無日記(2021/1~2022/8)

・流れ出たらアジア
 (一つ下の追記。まずそちらを参照のこと)
 自分には(一般的にも)後遺症や禁止行為もなく、慢性に症状が出続けるようなこともない。入院期間も、全麻手術込みで一週間未満だったりする。そもそもこの病気()は、若さを過ぎるとなりにくくなるが因果関係はわかっていないし普段は医者も患者も何もできないという、全くおちゃらけ野郎だ。なので、『このせいで社会人生活ができない』・・・・・・ということも全然なくて、俺の怠惰はことごとく俺が引き起こしている。
 ただ、これにやられて修学旅行の中国に行けなかったのだけは、今でも恨んでいる。いうても非アジア圏には行ったことあるけどな。



・出血のイメージ

 血を失っていく感覚が根強くあるんだけど、自傷趣味とかによるものではない。採血とかむしろ苦手な方。

※微グロ                                                                                                                                                                                         

 気胸という内臓の怪我をすると、ロンギヌスのあたりに管を刺される。
 肺は、容器の中で伸び縮みして空気を取り込む袋のようなものらしい。気胸になると、この袋は破けた状態になる。この時、袋が取り込む空気の量が減る。また、袋はしぼんでしまっており、容器と袋の間にも空気が漏れ入っている。袋は自己修復ができるので、穴そのものは勝手に塞がる。だが、容器と袋の間に空気が溜まったままだと、袋が伸び縮みできる容量が圧迫され、融通が利かなくなってしまう。こうなると、治っても機能が弱まる。これを防ぐために、ドレナージ治療をしてもらう。
 人体の内側は痛覚が弱いようで、自分の自然気胸は、それ自体は大して痛くないことが多かった。が、このドレーン管は外から筋肉をこじ開けて中に入っているので、なにかにつけ痛む。あと普段密閉されている体内空間が体外に拡張しているのは、なんとなく気色悪い。
 で、管に繋がる機械が、こぽこぽと空気を、ともなって内出血(※胸水)も吸い取って目盛りを上げていく様子と、二・三日は付き合わされるはめになる。寝返りを打ったりすると、胸の中の血がちゃぽんと言う。ああ、自分は血袋になったのか、と思う。たぶんこれが出血のイメージ。
 ※平然ととんでもない誤解があったため、修正。(参考)
 ※参考は確実に俺より正確である情報源の一つにすぎず、まだ俺の間違いがあった時になすり付けたいものではない。なお、俺がかかった病院でもほぼ同じ説明を受けたと記憶している。



・書いた話
リンク
 書いたけど、内向的で、小ぢんまりしすぎるので、カクヨムに置いた。基準が曖昧だが、使い分けたいと思っている。で、何の話なのかとかを以下に書きます。

<個人的な意味>
同い年の犬:実際に俺と同い年の犬(♀)を伯母が飼っていた。
山荘:実際に俺の祖父母が高地に別荘を持っていた。
庭:実際に埋まっている。
魔女見習いと犬と死の理解:学生期に考えた短編漫画のプロットの一つ。さらにその元ネタは、クレイジー・Dとか、シールケと師匠とか。まあでもありがちな話だろう。
台所の聖域:バイトの職場ヒエラルキーが、接客<厨房補助<厨房なので。
犬が死んで悲しむ女の子:これは完全に妄想代理人だわ。

<共有可能な意味>
山姥:山姥とかヤガーとかエルザとか。
窯で人体錬成:「ロシア異界幻想」という本から。本によると、まず「ペーチカ(暖房器具、兼、調理窯のようなもの)」は、家の大事な要素。そして民間信仰で、病弱な赤子をこのペーチカに入れ、「パン生地の焼き上がり」を疑似体験させることで、健康体に作り変えてもらおう、とする儀式があったらしい。
クリスマス:肋骨を元に分身体を作るのは、アダムからイブを創造するやつ。ヒイラギのリースは魔除け。パンとワインはキリストの聖体。
呪文:イフタフ・ヤー・シムシム=アリババで、扉の封印を開くもの。開けゴマ。 アジャラカモクレン・テケレッツのパー=落語で、枕元の死神を退散させるもの。 アビラウンケン・ソワカ:マントラで、大日如来に祈るもの。(アジャラカモクレン~のパロ元ではないか?) くわばらくわばら=雷が落ちた時などに、厄除けを乞うもの。 畏み畏み申す=祝詞の定型句で、神に下からお願いをしていることを強調するもの。 ちちんぷいぷいのぷい=怪我をした子供に対するもの。痛いの痛いの飛んでけ。 らしいです。

