヒー嫌いじゃなければ、もしよければ、って。そのヨシノくんのお友達はいま、京都でカフェをやっていますよね。すこし前に、一度行きました。
 トオルさんは、生きててよかったなーって思う瞬間、ありますか。って、いつだったか、ヨシノくんに訊かれたことがあります。それは、どんなときですか。って。私がなんて答えたのかは、秘密にしておきましょうか」

ドロシー

 京都の夏は暑いというより重たく、冬は寒いというより鋭い。
「でもカジさん。オズの魔法使いって、“もう持っていたことに気づく”話ですよね?」
 ぼくは隣でタバコを吸っているカジさんに言う。
 大学に入学してから、三度目の春。人懐っこく風景にまとわりつく山々に囲まれて、盆地の重さも鋭さも巡り巡った。すずしい夜風に前髪をつままれて、離されて、まだまだ遊び足りないよ、とこの場所に言われているよう。すぐそばを流れる疎水の音は思いのほか勢いがあって、昨夜の雨がどこかへ流れる途中なのかもしれなかった。
「んえ?」タバコの煙をあらかた吐き出してから、カジさんは呆けた声を出した。「どゆこと?」
 大学から歩いてだいたい20分くらい。叡山電鉄一乗寺駅と茶山駅のだいたい中間地点を越えて鴨川に向かって進んだ辺りの、白川疎水通沿いにぼくとカジさんはいる。たこ焼き屋のあたり、と言えばわかる人にはわかるだろう。たこ焼き屋の裏手に細く伸びる疎水沿いを歩くと十字路にぶつかり、その十字路の一角にはすこし大きめのマンションがあって、マンションの一階部分はかつてここの地主が経営していたのか酒屋だったらしき「ヤマブシ」という看板が掲げられていて、ぼくはここのシャッターが開いているところを見たことがないから、もう営業はしていないのだろう。シャッターのほとんどを覆わんばかりに自販機が立ち並んでいて、あと一台、二台ほど自販機が置かれればシャッターは完全に見えなくなってしまいそうだ。自販機の前には作りのしっかりした、しばらく腰を落ち着かせるのにちょうどいい車避けと、コンビニなんかで見かける公衆用灰皿が設置されていて、カジさんはこの場所を「オアシス」と呼んでいるらしかった。
「オズの魔法使いって、ぼくもすごいうろ覚えですけど、ドロシーがかかしやブリキの兵隊?や、ライオン?と、魔法使いになりたくって旅をする話ですよね。ざっくり言うと」
「ああ、うむうむ」
「えっとー。……いや、ほんとうろ覚えなんですけど。たしかあれですよね。それぞれ欲しいものがあって。なんじゃかんじゃあって、最後、ついに相見えた魔法使いに、それぞれ『お前たちはもう、欲しいものを手に入れている……』って言われて、ハッ、と、それでそれぞれ、えーっと」
 ぼくたちはほどよく酒が回っていて、すこし声が大きくなっていた。ゼミ終わりに構内でばったり会ったカジさんに誘われて、たこ焼き屋でふたり、雪解け水みたいな冷たさのビールをがぶがぶ飲んだ帰りだった。
「あー。気づいてね、自分のなかにあったものに」ぱち、じじじ、っぱ、すう。カジさんの唇から、唇にさしこまれたり離れたりするタバコから、疎水にかき消されぼくにしか聞こえないあえかな音が鳴る。
「ですです。で、なんか満足して元いた世界に帰るっていう、そういう話……でしたっけ?でしたよね」
「たしかに」
「ですよね」
「そうだねえ……そうだ」カジさんは車避けに両手をついて、グッと夜空を見上げた。「かかしは脳みそ。ブリキは心。ライオンは勇気……」
「だからカジさん、ドロシーに憧れていたって、正確には、まほうつかいになりたかったっていうより、まほうつかいになりたかった人になりたかった、ってことなのでは」
 お互いの制作や、ニューホライズンのみんなのことをたこ焼き屋で話していたら、その流れでカジさんが使い古されたノートを見せてくれた。表紙の四隅がすり減ったり破れたりしていて、ページ一枚一枚に細かな折れ目やヨレがあって、汚れや湿度を吸って膨れ上がっているノートの、その最初のほうのページに、カジさんやアダムさんやヨシノさんがニューホライズンを立ち上げた当初に書いた短い作文があった。そこに、「幼いころ、ドロシーに憧れていた。魔法使いになりたかったのだ」と書かれていたのだった。
「……そうかも。そうなのか?そうかも。それってつまりどういうこと?そうかも。でも、そうかも」風見鶏がくるくると揺れ動くように、カジさんは車避けの上で前後左右にくるくる動きながら同じような言葉を繰り返している。「てきとーなこと書いてんなーわたし」
「でも、カジさんらしいですよ」ぼくは自販機で買ったカフェオレを、まだプルタブを開けずに手の中で遊ばせている。「というよりみんなが、なんというか、オズの魔法使いっぽいです。いや、どうかな」
「あはは。っていうかそういうお話の登場人物っぽくはあるよね。オズの魔法使いじゃなくても、なんか、なんだろな、エマとかサガミ、へーことーことか、アダムもヨシノもね、アキもなんか旅の途中の村とかにいそうだし」
「それで言うとぼくはなんですかね」
「三本はブリキでしょう」
「っはは、えー」
「ハートハート。ハートを欲しがるべき三本は」
「ハートかー」ぼくはプルタブを開ける。「エマさんにもこの前似たようなこと言われましたよ」
「あ、そうなの?」
 賃走のエコロタクシーがゆっくりぼくたちの前を通過していく。車体上部にちんまりと載っているプロペラを目で追いながらぼくはカフェオレを一口飲んだ。
「カーセックスを何編か見せたんですけど、最初のほうに書いた、サガミさんを登場させたやつを指して、どういうつもりなんだ、って。人には心があるんだよ、って。そんなに強い口調ではなかったけど、でもすこし怒られました。サガミにちゃんと許可はとったのか、って。素材にする側が素材にされる側の実人生を脅かしすぎるな、って。カーセックスってすごい特権的なシチュエーションだから、みたいなことも言われて、それはでもなるほど、と。」
 風がまたぼくの髪をつまみ、ぼくの視界でぼやけた黒い線が揺れながら左に流れる。
「脅かしすぎるな、っていうのがエマらしいね。脅かすな、じゃなくて。すぎなかったらいいんだ。あーでも言いそうだなーエマ言いそうだし、三本は三本で、でも、良いと思うけどね。人でなしっぽくてさあ」カジさんは新しいタバコに火をつけた。「エマはエマでらしくて良いし、三本はマイルドに人でなしっぽいところが三本なんだよな。ナメてる感じ。でもそのナメがなんか許されてそうな感じ。許されてそうって思ってる感じ。実際許されてきた感じ。そしてエマがそれを許さない感じ。はは。でもきっと許してもいる感じ」
 自転車の乾いた音が近づいてきて、それからすぐにウィンドブレーカーを着た男性がぼくたちの前を立ち漕ぎで走り去っていく。そこから数拍遅れて、同じく立ち漕ぎの女性が丈の長いトレンチコートをはためかせながら走り去っていく。「早いって!」という女性の声。笑っているような咳き込んでいるような男性の声が遠く走り去っていった方向から聞こえてくる。
「そろそろ行こう。トイレ行きたいし、冷えてきた」
 カジさんは立ち上がり、ぼくもカフェオレを飲み干して立ち上がる。
 車避けのそばに停めていたそれぞれの自転車のハンドルを持って、ぼくたちは並んで、さっきの男女が通り過ぎていった方向とは反対に歩き始める。
「人でなし」
 ぼくはカジさんの言葉を繰り返す。
「人でなし、うん。あはは」
 カジさんはゆるく笑っている。
 ぼくも、カジさんも、みんな、いつかは大学から離れて、ここからも離れて、いままでとはぜんぜん違った人間になったり、そこまでの変化はなかったりしながら生きていく。ぼくは背の低いカジさんの頭頂部を視界の端に感じながら、カジさんにはけして言わない、だれにもわざわざ言ったりはしない想念をピンボールのように全身で弾き転がす。わかってる。わかっています。いや、わからない。けれどわかっている。
 こんな時間は永遠には続かない。

 楓にはふたりの親友がいる。真緒と亜里アリ。社会人になってから知り合った三人だったし、銘々が時期によってはより親友と呼べそうな友人もいたが、親友が「いる」と現在完了の継続的な意味合いで断言できそうなのは、楓にとっての真緒と亜里であり、真緒にとっての楓と亜里であり、亜里にとっての真緒と楓だった。すくなくとも楓は、そう信じている。
 社会人2年目の冬に楓は亜里と知り合った。亜里は楓の夫が学生時代に所属していた劇団の元団員で、いまは別の劇団に移って細々と役者を続けている。楓の夫がまだ夫ではなく、恋人でもなく、親友だったころ、飲みの場で紹介され、仲良くなった。亜里は楓より3つほど年上だったが、ときどき少女のような純粋な頓狂さを発揮し、それはときに楓の周囲の大人が普段口にしないような素朴すぎる差別感情や偏見の露呈にも繋がっていたのだが、そのむき出しあやうさが亜里の人懐こさの源流でもあり、また魅力でもあった。楓は亜里のそんな人間性にはじめは面食らったが、何度か会って話をしていくうちに、亜里の暴力的な明るさに飲み込まれていくように、亜里と会っているときの楓は明るく奔放になっていった。深夜枠のテレビドラマや、ゴールデンタイムのバラエティ番組で流れる再現VTRでときおり溌剌と画面上を動き回り、ときおり見たことのないような神妙な表情でシリアスな場を演じる亜里を見かけると、楓はそのテレビ画面にスマホをかざし、夫のLINEに動画を送るのだった。
 楓が亜里と知り合って間もないころ、亜里の所属する劇団の舞台公演を観に行ったとき、楓の隣でたまたま観劇していたのが真緒だった。古典オペラに日本のお笑い要素を混ぜて現代風刺に落とし込んだ劇団オリジナルの戯曲で、亜里は一人三役の大活躍。カーテンコールでも明るい笑いをさりげなく演出した亜里は楓の脳裏で輝き続け、客席の照明がつき、アンケート用紙を記入する手にじっとりと興奮の汗がにじんだ。裏面までびっしり書きなぐったアンケート用紙から楓が顔を上げたとき、隣の席でさっきまでの楓と同じくらい背を丸めて用紙に感想を記入し続けていたのが真緒で、真緒は楓から一拍遅れてガバりと顔を上げ、もう誰も演じていない舞台上を見てからゆっくりと楓のほうを見た。最高でしたよね?楓は目を閉じてうなずいた。そうして楓と真緒はふたりで劇場の外に出て、すぐそばの鳥貴族で互いに自己紹介をしながら亜里が合流するのを待った。
 夫が青山のほうでヘンなたばこ屋をやっているんです。ハートの塩を齧りながら真緒は言った。コーヒースタンドみたいな、カフェバーみたいな、たばこ屋みたいな。名前もなんか、わ〜青山〜って感じで覚えづらくて。山芋の鉄板焼きを食べながら、楓は真緒の「わ〜」の言い方がとてもすきだなと思っていた。体温が低そうで、いつもうっすらと疲れていそうで、自立していて、こだわりがあって、やさしい。そこまでのことを楓が瞬間で悟ったかどうか。しかし楓はその些細な一瞬で、わたしはこの人と仲良くなる、という恋に近い脳の焦げつきを感じたのだった。ふたりでそれぞれの仕事や夫やまだ夫ではない親友のこと、生活のこと、10代のころのことを話しているうちに着替えや洗顔を済ませた亜里が合流して、亜里の到着と同時にとり釜飯がやってきた。わけもなく笑いが止まらなくなる三人。亜里の登場に特段恐縮することなく穏やかに振る舞う真緒を見て、やっぱりいいな真緒さん、と楓は思った。
 亜里は深夜ラジオに出た。楓はそれをソファに寝転んでまどろみながら聴き、真緒は後日ラジオアプリのアーカイブで聴いた。お笑いコンビのボケ担当、虎という芸名の男は亜里の高校の同級生らしく、お互いにしか通じない昔のささやかなエピソードをラジオブース内の全員でお笑いに昇華していた。このふたりは親友だったのだろうか。楓は寝返りを打ちつつ虎と亜里のツッコミ合う声を聴いて思う。真緒はそのころ「Municipality Humidor」のカウンターでハートランドを飲んでいて、店はとっくに閉まっていたが、その日の遅番であるエマと研修中の西崎、真緒の夫であり店主の滝友介は店にいて、それぞれカウンターに座ったりコールドテーブルの前に立ったりして、すきにお酒を飲み、この時間帯にアルコールをほどよく接種した人間特有の身振り手振りを交えて、人生に対しての諦念と悔恨と激しい情緒以外のだいたいすべて話していた。真緒がラジオのことを思い出したころにはエンディングトークの時間になっていて、亜里はブースの外に出て伸びをしていて、虎とその相方は最後の感想メールを駆け足で読んでいて、楓はソファで寝息を立てていて、楓の夫は真昼間のコスタリカで昼食のポークステーキにフォークを突き刺し、楓や亜里は元気にしているかな、と考えている。

