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ディベロッパー・ジェネシス/インターフェロン02(後)

※わりかし血生臭いので一応注意して下さいまし。多分R15ぐらい。

  ――ハリース警備保障。北米に本拠地を置く。名目は〝警備〟だが、実質は、傭兵の養成所・兼・派遣会社である。規模≪シェア≫としては中程度だが、質と規律はかなり高い。少なくとも、〝どちらがテロリストかわからない〟と云われるようなインモラルな会社よりは。それでも、〝戦争〟――つまり他者の命を吸い上げて稼いでいる事には変わりないが。

 五十嵐キリはその、ハリース出身の傭兵である。
 他の仲介業者とも契約はしているが、やはりハリースからの仕事が最も多い。最前線への派遣は勿論だが、要人警護や、新兵の訓練という仕事もあった。キリのように、若くして各地で経験を重ね、かつ生き残って来た兵士は貴重で、二〇代後半からは教官の仕事も増え始めた。正規軍の将校はいい顔をしないが、実戦経験の乏しい国において手っ取り早く最新の戦略・戦術を伝授するには、この方法は有効だったのである。特に、対テロリスト戦においては。
 ――そんな具合で、キリはここ一年程、モルダニア正規軍の新兵訓練の仕事に就いていた。モルダニア部隊には以前にも、何度か加わった事がある。国連軍の中で。その縁だろう。新兵を訓練しつつ、最前線の哨戒に回る事もある。モルダニアは大湖を挟んで北の大国と接しており、国境は常に一触即発だ。決して、楽でも安全でもない仕事だった。
 ――その日。レウフリカ演習場の宿舎、教場棟。
 夕食後、キリは、ノートPCを叩いて報告書を作成していた。明日から、キリ自身は前線に移り、代わりに前線から下がった将校が教官の任に就く。その引き継ぎのための書類も必要だった。階級ばかり高い老害に指導される新兵達の事を考えると、正直心配ではあった。しかし命令である。拒否は出来ない。二週間、耐えて貰うしかなかった。
 報告書と引き継ぎ書類を印刷する。回線が貧弱で、ファイルを送れないのだ。遅いFAXで送る。ピーロロロ、という音が妙に物悲しい。
 オフィスのドアがノックされた。
「教官。在室でありますか」
「ああ、あいてるよ。入れ」
 軍隊にしてはフランクに過ぎる口調で、キリは応じた。どうせ大して、年齢は変わらないのだ。傭兵としてはベテランでも、三〇歳そこそこは世間的には若造の範疇であろう。
「失礼します!」
 入って来たのは伍長であった。それこそ、キリと同年代である。キリは書類を揃えながら、どうした、と軽く笑った。伍長は手にしていたそれを、ズイとキリに差し出した。――カードサイズの封筒だった。キリは首を傾げた。
「何だ? ひょっとして伍長、俺に愛の告白か?」
「そうです」
 キリの軽口に、大真面目な顔で伍長は答えた。キリの方が目を丸くする。その表情を見て、伍長はニーッと白い歯を見せた。
「やった。最後に曹長殿を、驚かす事が出来ました」
「驚いたよ、確かにな。まさかお前が、冗談云うとは思わなかった。成長したもんだ」
 キリも笑った。いつもの皮肉っぽさはなかった。
「けどまあ、明日から来る爺さんには、通用しないだろうからな。大人しくしとけ」
「承知しております。改めて――餞別です。隊の皆からです。お受け取り下さい」
「餞別?」再度差し出された封筒を、キリは受け取った。「大袈裟だなあ。二週間で戻って来るのに」
「は。ただ、自分達の三分の一は、一週間後に国連に派遣されますので」
「……ああ」
 キリは、苦笑に似た表情を見せた。
「お前もだな。気を付けろよ。死ぬなよ」
「努力します」
 伍長は引き締まった表情で敬礼してから、――どうぞ、とキリを促した。
「いいのか。あけて」
「はい。御覧下さい」
 キリは封筒をあけた。出て来たのは、プリペイドカードだった。とあるカフェの。
「……」
 キリは穴の空く程カードを眺めてから、伍長に目を転じた。
「つまり、これは、生きて帰れと。そういう事だな」
「はい。教官にそのようなメッセージは、おこがましいと思いましたが。前線に出れば、誰しも同じだと」
「そうだ」
 キリ自身が常日頃、口にしている事だ。くどい程に。
「ですので――どうぞ。契約満了の暁には、思う存分珈琲を飲んで、ザッハトルテでもチョコサンデーでも食って下さい。アメリカにも日本にも、支店がある筈ですから」
 真顔で云った伍長に、キリはくつくつと笑った。
「わかった、わかった。ありがたく戴くよ」
 カードを封筒に戻し、胸ポケットに入れる。――弾除けにはなりそうもないが。
「他の連中にも、礼云っといてくれ」
「はっ。――正直、残念であります。曹長殿の指揮下で戦いたかった」
「俺は雇われ教官だよ。正規軍の指揮権はない。それに二箇月後には、契約終了だ。先も決まってる」
「承知しています……が」
「次、会う時は、敵かも知れない」
 非情な事を、しかしキリは、微笑と共に告げた。そこに皮肉はなかった。むしろ暖かささえ感じさせる声で。
「その時は撃て。ためらうな。俺も躊躇しない」
「……はい」
「さて。――もうそろそろ、戻って休め。明日も早いんだ。俺も休む」
「はっ。……そう、云えば」
 明日の朝も早い――で、伍長は何か思い出したらしい。眉と声をひそめる。
「大丈夫なんでしょうか、基地司令は」
「は? 大丈夫って何が、――あ」
 キリも思い当たり、顔をしかめる。伍長は頷いた。
「また、コンパニオンを呼び込んで……明日の朝は訓示もあるのに。ちゃんと起きられるんですかね」
 大の大人、しかも地位も責任もある(筈)の人間に対して、する心配だろうか。これが。キリは額を押さえて呻いた。
「……副司令……は【御一緒】か。仕方ねえな。軍務部長と、あと本庁にも、メール送っとくから。お前は気にしないで寝ろ。司令が二日酔いで訓示出来なくても、恥かくのは向こうだ。俺達には関係ない」
「でも、いいんですか。曹長が睨まれませんか」
「どうせ睨まれてるし、睨まれたところで出世に響く訳でもない。心配しなくていい。――【あれ】を追い出せなかったのが唯一の心残りだな。訓練じゃ後ろから流れ弾って訳にはいかないもんな」
「曹長殿。それ以上は」
「わかってるって。それじゃ、おやすみ、伍長」
「はい。失礼します」
 この時のキリは、予想だにしていなかった。基地司令をこの世から追い出しておくべきだった、と、後々死ぬ程悔やむ事になるなどと。

