ノート_Developer用

ディベロッパー・ジェネシス/インターフェロン01

 ……ガラガラと、乾いた車輪の音。振動。
(何だ……)
 ストレッチャーか。どこかに運ばれている。かなりの速度だ。周囲の会話は――よく聞き取れない、が、緊迫の度合いが高い。それが感じ取れる。
(つっ……)
 頭が痛い。いや、全身が痛む。何が起きた。記憶が混乱している。思い出せない。
 パッ、と。
 目が【あいた】。
 白い天井。青白い光。後方へ流れていく。ストレッチャーを押す看護師――【看護師】?
 【何だこれは】。
 黄色いスーツ。ヘルメット。これは――防疫スーツだ。バイオハザード? 自分は何かに、感染したのか?
 一人のヘルメットが、【こちら】を見た。濃いスモークガラスに遮られ、顔は見えない。だが明らかに、【驚愕】した。くぐもった叫びが上がる。
『目を覚ました!』
『電圧! 急げ!』
 瞬間。
 彼は理解した。自分は治療のために運ばれているのではない。【実験体】なのだ、と。
 反射的に、貫手を繰り出していた。
 絶叫が上がった。
 ――彼自身、愕然とした。彼は【いつも通り】に動いた――つもりだったのだ。だが突き出した指先はあろう事か、防疫スーツを突き破り、更には相手の身体にまで突き刺さったのである。肉の感触と血臭。
 看護師(なのかどうか不明だが)が倒れる。他のスタッフの悲鳴。視界が回る。目も回りそうだ。しかし彼は――乱れなかった。跳ね起きる。腕を掴まれた。振り払う。途端に相手は吹っ飛んだ。驚いている間もない。次々伸ばされる手をかわし、いなして、足払いを食わせる。転倒した相手を飛び越え、全力で走る。出口へ――
(……っつうか)
 どっちだ。出口は。
(勘……しかないか……!)
 他に方法もない。
 廊下のランプが、一斉に赤に変わる。サイレンにアナウンスがかぶる。よく聞き取れない。どうも聴覚がおかしい。水を通して聞いているようだ。そのくせ、やけにハッキリ聞こえる音もある。可聴域がおかしくなっている。
 視界が狭い。右目が見えていないようだった。塞がっているという感触はないから、視神経をやられたか――眼球を失ってしまったか。
 行く手の曲がり角から、足音が迫って来る。咄嗟に横手へ飛び込む。階段を三段飛ばしで駆け下りる。体は痛いのに、何故か動き自体は軽い。気味が悪い程に。
(――こっちか)
 空気が流れている。その方向へ走る。角を曲がる――スタッフが三人、立ち竦むのが見えた。低い位置から走り寄り、掌底で薙ぎ倒す。またたく間に床に転がしてから、眼前のドアのノブを掴む。あかない。思わずドアに手を当てて押していた、
 ゴオン!
「……」
 流石に彼も、呆然と立ち尽くした。ドアが――倒れたのである。向こう側に。
 蝶番部分に目をやる。千切れていた。
 ――ステロイドの超強力版でも、投与されたのだろうか。何があっても不思議ではないが。軍隊などというところは、
「――後だ、後」
 小さく呟く。逃げるのが先だ。
 視線を上げる。――僥倖だった。屋内駐車場だったのだ。数人のスタッフが、必死でワゴンに乗り込もうとしている。それに追い縋り、力任せに放り出す。運転席に上がろうとしていたスタッフが、悲鳴と共に逆に逃げていく。その意味を考えている余裕もない。運転席に乗り込む。キーは差さっていた。ひねってエンジンをかけ、アクセルを踏み込む。出口へハンドルを切る。
「止めろ! 止めろ!」
 ――スタッフの一人がボタンを押すのが、視界の端に見えた。シャッターが下りて来る。構わず突っ込む。
 グワッシャアアアアアアアア!
 シャッターを半ばぶち破り、ワゴン車は外へと飛び出した。

 ……その報告を、アウストル博士は、所長室で聞いた。
「申し訳ございません……!」
 恐怖の表情で平身低頭する部下を、アウストルはまず、鷹揚に手を翳して黙らせた。そして。
「捕まえろ」
「は、はっ! 勿論!」
 部下は転がるように出て行った。アウストルは何の感情も伴わない目でそれを見送った。侮蔑すら、そこにはない。石を見るのと同じ目付き。
 それを机上に転じる。――一枚の書類が置かれている。カルテ――のようなもの――だった。精悍な青年の顔写真が貼られている。【生前】のものだ。名前の欄には〝五十嵐キリ〟と記されている。が。
 その名は上から、赤の太い直線で消されていた。そして余白に一文字、〝D〟。
「さて、どこまで逃げ切れるかな」
 アウストルの目に、部下と面していた時とは違う、火が点った。

