7時30分発のトッキュウジャー

日々の気持ちを上げるために、久しぶりにTTFCで特撮を観ようかなと思って、烈車戦隊トッキュウジャーを見始めました。


イマジネーションはお祈りじゃない

トッキュウジャーが放送されていた当時も、既にいわゆる東映作品のニチアサは観ていましたが、生活のリズムから視聴できずに録画が延々溜まっている状態で、ついにそのまま観ないままになっていました。
そして、ついにその時が来たと思って、いざ見始めましたが、OPの「7時30分発」というナレーションにやられてしまいました。ニチアサのスタートが8時30分になったのはいつからだったかなあと、時の流れを感じました。

閑話休題。

今視聴しているのは15話くらいまでですが、まんまとハマってしまいました。子どもにしか見えないもの、イマジネーションのコンセプトが、あまりにストライクど真ん中で1話からやられてしまいました。最近だと、キラメイジャーを思い出しますね。想像力は、いつだって自由で無敵であってほしいですからね。その気持ちは、子どもも大人も関係ないし、自分の場合は大人になってからの方が強くなっている気がします。

そんな中で、特に刺さるエピソードがありました。
第10駅「トカッチ、夕焼けに死す」

トッキュウジャーの烈車が見えない子どもが、トカッチとの出会いを通じてイマジネーションを取り戻すお話でした。その中で、その子どもに対してトカッチが言っていた台詞が良かったですね。

イマジネーションはお祈りじゃない

なりたい自分になることや、何かを成し遂げるためには祈っているだけでは駄目で、その想いを一歩進めて、自分から行動をしないといけないのですね。それは自分も知っているつもりでしたが、改めてハッとしました。これを早々に教えてくれるトッキュウジャー。ありがたいですね。

大人のフリ

作品のコンセプト上、子どもと大人の対比が描かれています。闇の皇帝が初めてお出ましになったエピソードでは、シャドー怪人によって、ライト以外のトッキュウジャーが、トッキュウジャーのことを忘れて大人として社会に溶け込んでいる姿がありました。それぞれの道を歩いているのは良いことですが、イマジネーションを忘れた姿は寂しいものです。

そうはいっても、大人になってしまうとイマジネーション一辺倒では行けないのが悲しい現実です。それに押しつぶされないためにと見始めた作品が、このトッキュウジャーだったという訳です。

子どもと大人というと、しゅごキャラ!を思い出します。特に、二階堂先生は、子どもの頃に夢見る心を失ってしまったまま大人になったキャラクターでした。後に改心し、それを観た感想も過去のnoteに書いていました。「トカッチ、夕焼けに死す」を観ているときに、そのことが頭をよぎって、改めて、この手のストーリーに弱いなと思いました。

社会に出る以上は、自分の中の子どもと大人が対決し続けるのかもしれません。特撮から離れてしまう時が来るとしたら、”大人”が優勢になってしまうときでしょうか。それまではせいぜい、大人のフリをしながらなんとかやっていきましょう。

終わりに

不思議なもので、トッキュウジャーを観ていると、メンバーが友だちのような感覚に陥ります。これを観ているときは童心に戻っていられる。それがまた明日を踏ん張る気持ちにさせてくれます。

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