ノート_Developer用

ディベロッパー・ジェネシス/インターフェロン05

 ……医療室(プレハブ)の外。マラキア軍曹はベンチに腰掛けて、ムスッと辺りを眺めていた。一見何でもなさそうだが、野戦服の下は包帯だらけだ。時間通りに来たと云うのに、肝腎の軍医がまだ来ていなかった。急患ならばまだ納得も出来るが、ただの二日酔いらしい。幾らマラキアでも頭に来る。
 日差しが白い。目に痛い。
「よう、マラキア軍曹。調子はどうだ」
 現れたのは、軍医――ではなく。キャリア上の先輩であり、教官であり、上官であり、友人の――五十嵐キリ中尉だった。いつも通りの、軽い口調。マラキアもまたいつも通り、重々しく答えた。
「最悪だ」
「そいつはよかった」
 キリはすとん、とマラキアの隣にかけた。ポケットから小箱を取り出す。煙草――ではない。彼は煙草はやらない。蓋を開け、中から一つ、球状の物を取り出す。ほい、とマラキアに差し出す。キャンディだった。コーヒー味の。
「このカフェイン中毒め」マラキアは横目で、キリを睨んだ。「要らん。もっと強烈なやつをくれ」
 キリは首を傾げた。
「もっと……と云うと、カカオ一〇〇%ぐらいしか思い付かないぞ。チョコは今回、持って来てないんだよ。溶けちまうからなあ。前にパキスタンに持ってったら冷蔵庫が壊れてて、大変な惨劇に」
「……わかった、わかった」マラキアは溜息混じりに遮った。
「すまん。八つ当たりだ。前言は撤回する、一つくれ」
「最初っからそう云えよ」
 キリはマラキアを睨み返す――ふりをすると、キャンディを掌に落とした。自分も一つ口に含み、さらりと尋く。
「辞めるって?」
「――。ああ」
「そうか。ま、その方がいいかもな。もう貯金も出来たろ」
「そこそこ」
「お袋さん孝行してやれよ」
「一応そのつもりだ」
 そう答えながらも、マラキアは苦い顔だった。キリは彼を見ないまま、声を立てずに笑った。
「まさかとは思うけど、引き留めて欲しいとか云わないよな」
「云わん」
「ああよかった。これ以上、お袋さんに恨まれるのは御免だぜ」
「勘違いしてるだけだ、あの人は」
「ああ。もう解けないだけでな」
 マラキアはますます憮然とする。母の入院費用を工面出来たのは、傭兵で稼いだからだ。稼ぎ【続けられた】からだ。それにはキリのお陰が大きい。彼が教官でなかったら、彼の部隊でなかったら。とっくの昔に死んでいたろう。だが母は、それを理解してくれなかった。彼女にとってキリは、息子を戦場に留める憎い男、だった。そして今も。いや、もっとひどくなっている。かつての夫と、ごちゃ混ぜになっているらしい。それが解ける事はもう、おそらくない。彼女が命を終えるまで。そしてそれも、それ程先ではないだろう。
「ここはどうなる」
 いたたまれず、マラキアは話題を変えた。キリはあっさり答えた。
「引き上げだ」
「そうか」
「後釜には、別の会社が入る」
「……そうか」
 そうやって延々と、戦闘は続く。戦争がビジネスである以上。キリやマラキアもまた、消費される駒の一つに過ぎない。
「お前の予定は」マラキアは尋いてみた。
「二週間休暇。その後アフリカ」
「それは休暇と云えるのか」
「ま、いつもの事だし」
 キリは飄々としている。それこそ、いつもの通り。
「モルダニアってのは、どんなところだ」
 彼の方から振って来た。マラキアは記憶から、故郷の街並みを引っ張り出した。
「古い町が多い。建築物はなかなか、見応えがある。価値も。だがまあ、一言で云うなら、田舎だ。ちょっと郊外に出ると、もう何もない。ただその分、自然はたっぷり残っている」
「へえ。よさそうなところだな」
「まあ悪い所ではない。多少不便でもあるが」
「何かあったら、寄らせて貰うわ」
「構わんが、何か買っていけよ」
「雑貨屋だっけ? じゃあ、コーヒーとチョコを置いといてくれ」
「断る。個人のリクエストは受け付けておらん」
「つれない事云うなよ。手間賃払うから」
 その時軍医が、やっと姿を見せた。二日酔いの医者の診察など、受けても無駄だ――そうマラキアは思ったが、とにかく受診しないと薬を出して貰えない。そしてキリは軍医と入れ替わるように立ち上がり、ひらひらと手を振った。マラキアは少し驚いた。
「医務室に用があったんじゃなかったのか」
「いや? お前が見えたから、ちょっと寄っただけ」
 キリはさっさと歩いていった。マラキアはただ、その背中を見送っていた。

 ……その後。マラキアの雑貨屋〝カルム〟から、コーヒーとチョコレートが切れる事はなかった。

 昔の話だ。――昔の。

 ――目を開けた時。そこがどこで、今が何日の何時で、自分がどういう状況に置かれているか。キリは一瞬、把握出来なかった。軽い混乱が襲う。南米の基地で、マラキアと喋っていたのではなかったか。なのに何故、こんなに暗い――
(……そうか)
 夢だ。
 もう還って来ない。全部。何もかも。
 むくり、と起き上がる。戦士失格だ。状況把握が遅れるとは。
 ――室内だった。ごく普通の。鬼族の隠れ家の一つだろう。初めて見るから、また新しい場所か。どれ程準備してあるのやら。
 ベッドの脇には、籠と箱が置かれていて、雑草が山と積まれていた。全て枯れている。お陰で体は、楽になっている。その体を、ゆっくり動かしてみる。特に不具合もなさそうだった。