 蜂の巣をつついたような騒ぎになっているクラウド研究所を、男――グロムは、呆然と眺めていた。常人では決して見えない距離から。
「何なんだ、一体」
 本来であれば、グロムには、何の関係もない事案であった。しかし【人外】族にも、それなりに総合的な掟や互助関係は存在する。その余波を食らったのだった。
 本当ならば大元の一族が片を付けるところだ。が、あの一族には今、戦える者が存在しない。何をやっているのかと非難したところで、子供が大人になるものでもない。回り回って、グロムの一族――〝熊〟にお鉢が回って来たのだった。まったく迷惑な事この上ない。ないのだが、グロムは元来、生真面目な性分であった。自分でも恨めしい事に。
 結局使命を果たすべく、あちこちを探り歩き、ようやっと【奴】の居場所を突き止めた。――と思ったのだが。
 丘から望む、遙か彼方の研究所は、全てのサーチライトが稼働していた。ヘリまで飛ばそうとしている。声までは流石に、この距離では拾えないが――おおよその見当は付く。何者かが侵入したか――脱出したか。
「余計な事を……!」
 襲撃はもう無理だ。日を改めたとしても――その時にはもう既に、場所を移ってしまっているだろう。つまり。
 おじゃんだ。水の泡。全てがやり直しだ。一から!
「どこのどいつだっ……くそ、一緒に八つ裂きにしてやるからな」
 出来はしないだろうが本気で呻きながら、グロムは丘を降りた。森の中を歩き始める。せめて手掛かりだけでも掴んでおきたかった。研究所の方へ足を向ける。と、
 前方から、エンジンの音が迫って来た。
「!?」
 咄嗟に木の陰に入る。その脇を猛スピードで、ワゴンが走り抜けていった。あってなきがごとしの道を、下生えや小枝を折り破りながら。反射的に運転席に目をやり、
「――」
 グロムは凍り付いた。
(幽霊……?)
 かと思った。それ程に青白く、生気のない顔だった。それに血のように赤い目。
 それが、グロムの網膜に焼き付いた。

 ……彼はワゴン車を、川に突っ込ませて捨てた。その川を泳いで渡る。正直自信はなかったが、何とか対岸に這い上がった。冷え切った体を温めるためにも、森の中を歩き出す。その内に、国道に出た。出たところで安全とは限らないが、居場所と方向の見当は付く。
「ヒッチハイク……無理か」
 この深夜だ。車が通るとは思えない。通ったところで止まるまい。看護服でずぶ濡れの男。完全に幽霊案件だ。かえって事故を誘発しかねない。そんな事になったら、寝覚めが悪過ぎる。
 【目が覚めればの話だが】。
「……?」
 彼は首を傾げた。何故、【そんな考えが浮かんだ】?
「……後。後だ、俺」
 溜息混じりに呟く。今はとにかく、動く事だ。それにしても、ひどい声になったものである。ハスキーというには、しゃがれ過ぎている。
 道から離れ、森に戻る。道が見える程度の距離で、並行して歩いていく。体は冷たかったが、疲れはあまり感じなかった。空腹も。
 ……やがて行く手に、車のシルエットが見えた。
 道から外れ、草地に停まっている。中ではごそごそと、人影が動いている。彼は天を仰いだ。おデート中か――楽しい逢瀬の邪魔はしたくないが、彼も非常事態である。せめて電話だけでも借りたい。
 彼は草を踏んで車に近付くと、運転席の窓をノックした。
「……お邪魔して申し訳ない。諸事情で、有り金なくした者なんだが……」
 ――車中の人影が身を起こした。うるさいなあ――と、明らかに機嫌を害した顔が二つ、彼を向き――
 目が限界まで見開かれた。
 絶叫が迸った。

