ディベロッパー・ジェネシス/インターフェロン04(中)
すみません、このままでいくと後編がべらぼうな長さになってしまいそうだったので(^_^;)三分割する事にしました。
† † † † †
……重そうな花瓶を前に、曹長は一瞬考えた。生けてある花を、瓶ごと持っていくか。花だけ抜いていくか。考えるまでもなさそうな事だが、とにかく花の量が多い。どちらも大変そうだ。小分けにする手もあるが、その場合――
「何をしている」
傲慢で残忍な、女性の声。曹長は溜息をついた。――持って行く前に見付かってしまった。元より覚悟はしていたが。くるりと振り返り、敬礼する。
「起きておいででしたか、レディ」
「何をしている、と尋いている」
再度問うたイアルナは、大層機嫌がよさそうだった。とは云え、それは、キリを痛め付けた末に得た快楽である。その精神構造には、嫌悪感以外いだけない。そして思う。これを理解出来るようにはなりたくない――と。
「囚人が希望しましたので」
曹長は出来るだけ、平坦に答えた。何でもない事のように。
禁じられているのは、囚人≪キリ≫に食事を出す事、治療する事、部屋から出す事――だ。花を差し入れても、特段問題はない。そう印象付けるためでもあった。そしてイアルナも、それに警戒は持たなかったようだった。ただ。
「ほう。奴が花を? そんな趣味があるようには思えないがな。どういう風の吹き回しだ」
「存じません。ただ、持って来て欲しい、と云われただけです」
これは事実である。他に答えようがない。早く行ってしまってくれ、と曹長は願った。が、やはり、と云うべきか。イアルナは見逃してはくれなかった。口を横に裂いて、にいっと笑う。新しいオモチャを見付けた目。
「面白い。いいぞ、持って行くがいい。ただし私も行く」
やはりか――曹長は内心で呻いた。一応抵抗してみる。
「レディがおいでになっても、何も面白い事はないと思いますが……花ですし」
「黙れ。面白いかどうかは私が決める。さ、持ってお行き」
イアルナが手を貸してくれる筈が、勿論ある訳もないので、曹長は一人で花瓶に手を掛けた。しかし。
「御方様」
――それをキリの許に届ける事は、結局出来なかった。下男が現れ、ザパダ達の帰還を告げたのだ。更に、新たな来訪者の存在も。
その彼らは、下男に続いてすぐに現れた。先頭に立って歩いて来る男の姿に、曹長は慌てて背筋を伸ばした。敬礼する。
「中将閣下……!」
それはジマ・コンジェラーレ――イアルナの伴侶であり、サクルの父であり、モルダニア軍の中将、ザパダ達の上官――であった。
「……貴方」
イアルナは笑った。迷惑そうに。
「どうしてここに? わたくしの邪魔を、しないで戴けるかしら」
「そうもいかないのだ、我が伴侶≪つま≫よ」
ジマはイアルナとは対照的に、杉の木のように痩せた男だった。顔も鋭角的で、表情に乏しい。イアルナは狂気を漲らせているが、ジマはまるで生きながら死んでいるかのような生気のなさだった。彼は抑揚のない口調で告げた。
「その男。クラウド研究所を潰すために、是非とも押さえたい。わかってくれるな?」
「……」
イアルナは針のような瞳孔で、ザパダを見た。ザパダは頷いた。
「恥ずかしながら――中将が非クラウド派とは、存じませんでした」
――アウストルを殺すために、手を組まないか。それにはアウストルの、研究施設≪アジト≫の情報が要る。反クラウド派の将官を探し出して接触し、拠点≪アジト≫情報を掴め――それがキリの〝指示〟だった。その情報収集の途中、自ら接触して来たのが――ジマ・コンジェラーレ中将、彼らの直属の上官だったのである。ザパダ達も驚く他なかった。まさか自分達の足許に、突破口が眠っていたとは。
――ま、気付かなくても無理ないよな。
キリが聞いたら、そう感想を述べただろう。何しろ自分の部下達(の一部)を、伴侶の私情で勝手に使われても、何も云わないような上官なんだから――と。そしてイアルナも。
「……わたくしも存じませんでしたわ。貴方がそんな、【正義】感をお持ちとは。長く生きてみるものですわね」
皮肉の棘を、自分の伴侶に突き刺しておいてから。彼女はくるりと顔をそむけた。
「ですがアレはわたくしの物。わたくしの獲物ですわ。わたくしの可愛いサクルを、見殺しにした。その報いはたっぷりと受けさせなくては。わたくしの気が済みません」
「その事についても、話がある」
――イアルナは音がしそうな勢いで、ジマを振り向いた。血走った目が、大きく見開かれている。