光景/後景(5)

「小学生。いや中学、うーん?高校かもな……」
「うん」
「洗濯物をさ、実家で暮らしているから、からっていうのも変だけど、から、母親が洗って干して畳んでくれるじゃん」
「まあ家庭にもよると思うけど」
「うん。まあ……そうね。うん」
「ほいで?」
「いやあでさ、シャツのボタンとか……あ、高校生のときだわ思い出した。制服のシャツだったな」
「お前うしろ。自転車」
「ああ。……えっとなんだ。そうシャツを」
「うーわなにあの人だかり」
「え」
「車道を。あーデモね」
「なんのデモだこれ」
「なんだろね。こういうのって大抵、言いたいことがあるのに伝え方が下手すぎてただ衆愚を晒しているだけって感想しか湧かんわ」
「感想が湧くだけ大したもんだよ」
「で、なんだっけ」
「え、なに」
「いや、洗濯物がどーたら」
「あ、はいはい。なんだっけ。あそうそう」
「香水くせえ!んだこのにおい。あごめん、そいで?」
「シャツとか、ボタンついてる服とかさ、干すときにずり落ちたりしないためなのか、畳みやすくするためなのか、いくつかボタンがとまったまま畳まれていたりしてて」
「あーまあそうよな」
「これも家庭によるんだろうけどさ。うちの母親はそんな感じだったわけ。んで当時の俺はそれがむちゃくちゃ嫌でさ」
「なんで?」
「めんどくさいじゃん。いちいちボタン外して着てまたボタンつけるの。まあほんの一手間なんだけどさ。一手間がむちゃくちゃ嫌な、それはそれは生意気な高校生だったわけですよ。遅めの反抗期ですな。だから畳まれているときに、」
「うわーここ空きテナントになっとる……」
「キレてたわけですよ母親に。めんどくせえことすんなと。朝メシに焼き魚が出たときなんかも、骨がめんどくせえと。遅刻させる気かよと」
「それはお前の起床の匙加減だけどな」
「でもなんか、大学入って、一人暮らし始めて、いまもじゃん?もう、そろそろ長いよひとりが」
「んまあ長いっちゃあ長いな」
「料理とかさあ、洗濯とか、なんかいろいろ答え合わせみたいなことが起こるわけですよ。ボタン、干すときつけたりするよね。と。焼き魚、いうて焼くだけだから案外手軽なんだよな。と」
「うるっせえなさっきから拡声器が」
「なんか、そういう些細すぎることばかり、思い出しては母さんに謝りたくなるときが、あるよ」
「あのときはっ!!!!ごめーーーーーーーーーーーーーん!!!!!」
「んだよ急にうるっせえな」
「いやマジでうるさかったから、デモが。対抗しようと思って」
「闘争に別の闘争心で闖入するんじゃないよ」
「えっまじか」
「え。あ、うわー」
「めっちゃ並んでんね。めずらし」
「まあ……。でも、もうラーメンの胃になってるし」
「並びますか……」

信仰心

「それで糸井くんは、なんて言ったわけ?」
「べつに。んーべつに、なんにも」
「はあ?」
「いやいや。とりあえず出よう」
 俺はアメスピを灰皿にしつこく押し当ててから捨て、菜蕗ふきより先に喫煙所の扉を開ける。ここで言えるかっちゅうの。
 喫煙所を出てすぐ右手にあるミニマムなセブンイレブンの棚をぼんやり眺めていると、すぐに菜蕗が出てきた。駅構内、新幹線の発着する小綺麗なプラットホームから降りてすぐの喫煙所には、昨晩の気だるさを持ち越したようなスーツ姿の男性がみな一様に首を傾け、それでも意識はちらちらと俺たちの会話に注いでいる気配があって、そんなところでこんな話はしたくない。
「あ。んだよー、外にも喫煙所あんのかよ。こっちで吸えばよかった」
「とりあえずなんか食べない? 糸井くんも朝食べないまま出たでしょ」
「まあ……、いや、先レンタカーかな。行きしなコンビニ寄ろうや」
 早朝の北陸の空は濃淡や境目のない雲一色で、距離感が狂うその遠景は、屋根から壁面にまで張り巡らされた格子状のアムミニウム合金、張弦材ハイブリッド立体トラス構造によって聳え、世界一美しい駅舎とも称される国内最大のアルミ建築の輪郭をくっきりと際立たせていた。
「はあ〜荷が重い。荷が重いんだよな」
 北陸の地を訪れるのは今回が初めてのことだった。俺は友達の菜蕗を半ば強引に誘って、仕事のリサーチとしてここに日帰りでやってきた。
「この地に。ここらへんの土地に、どれだけの建築家が関わっていると思う? メタボリズムぶりぶり、カプセルタワービルの黒川紀章から? プリツカー賞やら金獅子賞やらわんさと獲得しているSANAAから?」
「すごいね。なんでこんなにアスファルトが赤茶けてんのかな。雪と関係あんのかな」
「モダニズム建築にもの派的解釈を添えて敵なしの谷口吉生から? 屋内と屋外、光と影の攻めとバランスを品良くこなせる公共建築の優等生、シーラカンスK&Hから?」
「ねえあんまこっち見ないでよ。聞いてるから。前向け前」
「良くも悪くもみなさまご存知隈研吾。みんなのあこがれ村野藤吾。内井昭蔵なんかもいる。内井昭蔵は俺は諏訪のサンリツ服部美術館が個人的には好きだね。地味だけど。まあそれはともかく。はああ〜なんで、なんでかねえ。俺は、なんで……」
 岐阜に総本山を構える新興宗教(世教、と俗に言われているらしい)の、とある信者が、数年前に一定数の信者を囲い込んで分派した。分派というか、分裂というか。詳しくは知らないが教義のようなもの、信仰の対象なども元の新興宗教とはまるきり別物らしく、だから元の新興宗教は分派自体を認めておらず、ただ一定数の信者が宗教から脱退したということになっている。なっているというかほとんど話題にすらしていない。らしい。すべて最近、必要になって調べた結果知った間に合わせの知識だ。俺は大型建築の設計・施工を主に担う会社に勤めていて、その会社に、分派した新・新興宗教(って言い方は果たして合っているのか?)団体から総本山建設の依頼が来た。宗教施設、特に新興宗教の施設というものは往々にして予算も潤沢で工期も緩く、土地も広くてクライアントから提示される諸条件や注文も大概易しいもんだから、そういった依頼は駆け出しの新人が請け負うことが多い。つまり俺は駆け出しの新人というやつで、その建設予定地周辺をざっと見に行こうとしているってわけ。それにしてもほんと、俺の初めての大仕事が、新興宗教の本山施設とはね。
「はい、次の信号右折でぇす」
「聞いてねえだろ、がっ。あいよぉ」
「しばらく道なりでぇす」
「あっコンビニ」
「あ! うわ〜……」
「まあそんなに時間かからんし。近く着いたらコンビニ探そう」
 菜蕗が助手席の窓を開ける。
「風つよ!」
「あんま開けんな開けんな。もうちょい閉めて」
「日本海だぁ」
「閉めるぞ」
「で、糸井くんはなんて言ったのさ」
「あぁ?」菜蕗が一瞬なにを言っているのかわからなかった。「ああ、その話ね」
「どうなのよ実際。彼女さんとのセックスも、べつに不満とかないわけでしょう、糸井くんは」
「ああ、まあ、そうねえ」
「え、不満だったりする?」
「いやあ」俺はウィンカーを出して車線を移る。さっきまで俺たちの車が走っていた道が枝分かれしてカーブを描き、徐々に視界から消えていく。「不満?ないよ。ないから」
 もし糸井くんが、たとえば子供を作りたくなったり、あるいはもっとふつうに、ふつうの人と、ふつうのセックスがしたくなったら、いつだってわたしと別れてもいいし、浮気だってしてもいいからね。先週、浅草へふたりでどじょうを食べに行ったとき、俺は奈美ちゃんからそう言われたのだった。鯉のあらいをつまみながら。唐突に。
「ないから……、でも、ないからこそ、特に気の利いたことはなんにも言えなかったな」
「で、彼女さんと来るはずだったのを、急遽わたしに連絡したという」菜蕗はさっきからずっと海を見ている。
「うーん。うーん……。いや、だってさ、……うーん」思考が格子を編んで言葉がひっかかる。俺は車のスピードをすこしだけ落とした。
「まあ気持ちはわからなくもないけど、言葉にしてよかったことかどうかはまた別問題ではあるよね」
「なにが?」
「いや彼女さんのね。わたしは……、女だからさ。っていうか、わかるっていうか、たぶんちょっとねじれの位置からの理解っていうか」
 俺は前方の輸送トラックを追い抜くために車線を切り替え、再度スピードを上げ、菜蕗の言葉の続きを待ってみる。
「いくつかの言葉を、糸井くんにも伝わるって前提で使うけど、知らなかったら都度話止めていいから。わたしはさ、ご存知の通り、シスジェンダーでレズビアンでしょう」
「シスジェンダーってのはどういうこと?」
「ああ……、えーと、糸井くんの彼女さんはトランスジェンダーでしょ?」
「ああ」
「それの対義語、って言ったらいいのかな。トランスジェンダーはさ、ほんとばかみたいな説明だけど、言葉通り、トランスするわけじゃん。トランスフォーム。シスジェンダーは、……わたしもシスって言葉の意味はわかってないまま使ってるんだけど、つまりトランスする必要性がない人ってこと。要はこの場の我々。トランス以外のほとんどの人ってこと」
 古畑任三郎のように人差し指をピンと立てて菜蕗は言う。
「はいはい。なーるほどね」俺は握っているハンドルを親指以外の指でタラララッタラララッと叩く。
「だから、なんて言ったらいいのかな。つまり〜。うーん」
「おいおいおいあのばあちゃんスピード出しすぎだろ」
「わたしは、いま付き合ってる人が、もともと女性と付き合ったことなくて」
「ヘテロ」
「あ、それは知ってんのね。そうヘテロ。かなりヘテロ寄りの……バイかな。いや、わたしが勝手に言っちゃいけない気がするから置いといて。そう、そんな感じだったから、こう、かなり後ろめたさがあったというか。喜びもたくさんあったけど。でもなんか、ごめんみたいな気持ちも、ちょっとはあった」
 立てていた人差し指が菜蕗の顔の前でだんだんと張りを失い、鉤形になっていった。
「ほう。それはどういう?」
「もちろん本人には言ったことないし、こんな言葉ふだん使わないけど、いままでできてた普通のセックスができなくなっちゃってごめんねって。わたしが謝ることではないってわかってるよ。後ろめたくなる必要もない。わかっているけど、でも気持ちは裏腹だったりしてさ。なんかほんとふとしたときに、ああ、わたしがこの人を生きづらくさせてしまった。マジョリティの世界で幸せに生きていけたはずだったのが、マイノリティの世界に、わたしが引きずりこんでしまった。って」
「ふむ〜……。うーん」
「だからそういう側面では、わたしは彼女さんの気持ちがすこしわか、……る。うん。すくなくとも、ややクリアに想像することはできる。彼女さんが糸井くんに感じる後ろめたさみたいなものがね。でも同時に、わたしはトランスジェンダーではないし、ヘテロでもない。同じ女性とはいえ、おんなじではない。なんて言ったらいいのかな……違う、違うんだよ、排除したいとかじゃなくて、むしろ尊重したいんだけど。わたしは、わたしの女性性を道具にして、同じ女性ってだけで、彼女さんのトランスとしての女性性を、あまり語るべきじゃないって、思っている……」
 菜蕗の人差し指は完全に手のひらにしまわれ、握り拳に変わっていた。
「俺はさあ」長いトンネルに入ったあたりで、外の音にかき消されないよう、すこし大きな声で俺は言った。「なるほどねえっていま聞きながら思ったけどさ。でも俺は俺で、やっぱりムカついたんだよな」
「勝手にオレの気持ちを決めつけて、勝手に不貞を推奨してくんなって?」
「そうとも言えるし、いや、もっとしょうもないことでもあるし、俺はこれは真理でもあると思ってるんだけど」
「なに」
「お前と会っているときの俺の勃起を信じろよ、っていう」
 菜蕗は黙っている。
「俺バカだからよくわかんねえけどよぉ! っていう有名なセリフがあるだろ。ほんと、そんな感じで、俺バカだからよくわかんないんだけどさ。とにかく、お前と手を繋いだり会話したり電車や車で隣に座ったり、髪やおっぱいのかおりを感じたりしているときの、この俺の股間の勃起を、お前は信じてくれんのかと。なんなら浅草でさ、どぜう鍋突っついてるときも、奈美ちゃんに、もし糸井くんが〜って言われているときも、ああかわいいな、きれいだな、やっぱりかわいい、好きだな、って思っている俺の脳みそと、脳みそから伝達された情報によってばっきばきに勃った俺の身体反応が、なんというか、いやほんと菜蕗すまん、ほんとバカなんだが、バカなことは百も承知なんだが、それでも言わせてほしいんだが俺は、俺はなあ。……ふふ、っふふくふふふふくふ」
「なんだよ」
「いや、ほんとなに言ってるんだろうって、ふふ思って。俺はなあ。っはは。とにかく俺は、奈美ちゃんが俺の身体を芯から信じてくれてはいなかった、ってことが、ムカついたし悲しかったんだろうな。俺は奈美ちゃんの身体をめっちゃ信じているのに」
 車がトンネルを抜けて、分厚い山肌がすぐそばまで迫り、またトンネルに入る。
 それから20分ほど行った先の小さなパーキングエリアで俺たちはうどんを啜り、日本海を眺めながらタバコを吸った。スマホを見ても奈美ちゃんからのLINEは来ていなくて、ムカつくような、寂しいような、申し訳ないような、悲しいような、恥ずかしいような、いまなにか送ったらなにか間違ってしまいそう、という気持ちに襲われる。菜蕗もタバコを吸いながら、眉間に皺を寄せながらスマホをたぱたぱ触っていて、仕事のメールでも返しているのだろうか。俺がいまの会社に就職して間もないころ、先輩に連れられて行った二丁目のバーで働いていたのが菜蕗で、俺と知り合った直後くらいにバーを辞めて会社員として働いているらしいが、俺はいま菜蕗がどんな仕事をしているのか知らないし、なんなら年齢も知らない。
「わかんないけどわかったというか、アホっぽいけど、糸井くんが彼女さんをとにかく好きってことはわかった」
 スマホをジーパンのポケットにしまい、しかめっつらはそのままに菜蕗は言った。
「わかってくれてうれしいよ」
「わかったし、わかってたけど、キモいな。わかったけど」
「あのな菜蕗、僭越ながら俺は言うぞ」
「なんだ勃起人」
 今度は俺が古畑任三郎の番だ。
「愛とは本来、きもちのわるいものなんです……」
 俺たちはタバコの火を消し、車に乗り込む。
 そして愛とは、信じる心。の、はずだ。
「はあ。やったろうじゃねえの。総本山、建築設計」
 潮風でべたついた髪をガシガシと掻き、俺は菜蕗がシートベルトを閉めるのを待ってからエンジンをかける。

