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ディベロッパー・ジェネシス/インターフェロン02(前)

 ――吸血鬼。
 人の血を吸う。夜行性。太陽の光が苦手。特に朝日は致命的。ニンニク、十字架、聖水、流れ水が苦手……
「……だと、思ってたが」
 ジープ・ラングラーに揺られながら、キリは呟いた。
 キュムガルベンの丘陵地帯。陽光が燦々と降りそそぐ中、アヴァランサは平然と、車を運転している。車中とは云え、光は差し込む。それを苦にする様子は全くない。
「そもそも吸血【しない】っていうのが一番吃驚だぜ。それで何で〝吸血〟鬼、なんて名乗ってるんだ」
「好きで名乗ってる訳じゃないさ。人類が台頭する前は、単に、〝鬼族〟だったんだ。それに全然吸わない訳でもない。非常事態にはちょいと噛ませて貰う事もあったよ。――その後始末をミスって、吸血鬼なんて呼ばれるようになっちまった。今じゃそっちの方が通りがいいから、取り敢えずそう名乗ってる」
「かえって悪い気がするが」マラキアがぼそっと呟いた。
「十字架や聖水は? そう云やさっき教会の前通ったけど、平気そうだったな」
「あのな。アタシらは、人類誕生以前から、この星に棲んでんだよ。何で新興宗教のシンボルにビビらなきゃならないんだい」
「左様で。――ニンニクや流れ水は……」
「ガーリックトーストは大の好物さ。子供の頃は、川でよく泳いだね」
「……世のオカルトファンが聞いたら、幻滅する事間違いなしだな……」
「知った事じゃないね。何で人類の都合に、合わせなきゃならないんだい。先輩なのはこっちだよ」
 もっともである。
「ただアタシらの食事は、あんた達とは違う。そういう意味じゃ〝吸血〟ってのも、完全に間違いとも云えない。正確に云うと、吸〝エネルギー〟なんだがね。まあ、後で見せるよ」
 キリとマラキアは顔を見合わせたが、それ以上は尋かなかった。〝後で見せる〟と云うのだから、その時見ればいいだろう。
「で、あの熊……グロムは。どこ行ったんだ」
 グロムは、車を変える時、一行を離れたのだった。アヴァランサは簡単に答えた。
「情報収集だよ。奴には奴の仕事がある」

 ……丘の中途。白茶の煉瓦造りの村。古い様式の教会が、何棟か建っている。観光客がちらほらと、そちらに向かっていく中。アヴァランサはゆっくりと車を進めていく――と。
「何やってんだい」
 道のど真ん中で男が二人、管を巻いている。酔っ払っているようだった。乱暴な調子で、通りすがりの女性に声を掛ける。女性は慌てて逃げていった。男二人は更に大声で、何やら罵倒を続けている。どく様子はない。ハッキリ云って――邪魔だった。
「やれやれ。迂回するかい、婆さん」
「ちゃんとアヴァランサと呼びなミイラ男。――仕方ないねえ。ちょいと運転席預けるよ」
 云うや否や、アヴァランサは車を降りた。キリが慌てて、運転席に移る。マラキアが少し、身を乗り出した。
「どうする気だろうな。……まさか」
「さあな。でもまあ、まずは、婆さんのお手並み拝見だ」
 どこまでも、深刻味の感じられない男である。グロムであれば顔をしかめたところだろうが、マラキアは何も云わない。慣れている。これがキリの通常運転だ。
「ちょいと。いい加減にしないかい、いい若いもんが。昼間っから酒盛りとはいい御身分じゃないかえ」
 ――アヴァランサはスタスタと歩いていくや、無遠慮に声を投げ付けた。四つの酔眼が、小柄な老女を向く。
 いい度胸じゃねえか【お嬢ちゃん】――呂律の回らない口調で云い、一人がアヴァランサを突き飛ばそうとした。アヴァランサは勿論、大人しく突き飛ばされたり――しなかった。ひょいと太い腕をかわす。男がよろけたところで、軽く手を出す。腕に掌で触れる。――途端。
 男(A)は白目を剥いて、引っ繰り返ってしまった。
「おやおや。熱中症かい。それとも急性アルコール中毒かね」
 男Aは完全に、目を回していた。男Bは酔いの中で、それでも立ち尽くした。何か【おかしな】事が起きたらしい、と、それなりに気付いたのである。アヴァランサは手を振った。
「そっちのお前。さっさとこいつを、端へ寄せな。この歳で肉体労働は御免だよ」
 アヴァランサは軽く、男Bを睨み付けた。
 瞳孔に針のような、赤い光が点った。
 男Bはヒッと息を飲み込むと、慌てて男Aを引き摺って逃げ出した。――道が空いたところで、アヴァランサはぴょいと地を蹴った。一瞬で男Bに追い付き、その背を叩く。
「これに懲りたら酒は控えな」
 男Bも、どすんと尻餅を着いた。力が脱けたらしい。呆然とする二人の酔漢の横を、ジープが悠然と通過する。アヴァランサは助手席に飛び乗った。後には、ほうけた男二人が残された。