「……!?」
 彼は思わず、耳を押さえていた。窓を通しても、聴覚に突き刺さる悲鳴だった。
「キャーッ! キャーッ!」
 カップルは金切り声を上げながら、車から飛び出した。半ば転がり、半ば這うように逃げていく。彼はポケッと、それを見送ってしまった。反応のしようがない。
「いや、そりゃ、晩餐会に行けるようなカッコじゃないだろうけどさ……」
 ちょっとあんまりじゃないだろうか――そう嘆息しつつ、ふとバックミラーを見て。
 彼もまた、凝固した。
「……は?」
 理解出来なかった。そこに写っているものが。
 ゆっくりと、鏡に顔を近付ける。鏡像の【それ】も大きくなる。従って【これ】は、自分なのだろう。自分――なのだろうが――
「……誰だ。お前」
 薄気味の悪い青白い肌。まるで死人だ。頭髪、眉、睫毛まで、全て真っ白に色が抜け落ちている。その中に浮かぶ、血の色の左目。右目は――なかった。ぽっかりと黒い眼窩が、口を空けている。
「……俺……だよな」
 面影はある。と思う。だがそこにいる男は、最早――
「……成程ね」彼は自嘲気味に、口端を上げた。「逃げ出す訳だ、そりゃあ」
 これは人類≪ヒューマン≫ではない。
 化物だ。

 ……カップルが残した荷物を探り、携帯電話を引っ張り出す。悪いね、と呟きつつ、電源を入れる。躊躇なく番号を押す。――アドレス帳は必要ない。不可欠な番号は、全て頭に入っている。
 彼はふと、苦笑する。――忘れていなくてよかった。
 コールが始まる。この深夜だ、空振りでも仕方がない。そう覚悟して待つ。一回、二回、三回――
 繋がる音がした。
『雑貨屋カルム』
 ずっしりと低い声。彼は一瞬、携帯電話を強く握った。
「……よう、マラキア」
 この声でわかるだろうか――そう思いながら合い言葉を口にする。
「〝東の風、いたく吹くらし海人の、釣りする小舟漕ぎ隠る見ゆ〟」
 ……通話の向こうで、ゆっくりと息が吸い込まれるのが聞こえた。
『五十嵐キリ。お前か』
 何の迷いもなく、マラキアはそれを口にした。彼の本名を。

「……よくわかったな。この声で」
 心中ホッとしながらも、彼――キリは冗談めかして云った。マラキアは抑揚のない声で続けた。
『お前、生きてるんだな。無事か』
「……あんまり無事じゃないし生きてるかどうかも怪しいがね」
『間違いないな。五十嵐キリだ。死んでいても』
 どこまでも岩のように重い声。冗談に聞こえない。実際マラキアに、冗談を云っているつもりはないのである。キリは苦笑しかけ――ふとそれを引っ込めた。
「おい。何だその、生存確認は。訓練だぞ、今回の派遣は」
『今、話しても大丈夫なのか』
「短時間なら」
『では云う。お前の組み込まれた部隊は、全滅した事になっている』
「……は?」
『訓練地でテロリストと遭遇、テロリストは殲滅したものの部隊も壊滅。というのがモルダニア政府の発表だ。理解したか』
「……了解」左目を一度だけ閉じる。すぐにあけた。
「その件はまた後だな。とにかく――身を隠したい。金も要るし。どこか、隠れ家≪ハウス≫はないか」
『三秒待て。今……検索した。あった』
「どこだ」
『東へ一〇キロ。アルバーストルの村の郊外。通称は鶏館≪にわとりやかた≫』
「一〇キロね……了解」
 夜明け前までに着けるかどうか。――着くしかあるまい。第三者に見られたら、隠れるどころではなくなってしまう。
『キリ。お前、【その】ケータイはどうした』
「借り物だよ。切ったらここに置いていく。鶏館に着くまでは、連絡不能になる。着いたらこっちからまた電話する」
『了解した』
「……悪いな、面倒な事頼んで」
『何を今更。いつもの事だろう』
「感謝してる。借りとくよ」
『そう思うなら死ぬ前に返せよ……死んでるのか。もう』
「そうらしい。まあ、保険金は出る筈だからな。それで勘弁してくれ」
『要らん。そんな辛気くさい金』
 キリは笑うと、通話を切った。腕を下ろし、――ふっと顔を上げる。天を仰ぐ。
 ――部隊は全滅した。
 キリは所詮雇われ兵だ。正規軍とは違う。それでも。
 何度も共に戦った、戦友達だった。
「……」
 息をつき、首を振る。――考えない。今は。
 携帯電話から履歴を消去し、鞄の中に戻す。そして東へ向けて走り出す。地平線が白む前に、辿り着かなければならない。