窃盗録(10)

場所:TOHOシネマズ新宿

モノ:『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』

中身:アヤナミレイ(仮称)がかわいいシーン。

行動:スマホのカメラで写真を数枚と動画を数秒。

感情:となりの席に座っている人がちらちらこちらを見ているような気がしたが、上映後、満員の人混みに紛れてそそくさと外へ出たので事なきを得た。

カーセックス(16)

 やっぱりもう、こういう場所じゃ、どうもね。乾いた咳のあとにキナシが言い、クリハラは前を向いたまま静かに目を細めた。お互い、いい歳だ。いい歳というか、もう還暦だぜ。わかってたでしょ。クリハラはキナシの首に腕をまわす。キナシが嗅ぐクリハラのうなじのにおい。クリハラが嗅ぐキナシの鎖骨のにおい。それぞれ空白の年月のうちに変わってしまったにおいを確かめて、キナシとクリハラはどちらからともなく体を離す。いてて、あー。キナシが腰に手をあてて、ゆがんだ口から琥珀色の歯をのぞかせる。クリハラはそんなキナシの全身を視界に収めて、それからまた目を細める。雪だね、とクリハラが言う。ずっと降っていたじゃないか、と言いかけて、キナシはフロントガラスに薄くつもった雪に目を向ける。ああ、そうだな、雪だ。溶けるまで一つ所にいて、溶けたらどこかへ流れ行き、同じ場所に同じ雪は積もらない。雪だ。そういう、これは雪だな、クリハラ。

梶沙耶の愉快な一年(8)

 歩いたら行き止まります春の海

迷彩

 夜が明けて、全員が起き出してから、僕たちは橋の下で改めて地図を広げた。
「そのスペースコーヒーって場所は、結局、どこにあるんだ?」ぽビュー5ファイブが全員を見渡すように言った。
「メイジュー、あのトラックの運転手はなんて言ってた?」カンパナが僕を見る。
「ごめん。僕も、詳しい場所までは」トラックの助手席に座っていたのは僕とモロー・スペース。あとのみんなは荷台の中にいた。「……もしかしたらなにか言っていたのかもしれない。聞き逃してしまったかも」
「ほんとうに行くのか?」と田中〜愛〜田中。「というか、行ってどうするんだ?」
「たしかにね」くくぅくは腕を組んで首を鳴らす。「ま、それに、そもそもから始めたほうがいいよ」
 歌詞宮10葵かしみやてんあおいがあくびをこらえている。
「そもそもって?」とカンパナ。
「ノシたちがこれからどうしたいのかってことだよね」歌詞宮10葵が伸びをしながら言った。10葵はノシという独自の一人称を使う。「でもそれってすごく、広いよ。そもそもが多すぎる」
「そもそも私たちは、施設から逃げてどうするつもりだったのか。ただ逃げたかったのだとしても、これからどうするのか。そもそも……そもそも、私たちは……、どうかな、ほんとうに生きたいって思っているのかな。あるいは、ここで生きたいと思っているのか、もっと別の場所へ行ってみたいと思っているのか」ぽビュー5は10葵やカンパナの顔を見ながら言う。
「ここで……ここでっていうのは、ここ、旧京都自治領でってことだけど。ここで生きていくとして、どうしていくべきなのか。どうしたいのか」田中〜愛〜田中が言葉を継ぐ。「ワレたちも、当たり前だけど、人間だし、動物だ。生きてる。食って寝て、排泄しないと。そしてそういう場所を見つけるか、作るか、していかないと」
「僕は死にたくない」僕は地図を見下ろしたまま呟いた。「僕は……死にたくないと、昨晩、思った。みんなもそうだと嬉しい。というか」どこかで小鳥が鳴いている。川の中で何かが跳ねる音。「みんなもそうなんじゃないか?」
「××××××××」僕におんぶされているモロー・スペースのちいさな手が、僕の背中をさすってくれている。
「そうだね、すくなくともあたしは、そうだな」とくくぅく。
「私も、うん」とぽビュー5。
「そもそも、キスマークでお互い、なんとなく同期されているしな」と10葵。
「まあ訊くまでもないな」と田中〜愛〜田中。
「それで」と僕。「スペースコーヒーを目指すっていっても、そこがゴールになる必要はないと思うんだ。うーんゴールっていうか、うまく言えないんだけど……。僕たちはずっと、施設にいたから。たぶん、いろんなことを知らない。人との繋がりもないし、頼れる人だっていない。だから……とりあえず、目的地があるっていうのは、ひとつ、生き永らえるための手綱みたいになってくれるかもしれない」
「ふむ……?」とカンパナ。「どういうことだ?」
「ごめん、僕も、思いつき思いつき話しているんだけど」僕は地図から顔を上げる。10葵とくくぅくが僕を見ている。「コーヒーっていうのは、僕は実物を見たことがないけれど、飲料でしょ。トラックの運転手のおばあちゃんがやっていたっていう、その、スペースコーヒーっていうお店は、だから、そのコーヒーを提供する場所ってことなんだろう。飲料を提供するお店なんだから、もしかしたら飲料以外の、たとえば食料、食料があるんだとしたらそれを保管するもの、そしてお金、もしくはお金の代わりになりそうなものがあるかもしれない。寝床だってあるかも。あと、これはもしかしたら案外大切なことなのかもしれないっていま思ったけど、スペースコーヒーってお店を探す、っていう目的があると、話題として、人に訊いたり話したりできる」
「なるほどな」とぽビュー5。「私たちはなにもかも知らなすぎる。この国の人間と会話を成立させるための話題はストックしておいて損はない」
「そういうこと。これはクエストだ」と僕。「それに、スペースコーヒーを探したり、辿り着いたりする途中で、いまの僕たちが想像もしていなかったような出来事や、人間同士の繋がりに巻き込まれていくかもしれない。そうして僕たちはいつの間にか、この場所で生きていけるようになっているかもしれない」
「決まりだな」10葵はぽビュー5の脇腹を小突く。「そうと決まれば、ぽビュー5」
「ええー私かあ……まあ私だよな。このなかじゃ一番目立たない肌の色してるし」
 そう言うと、ぽビュー5はおもむろに服を脱ぎ始める。