「何をやったんだ、御婆殿」
 マラキアが尋く。その呼び方に、アヴァランサは嫌そうに顔をしかめた――が。
「ま、ミイラよりはマシかね。こっちの岩男の方が」
 〝ディベロッパー〟〝ロックバイター〟だった筈の呼び名は、すっかりとこかに素っ飛んでいる。
「見ての通りさ。あれがアタシらの〝食事〟だよ」
 鬼族は食物を経口摂取し、動力に変換する事が出来ない。純粋な〝エネルギー〟という形で、【よそ】から〝分けて貰う〟他ない。このエネルギーを、東方では〝血気〟とも云う。従って、
「だから〝吸血鬼〟も、間違いって訳でもない。って事か」とキリ。
「そういう事さ。ま、そう理屈を付けて、自分を納得させてる面も多いけどね。けど真面目な話、別に、悪い体質じゃないとアタシは思ってるよ。水と植物さえありゃあいいんだ。まあそれでも、争いが起きなかった訳じゃないが」
「……だが御婆殿。先程、スコーンを食べていなかったか」
「そりゃ食うさ。味わう事は出来るからね。それにどれだけ食っても太らないんだから、この利点を使わないテはないだろう」
「マジか。そりゃあいいな」
 キリが、口笛でも吹きそうな口調で云った。
「どれだけチョコ食ってもいい訳か。よし。次ベルギーに行った時は、チョコレート屋を制覇だな」
「……何なんだい、こいつは」
 アヴァランサは不気味そうに、横目でキリを見やった。マラキアが解説する。
「こいつはチョコ……と云うよりカフェイン中毒だ。チョコとコーヒーに目がない。こいつを殺すのに刃物は要らない、コーヒーを取り上げれば死ぬ。とまで云われていた」
「……」
「何だよ。いいだろ別に、賭け事に入れあげるよりは。いいじゃないかチョコ好きの吸血鬼。新ジャンルだぜ」
「そこだよ」
「どこだ」
「云っとくがカフェじゃないよ。――あんた本当に、吸血鬼なのかい」
 キリは左目を点にした。
「は?」
「――そこだよ」
「だから何が〝そこ〟なんだよ婆さん――」
「目的地に着いた、って云ってんだよ。――アタシらの隠れ家≪ハウス≫だ」
 明るい色目の屋敷が建っていた。

