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ゲームソフトの推奨年齢(レーティング)や「リンダキューブアゲイン」の話

ゲーム好きの者です。普段ゲームに興味が無い方にも、もっとカジュアルな距離感でゲームの話題で話せることはないかなぁ、と思ってノートを書いています。特にオチはありませんが、何かのお供に気楽に読んでください。


「CERO」というシールを見たことありますか?

日本でゲームパッケージを手に取ると必ずと言っていいほど記載のある「そのゲームの対象・推奨年齢が判るシール」です。
以下に公式のホームページのリンクを載せておきます。

「CERO Z」とか「CERO B」とか、知ってる方は「知ってる知ってる、パッケージに貼ってあるアレね」となるシールです。見たことない人は家電量販店などに行った時にゲームパッケージをちらっと見てみてください。貼ってあるはずです。で、これ2002年ぐらいから始まったそうです。2002年。もう18年も前ですね。

このCEROのレーティングには種類があり、A、B、C、D、Zの5種類からなります。「Z」になると売り場が分かれているところが多いですね。特にZ指定になると「とってもグロテスクだから身分証明書が必要だよ」としている都道府県もあるようです。

他にも色々と細かい分類はあるのですが、小難しい話は省きます。

いずれにせよ、日本国内でパッケージ販売を行いたい時にはCEROの審査が通らないと大体プラットフォーマー(つまりSONYとか任天堂とか…)がOKを出さないので正規流通に乗らない、あるいは乗りにくい状況というのが存在します。この手の審査が全くゼロで売られてしまうと、困ってしまう事が多くなるのはなんとなく想像がつくかと思います。


話は変わってリンダキューブアゲイン

さて、話は変わって標題の「リンダキューブアゲイン」というゲームですが、これは私の大好きなゲームです。サイコでホラーなストーリー、プレイヤーを自立させるゲームデザイン、独特な味のあるキャラクター、空気を感じる事の出来る音楽。この作品は1995年発売のPCエンジン向けRPG「リンダキューブ」をだいぶ表現を柔らかくアレンジされた、初代プレイステーション向けRPGで、いわばリメイク作品に当たります。

このリンダキューブアゲインは当時、ドラクエやFF等で育ってきた「勇者や選ばれし者達が世界を救うRPG」をプレイしてきた自分にとって衝撃でした。

「住んでる星にいつか必ず隕石は落ちるから世界は絶対に救えない」

「魔王、いわゆる倒すべき大ボスもいない」

「ゲームが進めば進む程、強いものを売っている店が増えていくのではなく、むしろ減っていく(住人はみーんな、星から脱出していくので…)」

と、90年代~00年代のゲームの世界観やゲームデザインを眺めても中々無い仕様になっています。2020年になった今は、目新しい要素にさほど見えないかもしれませんが…いやそんなことはないですね、今でも、特に3つ目は中々無いデザインです。


どんなゲームだったのか?

では何をするゲームかと言うと、ひたすら動物(モンスター)を、あらゆる方法で雄雌の番(つが)いを集めて、ノアの箱舟に載せて、新天地にヒロインと共に旅立つゲームです。

文章で書くとややノリが宗教っぽい印象ですが、そんなことは無いです。マンガあるいはアニメ好きの方なら判るAKIRA前後、退廃的な近代感のある世界観だと思ってもらえれば良いかなと思います。
※というか、担当デザイナーは映画「AKIRA」の原画を担当した田中達之氏になっているので説明書だけでも中々見ごたえがあります。

先に言った通り、リンダキューブアゲインはRPGです。なので当時のRPGの主流「レベルを上げてモンスターを倒す」という主流は変わりません。モンスターを倒して捕獲していきつつ世界を旅するわけですね。ただし、一筋縄ではいきません。

・そもそも武器やレベルを強くしすぎると「モンスターをオーバーキルしてしまい捕獲(弱体化)することが出来ない」
・該当のモンスターの居場所や出現タイミングは色んなところを回って情報を探らなければならない(季節の概念があり、特定の季節しか出ない…とか)
プレイ時間が一定時間経過すると、隕石が衝突してゲームオーバー