「何ですって?」
「とにかく、彼と話をさせてくれ。お前もそれを聞いておいで。そうすればお前にもわかるだろう。その必要性が」
「わかりませんわね」まず真っ向から打ち砕いておいて、しかしイアルナは妥協した。
「……結構ですわ。ともかく、案内≪あない≫するだけは致しましょう? わたくしもモルダニアに仕える、コンジェラーレ家の一員です」
イアルナは肩をそびやかすと、唐突に歩き出した。ザパダが急いで、ジマを促す。ジマは黙って頷き、伴侶の後について歩き出す。それにザパダ達、下男達も続く。曹長は一瞬迷ったが、結局花は諦めた。この状況では無理だろう。
……暗い廊下を進む。階段を登り、更に廊下を歩き、彼らはサンルームに行き着いた。
大勢の足音が近付いて来るのは、キリにも聞こえていた。
一人は女性、つまりイアルナだ。それに軍靴。ザパダ達が戻って来たか。曹長の差し入れは、間に合わなかったらしい。キリは溜息をついた。
ドアがあく。キリは顔を上げ、――そこに居並んだ顔に、軽く目を瞠った。見た事のない男が一人居る――いや。
「おいおい……親父≪ダッド≫まで参戦かよ、勘弁してくれよ」
それがジマ・コンジェラーレである事に、キリもすぐに思い当たったのだった。
――灌木の下から、グロムは慎重に先を伺った。
エンジンの音と排気熱、ガソリンとタイヤの匂い、轍の跡。それをら追って走って来た。道は枝分かれを繰り返していて、普通に追っていたら振り払われていただろう。変身種の聴覚と嗅覚が物を云った。――それはいいが、
(……何だ?)
グロムは顔をしかめる。道が真っ直ぐ、岩山に続いていたのだ。目を凝らす。どうやらそのまま、岩山の中に入れるらしい。グロムは視線を上げた。岩と岩の間の奥に、窓らしきものが見えた。成程、と感心する。岩の砦か。
グロムは一度引いた。変身を解く。人の指でないと、情報端末を操作するのは難しい。
電源を入れ、ポケットに落とす。これでアヴァランサにも、ロックバイターにも、目的地への〝到着〟と位置が伝わる筈だ。
コンジェラーレ夫妻がゆっくりと、近付いて来る。キリは上体を起こして座り直した。が、そこまでだった。逃げられはしない。三歩の距離を置いて、ジマは立ち止まった。冷たい――と云うのとも違う、乾き切った目でキリを見下ろす。
「君が五十嵐キリか」
キリは黙って、片頬を上げた。返答する気にもなれない。ザパダに視線を移す。
「……で? このダッドが、クラウドのアジトを知ってるのか」
ザパダがそれに、返事をする――前に。
「イアルナ」
ジマがイアルナに呼びかけた。何ですの、と気のない応答をした伴侶に、ジマは棒読みに告げた――
「サクルを殺したのはこの男だよ」
部屋中が凍り付く。キリですら凍結していた。愕然とジマを見上げる。ザパダ達は声もない。イアルナは――
イアルナはすぐには動かなかった。しばらくじっと佇んだ後、妙に静かに。
「……【何】とおっしゃいました?」
不気味な程ゆっくりと云い、イアルナは振り向いた。キリを見下ろす。その背中に向けて、ジマは繰り返した。
「サクルを、手榴弾で吹き飛ばしたのは、この男だ」
イアルナの顔が、コマ送りのように変化していく。口が横に裂けてつり上がり、瞳孔が点になっていく。キリは思わず、後ずさっていた。戦場にあって動じた事など殆どない彼をして、恐怖に駆られずにいられない、そんな変貌だった。ガシャリと足首で、足枷が音を立てる。
「そうか」
しわがれた声が、イアルナの唇を割った。
「お前か。やはり」
手が伸びる。肥えた指。だが爪は尖っている。それがキリの首に向かって伸びて来る――
「【その通りだよ】、【イアルナ】」
――見えていた。ザパダ達には。ジマが軍服の下から、それを抜き出すのを。だが誰も動けなかった。理解出来なかったのだ。ただ立ち尽くす彼らの目の前で。
銃声が轟いた。
ぽかん、とした。キリも、イアルナも。
「……何?」
その呟きは、まるで子供のようだった。イアルナはパチパチとまばたきした後、体を起こした。ジマへと振り向く。
その背中に、赤い染みが広がりつつあるのを、キリは呆気に取られて見上げていた。
「やれやれ」
ジマは溜息混じりに苦笑した。初めて見せた、表情らしきものだった。
「普通なら即死するところなんだが。やはりその肉は厚いか。かえって苦しい思いをさせてしまうな。自業自得だと思って諦めてくれ」
ドン! ドン、ドン!
