ノート_Developer用

ディベロッパー・ジェネシス/インターフェロン04(前)

※グロムの設定を、灰色熊からヒグマにしました。遡って修正済みです。


「だから馬鹿げた真似はやめろと、あれ程……!」
 ――電話口で、グロムはいきり立った。マラキアがその手から、電話を引ったくる。何をする、とグロムは更に頭に血を昇らせたが、マラキアは冷静だった。スピーカボタンを押す。
「御婆殿。すまんがもう一度、何があったか説明してくれ。結論から」
『アバタールが連れてかれたんだよ』
「誰に」
『ザパダって軍人だ。モルダニア国軍の少尉。アバタールとは知り合いみたいだった』
「ザパダか。俺も知ってる。優秀な戦士だ。で、ザパダは誰の命令で動いているんだ。わからなければそれでもいいが」
『アバタールが云い当てたよ。〝蟻地獄≪レウフリカ≫〟の基地司令がいたろう。そいつの実家だ。コンジェラーレとか云った』
「……成程」
 マラキアは一度、瞳を横へ動かした。何かを忙しく考えている。そして。
「御婆殿は今、どこにいる」
『中古屋で車を買ったとこだ』
「正規の業者か」
『素人じゃあるまいし。その手の業者だよ』
「ならいい。――フリードというお仲間はどうしている」
『渋滞で身動きが取れなかったらしい。やっと流れ出したと、さっき連絡があった』
「では御婆殿。セビズーイでお仲間と合流して、そのまま待機してくれ」
『何だって?』
「中尉がどこに連行されたか、わからない。調べるから待ってくれ。そっちでも調べて貰えればありがたい」
『わかってるさ、やるよ。他には』
「武器の調達。カリガリ博士が噛んでいる可能性もある。〝患者〟に有効なものを」
『了解した。それから?』
「録音したデータを、こっちにも送ってくれ。以上だ」
『わかった。また何かあったら連絡しとくれ』
「御婆殿も」
 マラキアは通話を切ってしまった。グロムは不服そうな顔になるが、マラキアは構わなかった。文句なら後で云えばいい事だ。キリを無事に、連れ戻す事が出来てから。そしてその時には、もうどうでもよくなっているだろう。それをマラキアは、経験として知っていた。
「熊殿には車と、武器の受け取りを頼みたいが。いいか」
「それは構わないが」仕事を振られ、グロムの怒気も逸れる。
「お前、資金はどうしているんだ。俺は鬼族持ちだったが」
「ひとまずはツケだ」
 ノートPCのキーを叩きながら、マラキアは事もなげに答えた。
「後で中尉と御婆殿に、纏めて払って貰う。こういう時、信用がものを云う」
「信用……されているのか」
 大層疑わしい顔になったグロムだったが、マラキアは重々しく頷いた。
「傭兵は信用が第一だ。でないと仕事が来なくなる」
 グロムは首をひねった。目の前のこの岩男はともかく、あの適当そうなゾンビと〝信用〟という単語が、どうにも結び付かなかったのである。
「ともかく、熊殿」マラキアはエンターキーを押した。「今、そちらの端末に、リストを送った。それを元に、ピックアップを頼む。出来るだけ素早く」
「わかった。――しかし、一ついいか、ロックバイター」
「何だ」
「ディベロッパーを拉致したのは正規軍なんだろう。軍の施設か基地に、殴り込みを掛けなければいけないという事か」
「そうなるな」
 平然とマラキアは頷き、「だが」と続けた。
「連行先が基地とは限らない」

 ……ぴちゃん、と、水音がした。
 キリはゆっくりと、目を開けた。
 薄暗い。ひんやりとした空気。湿った匂い。地下のような気がした。――地下?
「地下……牢かよ」
 キリの周りは、壁と鉄格子に囲まれていた。

 まばたきをして、深い呼吸を一つ。視界と脳をクリアにする。情報の収集と分析を開始する。
 手錠が掛けられている。いや、手【枷】か。関節を外して抜く、という技も使えまい。コートと帽子は奪われていた。裸にされなかっただけマシか、と一人苦笑する。だが足枷までは嵌められていない。チャンスはある。
 背後と左右は壁。前面は鉄格子。ゆっくりと体を起こし、場所を移動し、外を見てみる。似たような牢が、他にも五つ。計六つか。しかし――と思い起こす。こんな設備のある、モルダニアの基地?
 軍の施設だ。憲兵隊のための一画も勿論ある。しかしそれにしても【コレ】は、あまりに時代錯誤な気がした。施設自体、妙に古臭い。ファンタジー映画に出て来そうな雰囲気すらある。
 キリとて全ての施設を把握している訳ではない。こんな陰気な施設だ、大いに後ろ暗いだろうし、当然非公開だろう。果たしてマラキア達が、探り出せるかどうか。
(……に、しても……)
 キリは眉をひそめる。改めて、耳を澄ます。聴覚に集中する――聞こえない。基地に付き物の、様々な音――大勢のブーツの足音、独特の指令アナウンス、隊員への号令、掛け声、タイヤやエンジンの音、そんなものが。むしろ。
(無人……?)
 ――いや、足音はする。人は居る。軍人の歩き方だ。誰かは居る、当然だろう。けれど数が少ない。それこそ――ザパダとその部下達、程度の数か。だとするとここは、彼らが独自に用意した隠れ家か。ますますマズい――
(……や、基地に殴り込むよりはマシか?)
 幾ら亜種とは云え、大隊相手に三人、もとい二人では苦しい。不死身ではないのだし。それを考えれば、むしろ好都合かも知れない。ただし、ここを突き止める事が出来れば、の話だが。
(……腹、減ったな)
 これも深刻な問題だ。生物の気配がない。という事は必然的に、ザパダ達から取るしかなくなる。うまく調節出来ればいいが。
 ――足音が近付いて来た。
 キリはするりと、奥の壁まで下がった。座ったまま待つ。ジタバタしても始まらない。
 やがて牢の前に、人影が現れた。
 キリは目を瞠った。ザパダとその部下――は想像が付いていた。だが、彼らの中央に居たのは。
 女性だった。
「……ははあ……」
 キリは事情を察し、脱力した笑みを浮かべた。他に表情選択の余地がない。コンジェラーレ家の関係者だろうと推測していたが、まさか【それ】が、
「お袋さん≪マンマ≫のお出ましとは。世も末だ」
 キリの皮肉に、女性は唇をつり上げた。吸血鬼のように。