こうやってネガティブな情報を並べるとあまり面白くなさそうです。実際に私もプレイするまでは(それまで、当時のドラクエやFFで「進めば進むほど便利になっていき自由になっていくRPG」で育ってきたプレイヤーとしては)時限性があり、かつどんどんプレイすればするほど、街が不便になっていくゲームデザインと聞いてげんなりしていました。


ですが、いざプレイを始めると、時間を忘れました。


・色んな武器を持ち替え、様々なパートナー(猟犬など)を連れ歩き、相手のレベルに合わせて、自分が考え攻撃の選択肢を選べるようになっていく
・「次の季節にはここを回ろう」「(町で武器防具を購入せず)冬になったらあのモンスターを狩って、装備を自分で作ろう」「次の春にはアイツを倒せるようになっておこう」と、情報が増えると計画が立てられるようになっていく
・今回は○種集められた、次のプレイデータでは序盤にあるあの店に行ってみよう…という繰り返しプレイのモチベーションが生まれる

と、自分自身が育っていく、成長していく、判断できる事が増えていくうれしさを感じていたのです。(ストーリーもハマりました)


同時に「やればやる程、自由になるご褒美がもらえる」のではなく「やればやる程"あとは自分で出来るでしょ?"と裁量権がもらえる(気付ける)」ようなゲームは見た経験が無く、随分感動した覚えがあります。
(コナミの「リアルかくれんぼ潜入アクション」メタルギアソリッドとか、雰囲気は全く異なりますが同じようなデザイン・印象を受けます。)

そんなこともあり、今でも思い出してはプレイしています。皆さんもなんだか気になるなぁと思ったらぜひ調べてみてください。「プレイステーションポータブル向けに配信が開始された時期などの代表ブログの記事」なんかも今でも残っているので、当時のややこしい権利関係の辺りなど読んでみても面白いんじゃないかなと思います。
(※ただし、グロテスクな描写やサイコスリラーなシナリオは避けて通れないので、苦手な方は避けたほうがよいです)

で、話はレーティングの話題に一旦戻りましょう。


話は戻って、レーティングの話題(90年代)

この「リンダキューブアゲイン」というゲームは1997年に発売されました。世間で言うなら「伊藤家の食卓」(当時放映されていたテレビ番組)が放映開始した時期です。現代のCEROは2002年。レーティング機構は存在していません。

では当時のレーティングはどうしていたかというと、プラットフォーマー(つまりSONYとか任天堂とか…)側が自主規制する形で、「このゲームにはグロテスクな表現がありますよ」「18歳以上推奨ですよ」とマニュアル表紙に記載したり、赤い三角シールをパッケージに張り付けたりしていました。(あのシールのコストは、なんとソフトウェアメーカー側持ちだったらしいです!!!よく出来てますね)

特にSONY、初代プレイステーション向けゲームの「このゲームにはグロテスクな表現が含まれていると書かれた赤い三角シール」はリンダキューブアゲインが最初だと言われています。それだけ「表現がギリギリなんじゃないか」と危ぶまれていたわけですね。(とは言え業界人でもないので正確な情報は判らず。他にあったら教えてください)

当時はまだゲームはハッキリ言って市民権を得られていませんでした。モノ好きな…と言うとまだ表現が柔らかい、いわゆるオタク向けな業界だったわけです。世間一般の認識は「ゲームは大人になる前に卒業するもの」であり、インターネットもまだ普及していない時期です。
※それでも恐らく、当時遊んでいたお父さんお母さんは少なくはなかったんじゃないかなぁとは思います。子供向けにプレイステーションを買っておきつつグランツーリスモをプレイするためのメモリーカードをひっそり隠していたお父さんは結構多いんじゃないかな。

さて、その市民権の得られていないゲームだからこそ、シールを貼って自主規制だけで済んでいました。ところが、この頃からゲームの世間への流出は一気に広がっていきます。


続・レーティングの話題(00年代)

2002年、CEROが立ち上がる頃にはゲーム業界はどのように変遷していったのでしょうか?