更に三発。重い銃声が上がる。他ならぬ、ジマの手許から。――イアルナは呆然と、伴侶から向けられた銃口が、銃弾を吐き出すのを見ていた。撃たれた衝撃に、体が小さく跳ねる。見る見る内に、体の前面も血に染まっていく。
「あ……な、た、?」
本当に、わからない――という顔と声だった。実際、全く理解出来ていなかったろう。そんなイアルナに向け、ジマはいっそ、優しい声で告げた。
「困るのだよ。勝手な事をされては」
「……そ、」
「随分と黙認して来たが、もう頃合いだ。退場しておくれ」
「ジ……」
ぐら、とイアルナの体がよろけた。キリはハッとした。慌ててよけようとする、が。
ドサッ!
「っ!」
イアルナの巨体がまともに、キリの上に倒れ込んだ。キリは一瞬、息が詰まって気が遠くなった。肋骨が折れたかと思う、それぐらいの衝撃と重量だった。それでもまだ、イアルナは死んではいなかった。口をパクパクと動かしている。ジマは銃を下ろした。もう撃つ必要はない事を、彼は知っていた。断末魔の伴侶に、追い打つように告げる。
「いい事を教えてあげよう、イアルナ」
「……か……は……」
「蟻地獄≪レウフリカ≫を推薦したのは私だよ」
歯を食いしばって耐えていたキリも、イアルナの影で目を瞠った。
「ウイルスを移動する、と聞いた時。中継地にレウフリカを挙げたのは私だ」
誰もが呆然と、その述告を聞いていた。
「マ……ジ、かよ、」
イアルナを押し退けようとしながら、キリは唸っていた。
「あそこには、あんたの息子が、」
「そうだよ」事もなげにジマは答えた。「だからだ。あの粗忽者ならば、ミスを犯す可能性も高いと踏んだ」
「……」
「クラウドから、そこまでの要求はなかったが。丁度いい機会だった。サクルを消し、ウイルスの進み具合を見るのには」
「……」
もう話そうともしないキリに代わって、ザパダがかろうじて声を発した。
「中将殿……中将殿は、自分の御子息が、死ぬとわかっていて――」
「息子?」ジマは鬱陶しそうに笑った。「息子か。あれが。残念ながらそう思えたのは、乳飲み子の頃だけだな。あれは最早、害悪に過ぎなかったよ。モルダニアにとっても、私にとっても」
「で……すが! レウフリカには、我が軍の将兵が……!」
「全てモルダニアのためだ」
ジマはまるで揺らがなかった。枯木と見えて、実は鋼鉄で出来ていたらしかった。それとももう、向こう側に渡ってしまったのか。
「【それ】は唯一の生き残り、かつ、成功例だ。殺されてしまったのでは困るのだよ、イアルナ」
イアルナの喉からはまだかろうじて、ひゅうひゅうと息が漏れている。命が尽きるまで、時間の問題だった。それでも。
「……、……」
手が伸ばされた。ジマへ向けて。何かを掴もうとする仕種。怖ろしくなる執念だった。そしてジマは、どこまでも乾いていた。
「充分愉しんだろう。もう地獄へ行くといい」
イアルナの腕が落ちた。ひゅう、と、最期の呼吸が吸い込まれた、
キリは、押し潰されそうになっていた手を開いた。
「悪いな、マンマ」
口中で呟く。指先をイアルナに当てる。
「……中将閣下!」
ザパダが耐え切れなくなった。鋭い声で、ジマに詰問する。
「閣下はっ……モルダニアを裏切るのですか! クラウド研究所は、」
「モルダニアを裏切るつもりはない」
ジマは平然と答えた。
「アウストルが裏切ると云うなら殺す。だがその前に、研究は完成させて貰わなければ」銃をホルスターに収める。
「そのためにも〝D〟は必要だ。私が連れて行く」
「……馬鹿な……」
ザパダは愕然と喘いだ。
「では……閣下は、最初からそのつもりで、」
「私の言葉だからと云って信じたのか?」ジマは薄く笑った。「まだ甘いな、ザパダ少尉。修行が足りぬよ」
「あんたもな」
低い声がした。
「っ……!?」
今度こそ、何が起きたのか理解出来なかった。ザパダ達には。
イアルナの遺体が吹っ飛んだ。その下から、何かが飛び出した。豹のように。一直線に、ジマに向けて飛び掛かる。激突する。
「……!」
「――!」
声にならない声。豹――ならぬキリが、ジマを押さえ込んで落とそうとする。だがジマは何と、それをはね除けた。枯木のような初老の男が。キリはそれを受け流し、再びジマを叩き落とそうとした。その眼前に。
パッ!
