禁視域

 絵画理論では、物の中身まで描写する。赤目のうさぎがいるのは?その奥の血の色が透けて見えるからで、出血している訳ではない。人の視覚が表面だと思っているものは、すでに多層だ。その様子を写し取れないと、良い絵にならない。

 3DCGでは、表面より内側は作られない。ペットゲームに出てくるうさぎの、毛皮を剥いだりする?うさぎの体内には、ただ虚無が入っている。概念化された身体機能や、物理演算の為の数値は持つが、視覚化されない。見えない部分にコストは払えない。

 プラモデル――これは趣味にもならなかった――に、内部はある。空飛ぶメカのキットをもらった時に、どう作っても蓋がされてしまうエンジンが付いてきて、不思議に思ったものだ。クリアパーツ越しに見せるでもなく、けれど、飾り方次第では必要なのか。


 安中空には、そういう記憶はあっても、他人とは関わらずに生きてきた。たとえば、他人のかばんや引き出しの中を、見せてもらった事がない。他人のスマホやストレージもだし。誰かの裸を見た事が、もちろんない。
 機会と興味の無いままに、「そこにも何かあるのだろう」で終わらせてきた。

 通勤中、横断歩道上を横転したトラックが滑っていった。安中空は驚いて、しかし無事だったので、通報した。それから、救命行為を思い立った。
 ある歩行者は、もう助かる見込みがなかった。その様子は直視したくなかったが、だから安中空は、自分のコートを脱いだ。かぶせようして、それを知る。
 人の断面、だけではなく、そもそも衣服から内側。そこには虚無があった。燃え上がるトラックの鉄板が、はじけて飛ぶ。中には虚無があった。


 安中空は自分の生きた年数を信じて、救命を続けた。聴取に応じ、仕事は休まず、帰り道で、趣味ではない店に寄ってみた。扉は開かず、店内には虚無があった。
 カッターが思い浮かぶ。安中空は、必死にかき消す。自分を開けてみる想像を。

【続く】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?