 ……聴覚に、何かが届いた。
「!」
 ハッ、とキリは目をあけた。既に五感は、フルで稼働している。三〇秒と掛からず戦闘服を着ける。銃とナイフをホルスターに落とし込み、インカムを装着。部屋を飛び出す。
「伍長!」
『全員揃ってます!』
「状況が不明。固まらずに待機。発砲は許可する。――指令室。指令室?」
『五十嵐曹長か! 頼む、一隊連れて北倉庫へ向かってくれ』
「倉庫?」
『パトロールの連中が、何かと遭遇した! 現在交戦中――どうした!?』
 指令室に通信が入ったらしい。キリは咄嗟に、通信帯域を広げた。指令室と同時に受信する――
《し、指令室、こちら五班! 駄目だ、効かない、化物……おい!? おい、軍曹、お前生きてっ……軍曹!?》
 悲鳴。MP5の連続銃声――もみ合う音、
 絶叫。
 血も凍るような。
 ドサリと何かが倒れた。ゴボゴボと水のような音。通信だけはまだ続いているが――これは。
『そ、曹長……』
 上官の声が震えている。無理もない。ここは演習場だ。どれだけ訓練を重ねていても、実戦とは違う。ましてや今の状況は、あまりに異様だった。キリですら経験した事がない。キリは一度呼吸した。
「少佐。第三小隊を貸して下さい。この状況で訓練兵には荷が重い。バックアップに回らせます」
『り、了解』
「伍長。聞いていたな。大尉の指揮下に入れ。ただし【後方】だと思うな。どこから何が来るかわからん」
『アイサー』
 キリは第三小隊と合流した。気心の知れた連中だ。MP5を受け取り、そのまま北へと走る。走って――
 唐突に現れた光景に、愕然と凍り付いた。
 血の海だった。死体が点々と転がっている。だが全て、モルダニアの軍服だった。敵がいない。〝敵〟は――どこに――
 いや。
 そもそも、〝敵〟はいるのか。
 不意にそんな考えが、キリの脳裡にひらめいた時。一人の一等兵が、一点を指差して叫んだ。
「隊長、曹長、あれ!」
 一人の兵がよろよろと、起き上がったのだ。一等兵は少しホッとして息を吐いた。
「よかった、生きてたのか――おい! 大丈夫――」
 か、と云いかけて。一等兵は今度こそ凍結した。彼だけではない、他の兵士も、そしてキリも。
 その兵士は、身体中、血まみれだった。腹部はマシンガンの弾丸で目茶苦茶だ。顔にも、額にまで、弾痕がある。にも、関わらず。
 びしゃり。
 兵士は踏み出してきた。手が伸ばされる。キリ達の方へ、
「うっ……うわあああああ!」
 一等兵が機関銃を構えた。キリは咄嗟に、その手首を掴んで固定していた。叫ぶ。
「撃て!」
「アアアアアアイサー!」
 応じた時には、既に全弾撃ち尽くしている。MP5の集中銃撃を浴びて、兵士は再び倒れた。頭部を失って。――再び動き出す様子は、ない。一等兵はぜいぜいと息を切らしながら、キリを見上げた。
「そ――曹長――今のは、」
「簡単な話だ。脳を吹っ飛ばされればどんな生き物でも死ぬ」
 しかしキリの顔も強張っている。キリもこんなのは、見た事がなかった。その時小隊長が、歯の根が合わぬ声を押し出した。
「そ、曹長、あ、あれ……!」
 頭を失って倒れた兵の、もう少し手前。別の兵が、起き上がるところだった。更にもう一人。どう見ても、致命傷を負っている――というのに――
「ま、ま、ま、まさか……」
 第三小隊の伍長が、カチカチと歯を鳴らしながら呻いた。
「ゾ、ゾンビ、かよ……? バイオハザードじゃあるまいし……」
 ――キリは突き飛ばされるように、冷静さを取り戻した。悟ったのだ。【その通りだ】と。インカムに触れて叫ぶ。
「生物災害≪バイオハザード≫! 全員防毒マスクを着用、絶対に素手で触れるな!」

「逃げろ! 走れ!」
 キリの一声に、第三小隊は一斉に駆け出した。全力で走る。キリは更に、指令室に要請した。
「バズーカを用意! あるだけ準備しろ、砲弾もだ!」
「バズーカ!?」
 第三小隊長が、肩越しに振り向く。キリは短く説明した。
「小銃程度じゃ無理だろう。――戦車を展開させろ! 感染者を絶対に、基地の外へ出すな!」
 越権も越権、軍法会議が開かれたら即有罪ものの超越権行為だったが、誰も逆らわなかった。指示を出せる者がいなかったのだ。そして【疑う】者も。何故なら、
『曹長! 何だこいつらは、う、撃たれてるのに、二等兵が、何で死んでない……!?』
「バリケードを! 中に入れるな! ――攻撃は距離を置け、近付くな! バズーカが足りなければ手榴弾を使え!」
 感染者が指令塔周辺にも現れたのだ。キリは戦慄した。思った以上に、汚染が広がっている。最悪の覚悟も必要かも知れない。キリはインカムに叫んだ。
「指令室! 空軍に、爆撃の要請を――指令室! 指令室!?」
「曹長! 隊長おおっ!」
 悲鳴のような、二等兵の声。
「!?」
 建物の屋根から、何かが飛び下りて来たのだ。キリは咄嗟に、横っ飛びに転がって離脱した。だが黒影は、
 一等兵の上へと落下した。
「……!」
 絶叫が噴き上がった。

 キリも小隊長も、反応出来なかった。その間もなかった。
 落ちて来た〝それ〟は一等兵を押さえ付けるや――がぶりと、その肩に食い付いたのである。

 背が大きく反る。――食いちぎった。血が煙のように散った。

 一等兵の叫び声が、あっと云う間に消失する。キリは二重に、呆然とした。今、目の前で、一等兵の命を奪った【それ】。食いちぎった一等兵の肉を、尖った歯で噛み裂いている【それ】。青黒い肌と赤い目、半裸の【それ】は――
「司令……?」
 だった。

 ――軍人の名門に生まれた。敷かれたレールのままに軍人になった。プレッシャーに負け、酒と色に耽り、後方の基地を盥回しにされて来た、無能な男。迷惑ではあるが、指揮権を与えず飼ってさえおけば、有害ではないだろう――そう、思われて来た男。その男が。
 ――こいつか。
 何の根拠もない。だがキリは直観していた。感染源はこの男だと。

「し、司令、一体……」
 小隊長の混乱はキリ以上だった。無理もない。その彼が、ギョッと目を瞠ってキリの袖を引いた。
「曹長、あれを……!」
 彼が指差したのは、自分の部下だった。それを見て、キリも驚愕した。
 死んだ。と思った。肩から胸を、大きく噛み裂かれて。だがその体が、大きく痙攣した。ゲッ、ゲッと喉が鳴る。肌が見る間に、青黒く変色していく。腕をひくつかせながら、一等兵は身を起こした。目が開く。
 真っ赤だった。