「ペンションでもやってんのか、ここで」
 ――食堂に入ったキリは、帽子を脱ぎながら問いかけた。アヴァランサは「馬鹿云うんじゃないよ」と一蹴する。
「吸血鬼の棲処だからって、おどろおどろしくなきゃいけないって法はないだろ。かえって人目を引いちまう。貴族の別荘って触れ込みさ。実際、嘘って訳でもない」
「ふうん」
「まあ座んなミイラ男、岩男」
 どうやらこの呼び方が、アヴァランサの中では定着してしまったようだった。彼女は冷蔵庫から、ウオーターサーバーを取り出した。コップにそそぐ。
「他の飲物は、ここには置いてない。これで我慢おし。――さて」
 アヴァランサも椅子に掛けると、紫の目でキリを凝視した。
「あんたの話を聞きたい――のは、山々なんだがね。そいつはグロムが合流してからだ。同じ話を二度するのも面倒だろう、あんたも」
「そうだな。一度で済むならその方がいい」
「だからこっちの話を先にさせて貰うよ。――さっきも云ったね。後始末をミスった、って」
 アヴァランサは苦い顔になった。
「鬼族……だけじゃないんだが。アタシらの血は確かに、あんたらにとっちゃ毒なのさ」

 吸血鬼。人狼を始めとする変身種。他、人類ではない、古い種族。
 総称はなかった。かつては。人類から魔族、魔物などと呼ばれるようになり、それは受け入れがたかったので考えた末、今は〝亜種〟と自称している。自分達には、おそらく人類とは別の〝原種≪オリジン≫〟がいて、自分達は【その】亜種――の意である。決して、〝人類の亜種〟という意味ではない。と、自分達を納得させている。
 彼らの血中には、ウイルスが含まれている。それが様々な、超人的な能力をもたらす。しかしそれは、人類には強過ぎる。鬼族を例に取れば――噛んだ程度で感染はしないが、血が混ざると〝発症〟する。身体能力は通常人類の五倍に跳ね上がるが、血に対する狂的なまでの欲求が生まれる。それに反比例して、理性は失われる。陽光とニンニク、正確には硫化アリルとアリルプロピルサルファイドに対して、死に至る程のアレルギー反応を起こす。――
 それこそ、人類の想起する〝吸血鬼〟像である。
「〝患者〟と呼んでるよ。アタシらはね」
 本家本元――先天性の鬼族は、自分達のミスが患者――後天性吸血鬼を生んだと知って愕然とした。個々の力量では、人類を遥かに凌駕する鬼族でも、数では圧倒的に少数派である。攻撃的、排他的な人類に存在を知られ、敵視されるのは、得策ではなかった。鬼族は自ら患者を狩ったが、とても追い付くものではなかった。それでも何とか、増殖は食い止めていた――そんな折。
 一人の男が云ったのだ。抗体を生成してみたらどうか、と。
「そいつがアウストル。医者だった」
「吸血鬼にも医者なんているんだ」
「そりゃいるさ。鬼族だって病気にはなる。人類の病とはまるで違うがね。奴の云い分はこうだった――我々は、自分達の事について、あまりにも知らな過ぎる」
 ――我々の薬学と治癒術は、人類の科学を大きく超えている。それはいいが、この際だ。人類の〝科学的分析〟とやらも、少し取り入れてみたらどうだろう。
 それだけなら、長老達も許可しなかったかも知れない。だがアウストルは、こう続けたのだ。
 うまくすれば――
 ――仲間を増やせるかも知れない。
 鬼族にとって大きな悩みは、一族の数の少なさだった。生命力が強く長命であるが故に、生殖能力が弱いのである。また数の少なさは、近親交配にも繋がる。せめてもう少し仲間を増やせないか――それが鬼族の悲願であった。
 世界の支配などに興味はない。人類を駆逐したいとも思わない。ただせめて、もう少し。もう少しだけ、先を悲観せず、人類にも怯えず、暮らせるようになったなら――。
 ささやかとすら云っていい。そこを衝かれた。アウストルに。
「奴め。人類どころか同族まで犠牲にした挙句、一族の秘術を盗んで逃げやがった。思えば最初から、そのつもりだったんだろうさ。奴の甘言に乗ったアタシらが馬鹿だったが、後の祭だ」
 般若の如き形相で、アヴァランサは吐き捨てる。キリは左目だけでそれを見つめた後、淡々と尋いた。
「で。アウストルってのは具体的に、何をやってるんだ」
「鬼族ウイルスを生物兵器に転用して、軍に売り付けてる」
 マラキアが嫌そうな顔になる。鬼族の長老は続けた。
「ただ具体的な事まではわからないし、この先どうしたいかも不明だ。いずれ〝吸血鬼軍団〟まで行き着きたいだろう、と推測はしてるがね」
「それであんた達は、裏切者のマッド・ドクターを追ってる、と」
「……実動は〝熊〟だ。グロムだよ」
「何でまた」
「今、鬼族≪うち≫には、戦える奴がいないのさ」
 アヴァランサは憮然とした。
「世代の空白があってね。今、うちにいるのは、アタシみたいなジジババかガキばかりだ。中間層もいない訳じゃないが、殺られるとわかってて出す訳にいかない」
「弱いのか」
「普通だね。ただアウストルが、【強い】んだよ。半端じゃなく。逃げ出す時にも何人も、殺していきやがった。それも戦士を。出せる奴がいないのは、そういう理由もある」
「インテリ系と思って油断してたか。何から何まで甘かったな」
 飄々と、キリは手厳しい事を云う。アヴァランサは反論しなかった。
「ああ、まったくだ。しかし奴を放っとく訳にはいかない。他の種族にヘルプを求めた。貧乏籤を引いたのが〝熊〟だ。悪い事をしたとは思ってる」
「ふうん。それで――勝てるのか。その【えらく】強いマッド・ドクターに、あのクマオは」
「さあ、どうだろうね」
「おいおい」
「鬼族と変身種じゃ、力の質が違うんだよ。でもまあ、不可能じゃないと見てる。それにいざって時は、〝熊〟から何人か、助っ人が来る手筈だ」
「成程ね」
「鬼族≪うち≫は金銭、情報、補給を受け持ってるが――〝熊〟に任せっぱなしってのはあんまりだろうよ。一族のケリは一族が付ける、それが原則だからね。フォローぐらいは出来るだろうと思って出て来たのさ」
 アヴァランサは大きく息を吐いた。
「これが大体の、こっちの事情さ。わかったかい」
「まあおおよそは」
「そりゃよかった。――さて、それじゃあ」
 険しい目が、キリを見据えた。
「次はあんただよ」