 施設のなかで、キスマークとコモン・マザーによって身体情報や感情の起伏がゆるやかに同期されていた僕たちは、施設の外、コモン・マザーの接続圏外に出たことによって同期自体は解除されていたが、物心つく前から同期されていた僕たちだったから、いわゆる幻肢痛のように、あるいは共感覚や強い共鳴のようにして、それぞれの身体の状態や感情が自分のことのようにわかる、感じる瞬間が多々あった。誰かに見つかったときの危険性を考えると、全員一度に、あるいは複数人で川に入り、身体を洗うことはなるべく避けたい。幸い僕たちはその後遺症のような状態がまだ持続しているから、僕たちのうちのひとりが身体を洗えば、なんとなく自分たちもさっぱりしたような心地になれた。
「ひーつめた。ああーでも気持ちいー」
 素っ裸になったぽビュー5が、川の浅いところで髪を洗っている。
 ぽビュー5は僕たちの中で一番この風景に溶け込める色味の肌をもっていて、僕たちを代表して身体を洗うのにうってつけだった。ぽビュー5の肌はさまざまな濃淡の灰色やクリーム色が水の飛沫やアメーバのようなデタラメさで全身に散らばって配色されていて、素肌が川辺の砂利や石に紛れて迷彩服の役割を果たしていた。
「さあ、じゃあまずはどこへ向かおうか」10葵が歯をガチガチ震わせている。ぽビュー5の浴びる水の冷たさを感じているのだろう。
「とりあえず、食えるものを確保したいな」田中〜愛〜田中は笑っている。それは誰の、どの感情を受け取っているのだろう。
「そうだね、だから」僕も僕で、さっぱりした気持ちになってきている。僕はモロー・スペースを背負い直して、振り向いてみる。
「×××」
「うん。そうしよう」と僕。「これから川沿いを下って、鴨川のデルタ地帯まで行く」

カーセックス(17)

 車を停め、ハンドルに置いていた左手を後頭部にまわして髪を解こうとしたとき、無防備になった左腋の下にタカハシの顔面が突っ込んできて、ミツイは身をよじりつつも笑ってしまう。ねえ!やめてほんとに。タカハシはミツイの腋の下に鼻をあてて大きく息を吸ってから離れ、ミツイのほうを見ながら、温泉に肩まで浸かったときのような声を漏らした。あ、別れようかな、とミツイは思った。思ったし言った。思ったことは言ってしまうのがミツイだった。やだ!とタカハシはへにょへにょ動きながら今度はミツイの二の腕を触る。どうでもよくなって、ミツイは左腕をタカハシのほうに気持ち投げ出し、ガソリンメーターのあたりでちろちろ動く羽虫を眺めていた。さっきいい匂いした。腋?くさいだろ。違うよ、髪ほどいたとき。ああそう。そこでミツイは目を向ける。タカハシはずっとミツイのほうを向いていて、タカハシはミツイの髪、額、鼻柱、唇、体全体、それらがうすく輪郭を保ってここにたしかに存在している様を見ていて、ミツイはタカハシの触れればはじけてしまいそうな眼をただ見ている。窓ガラスは曇っていて、外灯の光を含んでやさしく輝いていた。

メタセコイヤ

 北西を海、南東から南西をぐるりと山、北東と南西それぞれを名前の違う二級河川で囲われた、細長い頭陀袋のような地帯があった。南西の川に架け渡された橋から袋の外に向かい、しばらく道なりに進むとちいさなニュータウンが現れる。ブラボーロードと名付けられたニュータウンの玄関口を担う大通りはメタセコイヤの並木道で、地域のささやかな景勝地としてときおり周辺住民の話題に上ることもあり、縮小傾向にある路線バスの車内広告や、無人化された鉄道駅舎の待合室に貼られた観光PRのポスターなんかで、車道や歩道をふくふくと繁った枝葉が包み込んでいる様を見ることもできた。
 ニュータウンにはコンビニもスーパーもなく、レストランやブティックの類もなかったが、リウマチを専門に診る整形外科が一軒あった。
 このクリニックは、ニュータウンが整備された当初は心療内科として開業されたものだ。4年ほど前、年老いた院長が同郷の若い医師仲間に一筆認め、その医師仲間がクリニックを引き継ぎ、整形外科として新たに運営されていくこととなった。
 前院長の受け持っていた患者はあらかた別の場所へ通院するようになったが、ひとりだけ、看板を刷新したクリニックに通い続ける者がいた。患者はニュータウンに暮らす女性で、月に2度ほど、プロギノンデポーを投与しにクリニックを訪れた。現院長は、この患者についてのカルテ以上の知見はほとんどなかった。特に興味もなかった。しかし前院長が「打ってやってくれ」と言い、それ以上の特別な処置が必要ないというのなら、現院長としては断る理由もない。患者は通い続けた。そしてやがて、患者は年老いて死んだ。
 ブラボーロードに幾度も季節は巡り、現院長もゆっくりと齢を重ねた。このクリニックがかつて心療内科だったことを知る人間はもうほとんどいない。規則正しく整備された道路や家屋も徐々に経年の重みに軋みをあげ始め、アスファルトは餅のようにひび割れた。この地に暮らす人間も、ときおり微増しては減り、また増えてはどっと減り、人口推移のグラフは鋸状のギザギザを描きつつ下降し、点在する空き家に蔦は繁茂していった。
 そんなある年の暮れ、クリニックに初診患者がやってきた。受付が訝しみながら手渡した問診票のほとんどの項目は無視され、「本日はどうなさいましたか?」の「その他」の空欄に「ホルモン注射(プロギノンデポー)」とだけ書かれていた。インターネットで調べた末、ここに辿り着いたのだという。ここを見つけていなかったら、死のうと思っていたと初診患者は言った。いま、この国や、この街、この世界がどうなっているか。私のような人間が、どういう生活を送っているか、先生はご存知ですか? 現院長は初診患者の言葉に応答はせず曖昧に愛想笑いを浮かべ、とりあえず来週、またお越しください、とだけ言った。長く、あなたのような人のことは見ていなかったもので。プロギノンもいま無いんです。調達しますから、また、お越しください。そうして初診患者は患者になった。月に2度ほど、2アンプル、プロギノンデポーを投与するために、電車に乗りバスに乗り、注射代より高い交通費を出して、クリニックに通い続けた。そしてやがて、患者は年老いて死んだ。
 ニュータウンから大半の人間が去り、クリニックは閉業した。ほどなくして現院長も死んだ。このニュータウンに整形外科があったことを知る人間はもうほとんどいない。そしてそのクリニックがかつて心療内科だったことを知る人間はひとりもいない。季節は巡る速度を増し、マーブル状になった時間の流れの途上で、家々は朽ち、草木やその根が輪郭を支え、河川は幾度か氾濫し、メタセコイヤの葉は規則正しく繁り、散り、また繁り、そして散った。

ボクサーパンツ

 洗濯機から取り出した衣類のなかに糸井くんの下着が混じっていて、そういえば籠に入れていたな、とわたしは思い出す。
 半月ほど前の仕事終わり、わたしは糸井くんと一緒に家に帰って。ごはんを食べて、ベッドでセックスごっこをして、そのまま朝まで寝落ちしてしまって。ベッド脇に脱ぎ散らかした衣類のなかから自分の下着を見つけられなかった糸井くんは、遅刻するからとノーパンで家を出た。わたしはその日、病院に行くために午前休を取っていたから、糸井くんと一緒には出なかった。注射を打って、出勤して、ディスプレイの前で腕組みをしている糸井くんを残してひとりで退勤して。夜、部屋を掃除しているときに、わたしの肌着に埋もれていた糸井くんの下着を見つけて。
 ピンチハンガーをベランダの物干し竿に掛けて、つめたく湿ったキャミソールやショーツ、ブラジャーや靴下、タイツ、ハンカチ、バスタオル、それらを淡々と吊るしていく。糸井くんの下着に手が触れて、わたしはその深緑色のボクサーパンツを鼻に当てて、息を吸ってみる。わたしの洗剤のにおい。わたしの柔軟剤のにおい。湿った生地のにおい。その奥にたしかにある、糸井くんの洗剤のにおい。糸井くんの下着のにおい。糸井くんのにおい。なつかしい、わたしもこうだったかもしれない、男の身体のにおい。
−−ごめん、やっぱり石川、おれひとりで行ってくる
−−わかった
−−ごめんね
−−謝らなくていいよー。いってらっしゃ〜い!
−−ありがとー
 そのやりとりを最後に、糸井くんとは連絡をとっていない。とは言っても、同じ会社で働いているから日々顔を合わせるし、業務的な会話もする。それに、このLINEのやりとりだって、ほんの5日前のことだ。5日間くらい、連絡しないことなんて、ぜんぜんめずらしいことではない。なんてことはない。かもしれない。
「もし糸井くんが、たとえば子供を作りたくなったり、あるいはもっとふつうに、ふつうの人と、ふつうのセックスがしたくなったら、いつだってわたしと別れてもいいし、浮気だってしてもいいからね」
 ああわたしは、言ってしまったな。と、あのとき、糸井くんの表情の変化でようやくわかった。わたしはわたしの本心に、気づいていないフリをして、糸井くんにはわからないだろうとタカを括り、言ったのだ。
 そんなことないよ。ふつうなんてそんなのどこにもないよ。浮気なんてしないよ。俺は奈美ちゃんだけが大事だよ。
 わたしは糸井くんのことを考えているようでいて、真実わたしのためにそう言ってほしくて、あんなことを言ったのだ。最悪だ。
「え……?」
 そして現実の糸井くんは、わたしの願望の糸井くんとはまったく違う反応を示したのだった。
 洗濯機1回分の衣類をあらかた干したり吊るしたりして、わたしは2回目の洗濯機を回す。ずいぶん溜め込んでしまった。ベランダに干せないぶんはコインランドリーにでも行こう。ケトルのスイッチを入れて、コップに牛乳を注いで一息に飲んで、コップをシンクに置いてから、なんでケトルのスイッチを入れたのかわからなくてスイッチをカシンと上げる。自分の後ろ髪の軌道上にわたしの鼻が来てヘアオイルの残り香を他人の体臭みたいに感じる。網戸をして開けているベランダの窓からは人の往来の音やバイクのエンジン音、自転車のチェーンの空転する音がキッチンにいるわたしの耳まではっきりと届いていて、わたしは網戸から見える画素の荒いgifデータみたいな景色、景色というより光を、眺めるともなくぼんやりと感知していた。それでようやく自分の目が閉じていないことがわかる。そんな感じに。
 エマに。
 ……エマなら。
 エマなら、なんて言うだろうか。なんて言っただろうか。誰かと付き合っているとして、そんなこと言うだろうか。言わないかもな。トラに……。
 トラに、わたしはそんなこと言うだろうか。
 トラにこそ、言いそうだな。いやあ、どうかな。
 寝室のとなり、寝室とほとんど同じ造りの、6畳ほどの和室に入る。畳の上に直置きで壁際に立てかけてある、エマの描いたキャンバス画の前にしゃがむ。こんなものを手放せるなんて、ペインターはすごいな、とわたしは思う。ペインターって言ったら嫌がりそうだな。また描かないのかな、エマは。描いてもなんの意味もないじゃないかと冷たくあしらわれるだろうか。まんざらでもない顔を隠そうとしながら。
 みんな、いまごろなにしているのかな。とくに誰、と挙げていくことも想定することもせず、ただ漠然と、みんな、と思う。畳の凹凸に指の腹を沿わせて、こまかに登ったり降ったりする感触を楽しむうち、パンでも買いに行こうか、という気分になってきている。
 洗濯機はヘリコプターのような駆動音で脱水を行なっていた。

窃盗録(11)