 年齢は五〇代半ばか。白い肌と金の髪。かつてはさぞかし騒がれた事だろう。しかし今や、前後左右に素晴らしくボリュームが付き、往年の姿は見る影もない。――ただ太っただけならば、かえって愛嬌になる事もあろうが、肉と共に精神も歪んで肥大したらしい。キリを見る目には明らかに、一線を越した光があった。
「……この男が」
 顔には笑みを貼り付けたまま。憎々しげな声で、女性は云った。
「この男が、私のサクルを殺したのか? 私の可愛いサクルを」
 ザパダが急いで何か云いかけたが、それより早く。
「サクルって誰だっけ?」
 肝腎のキリが爆弾発言を投げ込み、女性は瞳孔を針のように窄め、ザパダは天を仰いでしまった。火に油をそそいでどうする、と全身で云っている。キリはそんな牢外に頓着せず、首をひねっている。実際、聞き覚えがなかったのだ。コンジェラーレ家だと思ったけど外したのか? と思った程だった。まるで空気を読まない男に、女性は怒りを爆発させた。
「引き摺り出せ! 思い知らせてやるわ!」
「お待ち下さい、レディ」
 忍耐力を総動員した声で、ザパダが制した。
「まだ何も聞き出しておりません。尋問は私が」
「聞く事など何もない! この男が、私のサクルを殺したのだろう!」
「だからサクルって誰なんだよ」
「貴方は黙っていて下さい中尉!」
「それにレディって。レディって歳でもないだろ、あんた。あんたがレディなら婆さんなんか聖母だぜ。少なくとも美人だからな。三〇〇歳なりに」
「何云ってるんですか貴方は! 中尉、外注の貴方が御存知ないのも無理はありませんが、こちらは――」
「思い出したよ」
 キリは一転、平坦に答えた。
「イアルナ・コンジェラーレ。ジマ・コンジェラーレ中将の伴侶だ。逆かな? あんたの方が、コンジェラーレの本家だものな。――で」
 青白い顔に、薄い笑みが浮かんだ。
「サクル・コンジェラーレ――そういや、そんな名前だったな。あのボンクラ基地司令」

 女性――イアルナ・コンジェラーレの顔が、憤怒に塗り潰される。彼女は手に持っていた何かを、鉄格子に叩き付けた。ビシッ! と鋭い音が立つ。――乗馬用の鞭だった。キリは軽く、肩を竦めた。
「おお怖。SMは勘弁してくれ、そんな趣味はない」
 キリはふと目を細め、喉の奥で笑った。
「成程、息子は同じ趣味か。それともあんたが開発したのかな。奴が呼んだコンパニオン、何度か病院に送り届けたよ。あんな辺鄙なところに呼び出された挙句、怪我させられたんじゃ割に合わない。可哀想に」
 キリの述懐に、しかしイアルナは、かえって傲然と。
「ふん。売女如き、どうなろうと知った事ではないわ」
 ――女ばかりじゃなかったんだが――とキリは心中で呟いたが、もう面倒になってそれは口には出さなかった。ザパダに目を移す。
「で。俺から何を聞き出したいんだ、准尉。じゃない、少尉」
「准尉で結構です。――あの時、何があったんです。蟻地獄≪レウフリカ≫で」
「ザパダ! お前は黙っていろ!」
 イアルナが甲高く命じたが、キリは無視した。
「何がも何も、バイオハザードだよ」
「そんな事はどうでもよい!」
 イアルナは再度、鉄格子を鞭で叩いた。
「サクルを殺したのは誰だ! お前だろう!」
「……あのなあ」キリは最早、うんざりを隠しもせずに云った。
「バイオハザード、って云ってるだろ。生物災害だよ。病原菌とか、有害な微生物とか、そういうものが引き起こす災害の事。そのくらいは理解出来るだろ、マンマ」
「馬鹿にしているのか!」
「実際馬鹿なんだから仕方ない」
「中尉!」
「あの状況で誰が殺したとか、ある訳ないだろ。強いて云うなら、犯人は病原菌だよ。そんなに恨みを晴らしたいなら、レウフリカに行って地面か空気に鞭振り回して来ればいい」
「そんな云い訳が信じられるか。サクルは遺体も見付からなかった」
「そんな事俺に云われても困る」
 そりゃ見付かる筈ないよな、手榴弾で木っ端微塵にしたんだから――とは、流石にキリも口にはしなかった。
「……お前は生きている」
 ギリ、と奥歯を軋らせて、イアルナはキリを睨め付けた。
「見捨てたのだろう。お前は部下でありながら、サクルを見捨てた」
「あのな」キリは親指で、自分を指した。「俺も感染したんだよ。この形≪ナリ≫見りゃわかるだろうが。俺だって死んだと思ったさ。倒れた後の事まで責任持てるか。大体――」
 云っていいものかどうか。一瞬考えたが、キリもいい加減頭に来ていた。
「【アレ】の原因は、あんたのボンクラ息子だ。奴のお陰で、あの基地にいた人間、全員が死んだんだぞ。奴が最初の感染者だったんだ。見捨てるもへったくれもあるか。今からだって、俺が撃ち殺したいぐらいだ」
 ……ザパダが絶句する。レウフリカの惨状と――キリの様子とに。彼は初めて見たのだった。キリがこれ程、感情を露わにするところを。そのザパダの表情に、キリも内心で舌打ちした。すぐさま、精神をフラットに戻す。
「……お前が」ギリギリと歯を鳴らし、イアルナは呪うように云った。
「お前が死ねばよかったのだ。サクルの代わりに」
 キリは無表情に、イアルナを見返した。
「俺は死んでるよ。もう」
 ひどく低く、平坦な声だった。
 ――ザパダは咳払いした。
「中尉。その――バイオハザードの原因は。いえ、基地司令の事ではなく、感染源の事です。やはりクラウド研究所からの荷物ですか」
「そうらしい」
「病原菌の……名称とか、詳しい内容は、御存知……」
「な、訳がないだろ。ただ俺達も、それを調べてるところだった」
 微妙にずらして返答する。俺〝達〟という云い方に、ザパダは切り込む。
「フェルティリターテで一緒に居た、あの老人。彼女は何者です」
 ――くすりと、キリは笑った。
「秘密」
「……」
 ザパダは溜息をついた。こういう風に云われたら、もう聞き出す術はない。共にしたのはごく短い期間だけだったが、それと察する程度には関わった。キリの適当さなど表面上のものだ、と見当が付くくらいには。……
「俺に云えるのはこれくらいだな。後は――お前さん達は、知らない方がいい領域だ。知ったらもう、人類社会には戻れない。やめとけ」
 それがギリギリの台詞だと、ザパダにも知れた。副官がザパダを見る。ザパダは頷き――かけた。だが。
 ビシッ! またもや鞭の音が響いた。そして。
「鍵をお寄越し」
 イアルナの手が、ザパダに突き付けられる。ザパダは必死で抗した。
「しかしレディ。彼の云った事はほぼ、間違いありません。レウフリカが壊滅したのは、クラウド研究所の病原菌が原因です。よしんばサクル殿の死に、誰かが直接関わっていたとしても、それはやむを得ない仕儀だったと推測します。第一その者も、もう死んでいるでしょう。彼を拷問したところで、これ以上得るものはありません――」
「無駄だよ准尉」
 口を挟んだのは、拷問されそうになっている当人だった。
「庇ってくれてありがたいがね。感謝する。――このマンマは要するに、誰かに当たり散らしたくて仕方ないのさ。情報とか事実とか、どうでもいいんだよ。理屈は通じない。溺愛してたボンクラ息子が死んで、頭に血が昇ってるからな」
「中尉!」
 何故そう無駄に挑発するか、とザパダは呆れる他ない。キリ自身、何をやっているのだろう、と思わないでもなかった。挑発したところで、特に勝算がある訳でもないのだ。ただ考えるより先に、皮肉が口をついていた。――成程、と、ぼんやりと納得する。どうやら――
「准尉」
「何ですか」
「どうも俺も、頭には来てるみたいだ」
 どこがだ、と突っ込み返されそうな程、淡々と告げておいて。キリは少し、姿勢を直した。
「もう少し、提供出来る情報があったのを、思い出したよ。――クラウド研究所について、どこまで知ってる、准尉?」
 ザパダはハッと息を飲んだ。
「……生化学の研究所、ですね。純粋な国立ではありませんが、国の援助協力を得ています。準国立と云っていい。軍と提携もしています。研究内容には当然、グレーゾーンも多く含まれているんでしょう。それを否定する事は、軍人である自分には出来ません……」
「グレーゾーンならそれもいいかもな。でも俺を見ればわかるだろ。クラウドの研究内容はグレーじゃない。完全ブラックだ」
 キリは赤い左目で、ザパダを見上げた。
「研究所の代表の名前は、知ってるか」
「ええと……確か、ドクター・エイリアスと、」
「そりゃ名目上だな。と云うか偽名だ。いや、架空の人物かも。多分そんな人間はいないぜ。クラウドのドクターは、おそらく一人だけだ。名前はアウストル」
「聞いた事がありません」
「そりゃそうだ。無名だからな。社会的には。――奴はモルダニアのために動いてる訳じゃないぞ」
 ザパダと部下達が、ギョッと目を瞠る。イアルナでさえも。精神の平衡を欠いてはいても、それでも軍人の家系に生まれた人間であった。ザパダに先んじて問う。
「――お前。その、アウストルという者が、裏切っていると云うのか」
「ああ」キリは変わらぬトーンで続ける。
「あっちこっちと商談してるよ。西側は勿論だが、北の――セフィエロとも」
 イアルナが悲鳴のように息を吸い込み、ザパダは愕然と喘いだ。
「馬鹿な……!」
 セフィエロ。北の大国。経済力も軍事力も、モルダニアを遥かに凌駕する。セフィエロの前にモルダニアは、吹けば飛ぶような小国だ。
 現在、モルダニアとセフィエロは、敵対はしていない。だが友好関係にはない。ましてや味方では、決してない。いつ何が起こってもおかしくない、そんな緊張関係が続いている。勿論表面上、取り繕ってはいるが。しかし、そんな国を相手に――。
「クラウドは……モルダニアの援助を受けているのですよ!? なのに他国に、軍事技術を売ろうとしていると……!?」
「その文句は、アウストルに云ってくれ」
 キリは怠そうに云った。実際怠かった。エネルギーが不足しつつある。
「奴はどこにも、義理立てする気なんかないぞ。買う国があればどこにでも売るだろうし、それで戦争になろうが相討ちになろうが、痛くも痒くもないだろうな。――もしかしたら」
 凡ミスだ――と、アウストルは云っていた。おそらくそれは、間違いないだろう。だが。
「……未必の故意、だったかも知れない」
「何ですって?」
 ザパダが尋き返す。キリはそれに答える――と云うより、自分の考えを纏めるように呟いた。
「何でわざわざ、仮置きさせる必要があったんだ。レウフリカ――とは限らない、外部にウイルスを出せば、バイオハザードの可能性はいつでもどこでもあったのに。【起こってもいい】、と考えてたんじゃないか、奴は」
 ……ザパダは声もない。キリは首を振った。
「推測だ。これ以上はやめとこう。――とまあ、そういう訳で」
 キリはザパダを見上げると、真顔で云った。
「手を組まないか」