「お、お前、どうし……」
「駄目だ隊長、近付くな! ――手榴弾は!」
 キリは小隊長の腕を引いた。非情の台詞に、小隊長は唾を飲み込んだ。
「も――持っているが――け、けれど、」
「わかってる。俺がやる」
 キリは小隊長から手榴弾を引っ手操ると、司令と一等兵(だったもの)に向き直った。ピンを抜く。
 すまない、と声にはせずに唇だけ動かして――
 キリは手榴弾を放った。
 ――爆炎と爆煙が、二人を焼き尽くした。

 演習場は、阿鼻叫喚と化していた。
 幸か不幸か、基地に駐留している部隊は少なかった。大勢であったら、収拾が付かなかったろう。しかし同時に、手勢が少ない、という事でもあった。キリの指示でバズーカと手榴弾を手にしたものの、冷静に戦える者は多くはなかった。もたつく間に、〝感染者〟の毒牙に掛かってしまう。
『教官! 駄目です、手持ちの手榴弾がもう……!』
「すぐ離脱しろ! 消火器でも何でも使え、近付けるな! 武器がなければガソリンをかけて燃やせ!」
『は、はいっ!』
 半泣きの声は、三箇月前に入隊したばかりの新兵だ。キリは奥歯を軋らせたが、手立てはない。やっとの事で、指令塔へ辿り着く。――同時にガラスの割れる音。
「少佐!」
 ――叫んだものの、既に悟っていた。指令室も――汚染された。
 一瞬の躊躇も許されない。キリは即座に、次の手を考える。――指揮車がある。あれなら本部への連絡も付けられる。間髪入れずに踵を返す。ガレージへ向けて迅走する。――横手から黒影が飛んだ。
 前に身を投げ出す。その上を〝感染者〟が飛び過ぎる。〇・五秒遅れていたら、首を噛みちぎられていたところだった。アスファルトに一転、跳ね起きる。感染者も着地する。その後ろ姿に向けて、キリはナイフを放っていた。ビュッ! 空を断つ音を立ててナイフは一直線に、感染者の延髄に突き立っていた。
 ガッ――
 くぐもった音で呻き――感染者の目が、灰色に濁った。ズシン、と地に沈む。ガサリと崩れ落ちた。
「……?」
 キリは息をはずませながらも、脳をフル回転させる。これが意味する事は、
「……よく聞け! こいつら、再生力は凄いが、弱点は普通の生き物と同じだ! 距離を取って頭部か首に集中砲火! 殺せない相手じゃない、一匹に対してグループでかかれ!」
『アイサー!』
 だが返って来た声は、頼りない程少なかった。キリは一瞬絶句する。しかしすぐに、頭を叩いて雑念を追い出す。再び、ガレージへと走り出す。建物の角を曲がる。車庫が見えた――
 地面すれすれを、何かが伸びた。蛇のように。
「っ……!?」
 腕だった。引っ繰り返った車の陰に隠れていたのだ。足首を掴まれた。転倒する、
「……!」
 左足を、激痛が襲った。

「ぐ……っ……!」
 噛まれた。汚染された……!
 だがキリは全身の力を振り絞り、身を起こした。自分を襲った感染者を視認する。
 教え子の顔だった。
 キリはためらわなかった。左足に噛み付かれたまま、神速で銃を抜く。狙いを付ける。眉間へ。
 銃声一六発。
 自分の足ですら撃ちかねない距離だった。むしろそれでもいいとすら思った。だが弾丸は全て感染者にヒットした。――頭を肉塊に変えた感染者が、灰色になって崩れ落ちる。キリは必死で後ずさった。左足を見下ろす。
 軍服には大穴が空き、傷口が抉れ、血が溢れ出していた。
「感染……した……」
 震える手で銃≪クギール≫を握り直し――しまった、と臍を噛む。全弾撃ち尽くしてしまった。せめて一発とっておくのだった、
「っ――!」
 全身を衝撃が焼いた。

「つ……うっ……!」
 熱い。体が燃えたかと思った。そして激痛。細胞の一つ一つを、灼熱の針で突き刺されたようだった。キリはのたうちながら、それでも体を起こそうとした。何か――自分の命を断てるもの――意識がなくなる前に――
「い……つっ……!」
 駄目だ。立てない。意識が霞む。それでもその中で、何かが急速に、自分を【食って】いくのがわかった。書き換えられていく。細胞が、熱と痛みで、変質していく。別のものへと――
「ぐっ……!?」
 不意に喉許に、何か迫り上がった。同時に、右目の眼圧が強まる。何が、と思う間もなかった。
「ごほっ……!」
 ばしゃっ――!
 口から大量の血が溢れ、右側の視界が失われた。

「はっ……、ご、ほっ……」
 ゴボゴボと血が、滝のように落ちる。思わず押さえた右目からも、指の間から何かが伝い落ちていくのがわかる。何が起きたのかわからない。右目が溶けたのか。――力が抜ける。倒れそうになる、
「……教官……!」
 ――声が聞こえた。分厚いガラス越しのように、どこか遠く。
 キリは何とか、左目をあけた。水を通したような、不安定で歪んだ視界に、伍長が走って来るのが見えた。キリは首を振った。
「駄目だ、近付くな! ――撃て!」
 伍長は打たれたように立ち止まった。手にしたMP5がキリを向く。しかし伍長もまた、顔を歪めて首を振った。出来ない、と、その行動が何より物語っている。キリは血を吐き出すと怒鳴った。
「手榴弾を寄越せ! 早く!」
 声になっているかどうかも怪しい。ありません――悲鳴のような返答が、かろうじて耳に届く。キリは最後の気力をかき集めた。
「逃げろ! 離脱しろ、本部に、空爆の……要請……!」
 ――切れた。全てのエネルギーが。自分の吐いた血の中に、キリは倒れ込んだ。誰かの叫び声が聞こえて、
 意識は途切れた。

