dtnsksn 雑感 ナチュラルボーンファンタジー風味④


*アンダー

もう全く異世界ファンタジー属性の類型ではないのですが、さまよえるユダヤ人とやらのイメージがしっくり来る。八百比丘尼。不死身や長寿とくれば、一つ所に留まれない流浪の旅が付き物。人魚の傷、好きですか。無限の住人、好きですか。火の鳥、好きですか。死ぬほど痛め付けられたって死にようのない化け物で、どうせ死なないだろうに今にも死ねる人間の性に囚われ続けてもいる。癒えることのない、積もるばかりの過去。繰り返す同じ過ち。そう、いつか神使が再臨し、復活と審判が全世界を襲う日まで……。

あと吸血鬼。虚空処刑は至高。じゃなかった、虚空処刑編はなんか吸血鬼要素が多い。冒頭の首級を槍に刺して掲げてるやつは串刺し公が国境線にあれして異名になったってあれだろうし、アンダーは白木の杭打ち日干しにされてるし、一抹の血や灰から蘇るし。しれぇは牙剥き出しの暴君だし。瞬時に全身霧とか蝙蝠と化して移ろうやつも、自爆→復活コンボで近い事はやってるし、心臓(体幹)杭打ちや特殊な埋葬(魔力源との遮断)はなんだかんだ拘束としては有効だし、銀や十字架は効かなそうにしても吸血鬼要素は十分ある。余談だが、人間でも機械でもない超人機械は吸血鬼なのではないだろうか。根拠は何もない。や、人体を元にした数々の異形を世に送り出してる所とかかな。

それと、不死者の復活能力に関してはラクタヴィージャなるインド神話の鬼にも類似を見た。彼は血の一滴ずつから別個体が増殖するという不死者以上の化け物らしいのだが、流れ出た血の全てを吸い付くすというこちらも虚術じみたでたらめな対策の前に屈し、敢えなく死亡する。あと有名な吸血鬼・ヴァンパイアのキャラクター像自体が結構近代の産物でありルーツが不明瞭らしい(ウィキで見つけた「マナナンガル」という怪物をヴァンパイアっぽいよなと友達に紹介し天狗ムーブしていたら「それむしろ吸血鬼の元ネタ疑惑あるやつ」と知識力で返され、さいしゅうてきに何も信じられなくなった)ので、血と無限の再生みたいな系統には更なる大元締めがいるのかもしれない。知ってる人が知っていると思う。俺は知らん。

不死性の代償である無限の死を、罰や呪縛と捉えるならば、我々がよく言う所の「地獄の責め苦」にも近いものがある。地獄という案外漠然とした世界観は、時代や地域に拘らず一定の説得力を持つ、ある種普遍的な類型だと思うんだが、その肝は「死ねない」所にある。
天国だとか地獄というのは要するに、人の一生より遥かに極端な出来事群が起こる空間なのだ。そう信じる者ほど、善行や偉業の末の天国に思いを馳せておればいずれは失われる生の無為をいくらか和らげてもらえるし、反対に悪や不道徳の果てに地獄を設置される事で不可避の死に安易な解放を期待せぬよう、戒められ、汎用フローチャートが引かれているのである。俺はあんま信じていないが、ああいった概念を引き合いに出せば一発で道徳規範の価値が内在化させられる構造はばりくそすごいと思うし、またそういう風に古臭くも強固な役割を持ってたりするがゆえに、あんま宗教とかをバカにしたもんではないなと、時々思う。話が逸れた。
つまりいわゆる「地獄」とは「延々と苦しめ苛まれ、(死の向こう側に来てしまったため)死ぬ権利もない」という状態のことで、これは不死のまま現世の動乱のさなかを生きねばならない境遇にも近いものがある。

