書くこととは、「考えをまとめること」
note を書くペースを安定させてみよう、と思ったきっかけについてちょっと書いてみようかな。
元々、昔からブログをかいたり、mixiをやったり、文通やったり…と、何かしら文章を書くことはやっていました。でも、最近はペンを持つのは専ら仕事の時で、文通相手も疎遠になり、あまり文章を書くことをしなくなりました。
いろいろ日常生活で思うところもあり、久々に note をあけてみてみると、いろんな記事があったんだけど、そこでこの記事に出会う。
仕事で中間管理職ポジションに行くにつれて、現場からのインプットがどんどんすくなくなっていく。これは、仕事のステージや形態がどんどん変わっていることに起因する。「管理する」っていう事に関してのインプットが増え、「出来ることが変わる」。
でもね、感性や「考えること」についての入力がどんどん減っていくことに気づく。どんどん定型的な管理になって、クリエイティブな事に従事することが減っているってことに気づいた。
なので、仕事でもプライベートでも、プログラムとか技術とか、関わる活動に関して、関心がある部分を中心にいろいろ手を付けて、何かしら「形」にできるようにしてみよう、と。
習慣でも技術でも、一度手放して忘れてしまうと、再び身に着けて習慣に戻すまでには、かなり時間を要するし、その間に環境も技術も変わってしまうからね。
計画的に入力をして、形にするサイクルを回していくと、今度は単純な成果物だけじゃなくて、「考えたことも形にしてまとめていく」ことが大事なことに気づく。どちらかと言えば、出来上がったものが成果物だとしたら、その思考はプロセスとか過程、ということになる。
定期的に咀嚼して、まとめていかないと、理解が追い付かず、成果がうまく出せないことすらあるなーと感じたときに、このnoteに出会う。
あぁ、やっぱり 文章を書くことは自分の頭の中で再整理して理解をふかめているんだな、と。書いているうちに疑問がでたり、矛盾がみえたり、「これはこの基準でよかったのか?」なんて思うことが出てくる。
今となっては、電子的なメリットである「いつでも書き換えができる」とか「いろんな人にみてもらえる」という点を活用すれば、誤りや考え方が変われ書き加えて知識をアップデートできるし、専門外の部分もコメントをもらってインプットの質をあげることもできる。
やっぱり、これは使わない手はないな、と。
そんなとき、文字通訳の話とかが身近でホットな話題だったので、noteに考えをまとめながら公開していったり、普段考えた内容などを少し推敲しながら書いてみたりしてみた。
自分で言いたい事ってなんだろう?って考える為にも、定期的に文章にまとめて書き記しておくことは良い事のようだ。
そして先日。友人がnoteに共感してくれたのをきっかけに、文字を書くことについての話題がでた。
「インプットするなら、定期的に書き出してみると良いですよ」
その時に「書く話題って、そんなにあります?」とか、「どう書いていいか分かんないんですよ」なんて、話題になった。
確かに、普段なにげなく過ごしていると、迷うかもしれない。でも、noteを書いて確実に変わったのは、「今日過ごした何かを書く」という作業が1つ入ったことで、「これは書けるな」とか「これはもうちょっと調べたらかけるかな」なんて、物事を振り返る癖がついた。
今度はこれを書いてみようかな?など、私生活でもメモを取るようになったし、書いている事をベースに会話が生まれるようになった。
1つ習慣を変えることで、生活自体に変化がうまれた。そんな体験もあって、友人の背中をおしてみた。
彼女は、さっそく 投稿している。きっとこれを続けていけば、生活が変わるし、もしかしたら人生観すら変わってしまうかもしれない。それぐらい、考えている事をまとめて書き出すプロセスには、ポテンシャルがあるんじゃないかとおもっている。
この体験を私生活だけで終わらせるのはどうなんだろう?とおもって、最近仕事にブログを導入して、チームの仲間と一緒に、書くことを習慣化しようとしている。知見もたまるし、動きも見えるし、一石二鳥だ。
書くこととは、「考えをまとめること」。文章を公開するという点では、品質面(読みやすさ、分の整合性、文体をそろえる…)とか、いろいろテクニックもあるんだろうけど、まずは「思考をまとめる」ツールとして活用していこうとおもう。
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