 グロムはこの夜、二度目の驚きに立ち尽くす事となった。
「……アヴァランサ殿……!?」
 ――研究所ギリギリまで近付こうと、歩いていたところ。あと少しというところで、見知った人影を発見したのである。それが。
「おう、熊の。遅かったじゃないかえ」
「お、遅……と云うか! 何故貴方がここにいる!」
 あの一族の、最長老の一人。見た目は小柄な初老の女性だが、中身は折紙付きの化物だ。――しかし、彼らが動けないから、グロムが駆り出されたのである。それがいきなり「遅い」などと云われたのでは立つ瀬がない。と云うより。
「貴方達が動くなら、俺は必要ない筈だ。降りさせて貰う」
「そう急くんじゃないよ、坊主」
 立派な成人(熊)を捕まえて坊主呼ばわりである。グロムの目が、怒りにつり上がる。しかしアヴァランサは平然と。
「正直に云うさ。今のアタシじゃ、奴には敵わない。流石に歳さね」
「……」
「でも幾ら何でも、〝熊〟に丸投げで傍観じゃ、それこそ立つ瀬がないだろう。幸い魔法も、まだ少し使える。フォローぐらいは出来るだろうさ。そう思ってね」
「……ですが」
「第一【奴】は、【うち】の出身だよ。破戒無慙の外道め。アタシらが受けた恥辱だ。アタシらが雪ぐのが責任ってもんだろう――【吸血鬼】の一族が。全部は無理でもな」
「……わかりました」
 グロムは溜息混じりに云った。
「しかしこの分では……」木々を透かして、研究所を見やる。既に静まり返っている。何と云う素早さだ。
「もう逃げたでしょう。奴は」
「だろうね。入ったら多分、罠が仕掛けてあるよ。撤退するのが利口だろうね」
「やはりですか……だがそうすると」
 手掛かりがゼロだ。グロムは嘆息しかけ――ハ、と目を開いた。
「……そう云えば、先刻。妙な奴を見た」
 アヴァランサは目を眇めた。
「妙な奴?」
「ああ。それこそ――吸血された後のような」

 マラキアは古い型のワゴン車を、〝鶏館〟の裏庭に止めた。
 ボストンバッグを手に、館に入る。――大邸宅とは云わないが、貴族の別荘程度の規模はある。ドアを閉め、ホールに佇む。大柄で、岩で出来たような男だ。それこそ、〝フランケンシュタインの怪物〟と見紛うシルエットである。
「キリ。来たぞ」
 声は張らない。いつものトーンでいつものように、発声する。
 やがて階上から、微かな足音が聞こえた。マラキアは目を上げる。吹き抜けのホールの三階。柱の陰に、人影らしきものが覗いていた。
「……何をしている。早く降りて来い」
「いや、降りるよ。降りるが」人影は、頭をかいた。「……ひどいナリだからな。心の準備だけはしとけよ」
「いつもの事だろうが」
「〝いつも〟とはレベルの違うひどさなんだよ。取り敢えず――ゾンビぐらいは覚悟しとけ」
 その台詞の後。ゆっくりと〝キリ〟は、姿を現した。
「……」
 マラキアはたっぷり三秒間、元同僚の形姿≪なりすがた≫を眺めた後――変わらぬトーンで云った。
「ゾンビよりは男前だな」