「――!?」
フラッシュライトだった。完全に虚を突かれた。キリの目は暗がりの中で、瞳孔を大きく開いていたのだ。視界を失って硬直する。それでも、
「っ……」
聴覚を最大限にシフトアップし、掴み掛かる腕をかろうじて躱≪かわ≫す。床に身を投げ出す。一転して跳ね起きる、
「中尉っ!」
ザパダの声。腕と肩を掴まれた。床に伏せさせられる。誰かが覆いかぶさって庇われる、
バタァン! ガシャン!
扉が叩き付けられるように閉まり、更に鍵が掛かる音が響き渡った。
……しばらくの静寂の後。キリの上から、誰かがやっとどいた。キリも起き上がる。まばたきを数度繰り返す。何とか、視力が戻って来た。
「……中尉」
ザパダが目の前にいた。更に、彼の部下の一人。どうやらその部下が、キリを庇ったらしい。正確に云えば、ザパダが庇わせた、のだろう。しかし今、その部下の顔には、恐怖が浮かんでいた。ザパダの顔も強張っている。
「准尉。悪かったな、助かった……」
「中尉」ザパダは硬い声で遮った。「これは、どういう事なんです」
「これ? って、どれ……」
云いさして、キリも気が付いた。ザパダが指し示したものに。
それはイアルナの遺骸だった。――カラカラに乾いて、白化している。更にキリが放り出したため、バラバラに砕けていた。壊れた石膏像のようだ。それに、引きちぎられた鎖と枷。
「一体……何をしたんです? 貴方は……一体、」
言葉が続かない。無理もなかった。キリは一度息を吐くと、軽く首を振った。
「今、説明してる時間はない。後で話すよ。この状況を打開出来たら、の話だが」
キリは立ち上がった。――拷問で負ったダメージの様子は、もう微塵もない。だがかと云って、万全と云えるまで回復した訳でもなかった。一人分の生気を吸収したが、それでやっとプラマイゼロだ。逃げるだけならば問題はないだろうが、
「……コート」
「はい?」
「コートと銃だよ。俺の。ついでに帽子。どこにあるんだ」
銃ならともかく、何故コートと帽子まで――と困惑の表情になったザパダだったが、律儀に答えた。
「下の、我々の詰所です。すぐに取りには戻れません」
「そうか。残念だね」
「何故、コートと帽子まで要るんです」
「そりゃ目印だよ。誤射されたんじゃたまらないからな」
キリは扉を眺めた。――破る事は出来る。だがそれは、ジマも承知の筈だ。何故わざわざ、鍵を掛けた。罠か。罠と思わせて、別のルートへと誘導する策か。
「……ま、仕方ないか」
悩んでも。
キリはサンルームを見回した。窓際に、サンベッドがある。イアルナが使っていたものだ。正直触りたくもなかったが、どうやら物としてはこれが一番大きい。背に腹は代えられない。
「准尉」
「何、でしょう」
「湖にボートは」
その質問だけでザパダは、キリの意図を察した。
「――あります。全員乗れます」
「中将は知ってるか」
「もしかしたら……知らないかも知れません。ここは殆ど、イアルナ様が一人で、使っていました……から」ザパダは自嘲気味に云った。「ひょっとしたら我々の方が、詳しいかも」
「よし」
キリは左目を光らせた。ベッドを掴むと、大きく振り上げる。
「自嘲する事はないさ。その知識を駆使して――お前らは、湖へ行け。船で逃げろ」
キリは思い切り、ベッドを叩き付けた。分厚いガラスへ。
ベッドは角からガラスに突っ込み、半ばめり込んだ。
「……!?」
「まだ近付くなよ。――手袋か制服」
キリはベッドを引き抜いて放り出すと、にゅ、と手をザパダに差し出した。ザパダは慌てて、自分の手袋を差し出した。キリは手袋を嵌めると、ガラスの穴に手を突っ込んだ。端を掴み、ガラスに足を当てる。
バキッ!
