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日本古代史(九州王朝説を中心に)

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自分が書いたブログから転載、編集した文章です。
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#吉田武彦

九州王朝論の20の主な主張

「九州王朝論の比較」に書いた文章を転載します。 九州王朝論は、論者によって様々な違いがありますが、このページでは、九州王朝論に独自な、20の主な主張を紹介します。 大まかに言えば、白村江の敗戦まで、あるいは、大宝律令による律令国家としての日本国が始まる以前においては、倭国を代表する王朝は九州にあったとするのが、九州王朝論です。 九州王朝論の主な論者には、「筑紫一元論」の古田武彦、古賀達也、大下隆司、「筑豊二元論」の福永晋三、兼川晋、室伏志畔、「筑肥二元論」の佃収、「筑奈

邪馬台国の大和説が成立しないことの本当の意味

関川尚功氏の「考古学から見た邪馬台国大和説 畿内ではありえぬ邪馬台国」(‎梓書院、2020)は、考古学的に見て、邪馬台国大和説(纏向遺跡=邪馬台国の中心地説、箸墓古墳=卑弥呼の墳墓説)が成り立たないことを論証した書です。 関川氏は、橿原考古学研究所などで、50年に渡って大和の発掘調査の第一線で活躍してきた人物ですので、この書が出版された意味はとても大きいものです。 関川氏はこの書で、邪馬台国大和説(邪馬台国畿内説)は、考古学の実態を無視して議論が行われていると嘆いています

古田武彦による日本古代通史

「九州王朝論の比較」に書いた文章を転載します。 7Cまでの倭国は筑紫にあったとする九州王朝論を初めて主張したとされるのが古田武彦です。 彼は、親鸞を中心とする中世史学の研究者でしたが、1969年に「史学雑誌」に「邪馬壹国説」を発表して以来、倭国は一貫して九州にあったとし、また、日本各地にも王権があったとする多元的な日本古代史の研究を発表しました。 現在は、古田史学の会のメンバーなどが、古田説を継承しながら、研究を続けています。 このページでは、古田武彦、及び、古田史学