「そら」
 ガランとした食堂で、マラキアはボストンバッグをあけた。着替えを一式、キリに渡す。
「サンクス。……って、何だこの包帯」
「顔を隠したいと云っていたろう」
「これグルグル巻けってか。ミイラか俺は」
「いや。〝ディベロッパー〟だ」
「……何で〝開発者〟が出て来るんだよ」
「知らんのか。今、アメリカで流行っているコミックだ。今度映画化されるらしい。それに倣っておけば、コスプレで通るだろう」
「いや通らないと思うぜ……」
 そう云いつつもキリは、包帯を頭部に巻いていく。器用に。
「でもやっぱり、面倒だな。次からはバラクラバにしてくれ」
「そこまで面倒見切れるか。自分で買え」
「このナリで、店に入れると思うか。確実に通報案件だぞ」
「だったらアマゾンにしろ」
「住所不定だっつうの」
「コンビニ受け取りがあるぞ」
「コンビニにも入れないって」
 言葉を投げ合いながら、黒いシャツとボトムを身に着ける。コートを取る。表地はダークグレーだが、裏地が赤だ。
「地味派手だな。なかなか洒落てるが。これもその、コミックの?」
「ああ。帽子≪ハンチング≫はオリジナルにはない。俺の趣味だ」
「まあ、これで」キリは帽子を、頭に乗せた。「何とか格好は付くかな。――あー、目が駄目か。グラサンも要るな」
「そこまで面倒」
「わかってるよ。武器は」
「こいつだ」
 大型の拳銃とナイフを、マラキアは取り出した。
「本家本元は二丁拳銃だが」
「それはそれで格好いいね。厨二心が疼くよ」
 拳銃とナイフをそれぞれホルスターに収め――キリは行儀悪く、テーブルに腰掛けた。
「で」
「何だ」
「部隊が全滅したってのは本当か」
 マラキアはキリを見返した。――左目しか見えない。だがわかった。キリが今、笑っていないという事が。
 常に飄然としていて、本心の掴みにくい男だ。軍事的、思想的な熱狂――忠誠も含めて――とも、まるきりの無縁。機械のように正確に、非情に、任務をこなす。ある意味傭兵の鑑だった。良くも悪くも。ただそれでも、人間【以外】であった事はなかった。だからこそ除隊した後も、つるんで来たのだ。その彼≪キリ≫が。
 人間以外に、なってしまった――の、だろうか。
「……ああ。経緯はともかく――全員死んだ、というのは事実だな。まだ一〇〇%確定じゃないが、それなりに裏も取ってきた。勿論お前も、死んだ事になってる」
「そうか」
 短い一言。一度軽く顎が下がり――上がった時には、【いつも】の五十嵐キリだった。
「しかし、参ったな。これからどうすりゃいいんだ。本社≪ハリース≫に復帰――は、出来ないよな。幾ら何でも」
「いや、そうとも限るまい。戦えるなら何でも雇うだろう、ハリースなら。傭兵派遣会社なんだから。それこそゾンビだろうとミイラだろうと」
「と云うか俺自身、自分が何になったのかわからんからなあ。そこら辺を含めて――」
 キリは腕を組んで首をひねる。マラキアは簡潔に尋いた。
「追うか」
「そういう事になるな」
 キリも簡単な口調で返した。
「落とし前も付けなきゃいけないしな。【俺】の意識がある内に」
 マラキアはギクリとする。それを敏感に察して、キリは軽く笑った。
「今のとこ、【そんな】感じはしないよ。でもまあ、よくあるパターンじゃないか。一応、心の準備だけはしといた方がいいだろ。もしヤバくなったら――お前が殺れ」
 予想通りの台詞。マラキアは憮然とした。
「断る。……と云いたいところだが、仕方ないな。ただし高いぞ」
「心配するな。口座の暗証番号教えるから」
「どうせ雀の涙だろう」
「見くびられたもんだな。あけて吃驚するなよ」
「玉手箱だったら猶悪いわ」
 ――その時。
 スッとキリのオーラが冴えた。手を翳す。マラキアは口を引き結ぶ。キリはするりとテーブルを降りると、身を屈めて窓に近寄った。外を窺う。
「来たか」
 自分用の武器を取り上げながら、マラキアは尋く。キリは頷いた。
「ひと、ふた、み、よ……」
「何度聞いても、その数え方は変わっているな」
「……なな、や。八人か。でも近付いて来ないな……封鎖作戦にしては、人数が少ないし……?」
 キリは怪訝に眉をひそめ――
 ハッと目を見開いて天井を見上げた。
 ガッシャアアアアアアアアアン!
 採光窓が割れ砕け、何かが落下して来た。

「……!」
 ガラス破片が降り注ぐ中、キリとマラキアは口許を覆って壁際へ後退した。マラキアは更に、肘でガラス窓を叩き割る。ガス攻撃を警戒したのだ。しかしテーブルに着地した【それ】は、一度体を沈めて衝撃を逃がすと、ゆっくりと立ち上がった――
「……は……?」
 キリも、マラキアも、呆気に取られた。
 ――頭部に包帯。ダークグレーのコート。赤い裏地。
「……〝ディベロッパー〟……?」
 だった。