 何の話なのか。たぶん、暮らしの中の魔術の話。



・レスのレス

 「自分を話題にしている・されている時に他人事すぎる」とよく言われる。みんながそう言うのでそうなんだと思う。たった二行で世の中をナメている。
 何も感じない人として扱われたりもするのだが、俺的には、感じたものを保留しているケースもある。でも、畳んでどこにしまったか忘れ、そのままにしていられるのだから、総合的に鈍い人で合ってるのかもしれない。
 どちらかというと、「(言いながら・言われながら)自分のことだとわかっているぞ」と内心思うだけで、合意を取ったり、妥当さの見極めにすぐさま移らないために、実際には「自分のこと」でないものも混じっている、取り組み方の雑さの方を、治すべきかもしれない。かもしれないが多い。そういうとこよ。



・ネットの使いみち

A:閉鎖ネット ここでリアルの知り合いと繋がっている。リアルの知り合い以外とは形成していない。このアカウントは含まれない。このアカウントから辿れるものも含まれない(ハッキングとか監視はしらないが、ただのネットサーフィンでは)。
B:公開ネット ここに趣味で作ったものを置く。全く知らない人と変な情報交換が起きる時もある。このアカウントが含まれる。

・リアルの知り合い→公開ネット リアルの知り合いに公開ネットを見られたくはない。俺と対面可能な相手は、ネットで俺が何かしてるさまや、俺が趣味で作ったものを、どう俺と絡めてくるかわからない。絡められた時点で大体されたくない内容だろうし、人間というものは社会動物なので絡めてくると思う。実際にしてきそうな知り合いにも心当たりがある。俺自身も凡庸に社会動物なので、俺のやり散らした中にある粗や乖離に向き合わされ、まとめて嫌になると思う。
・公開ネットから来た人→リアルの知り合い ネットから親密化するのも、同じ理由で避けたい。

 つまり俺は、公開ネット経由の人もリアルの知り合いも、無条件に怖いとまでは思っていない。AとBの間を通行止めにしたいとは思っている。親には文章以前に漫画を見せて、元々理解がある人を恐れすぎていたのを解消し、親の視線には慣れた。それとは別に、親の公開ネットが連れてくるものは読めなくて、ちょっと怖かった。
 ネットとリアルを別物のように表現しているが、ネットが非現実だとは全然思っていない。「ネット以外」を指すのに「リアル」より使いやすい表現があれば、俺もそっちを使う。



没稿(仮題のみ)

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「おい!何度目の又聞きだ!付き合いきれんぞ」
 男は辛抱たまらず話を遮った。男が乗るつもりの船影は、とうに水平線を越えて接近して来ている。
「おや。この話の肝はまだずっと先だよ。ここで切ったら今までぜんぶ聞き損ってもんさね。あんたがどこぞの海へ沈んだ日には、未練のあまりの船幽霊だ」
「勝手に殺せ。もういい」
 男は下ろしていたナップサックを背負い直した。女は慌てた。
「なんだい、せっかちめ。じゃオチだけ教えてやろうかな」
 また膝下の収納に潜っていた女が、気付けばスピアガンを構えている。男はアッと声を上げた。


「このへんの中古ID屋はどこも足がつくからオススメしないよ」


 今度は男がうろたえる番だった。義体化していない左腕を射線に挟むように突き出す。
「お、あ、待て待て待て待て待て待て待て!俺を知ってるのか。シノギをガメたことも聞いてるな?まだクォーター・ギガワットは余ってるんだ」
 その手で持った袋から、大容量の波力蓄電池が振り出された。男は慎重に、電池を関所小屋に向かって蹴り転がす。ちょうど残量表示を上にして回転が止まった。女は目もくれないが、きっかり0.25GW。この近海の物価だと、五年は遊んで暮らせる額である。
「とくと見ろ。半分、いやこの際だ全部やる。お前も自由が欲しかろう?」

書始:2021年6月~
理由:①コンセプト(死ぬほど長話をする)が洒落臭い



僕は問題ありません
 遊ぶ関係、制作の関係、対価を得る関係が、それぞれ切れずに(もしくは修復されて)あり、また、生活の為の労働も最低限はできてるので、たぶん大丈夫。しばらくこれで回す。長期的には、どうにかする。どうにかすると書いたのを忘れないように



・没稿
(レールイーター)

 私が見て回ると、元々白かった地上は、もっと白くなっていた。どこにも息をするものがいない。空は別物みたいに真っ黒だ。水時計はコチコチに固まって止まっている。行った物。行った人。行ったきり。33は終わった。私の全ては。私がしたことのために。もうすぐ私も。


 天の白い粉は、無音で降り続けた。ただ一つ、耳障りなあの音だけが、どんどん強くなっている。どっどっどっどっど。私の心臓じゃない。どこだ。駅のあたり。

 ホーム。大きな、汽車よりもずっと幅広な影が、二つの目から光の矢を放っている。白を、ごわごわと言って空に返す。冬を寄せ付けず、汽車と同じ輪で歩く。その後ろにはレールがない。何かは少しずつレールを剥がし、巻き取っている。腹の「33」に手を伸ばすと、戸袋がその文字を吸い込んだ。


