牛鬼vs上級国民

 牛鬼vs上級国民で、ついに尾籠憲一という人の漫画を読んだ。胎界主が面白いとは聞き及んでいたものの、なんか気軽に入り込める感じがせず一度も読んだことがなかった。これは短編らしかったので、もし肌に合わなくても辛抱しようと読み始めてみたところ案外なかなか純粋にとても面白かった。感想を言う。

 牛鬼の、顔は言わずもがな、振る舞いの醜悪さ全てが呪殺対象への悪意に満ちている。そして会長側の描写、下位者の働きや媚を浴びて牛肉を食い、これ見よがしにミネラルウォーターを飲み捨て続け、優雅に眠り、老いて性欲旺盛な様も、牛鬼を通す事で双方醜く感じられる。最後にどんな気取った生活をしていても死ねば皆どくろである。会長が食われたお陰で牛鬼もどくろである。本編中、彼らは鏡写しの存在だ。

 このへんで「権力者っていけ好かないなー+盛者必衰」みたいなありふれたテーマが見えかけるんだが、そうは終わらなくて、最高責任者が死んだら死んだで次の牛鬼が次ぐ責任者を欲するのだ。エピローグで仄めかされている通り、あそこまで育ってしまってから急に長を失った組織には太刀打ちできないので、少なくともあの大企業が壊滅するまで呪いの連鎖は終わらないだろう。組織全体で適切な判断と対処を徹底できていれば凶悪化する前段階で抑えておけたのに、気付いたら最高権力者の首が飛べば済む話すら越えてしまっていた。こういう捉え方をすると現実のそこかしこで起こってそうな話に思える。
 もちろん会長は鼻につく成金野郎だし、反逆されるような会社へと自ら仕立て上げてしまったのだろうが、一対一で見ると他の人間より早く牛鬼の性質を見抜き冷静な対処ができていた(牛の命や会社の予算や派遣業務員を食い潰して)。上級役員たちと違い直接自分の命も懸かっている。上位の権力者を揶揄し責任を押し付ける時、誰もが、自分より上が全員消えたら自分がその反感を背負う番だということを思慮の外に置く。肥大した牛鬼が、思い上がった権力者が無様に倒れる事にはなんらカタルシスはないのだ。それは現実には悲惨な事だし、より大きな重圧の始まりだ。神主にはわかっていた。彼は呪いの能動的な主ではないと信じたい。いやそうかもわからないが、その場合何の救いもなくなってしまい、心底悲しい。vsとあるが、本編後に勝利を喜ぶ者はいないだろう。どころか日本ごと更地になってそうである。

 ちなみに24の2ページ目(ピシッ!と指示決めてるのに誰一人付いてこない)でクソ爆笑して好きになった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?