 窓には分厚いカーテンが掛かっている。光が一切入って来ない事から考えて、鎧戸が閉まっているか、夜なのだろう。両方か。ベッドサイドに時計が置かれていた。手に取ってみる。電波時計だった。御丁寧に日付も出ている。――日付は勿論変わっていた。一日分だ。時刻は宵の口。船上で眠りに落ちてから日中ずっと、眠っていた事になる。
 自分の体を見下ろす。少しゆとりのある、ルームウェアだった。着替えようと辺りを見回すが、それらしきものが見当たらない。キリは小さく溜息をつくと、ベッドを降りた。裸足のまま、ドアを開けて廊下に出る。左右を見渡し、階段へ向かう。と、上がって来るグロムと出くわした。
「ディベロッパー!」
 語尾のエクスクラメーションマークに、キリは首を傾げた。
「驚くような事かね?」
「いや、まだ眠っているものだとばかり……大丈夫か。具合は」
「全然、何ともありませんけど?」
 何故心配されるのかわからない。そんな口調で返答したキリに、グロムは微妙に顔を歪めた。気遣わしそうな――不気味そうな。
「ところで、俺の服は?」
「……着てるだろう」
「ルームウェアじゃなくて普段着の方だよ」
 グロムは目を瞠った。
「まさか出掛けるつもりか。どこに行くと云うんだ、今から。それより寝ておけ」
「そんなんじゃないよ。そうじゃなくて――捕虜の尋問すんのに、こんなユルいカッコで出られないだろ」
 グロムは一瞬、背筋に寒気を覚えた。
「捕虜の事――何故知ってる」
 キリは肩を竦めた。
「婆さんが最後まで、顔見せなかったからな。何か別行動取ってたんだろ? で、俺達が喉から手が出る程欲しいのは、マッド・ドクターの居場所だ。となれば、中将≪ダッド≫を押さえない手はない。婆さんならまず、失敗はしてないだろうからな。お前さんとは違って」
「悪かったな」
 グロムは憮然とした。同時にこの男が、些か怖ろしくなる。一方キリは、グロムが否定しなかった事で、〝当たり〟と踏んだ。
「という事で、俺もその尋問に立ち合いたい。だから服」
 平然と要求するキリに、グロムは凝然と立ち尽くす。その様子にキリは、眉を寄せた。
「おい。どうしたんだよ、クマオ」
「いや……その」グロムは一度云い淀んだ後。「俺は――それにはあまり、賛成しない。と云うより、やめて欲しい。部屋で寝ていた方が」
「クマオ」キリは苦笑した。「お前さんの賛同は必要ないんだよ」
 飄然と突き放され、グロムは今度こそ絶句する。キリは頭をかいた。
「いいや、自分で探す。はい、そこどいて」
「待て――待て、少し待てディベロッパー」
 グロムは急いで、キリの腕を取った。もう少し――せめてもう少し何か、
「お前――復讐はしないんじゃなかったのか」
 キリはまばたきした。
「復讐って何を。尋問だって云ってるだろ」
 するりとグロムの手から、腕を抜く。
「まあ、どうせ婆さんがやってるんだろうし、俺の出る幕はないだろうけどな。ダッドがどんな面≪ツラ≫になってるか、拝んでやりたい気持ちはあるね。――だから」
 キリは一度息をつくと、グロムを見据えた。
「そこどけ。クマオ」
 限界だ、とグロムは悟った。キリをこれ以上、ここに留めておく事は出来ない。部屋に戻す事も。
「……わかった。こっちだ」
 グロムは先に立って、階段を下りた。

 がらんとしたリビングに、ギアボックスや雑嚢が置かれている。グロムはその中から、着替えを一式、キリに放った。
「銃は?」
 その場でさっさと着替えを始めながら、キリは問うた。グロムは眉をしかめる。
「何も今、身に着ける事はないだろう」
「馬鹿。油断大敵だ」
 素っ気なく返してから、キリも顔をしかめた。横目でグロムを睨む。
「あんまり熱心に、人の体ジロジロ見ないで貰えますかね。【うるさい】」
 そう指摘され、グロムは慌てて顔を逸らした。意識しての事ではなかったが、〝見て〟いたのは確かだった。
 青白く変化した体には、幾つも傷が残っていた。着替えをさせる時にも見てはいるが――亜種になってからの傷は治っている筈だから、人類だった頃のものだろう。つい、考えずにいられなかった。お気楽そうに見えるこの男が、何を抱えて来たか。
「あとナイフも欲しいんだけど、あるか? コートは?」
「そこのハンガースタンドに掛かってる。銃とナイフは――これだ。こっちは予備マガジン」
「お、気が利くな。流石軍曹」キリは一度口を閉ざした。「……じゃないか。あの姉さんか?」
「……ああ」
「へえ。なかなか敏腕だ。鬼族界のフェイスマンと呼ぼう」
 グロムには謎の喩えを使っておいて、スタンドのコートを見る。
「お。このコートもカッコいいな。お洒落だったもんな、あの姉さん。俺達はどうも、服のセンスが今イチ育たないんだよ。軍服着てりゃ済むから――帽子は?」
「そこにないなら、ない。必要なら頼むが――だからどうして、帽子に拘≪こだわ≫るんだ。本家≪コミック≫は帽子なんかかぶってないだろう」
「だから」キリは薄く笑って告げた。「ハンチングは軍曹の趣味だ」
 ――尋くのではなかった、とグロムは心底後悔した。
 キリは冷蔵庫から水を取ると、一口飲んだ。無表情に、グロムを振り向く。その時グロムは唐突に、キリが基本的にはハンサムだという事に気が付いた。今更。いつも人を食ったように笑っているから、そんな事にまで気が回らなかったのだ。何もこんな事まで、煙に巻く必要もあるまいに。