梃子の要領で、キリは防弾ガラスを、素手で割り砕いた。どんどん、空間を広げていく。――幾らベッドを使ったとはいえ、亜種の腕力があっての事だった。人類で歯の立つ硬度ではない。
「こんなもん、か」
最後の欠片を蹴り飛ばす。こんなもの――どころか、窓枠一枚分、丸々素通しにしてしまった。ザパダ達は呆然と、それを眺めている他なかった。自分達が手伝える作業ではない事が、理屈でなくわかったのである。キリは彼らを振り返った。
「階段はないが、断崖絶壁って程じゃない。お前らなら降りられるだろう。さ、とっとと行け」
ガラスに触れるなよ、出血してるかも知れないし、ああだから手袋は返さないけど大目に見ろ――淡々とそう告げるキリを、ザパダは凝視した。そして。
「貴方はどうするんです、中尉」
「俺は別口で逃げる。忘れ物もあるからな」
平然と告げ、キリはドアへ向かう。その背中へ、ザパダは声を投げた。
「また貴方は、そうやって」
キリは足を止めた。振り返る。――ザパダの部下達は息を詰めて、上官と(元)傭兵の対峙を見つめている。
「そうやって、自分だけで行ってしまうんですか。また」
「……恨まれるような事かね?」キリは肩を竦めた。「一緒に行く道理はないだろ。どう考えても」
「あの時」ザパダは直線的には答えなかった。「あの時……いえ、あの後。国連軍の中で我々が何と云われたか、御存知ですか」
「さあ?」
「〝傭兵部隊に後を任せて逃げ帰った、役立たずのモルダニア国軍〟」
「ふうん」
気のない口調。ザパダはしかし、冷静だった。
「恨んでなどいません。感謝しています。実際、多くの将兵が命を存≪ながら≫えました。あのまま我々が殿≪しんがり≫を務めていたら、我々にも、他の部隊にも――それこそ貴方の隊にも――どれだけ被害が出たか。対テロやゲリラの実戦に乏しい我々には、どだい無理な役どころでした。腹は立ちますが事実でもあります。甘受する他ありません――ですが」
「俺達も云われたよ」キリは平坦に遮った。「たかが傭兵部隊が出しゃばって、手柄を独り占めした、とか」
「……」
「知った事じゃない。俺達は命令された。それを果たしただけだ。内容が契約条件を越えてたから、ボーナスと危険手当も要求してそれも通った。それだけの事だ」
「……」
「で。あの時の事を引き合いに出して、それで【今】、何をしたいんだ。それをハッキリ云え、准尉」
時間がない。昔話をしている余裕はなかった。結論を要求したキリに、ザパダは答えた。
「戦います。今度は」
「……」
「そうするべきでした。あの時も。ただ逃げるのではなく」
ザパダの意思表示に、キリはしかし――口端をつり上げた。冷笑。
「思い上がるな」
「中尉」
「あの時何で、お前達を離脱させたと思ってる。別にお前らを庇った訳じゃないさ。邪魔だったからだ」
「……それは」
「実戦経験も碌にない、意思統一も取れてない奴らにいられても、迷惑だったんだよ。俺達だけで戦った方が、遥かに効率がよかった。いなくなってくれた方がよかったんだ」
容赦のなさ過ぎる台詞に、ザパダの部下達が気色ばむ。だがザパダは、溜息混じりに。
「わかっています」
「そうかい」
「あの時はわかりませんでした。あれから経験を積んで、部下を率いる立場になって、やっとわかりました。あの時の貴方の行動が、正しかった事も。でも、借りは借りです。返したい。今度こそ」
「じゃあお願いだ。消えてくれ」
笑みさえ乗せた表情で告げられたそれは、かえって無情に響いた。
「何度も云ってるだろ。俺は保菌者だ。お前らを気遣ってる余裕はないんだよ。俺一人なら、何とでもなる。お前らがいたら逆にヤバいんだ。だからさっさと、逃げてくれ。その方が何万倍もありがたい」
立ち尽くすザパダに、「隊長」と部下の一人が声をかけた。あの曹長だった。キリは苦≪にが≫そうに笑った。
「部下の方がわかってるじゃないか。それじゃあな、ザパダ准……少尉。二度と会わずに済む事を願ってる」
キリはドアノブに手を掛けようとして――
