五目おにぎりだってこと

【LIGHTHOUSE〜灯台】Netflix

最近Netflixで見た星野源さんとオードリーの若林さんが出演している、「LIGHTHOUSE」がめっちゃワクワクする番組だったのでシェアしておきます。

二人が月に一度会って「悩み」を相談し合う内容なんですが、何が起こるかわからない中で蓋を開けてみれば自分自身の奥底にある暗澹たる心の内を吐露するトーク番組に仕上がっています。

地上波では絶対に見られない二人の素顔がそこにあり、広告主が不在のNetflixならではの「本当に見たかったエンターテインメント」が繰り広げられます。

正直個人的にはテレビをココ最近まったく見てません。理由はつまらないからです。

地上波テレビでは広告主の意向に沿った当たり障りのない設定でしか構成が組めないでしょうし、視聴者の本当に見たい番組ってやっぱり制作しづらいのかな。

例えば番組では初回のロケ地が高円寺なんですけど、その当時に二人の接点は無いものの、同時期にそのエリアで過ごした二人がそれぞれの日々を振り返ります。

当時の二人の中にあった社会への恨み嫉み妬みが次から次へと湧いて出てくる光景は、見ている人たちへおそらく同感と共に強い高揚感を与えるんじゃないかなぁと思いました。

つまり「それだよ!」という心の中で浮かんでくるつぶやきじゃないかと。

だからこそ地上波ではムリな設定だなと感じるんですよね。

そして今回お伝えしたいことは、この番組を見て感じたことです。

人は良いところばかり見せようと努力するけど、その中身たるや汚い部分や見られたくないことを多く含んでいて、それらは余程のことがない限りは内在されてしまい、それは鬱屈とした人間を作り出す元になっているんじゃないかなって思ったんです。

ある禅の高僧の方が仰っていましたが、まず私たちはおにぎりに例えると「梅干しおにぎり」を目指してしまいがちだと指摘してました。

でもそれは違うんだよと言います。

『五目おにぎりなんだよ』

これはどういうことかというと、梅干しおにぎりは中心に梅干しが入っています。つまりひとつの「真理」みたいなものを一生懸命に探して、それが分かれば幸せになれるとか、それが分かれば全てが解決すると思っている私たちを示しているそうです。

でも五目おにぎりは様々な具が混ざりあって、どこを食べても色んな具材の味がして、ここが美味しいとかあそこが美味しいという差なんて無いんだと説きます。

つまり私たちは清濁併せ持った存在であり、良いことも悪いことも内在した状態が本来の姿であって、それだけで完璧なんだということなんですね。

良い人に見られたい、あの人には嫌われたくないと思うのは誰しも変わらない考え方だと思います。

少しでもそんなことに悩んだ時は是非おにぎりの話を思い出してみてはいかがでしょう🍙

ちなみに『LIGHTHOUSE』は灯台という意味です。
足元が暗い我々に光を灯してくれる素晴らしい作品、気になったらNetflixでご覧くださいね!

#Netflix #LIGHTHOUSE #星野源 #オードリー若林

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?