「グロムが見たんだよ。奴の研究所――クラウドから、逃げ出したんだろう? 確かにその外見、〝患者〟の特徴と似てるよ。でも陽の光には平気だし、生前の記憶もある。一体どうなってんだい」
 ――鬼族に問われ、ミイラと岩男は顔を見合わせた。そんな事を云われても――。
「どうなってんだって、それは俺の方が尋きたいぐらいだからな」
 キリは天井を仰いで溜息をつくと――不意に包帯に、手を掛けた。するすると解き始める。
「おい、中尉」
「いいじゃないか。どうせ居るのは、化物ばっかりだ」
「俺まで化物にカテゴライズするな」
「そう云うなよロックバイター。一緒に地獄に落ちようぜ」
「お断りだ。一人で逝け」
「そう云うと思ったよ」
 ――包帯が完全に解かれた。
 青白い肌。赤い目。失われた右目、色の脱けた髪。
「あー、やっぱり、包帯してると息苦しいな。息してるのかどうか怪しいが」
「中尉」
「婆さんの疑問はもっともだ。でも俺にも、答えようがないんだよ。あの時何が起こったのかも――まだ今一つ、ハッキリしないし」
 キリは一度、目蓋を揉んだ。
「それにその話は、クマオが合流してからだろう」
「……ああ、まあね」
「それまで少し休ませてくれ。一眠りすれば、頭もスッキリする――かも知れないし。その前に、腹が減ったな」
 唐突に云うや。キリは立ち上がった。戸棚に近付く。
「婆さんの好きな、ニンニクスープのパスタでも作ってやるよ。食材ないのか」
「そっちの棚に入ってる――って、ちょっと。あんた」
「接触くらいなら感染はしないんだろ。気を付けるって。――何だよ、碌な材料ないな。軍曹、適当に何か買って来い。金は……婆さんにツケ」
「アイサー」
「こら。勝手に決めるんじゃないよ」
「いいじゃないか」キリはニヤリと笑った。「ゾンビの作った飯なんて、そうそう食えるもんじゃないぜ」