ビクッと目を瞠り、肩を跳ね上げた。
灌木の中を這うように進んでいたグロムは、ふとその動きを止めた。
――正面から乗り込む程、グロムも馬鹿正直ではない。こっそり入れそうな場所を探して、移動していたのである。――今し方、来た方を振り返る。何か――おかしな気配が――それも沢山――
「中尉?」
ザパダの呼びかけも、半ば耳に入っていなかった。キリは目を見開いて硬直していた。全身、総毛立っている。――彼は拳を握り締めると、ザパダ達を振り返った。
「逃げろ今すぐ! 早く!」
……トラックが数台、城の中へと乗り付けて止まる。ドアが開けられ、中から次々と人が飛び降りる。その風体は、一様ではなかった。兵士、農夫、作業員、何とスーツ姿もいた。ただ一つ、いや、二つの共通点は。
死人のような青白い肌と、凶々しい赤い目。
「中尉……!?」
「俺と同じ連中だ! 銃は効かない、とにかく逃げろ! もし誰か感染しても――」
キリは凄惨な目付きで告げた。
「助けようとは思うな。見捨てろ」
全員声を失くす。キリは扉に向き直った。
「警告はしたぞ。後は自分の裁量で動け。じゃあな」
云うや否や。
ガアン! キリはドアノブを、思い切り蹴り付けていた。ドアが一瞬で吹っ飛ぶ。ザパダ達が呆気に取られた時、キリの姿は既に消えていた。
「隊長……」
部下の一人が、ザパダへ呼びかける。ザパダは首を振って、自分を持ち直した。
「わかっている。逃げるぞ」
キリは階段を駆け下りた。詰所へ向かう。詳しい場所は聞いていないが、今のキリの視覚と嗅覚なら、痕跡を辿るのに雑作はなかった。
気配が近付いて来る。じわじわと。時間がない。
体当たりするように、ドアを開ける。――詰所だった。ビンゴだ。いかにもザパダが指揮する隊らしく、几帳面に整理整頓されている。キリは室内を一瞥するや、迷いなくキャビネットを開けた。コートとハンチング、デザート・イーグルとナイフが入っていた。
手近なロッカーを開ける。Tシャツを一枚、拝借する。拷問でボロと化していたシャツから着替え、銃とナイフを身に着け、コートを羽織って帽子をかぶる。ついでに、ガラスで破れた手袋も捨て、新品を嵌める。更に幾つか、装備をポケットに落とす。ここまで一分と掛かっていない。
――来た。
ドアからチラリと、赤い目が覗いた。同時に引鉄を引く。
重低音が響く。様子を伺おうとしていた先兵は仰け反って倒れた。――キリは鎧戸を引きちぎった。現れた窓を、肘で一撃する。一発で割れた。一挙動で、窓枠に足を掛けて飛び上がる。
ゴウ、と風が吹き上がる。キリは躊躇しなかった。窓枠から身を乗り出すと――手を伸ばした。【上】へ。
「……!?」
その光景に、グロムは唖然とした。
――銃声が聞こえた気がした。反射的に振り向き、視線を上げた。すると岩山の一部が吹き飛んだ。ように見えた。一拍の間で、窓が割れたのだ、と悟る。そこから何か出て来た。豆粒ほどの大きさにしか見えない。グロムは視覚と嗅覚を最大限に働かせ、それがヒトである事を察知した。更に。
「ディベロッパー……!? って、おい!?」
コートとハンチングのシルエット。それが高い階から身を乗り出した事にも驚愕したが、それが何と、【上】へとロッククライミングを始めたのである。グロムは呆気に取られる他なかった。下るならわかる。何故上だ。
「何を考えてるんだ、あの馬鹿っ……」
グロムは呻きながら、走り出そうとして――急ブレーキをかけた。ディベロッパーが、一階上の窓に辿り着くや、中に転がり込んだのである。もう、あの場に行っても無駄だ。グロムは咄嗟に考える。どこに向かうべきか――
部下を先に行かせ、隊列の殿で、ザパダは急斜面を降りていた。――先頭が無事、地表に降りた、と伝言が来る。ザパダは頷いた。慎重に、しかし素早く、自分も降りていく――と、
遠くで何かが壊れる音。
窓の破砕音だ。ザパダは視線を伸ばした。――壁から誰かが身を乗り出し、岩を【登り】始めた。それにはザパダも、一つ下にいた曹長も、唖然とした。何で【登る】?