「……は……?」
 鳩が豆鉄砲を食らっても、こうは驚くまい。という程、ザパダは面食らっていた。呆れ、かも知れない。しかしキリは、至って真面目だった。
「基地司令を殺したのはウイルスだ。それを作ったのはクラウド研究所のアウストル。仇が討ちたいんだろ、女王様」
「黙れ、誘導しようとしても――」
「俺も奴の居場所が知りたい。利害は一致してる」
 云ってのける。平然と、ぬけぬけと。
「正面切って戦うだけなら、俺……だけでも充分だ。軍を出すのはむしろ勧めない。奴の周りには、俺みたいなのがウヨウヨいる。通常人類じゃ歯が立たない。感染させられて、配下にされるのがオチだ」
 ――何を云っているんだ? という顔になるザパダ。キリは無視して続ける。
「ただ奴は、隠れるのが上手い。なかなか居場所が掴めない。掴んだと思っても、行った時には別の場所に移ってる」と、グロムが云っていた。「軍なら、奴の研究施設は掴んでるだろ。そいつを教えてくれ。片付けるのは俺がやる。何なら、とどめを刺す権利は、あんたに」左目でイアルナを見やる。「譲ってもいい。確約は出来ないがね」
 イアルナは下目遣いに、キリを睨んだだけだった。ザパダは顳を押さえながら応じた。
「しかしそんな情報には、我々では」
「いないのか。クラウドとアウストルを、よく思ってない将官とか」
 ザパダの目が泳いだ。――いるな、とキリは見当を付ける。それが善人かどうかは、全くの別問題だが。とにかく、敵対しているというだけでいい。今は。
「尉官クラスが何云ったところで、取り上げられる筈がない。裏から伝えて、将官クラスに動いて貰え。とにかく、奴の動きを止めたい。研究施設を全部押さえれば、ある程度絞れる筈だ」
 キリの言に、ザパダは溜息すらついてしまった。相変わらず上手い――と小さく呟く。
「わかりました。ひとまず伺っておきます。上官に計ってみます――」
「遅い」
 キリは短く断言した。
「奴の研究は完成目前だ。呑気に検討してる内に、セフィエロに売り込むかもな」
 ザパダは唇を引き結ぶ。その時イアルナが、傲然と云い放った。
「おやり」
「よろしいのですか、レディ」
「そのアウストルやらの心臓、私が抉り出してくれる。お前達とて、やり甲斐があるだろう。何をためらう」
 そしてイアルナは、格子越しにキリを覗き込んだ。――サディスティックに笑う。
「そいつが見付かるまでの間、お前で楽しむ事にしよう。覚悟しておいで」
 真っ青になったのはザパダ達で、キリはそれ程驚かなかった。やっぱりか、と苦笑する。ただ一応、云うだけは云ってみる。
「やめといた方がいいと思うぜ。俺は保菌者だ。皮膚接触くらいなら何ともないが、血に触れたら確実に感染する。あんたが狂って死ぬのは自業自得としても、周りにもウイルスを撒き散らす事になる。少なくとも、この基地は全滅だ。レウフリカと同じように」
 ――ザパダはハッと目を見開いた。
「フェルティリターテで……流血は避けたいと云っていたのは……」
 キリは苦笑気味に頷いた。
「あれは本心だよ。あのボンクラと、同じになりたくないからな」
 ――イアルナが無言で、何か取り出した。カードキーのように見えた。肥えた指が無造作に、ボタンを押す。