 後の事は何も、わからない。

 次に視界を取り戻した時。
 キリは、移動するストレッチャーの上だった――

 ……食堂は、静まり返っていた。
 マラキアですら絶句している。数年前に除隊したものの、キリと似たような経験を積んで来たのだ。その彼にしてからが、言葉を失う惨状だった。
 当事者である筈のキリだけが、一人平然としている。
「……ディベロッパー。その……」
 グロムが何か云いかけ、結局口を閉ざした。アヴァランサと顔を見合わせる。言葉を探しあぐねる亜種二人に、キリの方が先に声を投げた。
「どう思う」
「……どう、ってのは?」とアヴァランサ。
「あのバイオハザードは、マッド・ドクターの吸血鬼ウイルス兵器だと見て、間違いないのか」
「……そうさね」アヴァランサは低く答えた。
「他にそんな兵器ないだろうからね。間違いないだろうよ。その、基地司令かい。そいつがどうして感染したのか、それが謎だが。――攻撃はなかったんだろう?」
「なかった。ロケット弾で撃ち込まれたとか、そういう事じゃない筈だ」
「それにアウストルは今、モルダニアにも協力してるんだよ。その基地に攻撃するとは考えにくい……いや、裏切ったって可能性も否定出来ないが。そいつはもう少し、調査が必要かねえ」
「で。もう一ついいか」
「何だい」
「俺としては――怪しい研究所から逃げ出して、そこにあんたが現れた。研究所の所長も、あんたも、〝吸血鬼〟だという。だから当然、俺も、吸血鬼になったんだと思ってたが――違うのか」
 淡々とした声音。どうやったらここまで冷静さを保てるのか、グロムには理解しがたかった。アヴァランサは顔をしかめた。
「や、アタシだって、逃げ出したのは〝患者〟――だと思ってたんだよ。確かにあんたの外見は、患者に似てる。でも中身は、先天性そのものだ。まずそんなのは例がない。それに患者になったからって、目が溶けて落ちるなんて、そんな話も聞いた事がない。正直お手上げだね、アタシにも」
「……そうか。それは困ったな」
「ディベロッパー」グロムが引き取った。「お前、傭兵だと云ったな。あちこちに派遣されたんだろう?」
「ああ、まあ」
「予防接種は受けなかったか」
「受けたね」
「現地で、ローカルな病気になった事は」
「それも何度か」
「よく生きてたな。……その辺が、関係してるんじゃないか? こいつが持っている抗体の内の何かが、鬼族ウイルスに、思いがけない反応をした――」
「……だとすると」アヴァランサは頭に手をやり、天井を仰いだ。
「それこそお手上げだよ。アタシ達には。こいつの抗体のどれが、どういう風に、鬼族ウイルスと反応して、変化させたかなんて分析は」
「それこそ、マッド・ドクターでもない限り?」
 皮肉っぽい笑みを頬に刻んだキリに、アヴァランサは憮然とした。
「やめとくれ。こっちにだって、生体実験を嫌悪するぐらいの理性はある」
「つまり」マラキアが纏めに入った。「幸か不幸か、こいつは偶然、新種の鬼族になってしまった――という事か」
「……わかりやすい説明をありがとうよ」とアヴァランサ。
「そうとでも考えないと説明が付かないね。ひとまずはそれで本家に報告しとくか」
 納得してくれるかねえ――アヴァランサの呟きからすると、鬼族の長老達も相当頭が硬いようだ。いや、【これ】を受け入れられなかったからと云って、〝頭が硬い〟とは云えないかも知れないが……。
「新種ねえ」キリは苦そうに笑った。「雑種の間違いだろ、って云われそうだな。そっちのお偉方からは」
「どっちでもいいさ」
 アヴァランサは無造作に、一刀両断した。
「それに関連して、こっちにももう一つ。確かめたい事がある、ミイラ」
「何だ」
「今アタシ達はこうして、飯を食ってるが」――キリの話の間は、流石に匙も止まっていたが。既に各々、料理を口に運んでいる。「グロムと岩男はともかく。アタシとあんたにとっちゃ、この食事は――ま、ハッキリ云って、無駄だ」
「いいだろ別に。旨いんだから。旨いだろ」
「ああ旨いよ。まったく、人は見かけによらないね」
 ぶすっと認めたアヴァランサに、キリは一瞬、悪戯小僧めいた笑みをひらめかせた。グロムが意外そうに、少し目を大きくする。アヴァランサは無視して続けた。
「とにかく、飯の旨い不味いは置いといて。――つまり、別ルートでエネルギーを取れなきゃ、あんただって死ぬんだよ。そういう話だ」
 キリは左目をまたたかせた。
「……ああ。そうか。それはうっかりしてたな」
「疲れたと云ってたろ。一休みして回復したかい」
「どうかな。怠さは変わらない……かな」
「チョコを食おうが飯を食おうが、回復には繋がらないんだよ、もうね。だからアタシらの〝食事〟の方法を教えとく」
 キリはスプーンを止め、グロム、マラキアと視線を動かした。
「っても、取れそうな奴はこいつらしかいないぞ」
「断固断る」
「右に同じだ」
 熊と岩男がほぼ同時に返答する。キリは嫌そうな顔になった。
「俺だって嫌だよ。……で、どうすりゃいいんだ、婆さん」
「まずは練習だ」
 アヴァランサはテーブルに、鉢植えを置いた。何やら草花が植わっている。どう見ても雑草だった。
「こいつから【貰う】。云っとくが、枯らしちまったんじゃ駄目だからね。よおく見てな」
 老人の手が、草花に翳される。
「この草の周りに、オーラがある――」
「見えませんけど」
「あると思うんだよ。イメージだ。それを指先で、少し掬って乗せる」
 アヴァランサの指が、雫を掬うような動きをする。キリは眉を寄せた。さっぱり〝見え〟ない。
「やってみな」
「……わかった」キリは鉢植えに手を伸ばした。「やっぱ、枯らすのは嫌だよな。結構ショックだぞ。優しいからな俺」
「どこがだ」
 ――と、突っ込んだのは、グロムだった。グロム一人。グロムは、あれ、と云うようにマラキアを見た。マラキアは気付いていないかのように、鉢植えを眺めている。
「周りに、オーラがあって、それを少し掬う……少しだけ」
 キリは呟きながら、指先を葉裏に当てた。すっと撫ぜる――
「あ、あれ?」
 キリの声が、初めて焦った。マラキアも目を瞠る。
「おい。枯れてるぞ」
「見えてるよそれは。――って、手ェ離したのに。婆さん、どうなってんだこれ」
「アタシに云われても困る」
 と、云い合っている間に。鉢植えの雑草は、しおしおと枯れてしまった。キリはしばし唖然とした後、本当に肩を落とした。頭を抱える。
「うっそだろ……マズいよなこれ」
「まあ、慣れだとは思うがね」アヴァランサも唇を曲げた。「しばらくの間、手袋しときな。不用意に人に触るんじゃないよ」
「そうする。……あー、でも、このままだったらどうしよう。これじゃデートも出来やしない。お先真っ暗じゃないか」
