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20年前の修羅場、それは。③

2人目の愛人(同時進行)

歌舞伎町の探偵さん達はさすがプロ、という仕事をしてくれ、父の2人目の愛人の存在を私達に報告してくれた。
ちなみに愛人1人目は娘である私が突き止めている。(「20年前の修羅場、それは①②」参照)
父はゴルフの会員権の売買をする会社の他に、飲食店(居酒屋)、ホテル、不動産と多岐に渡って事業を展開していた。
そのうちのホテル2軒をマネージャーとして束ねていた女性がどうやら愛人2号らしい。
母は、単身ビジネスホテルに乗り込んだ。
ちょうどフロントにその女はいたそうだ。すごい剣幕で日本人の中年女性が入ってきたら、すぐに「社長の奥さん」が来た、と気づいただろう。
その女も1号と同じく中国の上海出身だった。2号は日本語を話す。母は不倫の事実を問い詰めた。女は認めた。
2号も相当気が強く、たとえ社長の奥さんに関係がばれて問だたされたとは言え、その事実を認めるのみで、決して謝ったりはしなかったそうだ。

結局母は

愛人1号、隠し子、愛人2号の存在がはっきりとし、母は慰謝料をふんだくって家を出た。都内有数の高級住宅地のマンションのひと部屋相当の金額だったと思う。
それから約20年経った今も、母と父は「離婚」はしていない。会社の社員にもなっていて、生活費も給料というかたちで毎月充分もらっていた。
母は慰謝料で買ったマンションを貸し、新たに他のマンションを買い、現在そこで悠々と暮らしている。毎日スポーツクラブでゴルフの練習に勤しみ、近くのデパートの地下でお惣菜を買い、夜8時には床につく。
母の晩年は文字通り孤独だが、経済的には決して困らず、むしろ優雅なおひとりさまライフを満喫しているのだった。

昭和の男のロマン

父は、幼少期に他の女の元へ逃げた自身の父親を恨んでいたはずだが、結局同じ轍を踏んだ。自身の弟も結婚・離婚を繰り返し、子供をたくさん作っている。
甲斐性がある昭和の中年男は、女を囲う。
この表現を、令和を生きる若者は理解できるのだろうか。
甲斐性があるとは、一般的に経済力や生活力が高い男性を形容する言葉である。この時点で、いろいろツッコミどころ満載であるのだが。
田中角栄や石原慎太郎は父の密かな理想像だったと思う。政治家で好色、堂々と愛人を何人も囲い、婚外子もたくさんいる。父は政治の道には行けなかったし、そこまで豪快ではなかったはずだが、似たような道を進んでいる。
田中真紀子さんは婚外子の存在を一切許さなかったようだが、私はなんの疑問もなく異母妹を受け入れている。一方、私の妹は未だに父のことを許さず、もちろん異母妹と会おうとしたこともない。

修羅場を終えて

以上、これが20年前の我が父の不貞行為の一連である。友達や歴代の彼氏などには語っていた私の人生最大の山場。ようやく文章にまとめることができた。そして何人の方が読んでくれるかわからないが、公の場に出すことができたことに達成感を感じている。

今私達がどういう関係かと言うと、父と母は別居状態を継続しつつも、必要な時は連絡を取り合っている。私の結婚式にも夫婦で参列してくれ、やはり離婚届けは出していない。
異母妹は父の娘として認知されている。上海と日本を行ったり来たりしながら、東京のインターナショナルスクールを卒業し、英国の大学へと進んだ。私は彼女が6歳頃から一緒に遊んだり、お稽古ごとのお迎えに行ったり、私の当時の彼氏共々父の実家にお墓参りに行ったり、良好な20歳差の姉妹関係を結んでいる。
異母妹の母親ではない方の愛人2号と私は、お互い父の会社の従業員として仕事を一緒にしたのが初対面だった。彼女は気さくで愛らしい性格で、私のことも可愛がってくれ、実の母より良い関係性を結んだ。私に娘が産まれれば、何度も預かってくれたり、父も含め私の家族みんなで海外旅行に行ったり、私の夫の故郷スペインへ訪れたりしている。そう、この2号さんが結局父のパートナーとして最後まで残ったのだ。しかしながら、数年前2号さんは初めて愛人1号と隠し子の存在を知ってしまった。酔っ払っては、その事に関して父にチクチクと詰め寄っている。私も相談されたが、私にとっては「あなたも同じ愛人です」としか言いようがない。実際言ってはいないけれど。

私が湯沢で愛人1号と隠し子の存在を突き止めた事は、私の中でやはり人生で一番傷つき、裏切られたと感じた経験である。とは言え、私はそれを恥ずかしいこととは一切思わず、むしろ大学の友達には、私はこんな経験をしたんだ、と堂々と語っていたほどだ。
あの行動力と女の勘には、自分のことながら拍手を送りたい。
その後、男性を信じることはなかったし、私の独特な恋愛観、結婚観が形成されたのは必然の結果だ。
そんなやさぐれた私が、人生最愛のパートナーと出会えたことも書かなければいけない。
そういえば驚いたことがある。このような私の父の不倫や隠し子という泥々とした人生の1ページを、「そういうの羨ましい」とママ友さんに言われたのである。
今まで恥とは思っていないけれど、決して誇らしいことではない我が家の傷を、羨ましい、と言う人がいるなんて。
私はこのママ友さんのように平々凡々な家庭が羨ましかった。が、そういう優しい環境で生きてきた人には、我が家のような刺々しい家庭環境が刺激的らしい。

全てが人生の勉強、傷と裏切りを乗り越え、酸いも甘いも経験し私は成長した。
父の一連の不貞行為がなければ、私は単なる甘やかされた世間知らずの薄っぺらい箱入り娘だったかもしれない。
そう思うと、私に降り掛かった全ての事に感謝できる。と同時に、それらを自分の中だけで溜めていてはもったいない。自分の娘たちや、後世の人々に知って参考にしてほしい。石原慎太郎も書いている。私も書く。

読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。まだまだ私の書きたいことはありますので、どうか時々読んでみてください。





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