森見登美彦氏とわたし【聖地に住む編】〈新釈〉走れメロスの巻

京都には桜の名所がいくつもある。
蹴上インクラインの桜のトンネルもよく知られているし、円山公園は桜の季節となれば黒山の人だかりだ。谷崎潤一郎「細雪」でも言及される平安神宮の枝垂桜は言うまでもない。賀茂大橋近くの鴨川沿いにも桜並木が続き、学生たちが花見の宴を貼る。
その中から「哲学の道」の桜並木を取り上げてみる。

私は京都と東京の遠距離恋愛がうまくいかず、パートナー宅へ転がり込む形で京都へ移り住んでゼロ距離恋愛を開始した。
ある春の日、パートナーと花見に行こうという話になった。交際が始まってからいくつもの春を過ごしたのに、二人で花見をしたことがなかったのだ。

初めての花見は、哲学の道を選んだ。
銀閣へ向かう参道の人の多さに圧倒されたのを覚えている。

当時の僕は、憑りつかれたように文章を書いていた。書くことはいくらでもあったのだ。

昼間に見た桜だけでは飽き足らず、パートナーを連れ出して、夜の哲学の道を歩いた。
太い桜の木の陰から、腰の曲がった老爺が顔を出したときは心臓が止まった。

明くる夜もパートナーを連れ出して哲学の道を歩き、並んでベンチに腰掛けながら二人でタバコの煙を吐いていた。

そうやって、誰も触れない二人だけの小さな国に閉じこもっていたのだと思う。
二人だけでいつまでも生きていける、そんな根拠のない感情を抱いていた。

そんな当時の私は、書きたいものと書く意欲だけは満ち溢れていたのに、作品そのものが日の目を見ることはなかった。
今にして思えば、作品に描いていた世界が、あまりにも小さく狭すぎたのだ。

いつしか、彼女との日々が終わり、それから少しずつ創作仲間ができた。
仲間と切磋琢磨することで、自分の力がついていくことが感じられた。

それから幾年もかけて、自分なりの結果が出るようになった。
ほんのここ数年のことだ。

彼女との別れがあったからこそ世界は広がった。
けれど、描いているのはあの頃の狭い世界のことばかりだ。
あの時間は無駄じゃなかった。そう信じて今日も作品を作り続けます。

次回、『森見登美彦氏とわたし【聖地に住む編】宵山万華鏡の巻』

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