 バッ!
 〝ディベロッパー〟が、テーブルを蹴って突っ込んで来る。キリは横っ飛びに転がってかわした。ドグォン! 勢いのまま、ディベロッパーは壁に激突する。壁材が崩れ落ち、埃煙がもうもうと上がった。その中から。
 むくり、とディベロッパーは体を起こした。ぐるりと顔が、キリを向く。どうやらダメージはないらしい。だがその動作に、キリとマラキアは眉を寄せていた。――この動き。
「……成程、な?」
 キリは小さく呟き、ナイフを抜いた。
 ダッ! ディベロッパーがコートを翻し、キリに肉迫する。頭部へ繰り出された拳を、キリは数ミリで躱す。同時にナイフを、鍔元まで突き込む。胸の中央へ――
 血は出なかった。
「やっぱりか」
 客手≪かくて≫が横殴りに来る。それを受け流しつつ、キリはディベロッパーを蹴り飛ばした。ディベロッパーは椅子に突っ込んだ。派手な破砕音が響き渡る。キリはちらりと、手許のナイフを見やる。やはり血糊は、着いていない。
「おい、何だこいつは」
 油断なくライアットガンを構えながら、マラキアが尋く。キリは平坦に応じた。
「人形だよ。日本では傀儡という。こっちじゃマリオネット――いや、オートマタ、かな」
 ディベロッパーが跳ね起きた。マラキアは咄嗟に、その背中へ引鉄を引いていた。
 ドン! ライアットガンの重い銃声。人形は背中に大穴を空けて吹っ飛んだ。だが床に一転した後跳び起きる。何の痛手でもないらしい。マラキアは目を瞠り、再度引鉄に指を掛けた。が。
「軍曹! お前は外を警戒!」
 鋭いキリの指示に、反射的に銃口を上げていた。
「外――来そうか」
「わからん。混乱してるみたいだしな。でも警戒しないでいい筈ないだろ。見えたら撃て」
「アイサー。――わかるのか」
「何となく」
 キリは身を低くし、人形と対峙する。互いにじりじりと隙を窺う。――キリは口端を上げた。
「【そっち】のボスも、このコミックのファンって訳だ。何とも心が和むね」
 人形が突っ込んで来た。もし人形に発声機能があったら、「隙あり!」と叫んでいた事だろう。マラキアですら「中尉!」と声を上げていた。が。
 人形の腕は、空を切っていた。同時に銀光一閃。
 人形の片腕が、宙に舞っていた。

 ――バランスが崩れる。人形は大きくよろけた。キリは待ったりしなかった。間髪入れずに横薙ぎに刃を走らせる。
 片膝を断たれ、人形は転倒した。

「キリ!」
「まだだ、油断するな!」
 その通りだった。人形は何と、片腕片脚で身を起こしたのだ。グロテスク極まりない光景だった。キリはげんなりと笑った。
「〝エクソシスト〟かよ……いや人形だから、〝攻殻機動隊≪イノセンス≫〟か」
 人形は笑わなかった。ぐっと体を撓≪たわ≫め、バッ! と跳躍する。高い位置からキリに襲いかかる――
 銃声二発。
 頸部と腰部をぶち抜かれ、人形は三つに分かれた。吹っ飛んで床に転がる。更にキリの足が容赦なく、肩と膝の関節を踏み砕いた。
 人形はまだ動こうとしていたが、最早稼働する箇所が残っていなかった。――キリは淡々とした目で、人形を見下ろした。
「矢鱈飛び上がっちゃ駄目って、先生に教わらなかったか?」
 人形は遂に、動きを止めた。

 ――キリとマラキアは、裏口からワゴン車を窺った。人の気配はない。
「何故撃って来ないんだ」
「さあな……」
 マラキアの疑義に、しかしキリも答えられない。とにかく急いで、ワゴン車へ走り出す――寸前。
「待った」
 キリの手がマラキアの首根っ子を掴む。マラキアは一瞬、ぐ、と唸った。
「何をする」
「……タイヤが切られてる」
 マラキアは目を凝らした。――確かに、タイヤから空気が抜けている。マラキアは唖然とした。キリはボヤく。
「セコい手だなあ。もうちょっと派手に、爆発でもさせないと。ハリウッドじゃウケないぜ――」
 ドグオォォォォォォォォオン!
 爆音と共に、ワゴン車は炎に包まれた。……呆然とそれを眺めた後、マラキアはぼそりと呟いた。
「……爆発したぞ」
「そうみたい……だな」
 間の抜けた会話の後。――顔を見合わせる。
「「どうする?」」
 その時。ブーツの足音が複数、周囲から起こった。