「……!?」
 激しい電流が、キリを襲った。

「っ……!」
 撃たれたように一度跳ねた後、キリは床に倒れ込んだ。声も出せない。全身を強く覆う痺れの中、キリは察した。この手枷か――
「それで私を脅したつもりか」
 イアルナは残忍な笑みを浮かべて、手の中のリモコンをもてあそんだ。
「私を誰だと思っている。血を流さずに苦しめる方法くらい、幾らでもある」
「……そうみたい……だな」
 キリは必死で体を起こそうとしたが、叶わなかった。力が入らない。これでは、鬼族特有の怪力も発揮出来ない。偶然とは云え、イアルナは、キリの特殊能力を無効化した事になる。まずいな――と、薄い意識の片隅で考える。確かにこの女性は、色々な方法を知っていそうだ。エネルギーが足りない中で、どこまで持つか。
「レディ! 彼は貴重な生き証人です。クラウドを追い詰める切り札にもなり得ます。どうか――」
「心配しなくても、殺しはしない」
 イアルナはフンと鼻を鳴らした。
「それよりも早くお調べ。そのアウストルとやらの居場所を。この男を死なせたくないのなら」
 そこで彼女は、いい事を思い付いた――というように、口を横に大きく広げた。
「そうだ。賭けをしよう」
「賭け?」とザパダ。
「お前達がアウストルを捕まえるまで、この男が持つかどうか。賭けというよりも競争か。まあどちらでもいい。何にしても、この男の命は、お前達の仕事如何だ」
 バシッ! 鞭が鉄格子で音を立てる。
「知っているか。不協和音をひっきりなしに聞かせていると気が狂う」
「……」
 ザパダはもう何も云わない。キリにしても、応じられるだけの力がなかった。イアルナは頬を紅潮させて続ける。
「こういう方法もある。水を一滴ずつ、額に落としていく。どれだけ屈強な人間でも、必ず狂う」
「……」
「まだまだある。――お前達、この男が気が狂っていいなら、のんびりしておればよい。好きにしろ」
 ザパダは拳を握り締めると、部下を返り見た。三人分の名前を呼び、残るように命じる。だがイアルナは。
「留守番など要らぬ。全員連れて行け」
「しかし」
「私にはこの者どもがいる。軍人など何の役にも立たない」
 ――のっそりと現れたのは、五人程の下男だった。軍人ではない、コンジェラーレ家直属の使用人だ。目に、自律の光が全くない。イアルナに従うだけの奴隷であった。
「そうは参りません」
 ザパダはそれでも、最後まで抵抗した。
「連絡が必要になります。曹長を残していきます。頼んだぞ」
「アイサー」
 名指しされた曹長が敬礼する。ザパダは部下を伴って、地下牢を出て行った。――イアルナはそれには目もくれず、鉄格子に顔を押し付けるとキリを見つめた。舌舐めずりする。
「せいぜい楽しませておくれ、幽霊男」

「遅れてごめんなさいね、アヴァランサ」
 ――落ち合い場所の空き地。アヴァランサの車に乗り込んで来たフリードは、助手席に着くや愚痴り始めた。
「ああもう、ヤんなっちゃう。いきなりアズール大橋が封鎖だもん。理由の説明はないし。どうせそんなの期待してないけどさ、止まってたら隣のオッサンが、しつっこく話し掛けて来るのよ。セクハラよセクハラ」
 そう愚痴る声は豊かなバリトンである。すんなりとした長身、優しい顔立ち、やや長めの髪の、二〇代後半の男性だ。見た目は。身なりもきちんとしていて、〝紳士淑女〟を一人で体現している、と仲間内では云われている。いつも朗らかな好青年だが、今は疲労の色が濃い。
「それで――依頼の車≪ハマー≫は、取り返されちゃったのね」
「取り返されたと云うか、横取りされたと云うか」
 アヴァランサは憮然と答えた。
「仕方ない。そっちは諦めた。あんたには、アバタールの居場所を探って貰いたい。これが、奴の使ったカップ」
「了解」
 顔も名前も声も、何もかもわからない状況である筈だが。フリードは事もなげに了承した。が、その後。
「探す事自体は問題ないけど。いいの? 本家からぶつくさ云われるかもよ。まだ仲間と認めた訳じゃなし、拉致されたんなら放っとけとか」
「云わしときな」アヴァランサは一言で片付けた。「奴は使えるんだよ。燃費の悪い大飯食らいだがね。戦士としても囮としても、役に立つ。そうじゃなくても、アウストルに渡す訳にはいかないよ」
「成程ね。アヴァランサの気持ちはわかったわ。了解。私としても、あのドクター・オクトパスには、死んで貰いたいし?」
 明るい目に一瞬、凄惨な光がよぎった。が、すぐにそれは消え、彼はあっけらかんと笑って尋いた。
「で、その、アバタール? ディベロッパー? って、どんな男? イケメン?」
「……まあ、そこそこかね」
「会うの楽しみだわあ。コナ掛けちゃおうかな」
 コロコロと笑うと、フリードは携帯端末を出した。新品だ。アヴァランサと番号を交換すると、サッと車を降りる。
「じゃあね、アヴァランサ。気を付けて。死んじゃ駄目よ」
「そっちもな」
 二人の鬼族は、それぞれの車で発進した。