「――で」
 そんなグロムの心中など知る由もなく。キリは低く尋いた。
「捕虜≪ダッド≫はどこだ」

 ……地下室は妙に静かで、そして、乾いていた。
 ジマ・コンジェラーレは椅子に括り付けられ、部屋の中央に座らされていた。床には魔法陣。その外に、アヴァランサが立っている。――グロムがキリを連れて部屋に入ると、彼女は剣呑な目で二人を見やった。
「起きたのかい。大食らいの寝坊助」
「お陰様で完全回復しました。――で?」
 キリはジマに向けて、軽く顎をしゃくった。首尾は? と、仕種だけで尋く。アヴァランサは肩を竦めた。
「まあそこそこかね。――それよりアバタール」
「はい?」
「悪かったね」
 唐突な謝罪に、キリは左目をぱちぱちさせた。
「何が?」
「こいつに――」アヴァランサはジマを眺めたまま、つまりキリに目を向けずに続けた。「手間取ってね。加勢に行けなかった」
「……」
 キリはマジマジとアヴァランサを見つめた後――噴き出した。声は抑えつつも、腹を抱えて肩を震わせる。アヴァランサはじろりとキリを睨んだ。
「何がおかしいんだい。このゾンビ」
「い、いや……」キリは咳き込むように答えた。「まさか婆さんから、労って貰えるとは思わなかったんでね。いやあ、死に損なってみるもんだ。世の中は驚きの連続だぜ」
 グロムはぎくりとしたが、特に何かを意識しての言葉では、なかったようだった。キリはやっと笑いを収め、背筋を伸ばした。
「気にしてないよ。最悪は想定してた。婆さんは自分の仕事をしたんだろ」
「……まあな」
「ただちょっと、残念だったな。婆さんがいたら、何とか出来たか?」
 アウストルの名は出さず、キリは尋いた。グロムから既に、話は伝わっているだろう、という前提だ。アヴァランサは憮然とした。
「残念ながら」
「……そうか」
「魔法ってのもね、色々面倒なんだよ。杖振ってパッ、なんて訳にはいかないのさ。――ただし」
 鬼族の長老は、口端をつり上げた。ちらりと犬歯が覗く。
「こっちにもまだまだ、手札は残ってる。確かに、奴には敵わない事も、多くなったがね。年の功が物云う場合もある」
 アヴァランサは足許の魔法陣を指した。
「【こいつ】でね。【奴】にとっちゃ、この男はもう、死亡者リスト入りだ」
「へえ」
 つまり、死んだと思わせている、という事だろう。キリは興味深げに、魔法陣の中心――ジマを眺めた。
 特別、目立った外傷はない。ただ口の周りは、血で汚れていた。元々痩せていたが、更に一回り、痩せたように見える。ぐったりした様子で目蓋は半分下がり、目は淀んで焦点を結んでいない。キリは無言で、アヴァランサを見やった。何をした? と、やはり目線だけで問う。アヴァランサはそれに、行動で答えた。何か小さなものを、キリに差し出す。掌に落とされたそれを見て、キリは左目を瞠った。――それは。
「歯?」
 アヴァランサは頷いた。
「術具だよ。奥歯として仕込んであった。そいつで、鬼族の力を得られるようになってた」
「へえ。――ん? つまり、鬼族ウイルスなしで、鬼族の力を使えるようになってた、って事か?」
「ああ。ただし」若干真剣味を帯びたキリと反比例して、アヴァランサは冷ややかに笑った。「それ程大した力じゃない。本来の二割ぐらいさ。油断さえしなきゃ、簡単にひねれる」
「そりゃ鬼族≪そっち≫にしてみりゃ、大した事ないかも知れないけどさ。それだけだって、人類には脅威だぜ」
 額に手を当てて唸った後、キリは嫌そうな目で掌の〝歯〟を見やった。
「……これ、抜いたんだよな。婆さんが」
「正直ヤだったがね」
「麻酔なしで?」
「かけてやる義理がどこにある?」
「ないね」
 キリは一転、破顔すると、〝歯〟をアヴァランサに返した。両手をパンツのポケットに入れ、改めてジマを眺める。
「必要な事は、全部聞き出したんだな?」
「だから、そこそこだよ」
「まだ聞き出せてない事がある? それはどうする」
「知らない事なら、拷問したところで無駄だしねえ」
 アヴァランサは冷淡に云った。
「まあ何とでもなるさ。最悪、脳味噌を【開ける】術もあるんだ」
 ――ジマがバッと目を開けた。体が一気に強張る。アヴァランサはにやりと笑った。
「外法も外法、そりゃあ非道な邪法だがね。正直面倒だからやりたかないが、場合が場合だ。長老会議でも、承認は下りるだろうよ。やり方は聞くんじゃないよ。三日は眠れなくなる。あんたでも」
「そりゃあ怖いね」アヴァランサが云うのだから相当だろう。「でも――」
 キリはジマを指差した。
「震えてますけど」
「そいつにはもう教えた」涼しい顔で、アヴァランサは告げる。「〝死んだ方がマシ〟って状況がこの世にはあるが、まさにそうなると云ってやった」
「それでも吐かなかったのか。それはそれで大した根性だが」
「だ、だから」ジマがやっと、口を開いた。声は掠れている。
「知っている事は全て喋った! もう何も知らん!」
 キリは首を傾げて、アヴァランサを見た。彼女は頷いた。
「どうだかわからんがね。嘘だと決め付ける程の根拠もない」
「成程ね」キリは肩を竦めた。「拷問なんて、やる方も疲れるだけだしな。――でもそうすると」
 キリは笑った。何故か――清爽に。気が狂ったのかと思う程。