 その嘆息に、マラキアが真顔で突っ込んだ。
「まだデートする気でいたのか、お前」
「悪いかよ。そりゃこんな肌色だけど、ヴァルカン星人だって云えば」
「通らん」
「じゃあガミラス星人」
「もっと通らん」
「……お前達は本当に、事態がわかっているのか?」
 グロムは怒りを通り越して、最早呆れる他ない。デートも何も、〝先〟そのものが既に失われているに等しいのに。〝熊〟にそう突っ込まれ、キリは肩を竦めた。
「暗くなったところで、事態が解決する訳じゃなし」
「それはそうだが」
「心配しなくても、素手でお前さんに触ったりしないから安心しろ」
「そういう事を云ってるんじゃない」
「……ん、でも、怠いのは消えたな。確かに〝食事〟にはなったみたいだぜ、婆さん。一応、〝鬼族〟の範疇には入るって事でよさそうだ」
 わざとか否か。キリは会話の相手を、アヴァランサに切り換えてしまった。グロムは釈然としなかったが、うまく言葉に出来ない。その間に吸血鬼が、話を進める。
「さて。それじゃ今後の話だね」
 アヴァランサはワインを飲み干した。――皿はいつの間にか、綺麗に空になっている。
「アタシとグロムはアウストルを追う。それが目的だからね。あんた達はどうする」
 キリとマラキアは、横目で視線を交わした。――お前に任す、というように、マラキアは顎をしゃくる。キリは平坦に答えた。
「――さて。特にどうしたい、っていうのはないな」
「は?」
 目を丸くしたのはグロムだった。――信じられなかった。眼前の男の、今の発言が。
「何もない、と云ったのか。ディベロッパー」
「ああ。ないよ」
「……ないという事はないだろう!」
 どん! と、グロムはテーブルを叩いていた。皿がガチャンと音を立てる。キリは慌てて、グラスを手に取った。
「零れたらどうするんだよ。勿体ない」
「冗談で誤魔化すな! お前――お前は、アウストルの生物兵器のせいで、人類ではなくなったんだぞ。仲間だって大勢死んだんだろう! なのに」
「それで俺に、何をしろって?」
 グロムは絶句する。キリは不思議と透徹した目で、グロムを眺めた。
「確かに困ってはいるさ。死んだ筈が生きてて、しかも人類じゃなくなったんだから。この先どうやって稼いで、どうやって生きてくか。それに関しちゃ、あんた達に尋くしかないと思ってる。でもそれ以外に、俺がしなきゃならない事って、何かあるか」
「そ――れは――」
「マッド・ドクターを殺せって云うのか」
「何とも――思わないのか」
「思わない訳ないだろ。そりゃ殺してやりたいさ。けど殺したところで、俺が元に戻るのか。あいつらが生き返るのか」
「出来た事を云うじゃないか。傭兵なのに」
「あのなクマオ。傭兵だからだよ。俺は金貰って人を殺すんだよ。人殺しのスキルは俺にとって、商売の道具なの。復讐や仇討ちで人を殺したりしないの。私怨で殺したら【ただの】人殺しだろうが。そんな【安売り】はしないんだよ。わかったか熱血熊」
「その割には景気よく、撃ち殺していたようだが」
「そりゃ攻撃されれば反撃するさ。大人しく殺されてやらなきゃいけない義理はない」キリはどこまでも平然としている。
「お前さんと婆さんは、そっちのルールに沿って行動すればいい。俺はそうはいかないんだよ」
「お前はもう人類じゃないんだぞ」
「かといって亜種って訳でもない」
 キリはちらりとアヴァランサを見た。
「俺の【所属先】が決まって、その務めとしてマッド・ドクターを狩れ、って云うならやってもいいが」
 グロムは呆気に取られる。キリは堂々と、〝亜種の一員として、自分の存在を保証しろ〟と云っているのだ。図々しいと云うべきか、現実的と云うべきか。
「成程ねえ」アヴァランサが、感心したように口端を上げた。
「面の皮が厚いね、傭兵ってのは。――こういうのはどうだい。アウストルを狩ったら、亜種として生きてくノウハウを教える」
 キリは面白そうに、片眉を上げた。
「ふうん?」
「どうせあんた、どっかの種族に帰属する気なんてないだろう。だったら、役に立つ兵隊として飼われてくれないか。こっちも昨今、厄介事が多くてね。手が足りないんだよ」
「アヴァランサ殿!」
「何だい。何かおかしな事を云ってるかね、アタシは」
「いや――その。ただ、我々で勝手に決める訳には」
「だから連絡はするさ。明日の朝までには返答させる。どうだいミイラ」
 ――キリはにやりと笑った。
「ま、悪くないかな」
「しかし、中尉」そこでマラキアが、どっしりした声を挟んだ。「それにはその、カリガリ博士だか死神博士だかを殺さなければならないんだが。わかってるか」
「わかってるよ」
「勝ち目は」
「さあ、会った事もない相手だからな。何とも」
「少なくとも、その情報を得てからの方がいいと思うが。俺は」
「参考意見として承っとくよ。サンクス」
 キリは微笑した。皮肉はなかった。
「――後はお前だな。軍曹」
「俺の事なら心配要らん。ヤバそうになったら逃げる」
「と云うかここで離脱しといた方が、後腐れがなくていいと思うんだが」
「残念だが既に面は割れてるだろう。首都≪デスファターレ≫に戻ったところを襲撃されたら、かえって危ない。俺は吸血鬼と戦う術など持たん。お前が【見える】位置にいて隠れているのがベターだ」
「それも危険度は高いと思うぞ……物好きだね、お前も」
「何を云ってる。連絡して来ておいて」
「悪かったよ。感謝してる。金は払うよ」
「当然だ。だが今貰ったところで、どうせ引き出せん。全部にケリが着いたら、纏めて払って貰う」
 グロムは黙然と、その遣り取りを眺めていた。比較的ストレートに感情を露わにする〝熊〟にとって、ディベロッパーとロックバイターの会話は、理解しにくいものだったのである。
「それじゃあんたも、付いて来るんだね。岩男」
「云っとくが俺は役に立つぞ」
 ……マラキアも究極的には、キリの同類であった。堂々と自分をアピールする。
「そりゃまあその図体だ、腕っ節は立つんだろうが」
「違う、婆さん。こいつの真価は兵站」
「……は?」
「何をどれだけどこから調達して、どう配分するか。そういう仕事を任せたらピカイチだ。何しろ実家が雑貨屋だ。ま、狙撃の腕も立派だが」
「……そうかい」
 アヴァランサは軽く口をあけて、岩のような大男を眺めてしまった。マラキアは重々しく頷いた。
「コスト計算も得意だ」
「そいつは頼もしいね」
 アヴァランサはポケットから、携帯端末を取り出した。へえ、とキリは口端を上げる。
「ハイカラなんだな、最近の吸血鬼は」
「今時〝ハイカラ〟もないだろうよミイラ男」
 反撃しておいて、アヴァランサは電話をかけた。理解出来ない言葉で喋り始める。――本家への報告だ。キリはそれをしおに立ち上がった。
「さて――クマオ。片付け手伝え」