あと俺はパプリカというアニメ映画が超好きで、そのコンテ集を読むと「同じ主人公の服装がシーンごとに目まぐるしく変わる」というものがコンセプトの一つにあるらしい。この点は、いくら肉体の替えが効いても、衣服はいちいち集めたり奪ったり繕ってもらったりしていくしかないアンダーの苦労とも通じてくる。が、物語のこういった視覚的演出を形容した分類がなんと言うのか、そもそもそこに着目した言い方があるのかはググってもわからなかった。スマッホの予測変換とかであほになっている事を改めて自省すべきかもしれない。
アンダーは今、戴天党総裁補佐官の腕章という「意地でも失えないもの」を手に入れた。これは塩カレーみたいな凶器に対する拒否反応と同じくらい大切なことだ。強さ議論かなんかで「不死者は護身だけなら一分の隙もないけど同道する誰かを必ずしも守れないよね」と言われていて非常に目から鱗が落ちた覚えがあって、そう不死者たちは、なまじっか自分ひとりの命ならどんなに無謀無気力無抵抗でも守れてしまうがゆえに、しばしば他に守りたいものが皆無になってしまう。そうして命が一つしかない他者を慮れなくなったり、外界に興味を示せなくなったり、自分だけ爆弾や玩具扱いされてても別にいいかになっちゃうのだ。
いま腕章を得たせいで、擲弾で自爆して復活戦法は気安く取れなくなったと思うし、身分証を兼ねたあれが奪われでもしたら取り返しに行く事になるだろう(※書いたあとに実現した)。そういう訳で、繰り返し服が失われていく描写は(絵面がギャグっぽい割りに)核心を抉っていると思う。

そしてこの漫画、死にたくない人間が死ぬのはまあ戦争してるんだし仕方ないとしても、決死の覚悟で挑む人々にもかなり厳しいと思う。ギンカたちやナイトワットのように比較的機を掴んで死ねた人間は一握りであり、(竜姫活殺の頃の)死ぬ事自体を目的に据えていそうなシュロとか、添い遂げたかったゾフィア、土壇場で仲間の心理を読み逃していたギョーマンのように、なんらか至らない点が出ると普通に命を張る事にすら失敗する。ここにおいて死は飽くまでも自然現象の一環であって、人一人が身命を賭そうが摂理を歪めて何でもできる訳はなく、最期の一秒まで自分のできる事を全うせねば、というかしていてさえ時には意志を貫けなくなる過酷な世界なのだ。そして不如意の内の死や、ダメージを引きずった生へと投げ出されていく。
その点アンダーは例外的だ。しくじったまま死んでもやり直せると言えば確かにそう。だがそもそも、セーフティネットに恵まれすぎて、死ぬ事に人並みの覚悟を抱けた試しがなかろうと言えば、それもそう。やはり不死は特権であると同時に、人間の持ち物ではない。「元々不老だった人類が選択を見誤って(あるいはもう一方の利と引き換えにして)それを失い、寿命を限られた」バナナ型神話とやらがあるが、これも事実ありきの説明であって、人間が不老不死のまま済まされるタイプの話はたぶんない。
そういえば「魔人の寿命の短さは作為的で、止むに止まれずそうなってしまったものではない」とする解釈の読者が一定層いるんだが、それと魔人が超人機械に魔法を授かった経緯が連関する場合、上述のバナナ型神話的だと思う。俺としても「老いない幼体成熟って魔法の反動がなかったらいつ死ぬんだろう」とか気にはなる。アンダー関係なくなってしまった。

追記:さまよえるユダヤ人を持ってきた理由はただ不死身というだけではなくて、造り主めいたものに不死身にされてしまった現状を悔恨とともに持て余し続け、放浪し、答えを求めて主との再開を待ち望んでいる味付けがあったからである。であったのだが、どうやら上空の星には超人機械は居ないらしいとなってきた。個人的にはアンダーが言う「もういない」は消滅ではなくて、次元を離れたとか、レコベルの興味が指し示していたように宇宙の彼方へ飛び立ったという意味だと解釈したい。そうすると超人機械の態度に共鳴しているらしいアンダーの「追って来れたら相手になろう」と、追い縋ろうとする人々に布石を残して去った超人機械の姿が重なるから。

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