「用済みだよな」
 あっけらかんと軽い口調。陰湿さは欠片もない。だが。
 ――無邪気とすら云えそうな笑顔を、彼はアヴァランサに向けた。
「撃っていいか?」
 グロムはギョッとした。待て――と制止しようとする、だがその声が、喉の奥に引っかかって出て来なかった。口をぱくぱくさせるグロムを置いて、長老と元傭兵は勝手に話を続けている。
「殺りたいかい」
「そりゃあまあ」
 〝コーヒーが飲みたい〟というのと、まるで変わらない口調だった。グロムは耳を疑う。キリは人懐っこささえ感じさせる笑顔で、ジマを見ている。対するジマの顔は、真っ青だった。
 今のキリは、上着を着ていない。左右のホルスターに収まった銃とナイフが、剥き出しの状態だ。キリにはマラキアのようなゴツさはないが、威圧感は充分以上だった。――彼はデザート・イーグルを抜くと、遊底を音高くスライドさせた。初弾を薬室に送り込む。
「だってなあ。この夫婦には、えらい目に遭わされたんだぜ。マンマからは拷問されて、ダッドには鬼族兵けしかけられてさ。死ぬかと思った。死ななかったけど。その代わりザパダの部下三人と、俺の知人が死んだ」
 銃口をジマに向けて、キリは楽しそうに笑った。獲物を目の前にした豹のように。
「少しぐらい意趣返ししても、罰は当たらないと思うんだよな」
「ディ……!」
 グロムが叫ぶ――前に。
「やめときな」
 声をかけたのはアヴァランサだった。キリはぱちりとまばたきした。
「あれ? 婆さん、人道主義?」
「阿呆。アタシゃ、人権ってやつは買ってるが、博愛主義じゃない。【銃を】使うのはやめとけって云ってんだよ。こんな枯木にマグナム弾なんか、勿体無いだろ」
「あ。なーるほど」
 ポン、とキリは手を打つ。グロムは呆然としていた。アヴァランサまで、何を云っているのか。このままでは本当に、
「こいつを使いな」
 アヴァランサが出したのは、鉄串だった。バーベキューで使うような、細く長い串だ。先端は怖ろしく鋭い。それを一ダースばかり、アヴァランサはキリに渡した。
「あんたの事だ。どこをどうつつけば最大限の効果があるか、知ってんだろ。そこに刺してやんな。鬼族の回復力はこいつにはもうないが、これぐらいなら死にゃしない。一晩放置すりゃ、忘れてた事も思い出すかも知れないし。だから殺すのはちょっと待ちな」
「……ま、婆さんがそう云うなら」
 キリは銃を収めると、鉄串をバラリと広げた。扇のように。その間からジマを眺めて、目を細める。
「ふうん。――皮肉なもんだね、ダッド。今になってちょっとわかるよ、マンマの気持ちが」
 鼻歌でも歌い出しそうな程、明るい口調で云って。キリは、既に半死人のようなジマへと踏み出した――
「ディベロッパー!」
 グロムは遂に限界を越した。
 キリが驚いたように振り返る。その彼にズカズカと近寄り、腕を取る。手から串を取り上げ、アヴァランサに返す。
「すまん、アヴァランサ殿。尋問は任せる。引き上げだ、ディベロッパー」
 キリは特に逆らわなかった。グロムはキリを引っ張って、地下室を後にした。

 階段を登り切って廊下を通り、リビングに戻る。そこでやっと、グロムはキリの腕を放した。ぐるりと振り返る。
 キリは無表情に、グロムを見返していた。
 何も云わない。――皮肉も。文句も。揶揄も。
 何も。
「っ……」
 グロムは口を開いて、しかし結局、何も言葉に出来なかった。云いたい事は山程ある。と思うのに、意味のある音になってくれない。しばらく鯉のように口を動かして――やっとの思いで、声に出来たのは。
「何か云え」
 キリは表情一つ変えなかった。
「俺には云う事なんか何もないぜ」
「お前は、」
 更に二、三度手を上下させ、グロムは結局、同じ事を云った。
「復讐は、しないんだろう」
「復讐じゃない」
「尋問ですらなかったろう!」
「もっと悪い。八つ当たりだ」
 グロムは呆気に取られて立ち尽くす。キリは薄く笑った。
「わかってるよ、お前の云いたい事は。でもな」
「……」
「俺も最初から云ってるだろ。俺達は人非人だって」
「……」
「俺を何だと思ってたんだ。正義の味方か」
「……ディベロッパー、」
「わからないか、クマオ。【俺は人殺しなんだよ】」
「ディベロッパー!」
 グロムは思わず、キリの両肩を掴んでいた。
 赤い左目がガラスのように、グロムの視線を跳ね返す。
 ――知らない。グロムは何一つ知らない。この元傭兵、ディベロッパーの事も、その相棒(だった)ロックバイターの事も。自身が異形になったと知ったディベロッパーが、打開のために連絡を入れた人類。友人が化物になったと知っても、平然と助力を続けたロックバイター。彼らがどんな関係を築いてきたのか、グロムには知りようもない。そんなグロムに、何が云える筈もない。それでも、
「……おい。クマオ」
 キリが顔をしかめた。グロムの両手に、力がこもったのだ。幾らキリでも、グロムの膂力で掴まれれば痛い。文句を云おうと口を開きかけて――
 キリは逆に驚いて、口を噤んでしまった。
 ――ガバッ! とグロムが、頭を下げたのだ。両肩を掴んだまま。

「……おい。おーい? クマオ君?」
 キリの声に、困惑が乗る。目覚めて以後初めての、感情がかき回された声だった。グロムは頭を下げたまま云った。