 ――グロムはマラキアに指示された通り、新たな車と武器をピックアップして隠れ家に戻った。ちなみに車は軽トラだった。武器を全て積んでもまだ余裕があった。
「ロックバイター、戻ったぞ」
 マラキアはテーブルに地図を広げ、その周囲をぐるぐると歩きながら、電話で何か喋っていた。訛りのキツいモルダニア語は、グロムには聞き取りにくかった。しかし敢えて、口は挟まない。通話が終わったら聞けばいい。
 マラキアはボタンを押して通話を切ると、地図にバツ印を付けた。そしてグロムが話しかけるより早く、番号ボタンを押す。アドレス帳は使わないらしい。すぐにまた、地図にバツ印。
「何をしているんだ?」
 やっとの事で、グロムは尋ねた。マラキアはボタンを押しながら。
「ちょっと待ってくれ、あと一件だ。――もしもし。こちら水道局です。確認したい事があるんですが……」
 どうやら嘘八百を並べて、必要な情報の断片を掴んでいるらしい。成程、とグロムは得心する。グロムの場合、同じ亜種の情報網に頼る事が殆どだ。こういう芸当は、おそらくグロムには出来ないだろう。
「はい。ありがとうございました。いえ、それならばよろしいのです。では失礼します」
 マラキアは地図に、バツ印を付けた。難しい顔で、地図を睨む。
「どうした。何かわかったか?」
「わからんという事がわかった」
「何だそれは」
「昔の知り合いに探りを入れてみた。しかし各基地、特に変わった動きはないようだった。コンジェラーレ中将も、通常通り勤務している。勿論動いているのはザパダ達だが、流石にその動きまでは掴めん」
「そうだろうな」
「で、コンジェラーレ家の私有地を調べてみた。これがリスト」
 一葉の紙片が差し出される。計七箇所が記されていた。
「その内、家屋があるのは五箇所。あれこれアプローチしてみたが、誰かが連れ込まれた、という雰囲気はなかった。行き詰まった」
 アッサリ云われて、グロムは目を剥いた。
「行き詰まった、じゃないだろう! どうするんだ」
「行き止まりなら戻るだけだ」
 マラキアは電話を取り直した。
「ただ、どうしても、基地とは思えない。勘だが」
「何故そう思う」
「命令が無茶過ぎる」
 ――アヴァランサから送られた音声データを聞いての、マラキアの感触だった。
「軍隊での無茶苦茶は日常茶飯事だが……それにしても、〝全滅〟で片が付いている件を蒸し返すとは考えにくい。むしろ早いところ、葬り去りたい事件の筈だ。折角テロ攻撃のせいにしたのに、バイオハザードだったなんて漏れてみろ。大パニックだ」
「……そうだな」
「そういう訳で、即座に基地に連行するとは、どうも思えなくてな」
「――軍内部で対立が起きているとは、考えられないか。クラウド研究所に反感を持つ高官もいるだろう」
「そうだな。おそらく居る。まず間違いなく。だが今回、それは無関係だと思う。中尉も推測していたろう。〝私的な怒り〟と。これは私怨だ。コンジェラーレ家の。で、コンジェラーレ家というのは代々、軍人で鳴らした家系だ。それが公然と軍に楯突くとは、やはり思えん」
「しかし」グロムは一度、リストに目を落とした。「この中には居なかったんだろう」
「十中八九。ただ」マラキアは、〝?〟マークを付けた二つを指で叩いた。家屋が〝ない〟という二箇所だ。
「山林という届け出にはなっているが、何もないとは限らん。ライフラインの契約がなくても、水は井戸、電気は自家発、電話は携帯、ガスはボンベがあるしな。短期間ならば何とかなる」
「確かめる方法は? 行ってみるしかないのか」
「今、仲介屋殿に、連絡している」
 マラキアは電話のボタンを押していた。
「亜種には、人類にはない方法があるのだろう。そいつで確認して貰う」

『その二箇所?』
 電話に出た仲介屋、フリードは、陽気そうな声に少し疑問を乗せた。
「そうだが……何か不審な点でも?」
『ううん、そうじゃないんだけど』
 マラキアとフリードは、初対面――どころか会った事もない間柄である。にも関わらず、フリードのバリトンでの女性言葉にも、マラキアが動じる気配はない。これにはグロムも感心した。一瞬ぐらいは驚くだろうと思ったが。懐が広いのか鈍感なのか、はたまた関心がないだけか。
『こっちも今、連絡しようと思ってたところでね。その、ディベロッパー? の居場所の、エリアの見当が付いたって連絡があって』
「エリア?」
『そう、大雑把でごめんなさいね。――えーと、一から説明するとね。軍隊を探るなんて、正直、私達の守備範囲外なの。だから占い師に頼んだってワケ』
「占い師?」思わず尋き返してしまったマラキアである。
『あ、馬鹿にしてるでしょ。人類の占いと一緒にしないでよね。こっちの占いは科学なの。魔法もね。ま、人類には理解出来ない論理だけど。ちゃんと筋道が立ってて、学問として――』
「わかった。よくわからないがわかった。それで、占いの結果は。この二箇所ではなかったのか」
 遮ったマラキアに、気を悪くした風もなく。フリードは答えた。
『もうちょっと説明させてね。こっちもその、ディベロッパーの情報が、殆どない状態でしょ。色々必要なのよ、生年月日とか。それが不明だし、所持品もないし。あるのはちょっと触ったカップだけでしょ。これだと大した精度は出せないのね。ただ、エリアぐらいはわかるかと思って。で、追って貰った結果が、〝ラクル・デ・アル〟の近辺。二〇キロ圏内』
 グロムは急いで、地図を指で辿った。――〝白の湖≪ラクル・デ・アル≫〟。確かに、マラキアのリストにはない。周囲は原生林だ。少なくとも、村落のような記載はない。グロムはマラキアと、顔を見合わせた。
「別荘か何か、あるんだろうか。非公式で」
「親族名義という事も考えられる」
『待って待って。先走らないで』フリードが、やや慌てた調子で待ったを掛けた。
『こっちも一〇〇%じゃないの。確かめようとしてるんだけど、私達も、そんなに数が多い訳じゃないのね。空白地帯も多いの。今聞いて回ってるけど、手応えなくって』
「では、直接行くしかないのか」
『その前に、〝鳥〟に頼もうとは思ってる。貴方達のリストの土地とも、そんなに離れてないし。纏めて上から、探って貰うわ。もう少しだけ、待って頂戴』
「了解した。こちらもその、〝白の湖〟を調べてみる。時に御婆殿はどうしている」
『武器と術の買い付けに回ってる』
「術? 魔法か。魔法を買うのか」
『そ。貴方達がパソコンソフトを買うのと同じよ。プログラムって云った方がいいかな。ただし、高度になればなる程、使い手は限られる。アヴァランサが使うような魔法は、私じゃ絶対無理ねえ』
 コロコロと笑ったフリードは、慌てて咳払いした。
『ごめんなさいね。笑ってる場合じゃなかったわ』
「いや。大変参考になった。ではよろしく頼む」
 マラキアは重々しく礼を云い、通話を切った。グロムは険しい顔で、地図を見下ろしている。
「〝白の湖〟か……」
 国土の北東部に当たる。〝右の山脈≪ドゥレアプタ・ムンチロ≫〟の麓。手付かずの原生林が多く残る地域だった。危険な箇所や獣も多く、大半が立入禁止とされ、トレッカーも近付かない。しかしだからこそ、
「ビンゴかも知れないな」グロムは呟いた。「俺が先行して、確認しようか。幾ら〝鳥〟でも、これだけの広さを見て回るのは骨が折れる」
「いや」マラキアはノートPCを叩きながら首を振った。「無闇にバラにならない方がいい。もう少し確度が上がってから頼む」
 マラキアはエンターキーを押してから振り向いた。
「ところで亜種の占いというのは、的中率が高いのか」
「占いと云うか……追跡や探査だな。未来の予見は難しい。やろうとする者もあまりいない」
「ほう。それは興味深い」
「そっちの占いはともかく、追跡や探査はよく使う。俺も何度も、彼らには世話になった」
「それでも、カリガリ博士の居場所は掴めないのか。何故」
「術は万能じゃない。お前達のレーダー探知だってGPS追跡だって、穴はあるだろう。それと同じだ。術にも大抵、カウンターがある。追跡されないように痕跡を消したり、気配を隠したり……アウストルはそういう事が上手いんだ。勿論こちらも、それを破ろうと試みる。アウストルはまたそれを上回る。その繰り返しだ。なかなか到達出来ない」
 グロムは悔しそうに、奥歯を噛む。マラキアは頷いた。
「成程な。そう都合よくはいかんという事か。参考になった」
 そしてマラキアは、ノートPCに向き直った。
「メールの返事が来たぞ」
「メール?」
「〝白の湖〟周辺の取扱物件について、不動産屋からだ」