「隊長……あの人は、まさか、」
曹長が囁く。ザパダは強張った顔で、喉を上下させた。
――ライトだけを頼りに、マラキアはトラックを疾走させる。グロムから送られた座標は、既にナビにセット済みだ。暗い森の中、悪路をものともせずに突っ走る――
「!?」
一瞬ギョッとした。前方を何かが横切ったのだ。咄嗟にブレーキを踏んでいた。砂利を跳ね飛ばして停車する。
「何だ?」
しかし既に、それは走り去った後だった。マラキアが訝りながらも、ブレーキを緩めようとした時。
「ちょっと! ちょっと、ロックバイター!」
流石に驚いた。助手席側を見る。窓の向こう、逆様に車内を見ているのは。
「……仲介屋殿?」
フリードだった。
マラキアは急いで、助手席のロックを外した。ドアを開ける――前に、フリードが自ら、ドアを開けていた。運転席の屋根から。逆懸垂の要領で、見事に助手席に収まる。
「ああ、大変だった。さ、いいわよ。レッツゴー」
「……まさか」マラキアもこれには呆れた。「ずっと屋根に、貼り付いていたのか」
「そうよ。これでも鬼族ですから。ああ~、髪がボサボサ」
フリードは服の埃を叩き、髪を手櫛で直している。洒脱な青年には、耐え難いに違いない。マラキアは尋いた。
「では、さっきの奴を、見たか」
「ええ」フリードは頷いた。「見たと云うか、感触だけど。人類じゃなかったわね。亜種でもなかった。――と云うか、生き物の気配がしなかった」
「では……」
形は確かに、ヒトのように見えた。ヒトの形をしていて、生命の気配のないもの――と云えば。
「人形でしょうね。ドクター・オクトパスの手先≪リンガーウ≫」
フリードの声が、ひどく暗くなる。マラキアは、一度引いたサイドブレーキを下ろしながら。
「恨みがあるのか。カリガリ博士に」
「……ええ。家族を殺されてね」
「そうか」
マラキアはギアを入れた。アクセルを踏み込む。
「人形か――何のために」
「コンジェラーレって人がオクトパスと繋がってないなら、偵察ね。繋がってるなら見張り」
――イアルナとジマとアウストルの関係など、マラキア達には知りようがない。イアルナが私憤でキリを捕えたところまではともかく、ザパダが反アウストル派を探し、連れて戻ったジマが実はアウストルと通じていて、患者――と云うより〝人造鬼族〟か――の部隊を密かに呼んでいた、などと、複雑怪奇過ぎて想像の外だ。ともあれ。
「カリガリ博士の兵力も居ると思った方がいいな」
「賛成だわ。早くしないと、連れてかれちゃうかも」
「仲介屋殿。云っておくが」
「わかってるわよ。前線には出ないんでしょ? 私だって命は惜しいもの。でもねえ、現場行くだけで既に危険度一〇〇%だと思うんだけど。貴方の場合特に」
「俺もそうは思うが、中尉のフォローをするには現場に行く他あるまいが。それが俺の役目だ」
「随分入れ込んでるのねえ。そんなにいい男なの? ディベロッパーって」
「いい男かどうかは何とも云えんが」マラキアは前方に目を凝らす。「あれと戦っている時が一番楽しかった。――楽しかった、と云うと語弊があるか。充実していた、と云えば近いか?」
「なーるほど」フリードは頷いた。「わかる気はするわ」
そこでフリードの顔が引き締まった。斜め前を指差す。
「あれだわ。あの岩山。妙な気配が集まってる。沢山!」
〈続〉
■後編との食い違いが出た場合は、遡って修正します。
■ほんと、何でこんなにザパダが出張ってるんだろう ヾ(;∀;)ノ すまんグロムー。見せ場は考えてあるよ! 一応!(おいこら)
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