「……頼む。行くな」
「は? 行くなってどこに。別にどこにも、」
「まだ渡るな。行くな、向こう側には」
「――」
「わかってる。勝手な頼みだ。お前は本当はもう、全部手放したいのかも知れないし――その方が楽かも知れないし、お前がそう望むなら、俺に口出しする権利はないが」
「……あー、何が云いたいんでしょうか、クマオ君」
「見たくない」
「何が」
「お前が、人殺しになるところは」
「……あのなクマオ。だから、」
「違う」
「人殺しに違いは、」
「ある」
 グロムは頑なに続けた。
「行為は同じだ。でもやはり違う。さっきのお前は、いつものお前ではなかった」
「……お前さんが俺の何を知ってるって云うんだ?」
 突き放される。だがそれは、予想が付いていた。
「知らない」
 何も。けれど。
「知らなくてもわかる事はある。……ディベロッパー。自分を手放すな」
「……」
「お前にとっては、しんどいだろう。だが、頼む。まだ狂うな」
「……なんか随分な云われようじゃないか? それ」
 ぼやく声からは、しかし確実に、何かが落ちていた。グロムは必死で続けた。
「わかっている。俺達はただ、成り行き上、共同戦線を張っているだけだ。本当の意味での、仲間ではないんだろう。だがそれでも、お前が狂うところは、見たくないんだ。ロックバイターが――いなくなったのに、お前まで壊れたら」
「……困るか」キリは呟いた。「そうだよな。戦力半減だもんな」
「そういう意味じゃない」
「それじゃあれか。婆さんと二人きりだと気詰まりか」
「そういう意味でもない」
 応じながら、グロムは、自分でももどかしかった。自分で自分の感情が掴めない。次の言葉を探しあぐねていると、
「……わかったよ」
 ふうっ、という溜息と共に、キリが呟いていた。グロムは顔を上げた。
「ディベロッパー?」
「……確かにちょっと、頭に血は昇ってたよ。わかった、わかった。止めてくれて感謝してる」
「……ディベロッパー」
「しかしまあ、大の男が泣き落としとはね。お前さん明日には、死ぬ程後悔するぞ。恥ずかしくて」
「別に泣いてないぞ!」
「……ん、それに絆≪ほだ≫された俺も俺か。ほんっと恥ずかしいったらないな。婆さんに喋るなよ。どんだけネタにされるかわからない」
「だからどこが恥ずかしいんだ。その方がわからん」
 心底真面目な顔で云うグロムに、キリは今度こそ呆れた顔になった。
「……〝熊〟ってのは……」
「何だ。〝熊〟がどうした」
「純朴と云えば聞こえはいいけどさ。――馬鹿だな」
 グロムは目を三角にした。
「何でそうなる!」
「あ痛たたたた! 馬鹿、お前の力で掴んだら皮膚が破れる!」
 キリの掌が、グロムの手の甲を叩く。――それでグロムはやっと、自分がかなり強い力で、キリの肩を掴んでいた事を自覚した。急いで手を開く。キリは自分で肩を撫でた後、じろっとグロムを睨んだ。
「絶対痣になってるぞ、これ。――射撃に悪影響あったら、どうしてくれるんだよ。クマオ」
「す、すまん」
 キリはもう一度、ふーっ、と息を吐いた。……何かに取り憑かれたような空恐ろしい躁≪そう≫は、もう感じなかった。グロムも我知らず、肩から力を抜いていた。――いつものディベロッパーだ。完全に、とは云わないまでも。
「……腹減ったな」
 唐突に、キリは呟いた。グロムはまばたきした。
「まだ足りないのか。あれだけ【食った】ろう」
「あれでやっと、プラマイゼロだよ。プラス分が欲しいの。――刈ってきてくれ」
 いきなりの使いっ走り命令である。呆気に取られるグロムに、キリは口端を上げてみせた。
「その代わりお前さんの飯は、俺が作っといてやるから」
「……いや、別に、」
「お前さんには、飯要るだろ。鬼族と違うんだから。何がいい。――やっぱあれか、パンケーキか? 蜂蜜とバターたっぷり乗っけて」
「俺はプーさんか!」
 グロムは肩を怒らせて怒鳴った。それから。
「……材料があるなら! それで頼む!」
 キリは左目を真ん丸にした。だがキリが何か云う前に、グロムはリビングを飛び出していってしまった。閉じたドアを眺め、――キリは頭をかいた。
「……マジですか」
 ぽつっと呟き、――一つ苦笑する。グロムが目の前にいたら笑い飛ばしているところだが、機を逸してしまった。残念、と独りごち、冷蔵庫を開けてみる。卵と牛乳はあった。後は小麦粉か――
「あるかな。婆さん、料理に興味なさそうだもんな……」
 戸棚を覗いていると、表で、車のエンジン音がした。止まる。玄関ドアが開閉する、
「ただいまー。追加の物資、仕入れて来たわよ……あっ、ディベロッパー!」
 現れたのはフリードだった。背中に大きな雑嚢、両手にも大きなギアボックスを、軽々と提げている。キリは微笑した。
「よう。姉さん」
「起きたのね。体の具合は? 【ご飯】、あれで足りた?」
 荷物を置きながら、フリードは尋く。キリは一度、頷いた。
「ひとまずね。足りない分を、今、クマオに刈りに行って貰った」
「ありゃ。やっぱり足りなかったか」
 ぺし、とフリードは額を押さえた。キリは首を傾げた。
「やっぱり?」
「アヴァランサから聞いたの。すっごく燃費が悪くて、エンゲル係数が掛かるって」
「……あの婆あ」
「あ、いいの? 云っちゃおーっと」
「いや失敬。口が滑った」
 ゴホン、と咳払いし、キリは尋いてみた。