「!」
 二人は反射的に壁に身を寄せた。同時にチュイン! と高い音が連続し、銃弾が壁にはじけた。――キリは冷めた表情で発射方向を見やってから、簡単に云った。
「奴らの車を拝借する」
「アイサー」
 マラキアはライアットガンの銃床を肩に当てた。無造作に引鉄を絞る。
 ドン!
 腹に響く銃声と共に、〝敵〟の一人が仰け反って倒れた。胸から血を噴きながら。キリも銃を抜く。デザート・イーグル。ハンドキャノンとまで云われる大型拳銃。
 銃声が連続する。それと同じ数だけ、敵も倒れる。一人、二人、三人――まで来たところでようやっと、敵も事態の深刻さに気付いたらしい。急いで散開、しようとした時。
 大排気量のエンジン音がわき起こった。
「……!?」
 キリもマラキアも目を瞠った。何と大型バスが、石造りの塀をぶち破って突っ込んで来たのだ。敵もギョッとし、逃げ惑った――キリとマラキアは咄嗟に、顔をそむけて目を閉じた。――破砕音。
「南無阿弥陀仏」
 口中で唱え、様子を――本当は嫌だったが――窺う、
「そこのあんた達!」
 運転席から、初老の女性が顔を出していた。キリとマラキアを手招きしている。
「乗りな! 早く!」
 チィン! 銃弾が車体に跳ねる。まだ生き残りがいるのか。しかし数はもう少ない筈だ。
「走れ!」
 マラキアが武器入りボストンバッグを抱え、バスに飛び込む。続いてキリ。同時に老人は、アクセルを踏み込んでいた。エンジンが轟き、車体が旋回する。
「うわっとっ……」
 反射的に伸ばした手が、空を切った。キリは後ろに倒れ込んだ――ドサリと何か、やわらかいものに体が沈む。
「……っとと。やれやれ。助かっ……」
 何気なく背後を見やり――キリはギョッとした。

 バスはドリフト走行で銃弾を躱しながら、見る間に道を遠ざかっていった。……それを見送った〝襲撃班〟の班長≪リーダー≫は、がっくりと息をついた。
「ど、どうします」
 部下の一人が尋く。一人の部下、と云うべきか。――〝標的〟と、想定外の〝助っ人〟のお陰で、生き残った部下はただ一人だったのだ。
 何でも俺に尋くんじゃない――そう叫びたいのをグッと怺え、班長は指示した。
「遺骸を回収しろ。回収出来るものは」
「ア、アイサー」
 部下が走っていく。班長は車に戻り、電話を取った。正直嫌だった――心底、心の底から、全身全霊で嫌だったが、それでもアウストル博士への直通番号を押す。
『首尾は』
 単刀直入な問いに、班長は可能な限り、冷静かつ端的に報告しようと試みた。
「申し訳ありません。失敗しました。戦死者六名。標的は逃走」
『D一人に、やられたのか。それとも協力者が?』
「協力者は二人です。確認出来た限りでは。一人は大男、一人は老婆」
『……ほう?』
 アウストルは少しだけ、興味をそそられたような声を上げた。が、すぐに。
『人形≪リンガーウ≫は』
 班長は通話機を握り締めた。
「破壊……されました」
『回収しろ。館は燃やせ。一欠片も残すな。戦死者も一緒に始末しろ。以上』
 一方的な指示の後、通話は切れた。班長が抗議する間もない。班長は凝然と通話機を見つめると――それを台に叩き付けた。
「俺達より、オモチャの方が大事か!」
 しかしそう吐き捨てた後。班長は慌てて口を押さえ、周囲を見回した。どこで聞かれているかわからない。何しろ彼らの上司は――人間【以上】なのだから。

「っつ……助けて貰って感謝する、がな。しかしあんた達は、一体――」
 ぶつけてしまった脛をさすりつつ、マラキアは身を起こし――その光景にギョッとした。
「キリ!?」
 キリは〝しっ〟と唇を動かした。
 キリは背後から、羽交い締めにされていたのである。巨大な影に。それは。
「く……ま……?」
 熊。だった。紛れもなく。
 怖ろしく大きなヒグマ。その腕が、キリを抱き竦めて拘束している。長い鉤爪を持った手が、キリの首を掴んでいた。そして。
「抵抗するなよ。首をへし折るぞ。首をやられれば死ぬぞ――幾ら【吸血鬼】でも」
「……おい、キリ」
 両手を上げながら、それでもマラキアの声は変わらない。
「聞いたか。熊が喋ったぞ」
「ああ。お前にも聞こえたって事は、俺の空耳じゃないんだな。……しかし」
 キリは苦笑した。この状況にも関わらず。
「さっぱり話が見えないんだが」
 ――するりと腕が上がった。
「!?」
 熊の方が仰天した。首の辺りを掴まれた、と思った瞬間。視界が逆転したのである。ドン! と床に叩き付けられる。腕がねじり上げられて押さえ込まれる。背中に膝頭、首筋に刃の感触。そして眼前に、H&K・MP5の銃口。
「この距離で連射をぶち込まれたら死ぬぞ。幾ら熊でも」
 どこまでも岩のようなマラキアの声。――一瞬で形勢を引っ繰り返したキリは、運転席へ視線を伸ばした。
「なあ婆さん。助けて貰っといて何だが、こりゃあないだろ。これじゃ先の展開がなくなっちまう。あんたはそこまで馬鹿じゃない筈だ。ちゃんと躾けとけよ、自分の飼い熊ぐらい」
 途端に熊が吠えた。何かがいたく、プライドに障ったらしい。マラキアは急いで、銃口を熊に向け直した。キリを睨む。
「無駄な挑発をするな。進む話も進まない」
「ヒグマにあすなろ抱きされた方の身にもなれ。少しぐらい意趣返ししても罰は当たらんだろ」
「何だあすなろ抱きとは」
「〝あすなろ白書〟って、昔の日本のドラマでな。イケメンの俳優が、主人公を後ろからガバッと抱き締めるシーンがあるんだが、それを称して……」
「〝ディベロッパー〟は知らんのに、何でそんな事は知ってるんだ。お前幾つだ本当は」
「俺のサブカルは日本限定で、九〇年代で止まってんの」
 ……どうにも緊迫感がない。遂に熊の方がキレた。
「いい加減にしろ!」
 そして老人が笑い出すのも、同時だった。