「何故俺が、皿拭きなどしなければならないんだ」
「どうせ暇だろ」
「ならロックバイターもいるだろう」
「奴は奴で忙しいんだよ」
 キリは親指で背後を指した。――マラキアが再び書き物机で、ノートPCを叩いている。グロムは疑わしげに云った。
「動画サイトを覗いてるだけかも知れん」
「……お前さん、それ後で、奴に面と向かって云ってみるといい。マッド・ドクターの前に、ジャイアントと戦う羽目になるぞ。白熱のデス・マッチになるだろうな」
 これにはカチンと来て、グロムは僅かに犬歯を覗かせた。
「やられるものか。人類如きに」
「その人類に、首かっ切られそうになったのは、どこの誰だっけか」
「……。あれは――」
「油断してから、か? それとも、俺はもう人類じゃないから、か。どっちにしたって、もし俺が本気だったら、お前はあの時死んでたぞ」
 キリはちらりと、グロムを見やった。
「俺にやられるようで、マッド・ドクターを殺れるのか」
「……」
「ガタイに頼り過ぎだ。もっとうまく、体を使え。柔道でも合気道でも拳法でもやってみろ。人類の武術も馬鹿にしたもんじゃないぜ。ま、今更遅いけどな」
「……。ディベロッパー、」
「云っとくけどコーチはしない」
 ズバッと先回りされた。グロムは思わず、口を噤む。キリはグロムを見た後――不意に、笑った。
「まあ、いけ好かない相手でも、力量は認めて手ほどきを頼む。そういうところは悪くないな、お前さん」
「……」
 この沈黙は、先とは別種のものだった。完全に、意表を突かれたのである。キリはさっさと続けている。
「この件が片付いて生きてたら、コーチしてやってもいいぜ。ただし高いぞ。あ、その時にはもう、武術やる必要もないか」
 あはは、と幽鬼のような男は笑う。グロムはますます困惑する。この状況で何故、こうまで湿り気なく立っていられるのか。グロムはつい、若干ズレた問いを発していた。
「人類というのは皆、お前達のように……その。タフ? と云うのか、なのか?」
「まさか」
 キリは一転、笑みを薄くした。
「おかしいのは俺達の方だよ。それは間違いない」
 その時、携帯端末の着信が鳴り響いた。ヴェルディのレクイエム、〝怒りの日〟だ。思わず、キリとグロムの手も止まる。アヴァランサがレストルームから出て来て、端末を取り上げた。
「はい、〝雪崩〟。ああ、〝氷柱〟かい。どうした、もう結論が出たのかい? 随分早……え?」
 アヴァランサは眉根を寄せ、横目で端末を見た。
「……ふん? そりゃあまあ、構わないが。けど、ぶち壊さないどくれよ。役に立ちそうなんだから……って」
 憮然と、端末を耳から離す。切られたらしい。
「お仲間はなんだって? 婆さん」と、手を拭きながらキリ。
「来るってさ」
「来る? ――ここに? 今から? そんな簡単に来られる程、御近所さんなのか。その、本家ってのは」
「んな訳ないだろ。〝黒い山脈≪ムンチネーグリ≫〟の奥深くだよ。来るのは魂魄≪こんぱく≫だけだ」
「へえ。なんか仙人っぽいな」
 アヴァランサは矢庭に、扉の一つをあけた。隣室は――空っぽだった。床に、円形の紋様が描かれている。キリが感心したように笑った。
「魔法陣ってやつか。まさか本物見るとはね。長生きはするもんだ」
「もう生きてないだろ、ゾンビ。――下がっときな」
 魔法陣が光を帯びる。気温が微かに上昇し、風が巻いた。マラキアが「便利でいいな」と呟くと、グロムが眉をつり上げた。
「馬鹿を云うな。転位は高等魔法だぞ。力がある者しか使えない。鬼族でも使えるのは長老クラスだ。〝熊≪うち≫〟で使える者はゼロだ」
「成程。インテリしか使えんという訳だ」
「……馬鹿にしているのか人類」
「とんでもない。亜種にも色々あるんだと、認識を新たにしているだけだ」
「その、高等な魔法を使ってまで、何しに来るんだ。婆さんの仲間は」
 キリがアヴァランサに問う。アヴァランサはぶっきらぼうに答えた。
「あんたを見たいんだと」
「へえ」キリはニッと笑った。「俺は珍獣って訳だ。パンダってとこか」
「鏡を見てからものを云え」
 グロムが云い返す。段々慣れて来たらしい。
「お前、知らないのか。パンダはあれで結構凶暴なんだぞ。熊なんだから」
「嫌味かそれは」
「邪推だよそりゃ。あんまり勘繰るな、人相悪くなるぞ」
 どこまでも脱線気味な会話をしている間に。魔法陣の上に、四つの人影が現れていた。男女二人ずつ。全員高齢であった。鋭い目が、キリを見つめている。
「……。どうも」
 キリは苦笑気味に、頭を傾けた。

