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秘儀宗教としてのキリスト教

「神秘主義思想史」に書いた文章を転載します。


「死して復活する救済の神」というキリスト教のイエス像は、ユダヤ的伝統には存在せず、そこにはオリエント・ギリシャの秘儀宗教からの影響もあったと推測されます。

キリスト教は信仰だけではなく、「洗礼」と「聖餐」という秘儀(秘跡)を行うことによって救われると考えましたが、ここにも秘儀宗教の影響を考えることができます。

ですが、正典福音書も含めて、福音書にはこの2つの秘儀以外にも他の秘儀を明記したり、ほのめかしたりするものがあります。

例えば、正典ではありませんが、キリスト教グノーシス主義のヴァレンティノス派と思われる『フィリポ福音書』は、「洗礼」、「塗油」、「聖餐」、「救済(解放)」、「花嫁の部屋」という5つの儀式をあげます。

初期のキリスト教の中には、秘儀宗教やグノーシス主義の影響を受けた秘教的集団があったことは確かです。


洗礼と聖餐


キリスト教の、聖水を振り掛ける「洗礼」の秘跡は、直接的にはユダヤ系のクムラン教団や洗礼者ヨハネに由来しているでしょう。

「洗礼」は一種のイニシエーションですが、それは不死性と復活の霊を与えるものです。

ですが、洗礼者ヨハネの流水に浸かる一度きりの洗礼の方法は、秘儀宗教が行っていた方法でもありました。

パンとワインの「聖餐」の秘跡は、直接的にはクムラン教団に由来するのかもしれませんが、その本来の意味は、ゾロアスター教に由来する終末時に永遠の生命を得る饗宴の先取りです。

ですが、パンとワインをイエス(死して復活する神)の肉と血と見なすという見方は、秘儀宗教の思想で、その本質は、神への一体化、神の受難の追体験です。


復活儀礼と塗油


4つの正典福音書に書かれる「塗油(注油)」にも、秘儀宗教の影響を読み取ることができます。

細かい違いはありますが、正典福音書ではベタニアのマリアがイエスに「頭に注油」、もしくは「足に塗油」します。

男性の弟子達はこれらの行為の意味を理解できませんが、イエスはこれが「埋葬の準備」としての重要な行為であると述べます。

ユダヤ語の「メシア」とギリシャ語の「キリスト」は「注油(塗油)された者」という意味です。

注油する者は一介の女性ではありえません。

キリスト教グノーシス主義では、至高神が独り子に「塗油」してキリストにします。

足への「塗油」はユダヤにおいては、埋葬の習慣です。

ですが、ベタニアのマリアはイエスが生きているうちに行っています。

グノーシス主義では、葬儀においても「塗油(注油)」が行われましたが、それは神の元に戻るためのものでした。

エジプトでは「塗油」は復活への呪術であって、イシス女神がオシリス神を復活させた神話に由来します。

ですから、イエスをめぐる「注油」や「塗油」の背景には、女性が司祭的な役割を行う復活の秘儀の観念があるのではないでしょうか。

正典福音書では、男性の弟子ではなくマグダラのマリアら数人の女性だけがイエスの十字架上の死と埋葬に立ち会います。

そして、彼女は復活したイエスを最初に目撃します。

この「死と復活」は、ベタニアのマリアの「塗油」と一連の意味を持っているのでしょう。

つまり、マリア達は、イシスらエジプトの女神がオシリスに対して行った死と復活を司る秘儀的な女性司祭の役割を、イエスに対して行ったと解釈できるのです。

エジプトではイシスとネフティスという2人の女神が死者の頭側と足側に立ち、死者は彼女らによってオシリスとして復活します。

『ルカ福音書』では「輝く衣の2人」、『ヨハネ福音書』では「白衣の2人の天使」が墓場のイエスの側に登場し、後者の2人の天使もイエスの遺体の頭側と足側に立ちます。

これら福音書に登場する2人(の天使)の意味は、女性司祭の役割を果たした「マグダラのマリア」ら2人の女性に降りた女神イシスとネフティスとして解釈することができます。