場所:上諏訪のあたりを、中央本線に沿うように徒歩で南下している途中。

モノ:通り過ぎたアパートのベランダから漏れ聞こえてきた鼻歌。

中身:その鼻歌。

行動:メロディを真似て、というより感染したようになって同じ歌を歌い、アパートが遠く離れていってからも、その鼻歌を引き継ぐようにして歌いながら歩き続けた。

感情:あまりにものどかで。もうすこし歩いてもいいな。

窃盗録(12)

場所:自国。

モノ:かつて自国だった他国。

中身:かつて自国だった他国が培ったおよそすべてのものとひとと、その成れの果て。

行動:国境地帯に軍を配備し、国境近接地帯や海岸地帯の基地では戦闘機の整備。陸海空で迅速な制圧を目指す。

感情:いつか、すべてをわかってくれる。

窃盗録(13)

場所:ロマニナート公園からジグザグに歩いていつのまにかたどり着いていた、民家のポスト。

モノ:誰かが誰かへ送った手紙。

中身:英語でなにか書かれている。

行動:ワット・フアラムポーンの方向にふらふらと歩き続けて、てきとうに疲れたところでモタサイに乗って家に帰り、スクラップブックに貼り付けた。

感情:さみしい。ほんとうにさみしい。だれかおれを助けてほしい。見つけてほしい。だれか。

エネルギー

 早番を終え、自転車にまたがり、青山霊園を通って迂回する形でエマは新宿へ向かった。赤坂御苑と明治神宮の間を走り抜けたのち、信濃町から千駄ヶ谷へと通じる道で、利用客のすくなそうなコンビニを探してトイレで軽く化粧をする。エマはこのあと、マッチした人と新宿でご飯を食べる。久しぶりにまともに会話ができる人間とマッチして、エマの気持ちはピンと集中していた。エマは取り繕うのが苦手だ。苦手というだけで、取り繕うときは取り繕うし、嘘だってつくし、騙そうともする。けれど苦手は苦手だから、取り繕った態度はすぐにほどけるし、嘘はバレるし騙せない。エマはマッチングアプリのプロフィール欄でも書かなくていいことをわざわざ書き、これではいけないと添削するたびに、余計な文言が増えていったり、語彙が刺々しくなっていった。「え、ちんこついてんの」「ヤろ」「受け攻めどっちですか」「オカマってことかな」「結局男なの、女なの」「ぼくドMなんですけど大丈夫ですか」「死ね」「好きな体位はなんですか」「男が好きなん?女が好きなん?」「アナルセックスしかできないってことか」「むずかしそうな人ですね」「あ、膣あんの?」「えっちですね」「エロ」「性別偽って登録してますよね?通報しました」「おれむしろあなたみたいな人に興奮するっていうか」「綺麗ですね」「ぼくのペニス見てもらえます?」「おしり」「お前きも」「ホテル行きませんか」「ごめんなさい、男性とは付き合えないんです」。エマはマッチした相手からどんなメッセージが来ても、ひとまず対峙する、という姿勢を崩さなかった。死ね、去ね、くたばれ、滅びろ、殺す、いや、もうこいつらは、死んでる。そう思いながらも、エマはひとりひとりに自分の身体のこと、性別のこと、指向や嗜好のことを、なるべく誤解がすくなくて済むレベルで簡潔に説明し、会話を試み、それはときおり成功し、大半は失敗した。黒い感情を向けながら説明や会話を試み続けるなか、エマは思う。わたしはほんとうは、自分自身にこの感情を向けているのかもしれない。死ね、くたばれ、殺す、いや、もうわたしは、死んでる。そうなのかもしれない。でもそう思いながらも、あるいはそう思うからこそ、エマはマッチングアプリをやめることができないのだった。
 新宿駅前の、瀟洒なビルの地階の店で、エマはマッチしたその人と待ち合わせていた。ややカジュアルな、割烹料理店にBALの要素を混ぜ込んだような趣の、価格帯や料理の質のわりに客層の若い店だった。エマとその人はカウンターに横並びで座り、生ビールを頼み、造りを頼み、串を頼み、白焼きを頼み、胡麻豆腐の揚げ出しを頼み、なぜかメニューにあったレバーパテを頼んでふたりはワインを注文した。その人は大学で宇宙工学の研究をしていた。エマにはむずかしい話はわからない。エマは、むずかしい、自分にはわからない、けれど心血を注いで取り組んでいる話をその人がしてくれている、という状況そのものの滋味深さを真剣に味わっていた。それが肉体の話でも、性の話でも、好きな体位の話でもないことに素直に喜んだ。エマはその人に質問を繰り返し、その人は、エマがわからないことをわかるように、そして次第に、わからないことそれ自体を尊ぶように、エマに宇宙の話、エネルギーの話をし続けた。
 ふたりが2本目のワインを注文したとき、若い大将らしき店員が、カウンター越しにふたりを交互に見てから、彼女さんですか、とその人に訊いてきた。訊かれてしまった。エマは瞬時に酔いが冷めた。こういうときの、エマのそばにいるときの男性の反応で、エマは幾度も地味な絶望を味わってきた。しかしその人は躊躇なく、大将らしき店員に、まだ違います、と答えた。まだ違います。エマはその言葉を頭の中で反芻した。まだ違います。それからエマは、店を出るまで、その言葉を大切に反芻し続けた。
 こんなに楽しかったのは初めてです、と、その人は言った。ふだん、マッチングアプリで会うような人は、僕のこんな話を真剣には聞いてくれない。いや、聞いているのかもしれない。でも結局、お金をたくさん稼いでいる、稼いでいそう、これから稼ぎそう、ってことしか考えていないのが見え見えで。おだてられることにも疲れたし、興味を持たれない事柄についてわざわざ話し続けることにも飽き飽きしていたから。だから、ほんとうに、今日はたのしかった。あなたと会えて、たのしかった……。その人は数秒黙り、そしてエマの顔を見ないまま続けた。こんなことをあなたに言うのは酷だとは思うんですけどね、僕は、性欲がとても強いという自覚があるんです。毎日……したい、くらい。そういうことを考えると、だから、エマさんとお付き合いするのは、正直むずかしいかな、お互いにとって、つらくなってしまうかな、と思うんです。エマはその人の言葉をうなずきながらただ聞いていた。でもほんとうに、会えてよかった。たのしかったんです。もしよければ、連絡先、交換しませんか。もちろん、とエマは言って、ふたりはスマホを取り出した。片方が片方のQRコードを読み取って、片方が片方にスタンプを送信した。そうしてふたりはビルの前で別れた。
 自転車を回収して、エマは自転車を漕ぐ気にはなれず、自転車を押したまま、甲州街道を歩いた。人が、人が、たくさんの人が、エマとすれ違ったり、追い越したりする。エマはコンビニで紙パックの鬼殺しを買って、ストローでちびちび飲みながら、また歩いた。歩いているあいだ、エマはずっと微笑んでいて、けれど眼は虚ろに信号機や街灯の光を捉えたり逃したりしている。エマは歩いている。明日のシフトが遅番でよかった。歩きながら、エマはなににでもなく、ただうなずいている。うなずいて、うなずいて、うなずいている。

「こんにちは。坂東卵です。らん。みだれる、の乱。花の蘭。英語で走るはrun。アンケート用紙、役所の申請書、会員登録、さまざまな欄。LANケーブル。川が氾濫する。欄干に手を置く。ほらご覧。たのしいな、ラン、ラン、ラン。そしてわたし。意外といろいろな意味のある音ですよね、らんって。
 わたしの、らん、は、たまご、と書いて、らん。ばん、どう、らん。なんだかすべてが強い言い切りのような名前ですよね。面、胴、籠手、みたいな。坂東統子の妹で、内臓が地球です。地球っていうのは、地球、この、のことで、みんながわたしの内臓のあちこちで生まれたり死んだりします。だから、つまりわたしは、地球の"中の人"ってことになりますね。あ、でも、内なる臓器と書いて内臓なので、そして実際、内にあるので、わたしの、なので、正しくはわたしは、地球の"外の人"ってことになりますね。だからわたしは、地球外生命体ということになるのかもしれません。あ、いえ、だいじょうぶです。ここで言ったって信じないだろうし、というかどこで言ったって大概の人は信じないだろうし、信じたところでだからなに、って感じだと思うので。
 でも、矛盾を承知で言うと、わたしは、信じてほしくもあって。もっと言うと、わたし以外のあらゆる人間、あらゆる生物、そういったものの"内"は、みんな、それぞれ地球なんです。宇宙と言ってもいいけれど、宇宙はわたしにはピンと来ない。わたしはわたしの"内"に宇宙を確認することはできない。だから、わたしの内臓は地球だけど、地球っていうのはあくまで便宜的な言葉でしかないんです。あなたの内も、あなたの内も、あなたの内にも、あなたの内にも、地球らしきものはあり、そしてわたしたちはその地球外にいる。わたしはわたしの地球で生きるみんなの仔細な情緒や機微のすべてまでは感知しきれないけれど、だからみんな、地球外生命体なんですよね。
 じゃあこの、地球外生命体であるところのわたしたちが暮らす"この地球"はいったいなんなのか、という話になりますよね。わたしの内臓……、ここでは仮に"内的地球"という言葉を当てはめますね。"内的地球"ではありとあらゆる過去や未来、さまざまな人間の生や死、生き様や死に様がバラバラに感知されます。時制がないとも言えるし、時制が無限に存在する、とも言えて、それは各々が理解しやすいイメージを採用すればいいとは思うのですが、つまりそういう、平たく言うとカオスな状態が"内的地球"で、それに対してわたしたちがいる"この地球"には、現在しか存在しません。現在しか存在しない"この地球"に、わたしもあなたも生きて、暮らしています。というより、ほとんどの人間は"この地球"に存在している自分のことしか知覚することができない、といった感じでしょうか。"この地球"に存在すると同時に"内的地球"にもわたしやあなたは存在しているのですが、その"内的地球"に存在する自分を、あなたも、あなたも、あなたも、あなたも、きっと想像することができていない。パラレルワールド、並行世界、マルチバース、なんて言葉や概念がありますが、わたしに言わせるとそれは"この地球"と"内的宇宙"のことですね。"この地球"に存在している限り、"内的地球"にも、あなたは必ず存在している。逆も然りです。SF的なお話になってしまいますが、たとえばタイムマシーンのような装置がもし発明されたとしたら、それはきっと、"この地球"から"内的地球"への帰還可能な交通回路を作り、任意の時制を観測するための機構を備えた、胃カメラのようなものになるでしょうね。あるいは、全身麻酔を施して行われる開腹手術のようなものでしょうか。"この地球"にいるわたしの存在を一度閉じ、"内的地球"から任意の時制を切除し、"この地球"に摘出する。
 試しに、と言っても、試したところでだからなに、というところではあるのですが、いくつかこの場に、"内的地球"から任意の時制を摘出してみましょうか。わたしがここで示すことができるのは、わたしが"内的地球"つまりあらゆる時制、あらゆる場所や空間で響く人々を声を、聞き取れる限りにおいて再現する程度のことなのですが。「あなたいい欠伸するねえ!」「ラピート乗ったことある?」「門司港で金物売ってたほう」「あ〜ん」「好きなんだよねフルーツ味」「もしもし、も……。もしもし」「あ、もしもし、うん大丈夫。え、もしもし?」「電車止まってるんだってさ」「震源地どこ?」「鳥肌たってきた」「眠い」「『【緊急】電話の使用を極力控えてください。被災地の方に少しでも回線を開けてください』だって。Twitterで」「あれ、あれ無い、あれ無いあれ無い財布がない……」「なえぽよじゃん」「いやでもほんとにありがとうございました」「こんな形だったんだ」「寒くない?」「ボウリング行こうよ」「はいこっちおいで。ははちょっ、ははははいはい舐めないでいま舐めないでお〜いやだったねえはいはいはい」「ほらチャイがテイクアウトできるぞ」「ビールとワインと蟹と肉があるだろ」「ほら行くぞ」「洗濯物をさ、実家で暮らしているから、からっていうのも変だけど、から、母親が洗って干して畳んでくれるじゃん」「まあ家庭にもよると思うけど」「車道を。あーデモね」「キレてたわけですよ母親に。めんどくせえことすんなと。朝メシに焼き魚が出たときなんかも、骨がめんどくせえと。遅刻させる気かよと」「めっちゃ並んでんね。めずらし」「……っはあ〜あん!ああ〜〜〜ンまじかよお〜〜〜」「じゃあ……。わたしはソファで寝るね」「ようこそ」「……なにか、むかしの、かなしいこととか、はずかしいこととか、しくじりとか。……くやしかったこととか、さみしかったこととか。……傷ついたこととか、ムカついたこととか、納得できないこととか。やるせないこと……とか……。せつないこと、くるしいこととか。そういうことばかり頭のなかを巡って。……際限なく落ち込むような日って、どう過ごしてる?」「あ、餅つきしたいな。餅つきもしたい」。こんなところでしょうか。意味がわからないですよね。わたしのなかでは、いや、"内的地球"ではこのように、さまざまな場所、人の、ありとある言葉が響き合い、つながっては離れ、いまここにいる"この地球"のわたしにとっての後景として常に鳴り続けています。わたしはそれを、"内的地球"のあらゆる声の集積や響き合いを、ショートスパン・コールと呼んでいます。
 ……。
 おそらく、人によっては、わたしのこのような話を、あるいはわたしの存在そのものを、なにか神的存在や神的事象、啓示のようなものとして理解するでしょうね。でも、これは断言しますが、"この地球"にも"内的地球"にも、神は存在しません。霊魂や、運命のようなもの、それらに近しいものは存在しますが……、というより、"この地球"のあなたが、あなたが、あなたが、あなたが、"内的地球"の自身や他者、事象をなんらかのきっかけで瞬間的に知覚する、幻視する、その混乱を、その不思議を、混乱や不思議のまま保留するのではなく、処理、理解する方法として人間は神や霊魂、運命のような概念を生み出したのだと思います。そして、わたしのような、"内的地球"を常に知覚できる人間は、"内的地球"を知覚できないその他大勢をたやすくセンドウ……扇動、先導、煽動、ええと、いや、言い換えますね。つまり、わたしのような人間は、宗教のような枠組みを用いて、たやすく人を集め、大衆に自身を崇めるよう仕向けることができるということでもあります。
 ……。
 ここまで話してきたことをまとめると、つまりわたしは、無限の時制がデタラメに発現する"内的地球"と、その外、現在の連続のみが発現する"この地球"の、境目に立ってそれぞれを知覚したり、揺れうごいたりしながら生きている、ということになります。ですがこれは、さきほども言いましたが、わたしだけに許された、特権的な能力ではないのです。わたしはたまたま、生まれたときからその回路が組み上がっていた、というだけ。"この地球"で生まれたばかりのころ……こどものころ、10代のころなんかは、これはわたしだけの特別なチカラで、あるいは特別な体質で、こんな人間、こんな知覚、こんな状態、わたし以外にはありえない、と思っていました。当たり前ですが、そういう意味ではわたしもごくごくふつうの人間、ということですね。わたしのように先天的に"内的地球"を知覚できる人間は他にも存在しているでしょうし、後天的に、ある状態、ある条件、ある資質、ある思考や閃き、認識の転換によって、"内的地球"を知覚するための回路が組み上がる可能性は、ゼロではない。その回路の組み上げ方を教えられるほどの語彙をわたしは持ち合わせていないので、あなた、あなた、あなた、あなた次第、ということになってしまいますが。可能性はゼロではない、ということだけ、ここでは言っておきます」