 グロムは、パブ〝カナリヤ〟の扉を押した。
 日中だというのに、結構な賑わいだった。長身を斜めにして人の間を縫い、グロムは目的のテーブルに着いた。テーブルでは、占い師の装いをした男が、何やら盤に駒を並べていた。
「よう、グロム」
 と、占い師は云った。異国語のような言葉で。
「ああ。悪いな、待たせて」
 グロムも同じ言葉で返す。――亜種言語である。情報交換に、これ程適した言葉もあるまい。
「で――どうだった」
 テーブルにコインを置いて、グロムは尋く。傍目には、占いを頼んでいるようにしか見えない。彼は実際に、占い師としても商売はしているし、そちらの腕も確かだが――今回は。
「苦労したぜ。〝蟻地獄≪レウフリカ≫〟周辺は完全に封鎖だ。〝梟〟に協力して貰った、奴らにも金払えよ」
「そ……れは、まあ、何とかする」
 グロムは答えた。鬼族から回して貰おう。金には不自由していない連中だ。
「それで」
「防疫スーツを着た連中が、何か運び出したり、洗浄したり」男はコトンと駒を盤に置いた。
「〝蟻地獄〟はバイオハザードで壊滅した。間違いない」

 キリの作った、玉葱とベーコンのガーリックスープパスタは、好評? の内に三人の胃に収まった。
 何故クエスチョンマークかというと、誰も明確には〝誉め〟なかったからである。アヴァランサは逆に、大層複雑な表情だった。「あんなにいい加減に作っといて」と呟いていたところから推察するに、それで何故旨いんだ――と不可解なのだろう。マラキアは慣れている。平然とおかわりした。キリは「うん、旨い」と自画自賛の後。
「味覚はそのままだな。やれやれだ」
 ――片付けまでやってから、キリは鬼族と元同僚に告げた。
「クマオが戻るまで休んでていいか。少し疲れた」
「ああ、好きな部屋を使いな」
「ところで婆さん。吸血鬼ってのはいつ寝るもんなんだ?」
 アヴァランサは目を丸くした。意識した事がなかったのだろう。少し考える。
「そうさね。夜は大体起きてるね。昼間にウトウトしてるかね、細切れで。合計すると、三時間ぐらいじゃないかね」
「へえ。猫みたいだな。それじゃクマオが戻ったら教えてくれ。その時までに、思い出してりゃいいんだが」
 キリは片手を上げると、食堂を出て行った。――後に残った吸血鬼は、じろりと人類を睨んだ。
「ちょいと岩男」
「何だろう御婆殿」
「何なんだいあのミイラ男は」
「何なんだと云われても返答に困るが」
「――大雑把なのかマメなのか、さっぱりわからん。それだけじゃない。普通もうちょっと、取り乱したりするもんじゃないのかい。何であんなに平気な顔をしてられるのさ」
 アヴァランサの問いももっともであった。マラキアは肩を竦めもせずに答えた。
「あれは、表面と中身が全然違う。それを押さえておけば特に難しくはない」
「……」
「かと云って容易≪たやす≫くもないがな。あれを勝手に読み違えて勝手に自滅してった奴なら、軽く二桁は知っている」
「……」
「俺は命拾いした。奴が居なかったら、俺は五回は死んでいた」
 その五回目の後、除隊したのだが。
「奴は傭兵だ。それ以上でも以下でもない。奴を利用したいなら、金――でなくてもいい、何か見返りを提示して契約しろ。その期間中なら、奴は絶対に裏切らない。俺に云えるのはこれくらいだ。後はあんたの目で見極めろ」
「……そうするよ」
 アヴァランサは目を半眼にして、マラキアを眺めた。
「それにしてもあんたも、変わってるね。同じ傭兵部隊にいたのかい? それにしたって、辞めてまでつるんでるとは。嫌にならないのかい。どうせ面倒事ばっかりなんだろう」
「正直そう思う時もあるが」マラキアもまるで動じない。「しかし旨味も大きい。総じて、悪い縁ではない」
 平坦に云い切り、マラキアは立ち上がった。
「俺も休んでいいか。これでも人類なのでな」