「あー……コーヒーとかチョコとかは、買って来て……ない、よな」
「え? いえ、そんな事ないわよ。ちょっと待ってね、確かここに」フリードは雑嚢をかき回した。取り出したのは、コーヒーの瓶とチョコレートの小箱だった。
「はいどうぞ。量産品だけど」
「マジですか」
 先刻とは全然違う調子で、キリは同じ言葉を発した。左目が輝く。
「サンクス姉さん。でも何で知ってるんだ? 婆さんか?」
「ううん。ロックバイター」
 フリードは少しだけ、厳粛な面持ちになった。
「云ってたわ。貴方を飼っておきたかったら、コーヒーとチョコは切らすなって」
「……あの野郎」
 これまた先と似た台詞だったが、そこに毒気はなかった。かと云って【懐かしめる】程の時間は経っていない。苦笑と共に首を振るキリを見つめ、フリードは眉を下げた。
「……ロックバイターの事」
「うん?」
「残念だった。て云うか悔しいわ。もっと、話をしてみたかった」
 手が強く、握り締められている。筋が浮く程に。キリは静かに尋き返した。
「亜種は大体、人類が嫌いなんだろ」
「好きじゃないわね」フリードは頷いた。「でもそれじゃ、仕事にならないのよね。私の場合。それにそういう括りで考えたら、それこそ、同じになっちゃうでしょ? 人類とか――ドクター・オクトパスとかと」
 その語尾の強さに、キリはふと眉を上げた。
「ドクター・オクトパスか。――あんたも奴に、恨みがあるのか」
「ロックバイターからも、同じ事尋かれたわね。……ええ。家族をね……妹を、殺されたの。人体実験で」
「……」
「妹は戦士の一人だったの。私なんかより、うんと強くてね。もっと強くなりたい、強くなってみんなの役に立ちたいっていうのが口癖で――そこを衝かれちゃった……のかしらね。志願して実験に参加して……でも」
 フリードは眉を下げて笑った。
「幾ら何でも、死ぬような実験だなんて、思わないじゃない?」
「……そうだな」
「私、なかなか帰れないから、電話してね。ヤバそうならすぐやめなさいよ、って、云ったんだけど。【お姉ちゃん】は心配性なんだから、って笑ってた。それが最後」
 フリードは視線を落とした。
「遺体には会わせて貰えなかった」
 驚異的な回復力を誇る鬼族が、それ程の有様だったのか。どれだけ非道な実験だったか、想像に難くない。
「仇を討ちたいわ。妹と、同胞と……それに、貴方のロックバイターの分も」
「俺の、って何だよ」キリは苦笑した。
「それに――軍曹を撃ったのは俺だ」
「意味が全然違うわよ」
 フリードは顔を上げた。心を込めて云う。
「誰かがやらなきゃいけない事を、貴方がやっただけよ。あれを責める奴がいたら、そいつは阿呆だから殴っていいわ」
 フリードの言に、キリはそれこそ苦笑した。反応のしようがない。フリードはそんなキリの表情に、一転、心配そうな顔になった。キリを覗き込む。
「でも……大丈夫?」
 キリはあっさり笑った。
「大丈夫だよ。クマオにも随分心配されたが――必要ない事だ。俺には」
「ディベロッパー!」
「自虐じゃなくて本当の事なんだよ。初めてじゃないんだから」
 フリードは軽く、息を止めた。
「……そうなの?」
 キリは頷いた。
「……下手に息がある状態で、ゲリラやテロ組織に捕まると――それこそ、死んだ方がマシ、って目に遭わされる。延々苦しめられて、結局、最後には殺される。理由付けが許されるとしたら、それかな。ま、やってる事には変わりない」
 何人殺したかな――と指を折りそうになったキリを、フリードは慌てて押し留めた。
「それはやらなくていいわ」
「……そうだな。やめとくよ」
「ディベロッパー。でもそれは、やっぱり、違うと思うわよ」
 キリは無言でフリードを見据える。フリードは慌てて手を振った。
「あ、ええと、その……行為上の優劣はない、と思うけど。でも貴方は、自分でそれをやったんでしょ?」
「当然だろう」むしろキリの方が、驚いたようにまばたきした。
「俺の部下だぜ。俺が責任取らなくてどうするんだよ。大体、二等兵に兵長を殺せ、とか云えるか」
「いるわよ。そういう事云う奴」
 唇を曲げてフリードは云った。キリも微妙な表情になる。珍しい。
「嫌な事は全部、部下にやらせて、手柄は独り占めしちゃうの。そういう奴の方がずっと多いわよ。亜種にだっているのよ、少ないけどゼロじゃない」
「……そうなのか」
「亜種も生き物だから。全部が全部同じじゃないの。でも貴方はそうじゃないわ。勿論、貴方の全部を知ってる訳じゃないけど。けどそうじゃなかったら――ロックバイターや、あのハンサムな軍人さんが、あんなに必死になって、貴方を助けようとする筈ないもの」
「買いかぶり過ぎだよ。それは」
 簡単に云ってのけ、キリは台所に向かった。コーヒーを棚に、チョコを冷蔵庫に入れ、代わりに牛乳と卵を取り出す。付いて来たフリードが、興味津々に尋いた。
「何か作るの?」
「ああ。パンケーキ」
「パ?」
 フリードの目が丸くなる。キリは悪戯っぽく口端を上げた。
「クマオのリクエストだ」
「クマちゃん? グロムが? えええ~! ホントに!?」
 フリードはけらけら笑い出す。それに釣られるように、キリも少し笑った。
「……と、いう訳なんで。小麦粉、あるか?」
「あ、ああ、ごめんね。笑ってる場合じゃなかったわね」