主人公

 カホンケースとウーバーイーツのバッグが似ているおかげで職質されなくなった、と貝原かいばらさんはうれしそうに言いながら、ソファ席の隅にカホンケースを降ろした。
「けっこう呼び止められることあって、以前は」
「たしかに、なんかものものしいですもんね。デカいし」
「そうなんです。ちょっと中身見せてもらってもいいですかーって。見せたら見せたで、これなんですか……? って」
 貝原さんとわたしは、駅前の貸しスタジオでの恒例のドラムレッスンを終えて、そのまま歩いてすぐのサイゼリヤに入って夕飯を食べようとしているところだ。さあさあさあ……と言いながら、わたしは貝原さんの前にメニューを滑らせ、わたしもわたしでもう1枚のメニューを開く。
「今日はわたしの奢りです」
「いいんですか」
「いいんです。教えてもらっているのはこっちなのに、スタジオ代はいつも割り勘だし」
「いいんですけどね、それは。でも、じゃあ、お言葉に甘えて」
 わたしは小エビのサラダと大きいほうのデカンタの赤、ほうれん草のソテーとモッツァレラトマトを頼み、貝原さんは熟考のすえにミラノ風ドリアとドリンクバーを注文した。
「もっと頼んでくれたっていいのに」
三矢田みやたさんも三矢田さんで、お腹空きませんか、それ」
「わたしお酒入れると食細くなるんですよねえ。これくらいでじゅうぶん」
 いますよねえ、そういう人。傍らのカホンケースにやんわり寄りかかって貝原さんは微笑んでいる。職場である老人ホームの共用リビングにすこしまえから私物のカホンを置いていて、ときおりレクリエーションで叩いたり、教えたりしているらしかった。すこしめずらしいものだと大正琴なんかもあって、僕は弾けないんですけど、みなさんけっこう活発に練習していますよ。わたしは貝原さんのそういう話を聞くのがすきで、貝原さんも貝原さんで自分の話をするのが嫌いではないらしく、スタジオから出たあとも自販機の前なんかで中学生のようにしばしば立ち話に興じることがあった。
「ちょっと久しぶりに、好きに叩きたくなったんですよね。カホンだけだとすこし音がさみしいですけど、案外それだけでも楽しかったりするんです」
「それで職場から持ってきたんですね」
「そそそ。ドラムとはまたちょっと違ったコツがいるでしょ」
 スタジオで、わたしもすこし叩かせてもらったのだ。
「手ぇじんじんしてちょっとかゆくなりました」
「そうなんですよね。慣れなんですけどね、それも……」
 隣のテーブルに人が座って、貝原さんの様子が微妙に変化したのを、おや? と思いつつもわたしはスルーして、ほうれん草やトマトをつまみつつ、赤ワインをすいすい飲んでいった。貝原さんはドリンクバーのジンジャエールをちびりと飲み、さあご飯の時間ですよ、食事に集中集中、といった感じで言葉すくなにスプーンをドリアにさしこみ、口に運んでいる。
「お知り合いですか?」隣の人がトイレに立ったタイミングを見計らって、視線をちらっと隣席にやりながらわたしは貝原さんに訊ねる。
「え? いや」貝原さんはドリアの乗ったスプーンを空中で止めて、気の抜けた顔で答えた。「はは。いや。たぶん違います。ちょっとびっくりしただけっていうか。……あとで話しますね」
 隣の人は若鶏のディアボラ風とプチフォッカを注文していた。なにその組み合わせ、とすこし愉快な気持ちになって、わたしは貝原さんに断ってからデカンタをお代わりする。ドリアを早々と平らげた貝原さんは、ドリンクバーから紅茶を持ってきてちびりちびりと味わっている。視界の端でぼんやり捉えた情報から推測するに、隣の人はおそらく4〜50代くらいの女性で、鶏肉を細かく切ってプチフォッカでつまむように取り、優雅に口に運んでいるようだった。なるほど、今度試そう……、などと内心ニヤつきつつ、わたしはわたしでサラダに乗った小エビをちまちまと酒のアテにしている。
 隣の人は思いのほかすぐに店を出て行った。
「で、なんだったんですか?」最後の小エビを大切に味わってから、わたしは心なしかホッとした様子の貝原さんに言った。
「いやあ。……へへ。いやね、さっきまで隣の席にいた方が、僕の母に似ていたもので」
「え」意外な答えにへんな声が出る。「似ていただけですか」
「似ていただけですね。すこし昔、いまよりもうすこし若いころの母に似ていたので」貝原さんはもうほとんど中身のないカップを両手で包むように持ち続けている。「だからすこし、動揺しました」
「いまよりってことは、ご存命ではあるんですね?」
「ですね。そのはずです」
 はっきりしない答えにわたしはなにかを察して、すこし黙る。
「疎遠なんですか」
 でも結局訊ねてしまうのがわたしでもある。
「そうですねえ。最後に会ったのはいつだったかな……」貝原さんは口をぽかんと開け、数秒、わたしの頭上あたりの空間に目線を這わせてから、大事そうに持っていたカップをテーブルに置いた。「僕もすこし飲もうかな。三矢田さんがまだ飲めるなら、ちいさいほうのデカンタシェアしませんか」
「え、いいですけど。貝原さんお酒大丈夫なんですか」
「ワインをグラスで1杯2杯程度なら、ぶっ倒れたりすることはありません。白でもいいですか」
「もちろん。いいですよ」
 そうして注文したデカンタが届き、控えめにグラスに注いだ白ワインを一口なめてから、貝原さんは話し始めた。
「僕の両親は新興宗教の信者なんです。母の家系は祖母の代からで、2世信者。父はそんな母を辞めさせようと一緒に集会所のようなところに通っているうちに、ミイラ取りがミイラになる形で、信者になりました。だから僕は、3世信者ということになりますね」
 わたしは白ワインを飲み飲み、頷いたりしながら貝原さんの神妙な顔を見ている。
「僕には4つ下の妹がいます。妹とも、もう疎遠なのですが……。精神的な距離感は、幼いころから、ずっと疎遠でした。仲が良いとか悪いとかではなく、単にお互い話すことが何もない、といった感じでした。妹は、これは、長子ではないものの特権といいますか、密かに僕のこと、僕が歩む自分よりすこし先の人生のことを、よくよく観察していたんでしょうね。妹はその新興宗教、……世教、と俗に言うのですが」
「ああ! 知ってます知ってます」わたしはグラスを置いて、追加でちゃっかり頼んだポップコーンシュリンプをつまんだ。「ここらへん、駅前なんかでもたまに勧誘したりしてますよね。最近は見かけないけど……」
 貝原さんは頷いた。「妹は、両親や世教とは常に適度な距離感を保っていました。おそらく、心から世教を信じたこともなかったでしょう。親の手前、信者として振る舞い、母や父、僕と一緒に集会所へ行くこともありましたが、慎重に頻度を抑え、すこしずつ、すこしずつ、10年、20年、時間をかけて、籍だけは入れているけれど集会所へ通ったりはしない、そういう状態になっていったように思います」
「貝原さんは……じゃあ、」わたしは言った。「貝原さんは……?」
「僕は。……自分で言うのもあれですが、……そして、三矢田さんから見た僕がそうかはわかりませんが、わりかし根が素直な人間でして」
「そうだと思います」グラスに入っていたワインを一息に飲み干してわたしは繰り返した。「貝原さんは、はい、そうだと思いますね、わかりませんけど、かなり」
「ふふ。ありがとう、ございます、なのかな」貝原さんは目を細めて自分のグラスを見ている。「僕は当時、だいたい物心つきはじめたころから中学を卒業するちょっと前までかな、けっこう素直に信者で。信じていたんですね。母が通い、父が通い、信じ、祈りを捧げているという、その、行為や場所、人、神やそういった目に見えない、なにか。運命みたいなもの。真実みたいなもの。霊魂や輪廻転生のようなもの。そういう、あらかたすべてのものを。素直に。これ、僕も食べていいですか」
「ああ、それはもう、もちろんぜひぜひ」わたしはポップコーンシュリンプの入った皿を貝原さんの方へスススと押す。
「話がすこし逸れますが、世教には、太鼓部という、主に小学生から高校、大学生くらいの年齢の信者が任意で参加する、部活動のようなものがあったんです」貝原さんはポップコーンシュリンプを一口齧り、ん、これおいしいですね、と言いたげにわたしに向かってわずかに眉を上げた。「僕は10歳のころから太鼓部に入っていて、14、5歳あたりまでかなり熱心に参加していました。学校の部活動よりよっぽど真剣でしたね。僕が大学の軽音サークルでドラムを始めて、いまもこうして趣味として続けているのも、実は大元のきっかけは世教なんです」
「ははあ……」わたしはワインを飲む手を止めて貝原さんの陰影の薄い顔をじっと見ていた。なんとなく、いまこれ以上アルコールを入れたらいけないような気がした。「なるほど……。ちょ、ちょっとトイレ、一瞬行ってきていいですか。お冷やも持ってきます」
「どうぞどうぞ」
 わたしは足早にトイレへ向かい、そそくさと小用を済ませ、両手にお冷やの入ったグラスを持って席に戻った。
「それで」それぞれの前にグラスを置いてからわたしは言う。「ええとそれで。でも貝原さんは、いまはもう、その世教は抜けてらっしゃる……?」
「ですね」貝原さんはお冷やをこくこくと飲んで言った。「15歳。中学3年の、冬でしたね。世教をむりくり抜けて、それ以降、もう集会所には行っていません。太鼓の撥もそれ以来握っていないなあ」
「貝原さんをそうさせた、そう思わせた、なにかこう……気づいたきっかけというか、なにかあったんですか」
「それはですね」貝原さんは不意ににっこりと笑った。「本なんです」
「本」わたしは繰り返した。
「本」貝原さんも繰り返す。「僕は幼いころからとにかく本を読むこどもでした。本が好きになるきっかけはなんだったのかな。それはあまり覚えていないのですが、とにかく、本という物と、その中に書かれているもの、それを見たり、読んだりして、あれこれ空想する時間が、僕は昔から大好きだった」
「貝原さんは昔から貝原さんだったんだなあ」そういえばこの人は、いまの職場で働く前は本屋の店主だったのだ。
「古典文学や、海外文学を読むようになったのはずいぶん後、高校を出て、大学生になったあたりからでしたが、とにかく小説は、たくさん読んでいた」貝原さんはお冷やを飲み干し、再びワイングラスに手を伸ばした。わたしはデカンタを持って、貝原さんのグラスに白ワインをすこしだけ注ぐ。「ありがとう。それであるとき、……中学1年の終わり、いや2年の終わりだったかな。あるとき、気がついたんです。僕がいままで読んできたどんな小説にも、どんな物語にも、世教の先達者は出てこないぞ、って。主人公が先達者の物語を、だれも書いていないぞ。先達者が物語の主人公として描かれたことなんて、一度もないぞ、って」
「先達者?」
 貝原さんはわたしの目を見た。「信者のことです。世教は信者のことをそう呼びます」そしてポップコーンシュリンプをつまんで、お互いの目の高さに掲げた。「ふふ。僕はこういったものも、こどものころはあまり食べることができなかった。世教の教えでね」
 わたしの視界で、掲げられたポップコーンシュリンプと、貝原さんの歳にしてはめずらしい総銀の毛髪と、そのさらに後ろのクリーム色の壁面それぞれへのピントがすこしずつズレていき、すべてが遠ざかっていくような感覚に陥った。
「実際、世教の教えには、助けられたこともあったんですよ」ポップコーンシュリンプを口に含み、わたしの視界を読み取ったかのように貝原さんは言った。「この髪の毛はね、幼いころからこの色だったんです。おかげでたくさんいじめられました。でも、すべては因果だと、父や母、世教の教えは言っていた。仕方のないことなのだと。そしてそれは、世が僕に与える、喜ぶべき、償うべき罪と罰なのだと」
「貝原さん。貝原さんは、……そうか」不意に視界が戻って、わたしは言った。
「もちろん、いまは信じていませんよ。念のため言いますが。……そして、世教を抜けたあとの実家での日々は、端的に言って地獄でした。でももう、だからと言って、過去を悔やんだり、苛んだり、父や母を否定したり、恨んだり、責めたり、自分とは違う境遇の人間を羨んだり、妬んだり、そういう時期……季節はね、もう過ぎた、ぼくは過ぎたんです。三矢田さん、」貝原さんはなぜかにやにやしている。「それで僕は、あの場所にブックス・ホークアイを作って、そして三矢田さんはいっとき、あの場所をお客さんとして利用してくれて、それからホークアイは潰れて、僕たちはいま、ここにいるんですよ」
「貝原さん」
「ふふ。なんだか話しすぎちゃいましたね。隣の席に座った、昔の母によく似た人に動揺したという、それだけのことで」
 貝原さんは手を伸ばして、いまは無人の隣のテーブルの縁をトントンと叩いた。すこし酒が回っているのかもしれない。
「貝原さんは……」
 わたしは言いかけて、ためらった。わたしが口にするには気取りすぎた言い回しのような気がしたし、貝原さんよりおそらく酒に強いとはいえ、わたしもわたしでほどよく酔っ払っている自覚があった。
 けれど、わたしは言うことにした。
「貝原さんは」
「はい」
「貝原さんは、主人公になったんですね。先達者でいることをやめて、物語の主人公として生きることを、選んだんですね」