 ……両脇から腕を取られ、半ば引き摺られるようにして、階段を登る。電撃のショックが残る体で、それでもキリは、懸命に目を開けていた。可能な限り、情報を集めようと試みる。
 石の階段。石の壁。人の気配はしない。やはりここは、基地ではない。コンジェラーレ家の私邸か。と云うか、
(城か?)
 階段を登り切る。暗い廊下。窓は全て、鎧戸が降りている。下男達に乱暴に引っ立てられ、小突かれながら歩いていく。やがて扉に辿り着く。扉があく、

 美しい光景が、前方に広がった。

「……」
 キリもこれには、呆気に取られた。何だこれは。

 ――サンルームだった。と云っても、相当に広い。部屋の中央には何と、円形のプールまである。中規模のパーティが開けそうだ。前方は全てガラス張りで、その向こうには、白樺の森と青い湖が広がっていた。絵に描いたような、リゾートホテルの景だ――プールサイドに、拷問用の道具がなければ。
 キリは咄嗟に、上へ目を向けた。ガラス張りではあった。だが緑に覆われている。上空からの探査は難しいか。
「驚いたか」
 イアルナの声がした。見たくない、と反射的に思ったが、やはり目はそちらに向いていた。窓際に置かれたサンベッドに、イアルナが身を横たえていた。水着だったら回れ右して逃げようと思った(それで銃弾を食らっても)が、幸か不幸か一応ドレス姿ではあった。それでも、ベッドに収まり切らない肉が流れ落ちそうなのは丸わかりで、キリは天を仰いで溜息をついた。反応のしようがない。
「ここは私有地だ。遠縁の名義になっている。姓も国籍も変わっているから、辿り着くまでには相当時間が掛かるぞ。情報的にも物理的にも」
「なかなか気の利いた云い回しだね」
 減らず口を叩いたキリを、下男が突き飛ばす。キリは窓際まで追われ、座らされた。イアルナは手にした鞭で、窓外を指した。
「あれが見えるか」
 イアルナが指し示したのは云わば背後、城の本体だった。岩山を利用して造られた、古い城塞。崩れかけている箇所もある。全体的にはまだまだ充分に使えるだろうが、観光には推薦出来まい。そして城の端、イアルナが示したそこは、小部屋が張り出していた。キリはふと、目を凝らした。バルコニーに――手摺がない。
「私に逆らう愚か者を、あのバルコニーに追い出すのだ」
 イアルナは楽しげに、鞭を打ち振った。
「勿論すぐには落ちない。だが風が強い。日射しもある。日が落ちれば怖ろしく寒くなる。一晩放置すれば大抵は、泣いて命乞いをするようになる。入れてくれと扉に縋る」
「……それで助けたりはしないんだろう、どうせ」
「当然だろう。本当の楽しみはここからだ。窓から剣でつつく。殺さぬように、少しずつな。血の匂いに鳥が集まって来る。生きながらの鳥葬だ」
「……」
「その鳥を捕まえて、食った奴もいたな。あれはなかなか見所があって愉しかった。最後には狂って飛び降りたが」
「……」
「下は入江だ。運が良ければ助かる。――と、思って、飛び降りる奴も多い。岩礁に叩き付けられてバラバラになるのがオチとも知らず」
 甲高い哄笑。キリは目を閉じる。出来れば耳も閉じたかった。しかし聴覚を閉ざす事が出来ないのは、亜種も同じらしかった。仕方がないので、自分から切り出す。
「もういい。わかったから、とっとと俺をあそこに連れてけよ。耐久力の新記録を作ってやる」
「そうはいくか」
 イアルナは身を乗り出した。グイとキリの顎を掴む。常軌を逸した目が、キリを覗き込む。
「わかっているぞ。お前、あそこに出たら逃げる気だろう」
「おいおい」
 キリは苦笑で躱しつつ、内心驚愕していた。まさか悟られるとは思わなかった。例えその可能性に思い至ったとしても、常識に照らし合わせて否定する、それが普通だろう。普通ではないという事か。確かにどこからどう見ても、普通ではないが。
「どう逃げるって云うんだよ。幾ら俺でも、空は飛べないぜ」
「さあな。方法はわからないが、しかしお前は、城から出せば逃げる。それが私の勘だ。お前はここで、たっぷり可愛がってやる」
 鞭が今度は、プールを指す。キリはげんなりと唸った。
「水責めか」
「そう思うか」
 イアルナは口を横に裂いて笑った。
「そんなものが可愛く思えるぞ。その減らず口、後悔するといい。楽しみだな、お前が苦しむ様が」
 ――下男の手がキリの腕を掴み、引き摺り上げた。

「――ビンゴだ」
 マラキアは手を打った。PCのディスプレイには、複数の不動産屋からのメールや資料、(何故か)怪談話系のサイトなど、多数のウインドウが開かれている。説明を求めようとするグロムに、〝ちょっと待て〟とゼスチャーし、マラキアは電話を掛けた。フリードとアヴァランサへ。
「仲介屋殿。そちらの占いが当たりだった。〝白の湖〟の岸に、物件としても取り扱われていない古い城があった。所有者は外国の貴族――人類の方の貴族だが、に、なっている。だが元はコンジェラーレ家の一員だ。誰も住んではいないが、一応維持管理はしているという事だ。廃墟マニアの間で一時噂になったが、所有者がハッキリしてからは下火になった。今では正真正銘、誰も寄り付かない」
『よく調べたわね、この短い時間で。凄い』
「なに、蛇の道は蛇だ」
『それでその城の、正確な位置はわかる? 〝鳥〟に確認して貰うから――』
 フリードはそう提案したが、マラキアは。
「いや、どうもこの城、岩山の【中】にあるらしい。上からでは、中尉の所在確認は出来んだろう。〝鳥〟とやらの目を借りたいのは山々だが、地表から辿る。湖の東南側という事はわかっているし、人の出入りがあれば、それなりに痕跡も残る」
『なーるほどね』
「という事で、御婆殿。湖へ向かってくれ。俺は途中で合流する」
 その云い回しに、グロムは耳敏く気が付いた。すぐに尋く。
「ちょっと待て。【俺】が入っていないのはどういう訳だ」
 グロムの詰問に、マラキアは事もなげに答えた。
「熊殿には、先行確認して貰う」