「ああ、わかった、わかったよ。あんたらは確かに阿呆だが、少なくとも奴の仲間じゃなさそうだ」
 阿呆とは何だ、と、マラキアが不服そうに呟く。
「そっちの〝ディベロッパー〟。その熊を放してやっとくれ。多少短絡だが悪い奴じゃない」
「どういう意味だ」
 今度は熊が唸る。キリは少し考えたが、やがてナイフを引いた。するりと熊から降りる。熊は痛そうに腕を振った後――見る間にその姿形を変えた。金髪の白人男性へと。マラキアはまじまじとそれを眺めた後、感想を述べた。
「狼男は聞いた事があるが。熊男というのもいるんだな」
 すると熊は、じろりとマラキアを睨んだ。
「そんな下賤な俗称で呼ぶな。我々は〝熊〟だ」
「何が違うのかよくわからんが」
「人類如きにわかってたまるか」
「そこら辺にしときな」
 熊を宥め、老人はバスを止めた。――トウモロコシ畑のど真ん中。行き交う車はなく、人っ子一人見当たらない。
「――さて」
 老人は運転席から降りると、後部へ移って来た。――四人が等分に対峙する。
「自己紹介しとこうかね。アタシはアヴァランサ。【吸血鬼】だ」
 キリもマラキアも何も云わない。そのノーリアクションを気に留める事もなく、アヴァランサは〝熊〟に目を向ける。
「こいつはグロム。今見た通り、〝熊〟だ」
 グロムは不承不承ながらも、軽く頭を下げる。グロムは、キリとマラキアが大して驚かない事の方に、かえって困惑しているようだった。――実際には、どう返答していいか、二人も困っているだけだったのだが。
「あんた達は――」
 アヴァランサは促しかけ、途中でそれを止めた。
「いや、いいか。本名は聞かないでおくよ。その方がいいだろう」
「まあね」キリが素っ気なく応じる。
「帽子の方がディベロッパー、そっちのデカいのはロックバイターでいいね」
「……凄いじゃないか、軍曹。お前、〝はてしない物語〟のキャラ名貰ったぞ」
 そう云いつつ、キリは肩を竦めて頷いた。そんなところだろう。お互いも名前では呼べなくなるが。階級名もある――かつての。
「で?」
 最低限にも程がある台詞で、キリは話を促した。アヴァランサは腕を組むと、ふんと鼻を鳴らした。
「端的に云おう。敵はアウストル。吸血鬼だよ」
〈続〉

■リンガーウも含めて、主要キャラは全部出しとこうと思ったら、えらい長さになってしまった……。
■私がブロマンスクラスタなので、こんな面子になりました。地味だ。新たな女性キャラを作って貰っても全然OKですが、恋愛方面には持っていかないようにお願いします。書けなくなるんで。私が。(苦笑)
■それ以外は適当に料理して下さって結構です……って誰が続き書くってんだよこれ……;
■「ボーダー」と「ゾイド」の設定も落っことしてしまったし。気が付いたの書き終わってからだったんです。すみません。
■呟きでルーマニアルーマニア云ってましたが、あくまで「ルーマニアのイメージ」なので、特に限定はしないです。架空の国だとでも思って戴ければ。固有名詞も架空です。
■ところで何でマラキアが、浦島太郎知ってるんや。(苦笑)

■吸血鬼の設定とか、で、キリは一体何になったのさ、的な事があるので、もう1回ぐらいは自分で書いた方がいいんかな。と思ってもいますが、もし「この続きは自分が書くからちょっと待っとけ!」という方がいらっしゃいましたらコメ欄に一言置いてって下さいまし。全力で放置します(おいこら)。

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