 ……日が落ちてから〝隠れ家〟に入ったグロムは、食堂の様子を見て立ち尽くした。
「……何をしているんだ、お前――ディベロッパー」
 コートも帽子も包帯も外した(右目だけは覆っている)幽鬼のような男が、台所で何やら立ち働いているのである。グロムでなくても凍結する。キリはシチューの味見をした後、ちらりと〝熊〟を見やった。
「まあ座って、ワインでも飲んでろ。すぐに出すから」
 グロムは視線を巡らせた。――マラキアはリビングの書き物机について、何やらノートパソコンを叩いている。無骨な指だが、タイピングの速度は怖ろしく速い。――グロムは椅子に掛けながら、アヴァランサに問うた。
「どうなってるんだ一体、アヴァランサ殿」
「アタシにもよくわからないんだが」
 アヴァランサはワインを一口飲んだ。マラキアが買って来たものだ。資金は勿論、アヴァランサの懐から出ている。彼女も最初は、散々渋った――のだが。
「岩男は案外目が利くよ。無名の安物だがどうして旨い。ミイラの料理もなかなかで……」
「……何を考えているんだアヴァランサ殿っ!」
 バンッ! グロムは思わず、テーブルを叩いていた。――トレイを手にしたキリが、グロムに声を投げる。
「落ち着けよクマオ。脳卒中起こすぞ」
「これが落ち着いて……って、何だそのクマオというのは」
「熊男≪くまおとこ≫って呼ばれるのが嫌なんだろ。だから熊男≪クマオ≫」
「大して変わらない!」
「カッカするなって。まずは飯食って落ち着け。それとも先に、甘いものでも食うか。糖分が足りないと苛々するからな。旨いチョコがあるぜ」
「何でチョコなんだ!」
 混乱の極みに陥ったグロムだった。

 湯気の上がるブラウンシチューと、ガーリックトースト。食欲をそそる匂いが立ち昇るそれを前にして、しかし切り出されたのは血生臭い話だった。
「ディベロッパー。お前、レウフリカ演習場にいたんだったな」
「ああ」
 通称〝蟻地獄〟。モルダニア国内で最も過酷、と云われる演習場だ。それは勿論記憶にあったし、グロムが離脱する際に伝えてもあった。
「他に手掛かりもない。今どうなってるか、調べてみた」
「……どうなってた」
「完全封鎖だ。誰も立ち入れない。上空の飛行も勿論禁止」
「それでよく調べがついたな」
「〝梟〟が偵察してくれた。アヴァランサ殿、後で鬼族に請求が行くと思うので、その時は――」
「ああ、わかったよ。それで」
「化防部隊が総出で、作業していたそうだ」
 グロムは深沈とした青い目で、キリを見つめた。
「間違いなくバイオハザードだ。何があったか、思い出したか?」
 ……キリは前髪をかき上げた。
「まあ、大体は、な」
〈続〉

■あまりに長くなったので、2つに分ける事にしました。
■アウストルの目論見までは自分で書こうと思ってるので、そこまではちょいと、参戦はお待ち下さいませ~。
■当方の「吸血鬼」のベースは、「ウェディング・ドレスに紅い薔薇」(著・田中芳樹)です。

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