 ――ドサッ!
 キリはずぶ濡れのまま、床に放り出された。そのまま身動きもしないキリを、イアルナは傲然と見下ろす。
「何故【ここ】なのかわかるか?」
 キリはちらりと、左目を動かした。口は開かない。それに満足したか、イアルナは恍惚と外を眺めた。
「美しいだろう。すぐそこに見える。たったガラス一枚分だ。だが決して届かない。それが余計に、お前達の絶望になる」
 ガチャン、と重苦しい音がした。足枷が嵌められたのである。どこかに繋がれている事は間違いない。ガラスに体当たりしようにも、届かない、という訳だ。もっとも(通常の人類が)体当たりしたところで、割れるようなガラスではないだろうが。
「せいぜい一晩、足掻いてみるといい。明日の朝、お前の絶望した顔を見るのが楽しみだ」
「……へえ」キリは掠れた声で、それでも笑った。
「休み時間をくれるのか。そりゃありがたいね。ついでだから飯も頼むよ。腹が減って腹が減って」
 ――ドガッ!
 尖ったヒールの先が、キリの腹部に食い込んだ。瞬間的に筋肉を固めたが、それでもダメージは来た。咳き込むキリを、イアルナは執拗に蹴り続ける。
「本当に、お前は、生意気な口を利くね! 小賢しい!」
 更に胸、肩口と蹴り付けた後、イアルナは息を切らしながら云い捨てた。
「餌を出してやろうと思っていたが、気が変わった。惨めに一晩過ごすといい。――ザパダが早く戻って来る事を願うんだな。もっとも」
 イアルナはキリの髪を掴むと、顔を近付けて囁いた。
「戻って来たからと云って、許してやると思ったら大間違いだ」
「……だろうな」
「わかっているのか。ならば話が早い。サクルを殺したのは誰だ」
「だからそれは、」
「ウイルスなんて与太は聞かない。直接手を下したのは誰だ、と尋いているんだ」
「……。俺に尋かれてもね」
 あんたの目の前にいるよ――とは、流石に云う気になれなかった。ここで使うカードではない。イアルナはフンと鼻先で笑うと、キリを突き飛ばした。
「私は一晩、新しい方法を考えるとしよう。楽しみにしていろ」
 そして〝女王〟は、下男を引き連れてサンルームを出て行った。扉が閉まる。鍵が掛かる音はしなかったが、鍵など掛けなくてもどうせ逃げられない、と踏んでいるのだろう。実際逃げられそうにない。キリであっても。そしてそれもまた、〝虜囚〟の絶望をいや増すためなのだろう。――キリは息を吐き、ごろりと寝返りを打った。ガシャン、と手枷の鎖を引っ張ってみる。やはり力が入らない。痛め付けられた上にエネルギーが足りないのだ。どうしたものか。
 ……確かにイアルナは、〝血を流さずに痛め付ける方法〟を、幾つも知っていた。キリは元々、対拷問の訓練を受けているし、更には人類ですらなくなった身だ。それでも痛みは感じるしダメージも受ける。水責めと電撃と火責めの連続はかなり重かった。先が思いやられる。
(あっつ……)
 体が燃えるように熱い。全身の細胞が、怪我を治そうとフル活動しているのだ。しかし決定的に、エネルギーが足りない。このままでは空焚き状態になって――破裂する。
 下男達や、それこそイアルナから、取ってもよかった。だが今〝門〟を開ければ、おそらく取り尽くしてしまうだろう。正直それでも良心は痛まないし、いっそ取り尽くしてやりたいくらいだったが、ザパダが戻って来た時の事を考えればそうもいかない。キリ自身は逃げ出していても、遺体は残る。イアルナと下男達の、がさがさに乾いて崩れ落ちた遺体が。
 何が起きたのか理解は出来ないだろう。それでも犯人はキリという事にされる。他にいない。実際キリなのだし。
 公然と指名手配はされるまい。何しろ死人だ。しかし裏では追われる事になる。それが面倒だ。モルダニアから出るという手もあるが、アウストルを放置したまま国外に逃げたところで、どうせまた追われる。とにかく片を付けて、亜種社会での一定の立ち位置を得なければならないのだ。それには、今〝降りる〟のは、得策ではなかった。――さてどうする。
(……仕方ないな)
 キリは常に、余力を残すように意識している。もう無意識の域に達しているくらいに。予備体力、とでも云おうか。それを使う時かも知れない。どれ程持つかわからないが。
 しかし、とにかくここから〝出〟さえすれば、後は〝食べ放題〟だ。その点、人類の時よりは有利になった筈である。白樺には申し訳ないが、一本か二本、犠牲になって貰おう――
「……木の精霊とか、いないよな? いないでくれよな?」
 そう独りごちてから。キリがゆっくり、手枷の鎖を握った――時。
 カチリと、ドアラッチの音がした。
 キリは手を下ろした。――入って来たのは、ザパダの部下の曹長だった。
「五十嵐……中尉? で、よろしいですか」
 身を低くして、するすると近付いて来た彼は、低声で問うた。キリは手を翳し、〝そこで止まれ〟というゼスチャーをした。
「あんまり近付くな。俺が保菌者なのは承知だろ。血が出てないとも限らない」
「……了解しました」
 曹長は、カウンターの脇に身をひそめた。キリは天井を向いたまま苦笑した。
「いいのか、こんなとこ来て。監視カメラも付いてるんだろうに」
「出入り自体は、禁止されてはおりません。それに……」曹長は一層、声を低めた。「むしろ、逃げ出そうとするのを、待ち構えておいでです。ミズ・イアルナは」
「なーるほど。あのマンマらしいね」
 キリは横目で、曹長を見やった。
 ――大層複雑な表情をしている。ザパダからキリの事を聞いている、という事は、ザパダも信を置く軍人なのだろう。有能な。そして有能であるが故に、キリの軍人としての腕を認めてはいるが、しかし異国の東洋人に(かつて、モルダニア軍が)助けられたという事が口惜しい――そんなところだろうか。キリは薄く笑った。
「それで? 助けに来てくれた訳じゃないんだろ」
「残念ながら。――怪我の具合は」
「まあ、骨は折れてないよ。電撃何度も食らったんで、身体中痛い。それに火傷」
 まるで人ごとのようなキリに、曹長は言葉もない。
「あと熱だな。熱くて痛い」
「……何か出来る事は、」
「ないと思うぜ、あんたの権限じゃ。だろ?」
「……はい。恥ずかしながら」
「責めてる訳じゃない。……一つ可能なら、頼まれて欲しい事があるんだが」
「何でしょう」
「腹が減って仕方がない。【草】を持って来てくれないか」
 その単語に、曹長はきょとんとした。
「【草】? ――野菜ですか?」
「まあそれでもいいが」キリは苦笑した。「文字通りの意味だよ。草だ。そこら辺に生えてる雑草でいい。何だったら切り花でも――飾ってないか。城のどっかに」
 曹長は難しい顔になって、しばし考えた。やがて。
「あったと……思います」
「それでもいい。出来るだけ新鮮なやつ」
「はあ」曹長は途方に暮れたような声で応じた。「それで、その、草を……食べるんですか。雑草を?」
「俺、菜食主義者なの」
 実に嘘っぽい笑顔を見せて――キリは一転、低く呻くと、鳩尾辺りを押さえた。体を丸める。
「中尉?」
「大丈夫だ。まだな。……草。早いところ頼む、マジで」
 切迫感は伝わったのだろう。曹長は表情を引き締めて頷き、するすると下がって部屋を出ていった。キリは大きく息を吐き出した。――演技ではなかった。関節が軋んで悲鳴を上げている。限界が近い。