梶沙耶の愉快な一年(9)

 停車場の八重山吹か総武線

光景/後景(6)

「……っはあ〜ん!ああ〜〜〜ンまじかよお〜〜〜」
「っははは!」
「でえぇ〜。おいマジかよ〜」
「くっふふふふ……っ。湯たんぽ?」
「そうだよ〜マジかよ〜」
「あったかいよね」
「あぁったけえよお〜。んだよこれ〜〜〜」
「へへへ。ちょっと待っててね。わたしも歯磨いたら布団入る」
「ふぃえ〜〜〜あったけえ〜〜〜」
「わかったから。あったかいね湯たんぽ」
「はあ〜……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……よっ」
「……」
「……あ、気づかれちゃったか」
「いれないよ」
「え〜」
「もう定員オーバーだよ」
「うそ〜ん。そんなこと言わずに」
「いれないよ」
「……」
「……」
「……」
「じゃあ……。わたしはソファで寝るね」
「ようこそ」
「ふふありがとう」
「……」
「ふぁ〜〜〜まじかよ〜」
「っふふふ。そうだよ」
「まじなの?」
「まじだよ」
「んにゅ……よいしょ、あ髪ごめんね」
「ううん、ごめんごめん。ふう……」
「んんむ……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……あのさあ」
「……うん」
「……なにか、むかしの、かなしいこととか、はずかしいこととか、しくじりとか。……くやしかったこととか、さみしかったこととか。……傷ついたこととか、ムカついたこととか、納得できないこととか。やるせないこと……とか……。せつないこと、くるしいこととか。そういうことばかり頭のなかを巡って。……際限なく落ち込むような日って、どう過ごしてる?」
「んめ……っちゃ、からだ動かす……」
「ふふふなるほどね……」
「うん……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「じゃあさあ……」
「ん……」
「いまみたいな。……雪の時期は、どうしてる?」
「うーん……」
「……」
「……薪割り」
「っ。……っ。ふふ……」
「うん」
「なるほどなあ……」
「薪割り」
「うん……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……わたしも薪割り、……したいなあ」
「ええ……?」
「やってみたい」
「危ないよ……」
「やりたいなあ……」
「うーん」
「あ、餅つきしたいな。餅つきもしたい」
「餅つき」
「関係ないか……」
「……あー。うーん。……でも。薪割りと餅つきって似てるかもな……」
「からだの動かし方が?」
「うーん。うん……。たぶん」
「そっか……」
「うん」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……湯たんぽ、危ないから、布団から出すね」
「うん」
「……」
「……」
「……ありがとうね」
「うん」
「おやすみなさい」
「おやすみ」

コントロール

 ぼくたちは秘密基地にコントロール・ルームを作っていたから、かなしいことやムカつくことがあったらすぐにそこへ行って、ぶっとい木の枝でできたレバーをがっちり握って発進!そう叫ぶ。すぐに地響きが起こって、ぼくたちのからだは秘密基地ごと浮かび出す。ウィーむむむガシャ!行け、行け行けゴーゴゴー!根っこごとすっぽ抜けたケヤキや杉が、土を落としながら翼になってギュンと飛ぶ。行け、やっちゃえ、すごいやつ。重さは5トンを超えるから、当たればおまえもぺしゃんこだ。

献立

 それ、ぼくの同居人かもしれないですね。詰め所で噂話に興じていた私たちの前を縫うように通って、タイムカードを打刻した一汰くんはそう言った。権藤さんがいつも行くスーパーの入口には、近隣の学校給食の献立表が月替りで掲示されていて、最近、その献立表を長時間眺め続けている不審な外国人がいるらしいのだ。一汰くんはいつも通り、ぼんやりした表情で私たちの前をもう一度通ってから振り返り、たぶん、たぶんそうだと思います、と言った。
 で、いま私の目の前に置かれたのはミートボールだ。それも、ホワイトソースがかかった、手作りの。
「ミートボールの豆乳ソースがけって書いてあったんで、なるほどな〜って」
 もしよければ、うちで今度ごはん食べませんか? パート先のホテルから同じ系統のバスで帰る一汰くんに誘われるがままに、いつも降りるバス停の三つ先で降り、一汰くんの住む三階建て一軒家の玄関に入り、同居人のアダムさんです、と二階のリビングで一汰くんに紹介され、その紹介されたアダムさんに、とりどりの手料理を振る舞われ続けている。「アダムさん、最近料理に凝りだしちゃって。ぼく食べきれないから。困ってたんです、地味に」「困ってたんか、イモリ〜」「はい、正直」「ていうか、普段行かないスーパーにノリで行ってみたら、入り口に献立表が貼ってあるのにたまたま気づいて、へ〜おもしろ〜ってなって、だから正確には、料理に凝ったっていうより、献立表にハマったっていう、よいしょ、そういう、あ、はじめまして澄川さん」「ああ、はい、はじめまして」「まま、座って」「座ってください、澄川さん」柿とレンコンのサラダ、車麩の卵とじ、はんぺんとししゃもの天ぷら、かぼちゃコロッケ、すいとん、豚の白味噌しょうが焼き、コールスローサラダ、ミニラザニア、アサリ入りミネストローネ、厚揚げとふきの炊いたん。一軒家らしい広々としたキッチンとはいえ、そのキッチンからその手数でいったいどうやったらこの品数を。私に考える余地を与えない勢いで一汰くんとアダムさんはニコニコと配膳や調理を続ける。このあと私は、主人と娘にごはんを……。しかし私のちっぽけな社会性を帯びた思考は、目の前の光景と配膳された品々からたちのぼる香りとそれら一品一品の粒立った美味しさに有耶無耶にされていく。私は食べ、食べ、食べ続け、結局その晩、我が家の食卓には、一汰くんとアダムさんの家から持ち帰った料理が所狭しと並ぶこととなった。