「いいんだよ。それで」
 あっさりとキリは云う。フリードはぱしぱしとまばたきした。
「小麦粉ね。あるわよ。まだ封切ってなかったから大丈夫」
 そう云って棚の下段から、小麦粉を出してみせる。キリはそれを受け取ると、ボールに卵を割り入れた。かき混ぜ始める。慣れた手付きに、フリードはしみじみと呟いた。
「ディベロッパー、料理上手いじゃない」
「当番が回って来るからな。誰だって出来るようになる。嫌でも」
「……分量が適当なのは、その……軍隊風? なの?」
「……いや、これに関しては」キリは小麦粉の封を切り、がさっとボールに振り入れた。「ちゃんと計って作ったら、妙に評判悪くてね。どうも俺には向いていない、と判明したんで、まあ……自己流ってやつだ」
「へええ~」フリードは感心している。
「鬼族は実は、料理苦手な人が多いのよね。究極、料理しなくてもいいから。だから逆に、料理が上手な人は尊重されるの。そうだ、それを交渉の時の、売り込みにしたら? ディベロッパー」
「……御助言、ありがたく戴いておきます」
「あんまりその気なさそうね。――あ、もう一つ思い付いた。お店やるっていうのはどう? 全部片付いたら」
「ゾンビの作る飯なんて、誰が食いたいもんか」
「だから人類相手じゃなくて、亜種特化のお店よ。営業時間は夜中だけ。ご飯とお酒出して、情報も売り買いして、ついでにトラブルも解決すれば一石三鳥じゃない?」
「その慣用句の使い方、多分間違ってるからな」
 キリはフライパンを取り出し、油を引いた。
「……そうだな。それも悪くなさそうだ。考えとくよ」
 フリードは嬉しそうに笑った後、ポン、と手を叩いた。
「そうだ。私、お茶淹れようっと。あ、コーヒーの方がいいかしら」
「コーヒーで。……って云いたいところだけど、クマオは紅茶の方がいいかな。頼む」
「お任せ~」
 フリードが、ヤカンを火に掛ける。キリは火を調節しながら尋いた。
「一つ尋いておきたいんだが」
「何?」
「少尉達をどうした。殺してはいないよな」
 少尉――とフリードは呟き、ああ、と思い当たった。
「あのハンサムな軍人さんか。殺しちゃいないわよ、安心して。適当な岸に下ろしたわ。その後は知らない」
「そうか。――礼を云うよ。サンクス」
「あら。彼らは貴方の部下じゃないのに」
 フリードも悪戯っぽく笑った後、一転して溜息をついた。
「もうみんな、グロッキーでね。文句云う気力もなかった感じで、すぐお別れ出来るな――と思ったんだけど。あのハンサムさんが、なかなか納得してくれなくて」
「……さもありなん」
「私の連絡先だけ、渡しといたわ。――大丈夫、逆探対策はしてある」
「そうか」
 キリは同じ台詞を繰り返した。フリードは考え、考え、呟く。
「出来れば連携はしたいところだけど……私達だって、軍隊には勝てないもの。情報もなかなか取れないし。けど、難しいわよね、きっと。それこそ、軍人さんだもの」
「ああ」キリは頷いた。「特に奴は、生真面目が筋金入りだから」
 フライパンの蓋を取る。いい香りが立ち昇った。
「わあ。美味しそう」
「旨いよ。もうちょっと待ってろな」
 キリは次々と、パンケーキを引っ繰り返す。その横顔を見ながら、フリードはそっと云った。
「ねえ、ディベロッパー。死なないでね」
「俺は死んでるよ、もう」
「そういう事じゃないんだってば。わかってるでしょ。……アヴァランサだって、そう思ってるから」
 それには正直に、キリは左目を瞠った。
「婆さんが? ――冗談だろ?」
「冗談でこんな事云う訳ないでしょ。ね、ディベロッパー。鬼族も不老不死じゃないのよ。いつかは死ぬの。鬼族の平均寿命知ってる?」
「いや。幾つだ」
「大体三〇〇歳前後」
 キリは眉を寄せた。フリードは察しよく頷いた。
「アヴァランサは三〇〇歳オーバーよ。もうとっくに引退して、自分の城で、」
「城持ちなのか、あの婆さん……」
「一日中ゴロゴロして、好きな事やってていい年齢なの。三〇〇歳を越えるって事は、そういう事なの。それが認められる年齢……と云うか、一種のステータスね。人類で云うところの、カンレキ? ってやつ」
「いやそれ人類じゃなくて、日本人限定」
「アヴァランサにしてみれば、孫の不祥事で、もう一人の孫が死んでるんだから、そんな事云ってられない気持ちなんだとは思うけど。でも本当に、アヴァランサが関わる必要はない件なのよ。他の年寄りも同じだけど。そのための助っ人なんだから」
 キリは黙って頷き、先を促す。
「そりゃアヴァランサは、目茶目茶口は悪いし、目茶苦茶ぞんざいだし、目茶苦茶に容赦ないけど」
「姉さん、その修飾語使い過ぎ」
「……若い人を死なせたくない、っていう気持ちは、強いわよ。貴方にも、グロムにも、そう思ってる。ロックバイターにだって。だから今、凄く怒ってる」
「……そうか」
 キリは微笑した。
「特に貴方はね……アヴァランサにもう一人、お孫さんがいた事、知ってる? さっきもちょっと云ったけど。戦士で、オクトパスに殺されたの。あの子と貴方、年頃が同じくらいなのよ。見た目年齢だけど。それと背格好が」
「へえ」
「それだけだけどね。アヴァランサに尋けば、うちの孫の方が一〇〇万倍いい男だったって云うに決まってるけど」
「そうだな」
「貴方が死ぬところは、見たくない筈よ」
