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日本の思想と宗教

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日本の思想と宗教に関する文章を集めました。主に自分の書いたブログから転載、編集した文章ですが、NOTEオリジナルな文章もあります。
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記事一覧

竹取物語の宗教観と月女神信仰 2(平安期の神道から)

「竹取物語の宗教観と月女神信仰 1(古代の神仙信仰から)」に続く後編です。 神道の成立1:清穢観と物忌 現代に続く神道は、その浄穢観と、穢れを祓う物忌の制度として、奈良時代後半の8Cの末ころまでに成立しました。 これは、光仁天皇以降のことで、天皇の系譜が、天武系から天智系に代わってからです。 天武が大きく導入した仏教や道教の要素に対して、神道はその影響を受けつつも、それらを分離して確立しました。 この新しい神道の浄穢観は、神祇信仰の古くからの素朴な浄穢観に、仏教の戒律

竹取物語の宗教観と月女神信仰 1(古代の神仙信仰から)

これまで、月信仰に関わる投稿を数本していますが、今回は「竹取物語(竹取、竹取の翁、かぐや姫)」の宗教観と月信仰、そして、その隠されたメッセージをテーマにします。 かぐや姫を迎えにきた月の都の「王と覚しき人」が、かぐや姫に対して敬語を使っているので、かぐや姫は、ただの月の仙女の類ではなく、月の最高女神に相当するような存在であることが分かります。 ですから、「竹取物語」は、月女神信仰をテーマにした物語です。 「竹取物語」は、日本最古の物語とされ、登場人物たちの感情が豊かに描

仏教と野生の思考:中沢新一と清水高志の対称的アプローチ

中沢新一は、仏教と、レヴィ・ストロースの言う「野生の思考」、あるいは、「神話論理」とに共通する土台があると主張しています。 また、清水高志は、仏教哲学に、「野生の思考」と同種の思想があると主張しています。 両者は、ともに仏教と「野生の思考」の関係について論じているのですが、両者のアプローチはまったく対称的です。 本稿は、この違いをテーマにします。 一言で言えば、中沢が非言語的な心の働き(無分別智)を重視して、仏教と「神話論理」の違いを主張しているのに対して、清水はそれにつ

消された月神信仰:筑紫、出雲、丹後、伊勢…

現在、皇祖神はアマテラスとされていますが、記紀を読めば、いくつかの箇所でタカミムスヒが主神のような働きをしていて(例えば日本書紀本文ではタカミムスヒが天孫降臨を司令している)、皇祖神はもともとタカミムスビだったということを、多くの論者が指摘しています。 また、田村圓澄によれば、記紀のアマテラス像は、天武期に説かれるようになった、護国の経典「金光明経」の太陽のように輝く仏の影響を受けています。 この時期、白村江の戦いの敗戦の責任のない新しい神が求められたこともあります。 ま

荒ぶる神の変容と解放:スサノオとヤマタノオロチ

「荒ぶる神の変容と解放:荒神と金神」に続く投稿です。 この稿では、「荒ぶる神」である、スサノオを中心に、その敵役だったヤマタノオロチも含めて、その変容と解放を扱います。 スサノオは、本来は「荒ぶる神」ではなったようです。 ですが、記紀神話が語るスサノオは、天つ神であるのに、悪神のような「荒ぶる神」の側面を持っています。 ヤマタノオロチも、ただのオロチではなく、その背景に、「荒ぶる神」、「国つ神」の側面を持っています。 そのため、中世でも、近代でも、人々の創造力を刺激し、

荒ぶる神の変容と解放:荒神と金神

映画「ゴジラ-1.0」の評判が良く、日本だけでなく海外でも興行収益を伸ばしています。 この映画が描くゴジラについては、自然からのしっぺ返しの象徴だとか、戦没者の怨霊の象徴だとか、戦争や原爆災害の象徴だとか、いろいろな解釈がなされています。 実際には、様々なものの複合的象徴なのでしょう。 いずれにせよ、監督は、ゴジラを神々しく、恐ろしい存在として描いたと語っています。 また、ジブリ映画「もののけ姫」に登場した「タタリ神」にも喩えています。 日本人は、古代から、こういった、

鈴木大拙の日本的霊性と即非の論理

「神秘主義思想史」に書いた文書を転載します。 この投稿では、鈴木大拙の禅と真宗(浄土教)の解釈、そして、「日本的霊性」という言葉で、戦中・戦後の日本に対して彼が伝えようとした思想についてまとめます。 *下記ページもご参照ください。 禅 大拙の代表的な研究分野は、なんといっても禅です。 大拙は、渡米中の1927年から1934年にかけて、英文の「禅仏教のエッセイ」シリーズを3冊出版しました。 帰国後も、東方仏教徒協会から禅に関する英文の書の出版を継続しました。 これら