記念撮影

ファイル名:写真 2013-05-09 15 53 39.jpg
種類:JPEGイメージ
サイズ:2,104,900 バイト(ディスク上の2.1 MB)
場所:Macintosh HD → ユーザ → sayaKJ → Dropbox → Photos
作成日:2013年5月9日 木曜日 15:53
変更日:2013年5月9日 木曜日 15:53

内容:向かって左から、上川慶喜、梶沙耶、坂東統子、渡辺平子、鈴木絵馬の五人が、道路や街路樹を背に横並びで立っている。カメラには写っていない、五人の正面には美容院。撮影したのはそこで美容師として勤めている丸井亨だ。黒髪で左右のボリュームをやや抑えたショートヘア、両手を後ろに隠して微笑んでいる上川慶喜。胸の下ほどまであるソバージュの茶髪を右手でつまみながら、うつむき気味に歯を見せて笑っているのが梶沙耶。ロブヘアの金髪、両手を腰にあててわざとしかめっつらをしているのが坂東統子。同じくロブヘアをシルバーに染め、坂東統子の肩に右肘を起き、ゆるんだ口元をごまかすように顔を傾けているのが渡辺平子。つむじから、綺麗に全剃りされた眉上に向けて左回転でツイストするようにワックスで緑色の髪を流している、セシルカットの鈴木絵馬は、猫背で突っ立ち、左腕を直角に曲げ、仏頂面でピースサインをしている。

梶沙耶の愉快な一年(10)

 春霖の全巻セットを売りに出す

ファクトリー

わたしの妹は工場員で
あいさつとシュシュと
電球の色とマツタケと
螺旋階段と改札と
首輪と菜箸と
CANMAKEと白い巨塔と
ラバーダムと森山大道と
えんぴつと水銀と
破片と本体と
汗とオリジナル・グレーズドと
幸せと不幸せに
頓着がなかった
ぬるいビールと濃い刺身
コピー紙とタバコ
ジェネリック暴力と(しての)善意
を好み

さやけばささ
やくほどよく笑い
端的になめろう
と注文した
ひとついやふたつ
あとでおしぼりもおねがいします
生 とりあえず
ひとついやふたつ
以上で あー以上で
はいおつ
かれさまでした
それをわたしはよく眺め
コロッケの全盛期について
講釈を述べる
なにをしているのだろう
どうしてこんな場所で
こんなことをしているのだろう
加減と程度のごちゃまぜの
言葉しか知らない土地で
ひとりにされ
腹を抱え
うずくまり
白磁の便器に座り
ひどい嵐
ヴィブラスラップが鳴っている
鳴っている
まだ終わらない鳴っている
だから待
っているボタンを押す人が来る
例えるな 遅れて
カトラリーが来る注がれた
牛乳の静けさ
愛読者の嘆き
後光さすカナリア
なくならよくひびく場でなけよ
名前は大切、、、よく出歩くのならなお、
真面目にわらうところじゃないだろ
もっと素早くはなしてみよう
しばらく真実味が前面に出て
振り向いたら工場はずいぶん遠い
透明は黒かも
未明ほど遠いのかも
ニホンオオカミはまだ
いるのかも
雲紋雀の安ら
ぎの顔
新しくしてくれよおしぼり
まだ
ですか
頼みました
通ってませんか
じゃあキャンセルで
わたしの妹は工場員で
幸せと不幸せに
頓着がなかった
たこ焼きの
半球と半球の境目

好み
来賓が転び
よく笑い
手を貸し
立ち上がりがてら
完璧な物事を語った
それをわたしはよく眺め
眺め、眺め
(鳴っている
まだ終わらない鳴っている
だから待)て、
あなたは誰なんだろう
と考えている

屋上

 甲州街道裏の緑道のてきとうな場所に自転車をとめて、エマは古びた細長いビルの階段を上がった。街はとっくに静まっていて、牛丼屋やコンビニ、暖簾を下げた蕎麦屋くらいしか人のいる気配はしない。
 そのビルの屋上に、エマはたまに行くことがあった。一階は花屋、二階はカフェ、三階と四階にはそれぞれ会計事務所と商事会社が入っている。ビルの階段は街路と地続きになっていて、階段を上がるだけなら鍵もいらない。そして屋上へと出る扉の鍵はいつも開いていた。エマがまだ「Municipality Humidor」で働いていないころ、知人に連れられて行った新宿ゴールデン街の飲み屋であまり楽しくないお酒をしこたま飲んだ帰り、どこか伸び伸びと佇んだり、隠れたりできる場所はこの街にないものかと道をあてどなく彷徨っていた果てに、目に留まったビルの階段を半ばヤケクソで上がったすえ見つけた屋上だった。エマは見た目のわりに重い手応えのアルミ扉を押し開け、屋上の真ん中まで進み、大きく息を吸った。
 左手に持っていた紙パックの鬼殺しの残りを一気に飲み干し、エマはアダムに電話をかけた。一回、二回、三回、コール音が鳴る。四回、五回、六回。あと三回鳴って出なかったら切ろう。一回、二回、三回、いやあともう三回。一回、二回、三回、……四回。エマはそれをもう二回繰り返し、電話を切った。しばらくそのままスマホの画面を眺め、ポケットにしまおうと顔を上げたところで、アダムからの着信があった。
「ハーイ」
「ハーイ、アダム」
「どうしたの?」
「元気?」
「元気じゃなかったら、出ないよ」
「えー?」エマは小さく笑った。「えー。そんなことないだろ」
「エマは元気?」
「エマは……。どうだろうね。エマは元気なのかな」
「おれに聞かれても困るよ」
「元気なのかな」
「はは。どうした。泣いてる?」
「いまなにしてんの?」アダムの問いには答えず、エマは訊く。
 エマは目を閉じた。
 目を閉じると、アダムもこの屋上にいるみたいだ。
「んーいま? 昨日撮ったものをね、編集してた」
「そっか」
「うん。エマ、ほんとに泣いてない?」
「その質問禁止な」
「んっふふ。あいあい」
「どんなものを撮ったの?」
「えっとねえ。あれよあれ、昨日は〜……」
 エマはアダムの声を聞く。自分の呼吸が寝息のように骨を揺らす。アダムの低く淡々とした声を聞きながらエマは、ああ、おしっこしたいな、と思い始めている。

四季

春は印字の擦れたレシート。誰かに呼ばれて産業道路を歩く。人のいない部屋ではダニが陽に焼かれ、朽ちていく間に夏になる。メンソレータムの故郷。革張りのソファ。暗がりで蕎麦を啜る小学生。ひとつの焦燥。はぐらかされた予定。秋は憧れ。着るものを選ばずに葬列の最後尾に並ぶ。自分の乗るバスだけがいつまでも来ない停留所。紙の地図を買い、安いパンを見過ごし、形の良い石を拾う。川肌から湯気が立ち上る。若い鹿のつがいに手を振る。ため息はひとりごとへ、ひとりごとは宛先不明の手紙へ。罫線が雪で滲むことによって屋外だとわかる。誰かに呼ばれて振り返る。山の連なり。音楽の後退。冬の退場。

予言

 稲盛総一朗が市役所を出て駐車場へ向かうと、ひとりの女性が車の前に立っていた。
「どうされましたか?」
 総一朗は訝しみつつ女性に訊ねた。
 この辺りでは見かけない顔だった。
「稲盛総一朗さんですね」
 女性は微動だにせず言葉を発した。
 黒のトレンチコートを羽織っていて、両手をコートのポケットに入れている。なかに着ているのは白い薄手のセーターと黒いスキニーパンツ。風と、風によって斜めに降る細かな雪によって、トレンチコートは旗のように揺れながら点々と白い斑点を増やしていた。この季節に、この場所で着るような服ではない。総一朗は不信感があまりあらわになりすぎないように、慎重に女性を観察した。歳は、おそらく自分より若い。いや、かなり若いかもしれない。それもまた、ここ夕張ではめずらしい。
「そうですが。あなたは?」
 傘を車内に忘れて出た総一朗は、髪に鼻柱に、まつ毛に眉間にちかちかとぶつかる雪に顔をしかめた。
「わたしの名前はランです。バンドウラン」
「ランさん」総一朗は目の前の女性の名前を口に出してみる。
 ランさん。バンドウランさん。
 私はこの人を知らない。はずだ。
「失礼ですが、私に何か……それとも道に迷われましたか? 宿泊先はどちらです?」
 総一朗は当て推量に訊ねてみた。そうでなければ、なんだというのだ。
 女性は無言で首を横に振る。首から下がまったく動いていない。その格好で身体が震えないとはどういうことだ。総一朗は軽く足踏みをした。
「すみません。あなたに、簡潔に、言いたいことがあって、わたしはいま、ここにいます」
 女性は言った。
「すぐに終わります。そして終わったら、あなたはこのことを長く覚えておくことができない。あまりにも不思議な出来事を、人は不思議なまま記憶しておくことができない。それでもわたしは言っておく必要がある。楔としてここに言葉を置くことにしました。その楔はあなたには見えない。それでもいいのです」
 総一朗は女性が言っていることのほとんどを理解できなかった。
 女性は続ける。
「これからそう遅くはないうちに、あなたの周り、あるいはあなたに、ささやかながら大きななにかがやってきます。そしてそのなにかは、もしかしたら、あなたを殺そうとするかもしれない」
「殺す?」総一朗は反射的に繰り返した。「ちょっと、それは……。ランさんでしたか? 突然なんなんですか?」
「わたしからそのなにかをはっきりと説明することはできません」女性は総一朗の混乱を無視したまま声を発し続ける。「あえて言うならそれは、……情報のようなもの、情緒のようなもの、空気のようなもの、想念のようなもの、気持ちや感情、記憶のようなもの、ふよふよと一定の形を成さず天上を覆い続けるもの、あるいは、あなたのまわりを絶えず漂っているもの」
「……それが、私を殺すと」総一朗は半ば諦めた心地で言った。
「殺そうとするかもしれません。そして、殺されそうになるかもしれません」女性は淡々と言った。「それに抗う術は、もしかしたらあまりないのかもしれません」
「なにもかもが、かもしれません、ということなんですね?」ため息混じりに総一朗は応えた。
 女性はうなずいた。
「わたしがあなたに言えることは、これだけです。殺されそうになったとき、殺されないでください。死にそうになったとき、死なないでください」
「まるでなにか、その、クリシェみたいですね」
「わたしがあなたに言えるのは、クリシェのようなことくらいです」女性は言った。「そして、クリシェのようなことをいま、ここで、あなたに言えるのは、わたしくらいしかいないと判断しました」
 ごう、と強く風が吹いた。
「以上です。寒いなか、すみませんでした。わたしは行きます。もう二度と、あなたの前には現れません」
 そして総一朗は車を出して、家に帰り、眠り、起き、職場へ向かい、仕事をこなし、いつもと変わらない日々を続けた。いつもと変わらない日々のなかで、総一朗はランという女性のことと、その女性が自分に発した言葉の端々をときおり思い出す。しかし総一朗はバンドウランという女性がどうやってあの場所から立ち去ったのかを思い出すことができない。総一朗が車に乗り、エンジンを温めているころにはすでに女性の姿はなく、吹き荒ぶ雪によって足跡を追うこともできなかった。そもそも足跡があったのかどうかもわからなかった。そしてときおり思い出すなかで、その出来事は徐々に風と雪が成すノイズのようなイメージに塗りつぶされていき、言葉は言葉としての意味を成す以前のほどけた音の波になり、記憶は総一朗のなかで夢と混濁され、やがて総一朗は、バンドウランと出会ったときのすべてを忘れてしまう。




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