 ――グロムはバイクを、灌木の中に隠した。まだ、何かの役に立たないとも限らない。
 鬱蒼たる森の細い未舗装路は、すぐそこで終わっていた。正確には、門≪ゲート≫が設けられていた。曰く、〝この先私有地につき、立入を禁ず〟。御丁寧に、連絡先の電話番号まで記してある。妙に現実的だ。マニアの気は削がれるだろう。
 道自体は、まだ先へと続いている。緩くカーブを描いて、暗い森の奥へと消えている。先は見通せない。グロムはゲート脇の灌木をくぐり、〝私有地〟へと侵入した。
 その姿が、ぐにゃりと変形した。
 一秒後、そこにいたのは、巨大なヒグマだった。音もなく、森の中を走り出す。道を横目に見ながら。
 濃密な森。続く岩山。今は星空を背後に、黒々としたシルエットしか見えない。確かにこの中から、目標の城を視認するのは、時間が掛かるかも知れない。敵は明かりを漏らさないようにしているだろうし。道にしても、梢が覆いかぶさってトンネル状態だ。成程、ロックバイターの言も頷ける。
 ――お前の方が余程、指揮官に向いているんじゃないか。
 ついそんな事を、口走ってしまった。ロックバイターは表情を消して告げた。
 ――教官は中尉だ。
 全てはハリース傭兵養成所で教わった、その時最も多くを学んだのがディベロッパーだった――そう聞かされ、グロムは呆気に取られた。やはりピンと来ない、が。
 ――俺は人でなしだよ。
 そう云ったディベロッパーの、右目のない横顔が思い浮かんだ。
(くそ)
 もやもやする。この落ち着かない気持ちを解消するためにも、奴にはもう少し生きていて貰わなければ。
 ……どのくらい走った頃か。ふとグロムは、耳を動かした。
 エンジン音だ。そしてタイヤが、砂利を噛む音。それも複数の。
 グロムは反射的にスピードを上げた。いずれは追い抜かれるだろうが、距離を稼いでおきたかった。
 〝熊〟の走行速度はかなりのものだ。野生動物の熊でも相当速いが、変身種はそれを何倍も上回る。それでも自動車と競争すれば、最終的には勝てない。しかしこの悪路、それに夜だ。追い付かれるまでには時間が掛かるだろう。それに追い抜かれても、今度は彼らが道案内になる。置いてけぼりを食らわなければ。そのためにも出来る限り、先に行っておきたかった。
 車が近付いて来る。グロムは身を低くして走る。道からは見えないように。ライトがチラチラと、視界の端を掠め始めた。
 車影が三台、闇の中から現れた。
 グロムは身を伏せる。ゴツい四駆が、砂利を跳ね飛ばして走り過ぎていく。グロムは目を凝らしたが、スモーク窓に阻まれて、車内までは見通せなかった。
 テールライトが遠ざかる。追走を開始する。見えなくなっても焦りはない。音は聞こえている。それにタイヤの匂いと痕も。
 グロムは黙々と、四駆を追って走る。

 ――マラキアは軽トラを止めた。時計を見る。アヴァランサと落ち合う予定の、空き地と時間――ぴったりだ。間違いない。だがアヴァランサの車は見えない。そして、車のドアをノックしたのは。
「ロックバイター? 私よ、私。フリード」
 マラキアは窓外を見下ろした。立っていた洒脱な青年に、大真面目な顔で告げる。
「随分声の低い女性だな、と思ってはいたが」
「あら、女性だと思ってくれてたの? ありがと」
 ぱちん、とフリードはウインクする。マラキアはそれにも動じる事なく、問うた。
「で、御婆殿は」
「それなんだけどね」フリードは少し、気の毒そうに答えた。
「先に行ったわ」
 マラキアは一拍だけ沈黙した。
「何だと?」
「絶対、流血を伴う事になるから。人類を連れてく訳にはいかないって。私には、このトラック【だけ】受け取って、後から来いって―― っ!?」
 フリードは仰天した。マラキアがサイドブレーキを外すや、アクセルを踏み込んだのである。砂煙が上がる。フリードは慌てて飛び退いた。トラックは既に動き出している。
「ちょっとおっ!? どこ行くのよ、って尋くまでもないけど、って云うか行くならせめて私を乗せてってよーっ! ロックバイターっ!」
 トラックのテールランプは既に、闇へと消えようとしていた。
〈続〉

■……という訳でやっぱり、1回では終わりませんでしたエピソード4。と云うかもう、素直に連番振れ自分……。
■冒頭でも書きました通り、グロムの設定を灰色熊からヒグマ(厳密には赤熊)にしました。や、灰色熊もヒグマなんですが。グロムの一族はユーラシア大陸発祥で、灰色熊(グリズリー)は北米大陸生息なんで、ちょっと食い違うなと。……適当さがバレます……;
■また新しいキャラが……これ以上増やしたくなかったのに(!?)。ついうっかり名前を出してしまったので、そしたらもう、何かキャラクターを付けたいなと。どうせなら毛色が違うのがいいし。と思って行き着いたのが〝一人紳士淑女〟ってどうなのさ(苦笑)。まあ、活躍するかも知れないし、しないかも知れないし。決めてません(ひどい)
■という事で続きまーす。時間は掛かると思いますがお待ち下さーい!

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