「――〝患者〟ではないか」
 長老の一人が、そう口火を切った。どう見ても生身――のようだが、足許に影がない。〝魂だけ〟というのは本当らしい。
「アヴァランサ。お前は本気で、此奴≪こやつ≫を信じるのか。いつ発症するかもわからぬのに」
「信じてる訳じゃないよ」
 当人を目の前にして、身も蓋もなさ過ぎる事をアヴァランサは云う。
「発症しないって保証はないんだからね。その時は殺すさ。アタシが。何か文句あるかい」
 じろりと仲間を見回してから、最後にキリに視点を移す。
「あんたも。それで文句ないだろ」
「ないね」
 長老達は驚く。グロムは驚かなかった。――確かに慣れては来たな、と自覚する。あまり嬉しくない。
「【ああ】なってまで生きたいとは思わない……いや、【ああ】なった時には、もう死んでるよ。【俺】はね。むしろひと思いに殺ってくれ。流石に、ウイルス撒き散らして死ぬのはぞっとしない」
 凄惨な内容を、飄然とキリは声にする。長老の一人が頷いた。納得したらしい。だが三人目が疑問を呈した。
「そううまくいくかね。最悪、お前の方が殺される可能性だってあるだろう。アヴァランサ」
「それも否定しないね」
「おいおい、婆さん。それは困る」
 殺される側の筈のキリが、声を上げた。アヴァランサはフンと鼻を鳴らした。
「仕方ないだろう。アタシも歳なんだ」
「偉そうに云う事じゃないだろ。――仕方ねえなあ」キリは頭をかいた。「軍曹。手榴弾を調達しといてくれ」
 話を振られたマラキアは、岩のように答えた。
「断る」
「おい軍曹」
「そんな辛気くさい仕事は御免だ。嫌なら発症するな」
「無茶云うなよ。それは俺にはどうにもならないんだから」
「根性で何とかしろ」
「精神論で何とか出来る話かよ。て云うか何とか出来たってそんなのは、俺の方から願い下げだ」
「――ちょっと黙んなそこの二人」
 アヴァランサが、声にドスを利かせた。
「あんたらが喋ると、進む話も進まないんだよ。――それで」
 アヴァランサは、他の長老達に目を移した。
「あんた達が【こいつ】を、信じられないってのはわかったよ。もっともな云い分だとも思うさ。で、それで。あんた達はこいつを、どうするべきだと思うんだい。放っぽり出すのかい。アウストルを殺らなきゃいけないってこの時に」
「ではお前は、どうすればいいと思うんだ」
 四人目が逆に問う。アヴァランサは平然と答えた。
「アタシの考えはさっき云った。――雇う」
 ――キリがニヤリと笑う。
「こいつ――と、そっちの岩男。こいつらは使えるよ。なんせ人殺しのプロだ。アタシらは力≪パワー≫はあるが、正面からぶつかるぐらいしか手を知らないからね。アウストルも強いが、ベースは医者で研究者だ。まあ、それこそ【研究】はしてるだろうが、場数に関しちゃこいつらの方が上だろう」
 しかし長老の一人は、この言にかえって眉をひそめた。
「人殺しのプロか。傭兵だと云っていたな。【共食い】で糧≪かて≫を得る、下衆ではないか。そのような輩と手を組むのか」
「……ま、下衆なのは確かだがね」
 キリはアッサリと笑って、独りごちる。それもグロムには理解しにくい。自分だったら反駁するところだ。
「アタシの考えは今云ったよ。あんた達はどうしたい。それともまだ、結論が出ないかい」アヴァランサは片頬を上げた。「ある程度、纏めては来たんだろ。こいつを見て、どの答えに着地した?」
 長老四人は軽く視線を交わした。――一人が代表で口を開く。
「確かに彼は今、発症はしていない。しかし今後の保証もない。いったん、本家の預かりとしたい」
「「本家預かり?」」
 アヴァランサとキリは、異口同音に声を上げてしまった。――長老は些かバツ悪げな顔になりつつも、言を続ける。
「本家で管理下に置き、経過を観察し、調査をした上で改めて、結論を出す」
 ……アヴァランサは唖然とした。まさかこんな〝玉虫色〟の答えが返って来るとは、思ってもみなかったのである。彼女は一度息を飲み込み、問い返した。
「経過観察か。そりゃいつまで掛かるんだ」
「最低でも一箇月」
「延びる可能性もあるんだね」
「勿論。大いにある」
 ――アヴァランサは拳を握り締めた。
「阿呆かい!」
 バン! とテーブルを叩く。逆にキリの方が宥めた。
「あまり怒るな婆さん。テーブルが壊れる」
「黙ってなヴァルカン人。――そんな悠長な事を云ってる場合か! さっきも云ったろう! アウストルのウイルス兵器は、もう拡散寸前だ! 一箇月の間に、世界中で、患者が大量発生する事だろうよ!」
 アヴァランサの剣幕に、長老四人もたじろぐ。――だが、中の一人が。
「別に、それもいいんじゃないかね。どうせ死ぬのは人類だ。少し数が減るくらいで丁度いいさ」
「……おいおい」流石にキリも突っ込んだ。
「人類の前でその台詞は勘弁してくれよ。いや俺は、元人類って事になるんだろうが」
「ちょいと〝竜巻〟」アヴァランサは肉食恐竜のような目付きで、発言者を睨んだ。
「そりゃアウストルの考えと同じじゃないか。あんたいつから、奴の信者になった」
「そんな事ある筈ないだろ! 幾らあんたでも聞き捨てならないよ」
「聞き捨てならないのはこっちだ。――ハッキリ云うけど、アタシだって人類の事なんざ、知ったこっちゃないさ」
「……ここまで来ると、腹も立たないな」
 キリが呟く。それも完全無視して、〝雪崩〟ことアヴァランサは続ける。
「アタシが云ってるのはその後だよ。人類は必ず、魔女狩りを始める。アウストル当人――がどう出るかはともかく、奴の周辺には絶対に馬鹿がいる。そいつから情報が漏れてみな。鬼族だけじゃない、亜種全体が絶滅の危機だ」
「……。隠れれば――」
「だからアウストルなら、結界見破るくらい朝飯前だろ! どれだけ耄碌してんだい!」
 長老同士が睨み合う。――そこへマラキアが、声を投げ込んだ。
「ふむ。いいかも知れんぞ、中尉」
「は? 何が」
「だから。お前が鬼族の本家へ行く。アウストルはお前を追う」
 長老四人は、ギョッと肩を跳ね上げた。マラキアは重低音で続ける。
「何しろ新種らしいからな。お前は。こんな貴重なサンプルを、カリガリ博士が放っておく筈がない。必ず追って来る。罠を張って返り討ちにすればいい。それだけの技術≪テク≫を持った者が、鬼族≪そちら≫にいればの話だが」
 長老達は顔を見合わせる。
「御婆殿の話だと、本家にいるのは老人と子供ばかりだそうだな。それでも戦う気があれば、中尉の指揮でどうにでもなるが――そんな気はなさそう――か。返り討ちどころか、殲滅されて終わりか」
「……」
「まあこちらとしても、鬼族が全滅したところで痛くも痒くもないが。わざわざ、戦いづらい所に行く事もないか。うん。やっぱりやめておこう、中尉。提案は撤回する」
「心躍る未来予想をありがとうよ、軍曹」
 キリは苦笑と共に云うと――不意に身を返した。スタンドハンガーから、コートと帽子を取る。それを見たマラキアも、無言で立ち上がった。ノートPCを閉じ、バッグに突っ込む。
「ちょいとミイラ?」「ディベロッパー?」
 アヴァランサとグロムが、やや焦った声になる。キリはコートに腕を通しながら、軽く眉を下げて笑った。
「悪いな、婆さん。これ以上は無理そうだ」
「ちょいとお待ち。まだ決まってないだろ」
「経過観察、ねえ――」赤い左目がちらりと、長老達を眺めやる。「観察だけで済ます気なんかないだろ。あんた達も。モルモットにされるのは御免だ」
 グロムは目を瞠り、アヴァランサを見た。彼女は、苦虫を百匹噛み潰したような、渋面をしている。長老達は無表情に、何も云わない。目線だけで問うたグロムに、アヴァランサは唸るように返した。
「アタシにそんな気はないよ。前線でそんな事やってる余裕はないし、第一テクもない。でも本家に行きゃあ、それなりに設備も人もいるからね」
「実験台に……するつもりなのか。貴方達は」
 グロムは長老達に問いかけた。一人が平坦に答えた。
「むしろ当然だろう。安全なのか危険なのか、敵か味方かもわからないのに」
「――」
 グロムは立ち尽くす。キリはもう何も云わなかった。苦笑しながら、帽子を頭に乗せる。亜種達の横を通り過ぎながら。
「気が変わったら連絡くれ。あんた達の事だ、俺の居場所くらい突き止められるだろ」
 マラキアがのしのしと後に続く。――キリはふと足を止めた。マラキアを先に行かせ、敷居の上で振り返る。
「爺さん婆さん達。もう一つ云っとくぞ」
 スッ――とキリから、軽みが消えた。

