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0114「カーセックス(14)」



 アサイはツジとお風呂あがりに海まで行って、生まれて初めて漁火を見た。砂浜は暗くてだだっ広くて、遠くばかりが明るくて、まだプログラミングが終わっていないゲーム空間みたいだとアサイは思った。マップの外みたいな。ツジは車のエンジンを切って、アサイはツジを見つめていた。ツジの左腕がアサイの首筋に伸びて、シートベルトをつけたままアサイとツジは何度かキスをした。
 車を降りて、アサイとツジは漁火の方向へ歩いた。捨て置かれたゴミや漂着物の類もなくて、すこし歩いただけで車がどこにあるのかすぐには見つけられなくなる。海へ海へと近づいている実感も薄い。いつのまにか波打ち際に着いて、今日はまったく波がないな、とツジが言った。アサイは白くて細い罫線のような波が絶え間なく現れては消える海を見つめながら、バグみたいだ、と思った。吸い込まれそうだ、とも。
 アサイもツジも、タバコを吸いながら歩いた。タバコを吸っていてもはっきりとわかる潮のにおいを、アサイは深く吸った。吸って吐いた。
 車に戻り、ツジは運転席に座って、公道じゃないからいいんじゃない、と言うアサイの指南を受けながら、生まれて初めて車を運転した。みんなこんな繊細なことをしていたのか、とツジは震撼した。怖がっているうちはまだ大丈夫だよ、とアサイは言った。徐行や急発進、バックやターンをツジはおっかなびっくり繰り返し、ちいさな砂山に乗り上げそうになったところでアサイにバトンタッチし、ふたりはツジの家に帰った。歯を磨き、スマブラをして(ツジのパックンフラワーは仕上がりつつある)寝て、ツジはひさびさに長い夢を見た。東京で働いていた会社の夢だった。
 夢にはそのころの同僚が何人か出てきて、あなたはどうして遠くへ引っ越していくのか、と訊いてきた。朝起きて、ああわたしは、ほんとうにあそこを辞めたくなかったんだな、とツジは思った。背中を向けて眠っているアサイを抱きしめながら、ままならないな、と思った。ままならないな、と思ったから、そろりと起き出し、ベランダへ出た。ベランダからは山が見える。夜が明けかけた空に薄く照らされて、影のようになった山々が見える。ベランダの下には駐車場があって、アサイの車が停まっている。ダイハツの、赤い軽自動車。ツジは山とアサイの車を順番に見て、昨夜見ていた漁火と白い波を思い出す。思い出したから、眼を閉じる。ツジは自分に言い聞かせる。ここはマップの外ではない。バグでもない。不安や虚無には吸い込まれない。吸い込まれたくない。アサイはツジがベランダへ出たあたりから起きていて、思考の糸が言葉に結びつかないまどろみの中で、ほぐされた意識の端で、アサイ自身も自覚できないほどかすかに、でもたしかに、ツジのことを考えている。ツジがベランダから戻ってくる。アサイは、なぜ自分がそんな演技をするのかわからないまま、いま目覚めたかのように小さく伸びをして呻き、口をもにもにさせながら薄目を開けた。

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