2002年、時代はソニーの「プレイステーション2一強時代」に移り変わっていました。DVD再生の為に購入したご家族の方も多かったのではないでしょうか。一気にゲーム機が家庭に普及した瞬間でもあります。(勿論その前にもファミコン、スーファミと普及したハードは多かったのですが、家電として普及したプレイステーション2は当時は画期的だったのです)
今、たとえば中古品などのパッケージを見てみても(恐らくほとんど)プレイステーション2向けのゲームにはCEROのシールが貼られているはずです。

つまり、今までプラットフォーマーとソフトウェア開発メーカーの二者で済んでいたレーティングに、国内ゲーム流通に際しCEROという第三者が絡んでくることになります。(もともと広告代理店の存在などはありましたが、それはまた別な話)

これは日本に限りません。様々な国でレーティング団体が発足していた、あるいはし始めていました。

改めてふりかえると、90年代はプラットフォーマーごとに自主規制していた時期だったように、00年代は国ごとにレーティングを行っていた時期と言えます。北米は北米の、韓国は韓国の、日本は日本のレーティングを行わないと流通できなかったわけですね。赤い血の色がダメなら白くしてみたり、緑色にしてみたりと、どの国もまだ互いの文化を知らない状況から、一歩踏み出し海外戦略に向けてナレッジを蓄積していた時期…とも言えるでしょう。


では10年代~遂に2020年!現代はどうなっているのか

現代、2020年はどうなっているのでしょう。

勿論、CEROはまだ国内の正規流通の為にレーティングを行っています。ですがもうゲーム販売の為のレーティング…審査がこれだけで済む時代は終わってしまいました。そう、グローバル化です。「一家に一台のテレビ」は、インターネットをインフラにしたスマートフォンという一つのデバイスに集約されていき、国を超え業界を超え、様々なコンテンツ…ゲーム、アニメ、マンガだけではありません、映画や音楽、あらゆるものが一つの戦場に集まってしまいました。

そこで現在、レーティング機構として存在感を発揮しているのは2013年に設立された国際年齢評価連合(IARC)です。1回の審査を受けるだけで世界中に流通できるこのレーティング機構があるおかげで、現代の、特にスマートフォンのアプリ配信環境は劇的に変化しました。すごい。

このIARCの詳しい説明は省きますが、評価連合という名の通り、評価機構や企業が連なって(加盟して)IARCは出来ています。

しかし、ここに特定のプラットフォーマーが参画していなかったりすることで、「日本のDL販売はできるがパッケージ販売はCEROを通さなければならない(期間・審査基準・予算がIARCとは異なる)」という複雑な事情が生まれている課題が現在も存在します。
※審査基準や期間が異なると何故困るかというと、審査期間が長引いたりして、いわゆる「世界一斉販売」「パッケージ&ダウンロード同時販売」が難しかったりするわけです。「パッケージ販売中止」「審査に引っかかって販売延期」はニュースで見たことある人もいるんじゃないかな?

ゲーム表現の受け取り側が世界中に広がり、多様性が生まれたからこそ、こういった審査の複雑さが生まれている時期なのかなぁと感じています。



おわりに

こうやって考えると、シールをぺたぺたパッケージに貼っていただけの頃とえらい違いがあるわけですが、こういう複雑な事情を乗り越えて、今もゲーム1本1本が販売されて、私達の手元に世界共通の基準を以て安全に届いている事を考えると、「ゲームも色んなところに配慮しなきゃいけないほど市民権を得たなぁ」と思ったりするわけです。

そういう意味では「当時のやや雑な空気のあった時代のゲーム」に触るのは、今との違いを感じて中々楽しかったりします。今だとこの表現通用しないかもなぁ、とかですね。

今日のところはここまで。
こんな感じのノートを余暇にまた書ければなぁ、と思っています。

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