「死ぬのが人類だけとは限らない」

 即座に理解したのはアヴァランサだった。ハッと息を飲む。キリはひどく静かに続けた。

「マッド・ドクターだぜ。鬼族も殺すウイルスに変化させてても、不思議じゃないだろ」

 ――愕然とする長老達を置いて、キリは踵を返した。ダークグレーのコートがひらりと翻り、暗がりへと溶けた。

 ……頭上は満天の星だ。丘を下る道を歩きながら、マラキアが感想を述べた。
「短気は損気だぞ、キリ」
「お互い様だ」
「で――これからどうする」
「さて」キリは夜空を仰いだ。「どうするかな。いっそ見世物小屋でもやるか。お前フランケンシュタイン。俺ゾンビ」
「もう何度も云っているがな。フランケンシュタインは【博士】の名だ。怪物自体は無名だ。どうしても使いたければ、〝フランケンシュタインの怪物〟と呼べ」
「長過ぎる。却下」
 一言で片付けた後、キリは本格的な溜息をついた。
「しかし本当に、参ったな。おいマラキア、お前の雑貨屋、二四時間営業にしないか。じゃなきゃ夜間ドライバー」
「生憎とそういう需要はない」
「……そうか。夜間って手があるか。コンビニの深夜シフトとか」
「お前がいたら客が寄り付かん」
「じゃあドライバーだな。最近、ベテランが減って人手不足だって云うし。寝なくても平気だし。よし、第二の人生はデコトラの運転席にするか」
「――お前本当に、どこまで本気なんだ」
 突然三人目の声がして、キリとマラキアはパッと向き直った。手には既に武器がある。が、そこに見出した人影に、すぐに警戒を解く。
「クマオ。どうした」
「クマオじゃないグロムだ。――もう少し真剣に考えろ、ディベロッパー。お前の命と人生だぞ」
「真剣に考える程、重い人生送って来てないもんで」
 それもまた、煙幕のようにしか聞こえない。グロムはつくづくとキリを眺めた後、一つ溜息をついてから云った。
「俺はお前に、ついていく事にした」
 キリは片眉を上げた。
「いいのか。婆さんは」
「最初からパーティを組んでいた訳ではない。アヴァランサ殿はアヴァランサ殿で、自分で決めるだろう。鬼族の決定に口出しする権利は、俺にはない」
「ま、そりゃそうだが。――でも、何でまた。お前さんはお前さんで、マッド・ドクターを追えばいいだけだろうに」
「ロックバイターが云っていた通りだ」
 グロムはマラキアを見やった。
「アウストルは必ず、お前を捕まえに来る。そこを逆に捕まえる。つまりお前は囮だ。拉致されても、究極殺されても構わない。アウストルに辿り着けるなら。――そういう事だ。納得したか」
「ああ。わかった」
 拍子抜けする程あっさりと、キリは了承する。どころか逆に、尋き返した。
「じゃ、取り敢えず次は、どうすればいいと思う。クマオ」
「――。お前、何か考えがあったんじゃないのか」
「ないよ」
 グロムは今度こそ脱力する。もしかしたら、と思ってはいたが……。
「まあ――お前さんが云った通り、マッド・ドクターが追って来るだろうからな。そんなのに取り憑かれたまま、街中に戻るのもな。騒ぎも人死にも御免だ。どこか適当に、迎撃に向いた場所を探そうかとは思ってた」
「そ、そうか」
 全く考えなし――でもなかったらしい。
「それでそこに、心当たりは」
「それはない。俺は、モルダニアの地元民じゃないんでね。軍曹?」
「料金上乗せだぞ」
「承知してます。――で?」
「幾つかある。取り敢えずは」
 無骨な指が、西を指す。キリは頷く。歩みを再開する。マラキアも続く。グロムはやはり戸惑う。この二人はとにかく、会話が短い。どうでもいいネタは長々と喋るくせに。大事な事になればなる程短い。そして行動が早い。阿吽で動く。部外者にはついていけない。それが腹立たしい。と同時に、羨ましくもあった。
 エンジンの音がした。
 今度は誰も、驚かなかった。振り返る。ジープ・ラングラーが、夜道をやって来るところだった。
「ちょいと待ちな、そこのミスター・スポック」
 運転席から、アヴァランサが顔を出す。キリは真顔で応じた。
「それマズいからやめろな、婆さん。て云うかスポックはハーフだからこんなに青くない」
「じゃあデスラー」
「それもマズい」
「ならゾンビ」
「ミイラの方がマシだったような……」
「あんたが包帯取っちまったからだろうが」
「息苦しいんだよ、包帯巻いてると」
「まったく面倒くさいねえ。まあいい。何か適当に呼ぶさ」
「と云うか、ディベロッパーはどこいったんだって話なんだが」
「エネルギー食うんだよ、長い名前は」
「……そこまでケチらなくても……」
「うっさいね。で、乗るのか。乗らないのか」
 ばん、と、アヴァランサはドアを叩く。キリはくつりと笑った。
「いいのか」
「いいも悪いもあるかい。アウストルを狩らなきゃいけないってのに。ケリが着いてあんたがまだ正気で生き残ってたら、改めて交渉すりゃいいさ。断然有利に進められるよ」
「確かにね」
「鬼族としちゃ、態度保留。って事にさせた。ただあんたは、クライアントがいなけりゃ腕は売らない。そうだったね」
「まあな」
 迎撃するつもりではあったくせに、平然とそんな事を云う。グロムは呆れたが、口に出しては何も云わなかった。この交渉がどうなるか、興味があった。
「アタシが雇うよ。アヴァランサ個人としてね。金額は取り敢えず後回しにしとくれ。その代わりケリが着くまでは、面倒見ようじゃないか。一切合切。そっちの岩男の分も」
「そいつは大盤振る舞いだ」
 口笛でも吹きそうな調子で、キリは笑った。ただし、とアヴァランサは釘を刺す。
「あんたが暴走したら、即座に殺すよ。さっきも云った通り。いいね」
「わかってる」
 事もなげに、キリは了承した。

「この車、よく取り上げられなかったな。婆さん」
「これはアタシの私物だよ。口挟まれる筋合いはないね」
 キリ、マラキア、グロムがシートに収まる。アヴァランサは振り向きもせず尋いた。
「で。どこ行きゃいいんだい、岩男」
 まるで聞いていたかのように、マラキアを指名する。聞いていたのかも知れない。聴覚も並外れているのだろうから。しかしマラキアは一切の疑義を挟まず、短く告げた。
「西」
「あいよ」
 アヴァランサはサイドブレーキを下ろした。ラングラーはゴトゴトと走り始めた。――西へ。
〈続〉


■ここまでで第2話です。どれだけ使ったん。
■第3話で、全部のネタをバラす予定なので、あと1回だけお待ち下さいね。

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