ですが、『マルコ福音書』では「白衣の若者」、『マタイ福音書』では「白衣の天使」が一人だけで登場します。

秘儀宗教的な解釈では、これらは復活した神、霊魂の本来的な神性の象徴で、「若者(子供)」というのは多くのオリエントの秘儀宗教の復活する神の性質と共通します。


インナー・サークル


イエスの最初の弟子達が持っていたと推測される語録福音書「Q」によれば、イエスの教えはギリシャ哲学のキュニコス派の思想に近いもので、宗教ですらありません。

イエスが秘儀的な思想を持っていて、一般信者と別に、一部の秘儀伝授を受けたインナー・サークルの弟子達がいた証拠はありません。

ですが、その一方で、このように正典福音書にも秘儀宗教の影響があるので、少なくとも後の信者達の間には、秘教的に解釈した者がいたことは確かです。

正典福音書の著者が意図して創作したのか、他の資料から取り込んだのかは分かりませんし、その意味をどれだけ理解していたかも分かりません。

ですが、インナー・サークルのメンバーとされたのは、マグダラのマリア、ベタニアのマリア、そしてサロメ、ラザロ、トマスらであって、ペテロ、ヤコブ、マタイなどのキリスト教教会が権威の源泉とした人物や正典福音書の著者達ではありません。

秘教的な信者からすれば、イエスの十字架上の死と復活は、秘儀宗教が秘儀として上演してきた儀式を、公開して現実に実行したものです。

そして、イエスとインナー・サークルの弟子たちが、これを仕組んだのです。


聖婚儀礼と花嫁の部屋


正典からはずされたグノーシス主義系の『トマス福音書』ではサロメが、『フィリポ福音書』や『マリア福音書』ではマグダラのマリアが、イエスの性的パートナーであるとほのめかし、また、「花嫁の部屋」と呼ばれる秘儀についても書いています。

これは、単なる性的なパートナーではなく、「聖婚」に関わるような秘儀的なパートナーという意味です。

ヘレニズム期のオリエント系の女神の神殿には、女神に仕えその化身とされる神殿付属の「聖娼」がいました。

彼女達は一種の女性司祭であって男性信者に「塗油」と性的な儀式を行うことによって、女神の神性を男性信者に与えてイニシエーションを施しました。

秘儀宗教的には、女性の性的パートナーは、女性司祭として「聖婚」の儀礼によって霊性を与える役割です。

その逆に、キリスト教グノーシス主義では、女性は堕天して人間の中に堕ちた神性である「ソフィア(智慧)」の象徴であり、「娼婦」とも形容されます。

そして、イエスは、それを啓示して救う存在です。

キリスト教からグノーシス主義の始祖とされるシモン・マゴスは娼婦ヘレナを連れていましたが、この二人はこの関係にあります。

ヴァレンティノス派グノーシス主義が行っていたとされる「花嫁の部屋」の秘儀は、どのようなものか分かりません。

ですが、神話的には、人間の霊魂が、その本来的な神性への認識を得て、神の世界(プレローマ)に戻り、天使とカップルになって一体となることを意味します。

これは、両性具有的存在に戻ることでもあります。

性的儀礼や、接吻儀礼だった可能性もありますが、葬儀として行われたようです。

ですが、いずれにせよ、神的な女性原理を顕現・復活させる秘儀であるという点で、本質的には同じです。

ですから、イエスに対してマグダラのマリアらが行った「塗油」は「聖婚」と等価です。

マグダラのマリアは、女性蔑視の強い正統派のキリスト教会から逃れて、南フランス地方へと伝道したという伝説があります。

そうでないとしても、実際にこの地に、マグダラのマリアを信仰する一派が存在しました。

この派は、イシスなどのオリエントの女神を受け継ぐ「黒い聖母像」を持つという特徴を持っています。



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