「死なないよ」
 ――何の重さもなかった。キリは簡単に云い切った。
「何しろまだ、保険金が下りてない。何とか受け取らないと、支払の算段が付かない」
「……それって、詐欺って云わない?」
「いいんだよ。どうせ保険会社≪あっち≫だって、何とか払わずに済ませようって、血眼なんだから。……軍曹に受け取って貰おうと思ってたんだよなあ。次の手を考えないと」
 フリードはそれには、返答出来なかった。
 キリはガスの火を止めると、蓋を取った。パンケーキを再度、ポンポンと返す。綺麗な狐色が現れる。フリードは思わず、歓声を上げてしまった。
「わあ、美味しそう! ……あ、でも、クマちゃんが戻って……来ないね」
「だな。どこまで草刈りに行ったんだろうな。まさか桃なんて拾って来ないよな。あ、あれは婆さんの方か」
 フリードには意味不明である。
「姉さん」パンケーキを全て皿に移して、キリは告げた。
「出来立てを食わせてやりたいところだったが、ま、仕方ない。レンチンして食うように、クマオに云っておいてくれ。あと、後片付けも頼むって」
「え? ディベロッパー、どうするの」
「休む。なんか眠くなって来た」
 キリはリビングに移ると、先刻着替えたルームウェアを手にした。
「冷めても勿体ないし、何ならあんたが食ってくれ。クマオにはまた明日、作ってやるさ」
「ディベロッパー? 大丈夫なの」
「大丈夫だって」キリは苦笑した。「まったく、こんなに心配されたのは生まれて初めてだよ。生きててみるもんだな。死んでるけど」
「だーかーら。そういう云い方しないの」
「はいはい。何かあったら起こしてくれ、それじゃおやすみ」
 キリは一見人懐っこそうに笑うと、リビングを出て行った。

 ……寝室に戻ると、キリは、武器をサイドテーブルに置いた。着替えて、どさりとベッドに横になる。
 体に不調はない。それなのにひどく、疲れていた。
「……トシかね、俺も」
 ぽつりと呟く。声は暗い部屋に波紋を描いて広がり、壁に跳ねて消えた。
「……何が……」
 不意に、笑いに似た何かが込み上げた。目を閉じて、溜息のように自嘲する。
「何が、ヤバくなったら逃げる、だよ。引き時を誤りやがって」
 危惧していた。だが同時に、甘えていた。マラキアならば、自分で判断するだろうと――何の保証もなかったのに。
「……どうするんだよ。このままじゃ保険金、全部会社の儲けじゃないか。折角高い掛け金払ってきたってのに」
 応えはない。誰も応えない。
「……どうするんだよ」
 同じ言葉を、キリは繰り返していた。
「お前と同じ事が出来る奴なんて……そうはいないんだぞ……?」
 ――ドアの外で、カタリと音がした。
 キリは目を開けると、ぐるりと首を回した。
「あいてるよ。遠慮しないで入れよ」
 ドアが【遠慮がち】にあいて、姿を見せたのは、グロムだった。片腕に二束、雑草を抱えている。――キリは口端を上げた。
「よう、お帰り。サンキュー」
「……いや……」
 グロムは大層、バツの悪い顔をしていた。聞こえていたらしい。キリは内心を一切表に出さず、ベッドの脇を指差した。
「そこに置いといてくれ」
「ああ。今交換する」
 グロムは枯草を一つに纏め、空いた籠に雑草の束を放り込んだ。箱を片手に立ち上がり、――しかし立ち去りがたそうに、その場に佇む。
「ディベロッパー、」
「亜種ってのは変なとこでお節介なのか?」
 皮肉っぽく笑って云われ、グロムは口を結んだ。――封じられてしまった。キリは寝返りを打つと、グロムに背を向けた。一言。
「一人にしてくれ」
 ……グロムはもう、何も云えなかった。
「……おやすみ」
 かろうじてそう一声残し、グロムは寝室を出た。ドアを閉める。
 その音を聞いて、キリは目を閉じた。

 たった今閉めたドアを、グロムは振り返った。
 重いドア。それでもたかだか、厚さは数センチに過ぎない。〝熊〟にとってはベニヤ板と変わらない。……だが。
 その厚さを越える術を、グロムは持っていなかった。
 グロムは溜息をつくと、枯草の入った箱を手に、階段を下りていった。
〈続〉


■今回は前後編じゃないですよ! 短いですよ!(笑)
■しかしまあグロムは何と云うか野暮天と云うか無粋と云うか。いや自分で書いたんですが。まあそこがいいところ、と思って……ます自分では(^_^;)
■ところで今回思い付いた……というかこういう文面リストを作ってるサイトさんがあって面白かったので参考にしてみました。コメ欄に幾つか置いときます。当て嵌まるもののコメントに「スキ」をどうぞ。アンケではないので幾つでも。選択肢の増設もOKです ヾ(´∀`)ノ コメントの頭に、【リスト】とか入れといて下さい。それで「感想リスト」って事で。
■これで何か特典があるかと云うと何もないです。作者が肩凝りと闘いつつモリモリ頑張っちゃうよってだけです。ぶっちゃけ私得ですが、一つも入らなかったら目茶苦茶寂しいので、是非とも!(脅迫か)(と云うかこんな動きの少ない回でやるなという話なんですが(^_^;))
■ちなみにお手本にしたエントリはこちらです。
〈獅子の檻を読んだ後、どんな事を言えばいいか分からない時のリスト〉

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