中沢新一の流動的知性とレンマ的知性

「神秘主義思想史」に書いた文書を少し編集して転載します。 このページでは、中沢新一が2000年以降に、マテ・ブランコや山内得立に影響を受け、「流動的知性」や「レンマ的知性」といった概念を使って語っている思想についてまとめます。 *中沢新一の初期の思想については、下記をご覧ください。 流動的知性と対称的思考 中沢は、5巻本「カイエ・ソバージュ」の頃から重要な概念として「流動的知性」を使うようになりました。 そして、その特徴を、チリ出身の精神分析学者マテ・ブランコの言葉

井筒俊彦の東洋哲学

「神秘主義思想史」に書いた文章を転載します。 井筒俊彦は、近代日本の最大の思想家であり、世界で最も有名な日本の哲学者の一人であり、現代的な意味で、プロティノス、イブン・アラビーらを継承する神秘哲学者であると言っても過言ではありません。 一般に、井筒は、イスラム哲学の専門家として知られていますが、彼は、言語哲学者として、「意味」が消滅し、「意味」が生まれる深層意識における神秘体験を焦点にして、哲学、宗教、言語学、詩学、文学、文化人類学などの領域を越えた研究を行いました。

西田幾多郎の絶対無の哲学

「神秘主義思想史」に書いた文書を転載します。 初めて日本独自の哲学を生み出したと言われる西田幾多郎は、参禅によって得た「見性」体験をもとに、東洋の無の思想を西洋哲学の枠組みを使いながら哲学化しました。 西田哲学の特徴は、「無」を「一般概念(概念的一般者)」として理解し、そこからの創造を、自己限定的、相互否定的、弁証法的なものとして理論化したことでしょう。 さらにそれは、華厳教学の事事無礙の世界を、主体性を持った個人による、歴史・社会的で物質的な創造として描くものでした。

折口信夫の産霊信仰と鎮魂法

「神秘主義思想史」に書いた文章を少し編集して転載します。 折口信夫は、民俗学、国文学、あるいは、神道学、古代学、芸能史学の学者であり、その総合的で独特な学問は、「折口学」とも表現されました。 彼は柳田国男と並んぶ民俗学の創始者ですが、彼にとってそれは新しい国学であり、彼は最後の国学者でもありました。 また、折口は、釈迢空と号した歌人であり、小説家でもありました。 折口の学問に対する姿勢は独特で、コカインを服用して、古代人の思考方法や世界観を体験的に理解しようとし、直観

折口信夫の「死者の書」と神道の宗教化

「神秘主義思想史」に書いた文章を転載します。 このページでは、折口信夫が唯一完成させた小説「死者の書」と、戦後に主張した神道の宗教化、産霊神の一神教について取り上げます。 それは、折口が考えた、古代と未来をつなぎ、神道、仏教、キリスト教を総合しつつそれらを越える、普遍的な宗教とは何か、という問題です。 死者の書 「死者の書」は、折口が「釈迢空」名義で、完成させた唯一の小説です。 この小説は、1939(昭和14)年に連載され、その4年後に、構成を変えて第二稿として出版

古神道の言霊学

「言霊学」は、国学や古神道、霊学の中でも、重要な分野の一つです。 「言霊学」は、神秘主義的言語観によって、日本の五十音の意味や、その宇宙生成論的役割を研究するものです。 このページでは、少し長くなりますが、「言霊論」とは何かについて、そして、主要な言霊家である山口志道、中村孝道、平田篤胤、大石凝真素美、川面凡児、出口王仁三郎の言霊論を簡単に紹介します。 言霊学とは 国学が古語や五十音の研究をしているうちに、秘教的な傾向を強める中で、「言霊学」が生まれました。 古神道、霊

大本教の隠退・贖罪神話

「神秘主義思想史」に書いた文書を少し編集して転載します。 大本の神話、教義の特徴は、隠退させられていた神が復帰して理想の国を作る、という救済神話です。 これは半ば終末論的です。 これを担うのは、「艮の金神」こと「(大)国常立尊」です。 また、これと重なるような、贖罪を負って隠退していた神が救世主として理想の国作りを助けるという神話があります。 これを担うのは、「素戔嗚尊(須佐之男尊)」です。 このページでは、これらの神話の要点を中心に簡単に紹介し、考察します。 ですが