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魔女と狼男の正体

「シャーマンと伝統文化の智恵の道」に書いた文章を少し編集して掲載します。


中世から近世のヨーロッパで誤解され、弾圧された「魔女(ウィッチ、ウィッカ)」の宗教は、「魔女宗(魔女術、ウィッチクラフト)」と呼ばれます。

ですが、「ウィッチ(witch)」という言葉には「妖術師」というニュアンスがあるのに対して、「ウィッカ(wicca)」は、「賢い女性」という意味で、ドイツでは「ヴァイズ・フラウ(weise frau)」と呼ばれます。
また、イタリア北東では「ベナンダンティ(良き道を行く人達)」とも呼ばれました。

「魔女宗」の正体は、キリスト教以前のケルトやゲルマン・北欧神話などの宗教的儀式や呪術的医療などを受け継ぐものです。
そして、そこには、アルタイやシベリアなどのシャーマニズムからの強い影響があります。

つまり、魔女は、伝統宗教の司祭であり、シャーマン的存在だったのです。

キリスト教は、「魔女宗」を「サタニズム(悪魔崇拝)」だと貶めましたが、実際は、「ペイガニズム(異教)」でした。


魔女宗の中心テーマは、豊穣な自然の循環・再生です。

トランス状態で地下冥界に行き、悪霊達と戦って穀物の種(穀霊)を持ち帰る、というユーラシア各地で見られるシャーマンの新年儀礼などに、魔女宗の原型的な姿を見ることができます。

ですが、彼女・彼らはそれとは少し違って、自然の豊穣を守るために、神々を助け、悪い神霊と戦う存在でした。

ヨーロッパ中世には、男女別々の魔女宗の秘密結社がありました。

魔女達はベニテングダケや麦角などの幻覚性の飲食物をとったり、体に軟膏をぬったりして、シャーマンのようにトランス状態になりました。

また、魔女達はシャーマンと同様に、パワー・アニマル(スピリット・ヘルパー)に変身したり、それに乗ったりして霊的世界に飛びます。
女性の魔女は、女神フレイヤに仕える動物である猫や兎に乗ることが多かったようです。

箒に乗って飛ぶこともありましたが、これは、アルタイ/シベリアのシャーマンが、馬を模した棒に乗ることから来ています。
アルタイ/シベリアのシャーマンは、馬の霊に乗って天に駆け昇ることを、馬の毛や頭を模したものを先端につけた棒に乗ることで、象徴的にパフォーマンスしたのです。

魔女は、これを出産の象徴でもある箒に替えたのです。
ですから、正しい箒の乗り方は、掃く部分を頭にして、柄に軟膏を塗るのです。


魔女達が行った行為は、地域によって差があります。

ヨーロッパの北方では、魔女は飛行する者というイメージが強く、個人主体で、男性中心、狩猟文化の影響を大きく受けています。

一方、南方では、魔女は魔術師、占い師というイメージが強く、集団行動主体で、女性中心、農耕文化の影響を大きく受けています。

女性の魔女は、ヨーロッパの西部では、女神(ディアーナ、ペルヒタ、ホルダ、フレイヤなどの各地の月神や豊穣神、地母神など)が動・植物を再生させるのを助けたり、悪い魔術師達が麦の芽を奪ったのを取り返したりしました。

一方、東部では、魔女たちは女神に付き添って巡り歩きました。

男性の魔女は、オオカミに変身したり、地下世界に降りたりして、男神(ヴァータンのような主神や、月女神の夫である有角神など)が豊穣を害する悪魔達と戦うのを助けたりしました。
これが「狼男(狼憑き)」の本来の姿です。

また、男神が率いる死者の群れに関わる場合もあります。
これらの集団は、「狩猟」とか「軍勢」、「結社」などと呼ばれました。

その背景には、ヴォータンのような天の主神が、嵐の夜に死霊の群れを引き連れて「狩り」をして暴れるといったゲルマンの死霊信仰があります。
一方、年末などに祖霊がやってきて、悪霊(死霊)を追い払い、年を更新して新年を祝う信仰があります。

死霊の群れは、魔女にとっては、戦う、あるいは、導くべき存在のはずです。

魔女の集まりは、「サバト」と呼ばれましたが、この言葉のもともとの意味は、ユダヤ教の「安息日」、イタリア語では「土曜日」のことです。
「サバト」は、シャーマン的魔女達がトランス状態で、魂の世界で、もしくは、現実世界で集まって行うものでした。
これは、キリスト教以前の伝統的な農耕・狩猟儀礼の秘儀的な部分です。

「サバト」には、一ヶ月毎に行うものと、一年の祝祭として4-8回行うものがありました。
イタリアの「ベナンダンティ」は、年に4回、悪い魔術師達(マランダンティ)と戦いました。


主要参考書
・「闇の歴史」(カルロス・ギンズブルグ)
・「ベナンダンティ」(カルロス・ギンズブルグ)
・「魔女とキリスト教」(上山安敏)



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