 レールイーターが食べに来た。ここで生まれて。それしか知らない。私のレールを。

書始:2020年夏~
理由:①(猫のやつもだが)ワンシーンとその材料しか思いつかなくて外堀が埋められない、フワフワしていすぎ ②努力問題



・容器

 期待された自分に一瞬で変身してしまう転校生の子(例えば「転校生」から「パンをくわえてぶつかる」イメージを連想した生徒が一人いると、そのせいで自分を取り巻く現実がそれに引っ張られてしまう。パッシブスキル)が、最終的に、あるがままを期待されて制御できるようになる話
 を考えたことがあったけど、俺が自分の悪い所を救うのに必死すぎてひどい感じは昔からそうなんだなと思う。思った。この段落はきっと、何か言いすぎかハショりすぎ。
 あと、今さらモブサイコ100を完読したら、かなりその年頃の話っぽくて、よかった。一番の強敵が最後まで自分の中の化け物で、一人相撲とも言えそうなものだけど、面白く書きようがあるから、すごい。世の中、面白い話は面白い。それはそう。



・崇めよ我はビディオスター

 テレビが嫌い。テレビが憎い。テレビに親を殺された。テレビさえなければ人生薔薇色だった。テレビをぶっ壊せ。そういう宗派ともやや違い、馴染みが薄い。実家は見れるテレビが無かった。あるけど砂嵐で、スーファミ専用機だった。親の片方がスーファミフリークで、小学生の俺が夜中に目を覚ませばリビングでトルネコか聖戦かクロノをやり込んでいる。具体的には99階に到達したり、平民縛りをしていたり、千年祭でラヴォス直行したりしている。親はそういう親自身を、親としては嫌いなので、ゲームに俺を引きずり込むでもなく、基本的には遠ざけた。テレビは単に嫌いらしかった。特定の局や風潮ではなく、メディアの形式そのもの(注目を集めるものがリビングの中心にあって、誰か一人が見たいものを全員が見なければいけない)が嫌いらしい。近所に住む親の親世代の方が、むしろテレビッコだった。要するに俺にとって、テレビとは「見に行くもの」だった。こうして人格形成があった。
 (アーワアーワ)
 (一方、もう片っぽの親はラジオを死ぬほど録り溜めていた)

 城を手に入れても、ネットは引いたがテレビは買っていない。当時よりテレビ離れが進んだ。だがテレビに対して、さしたる是も非も持ちあわせない。世の中を知るのに一定有用だと思う。学校にいた、思想アピールのわざとらしい社会科の先生が、「(新聞等について)メディアは最良の一つにしぼるようなものではなく」「複数をいつも見比べている為のもの」というようなことを言っていた。これも金言の棚に飾ってある。それとは別に社会への興味は薄いので、金言も埃を被ってしまっている。パソコンでもニュースの購読はできるけど、するでもない。大体、テレビに刺さる風刺って大半のメディアに刺さると思う。テレビ嫌悪っぽく言うと、俺はテレビ以外をテレビにしているだけで受け身のままの人間だ。テレビには、そういう真面目くさったの抜きに、娯楽や話題提供効果もまあある。大自然とかトークバラエティとか寸劇とかみんなのうたとかくもじいとか放送大学、CMソング暗記、そういうのはまあまあ好きだったような。
 まとめると、オリンピックが見れない。ところがネットにもガンガンに上がっているんだなこれが(動画サイトたちとコラボったりはしないだけで)。もう境目とかなくなるっぽい。あと人んちに上がり込めば見れる。テレビとは見に行くものだ。



没稿(キティ・サーキット)


『市民。お出向きの第三区は現在管制下です。立入の際には身の安全が保障されない恐れが……』
「それで呼ばれた」
 俺は、動力が絶たれた自動ドアを無理くりこじ開けた。蒸れた臭いが立ち込めて、中の惨状を仄めかす。

「うえっぷ」
 どこもかしこも、滲出猫が占拠していた。
 踏まぬよう歩きながら、俺は頭上に目を凝らした。太いチューブの継ぎ目がズレていて、鍾乳洞のように粘っこい猫が垂れて来る。鬱陶しいそれらを避けると、猫は一旦ぼたぼたと床に広がり、ニャムニャムと言いながら原形を復元して、毛繕いを始める。猫チューブは至る所に張り巡らされているため、このような猫漏れが見られたら、区単位で機能麻痺に陥っていると考えてよかった。


 都市機能は猫、流体動物に依存している。ツナ缶、マタタビ、ハト・ゴキブリ・ネズミ、その他諸々の報酬で誘導された猫たちが、チューブを走る流れそのものとなり、物資やエネルギーを伝達する。境界を忘れた数割ほどの猫が溶けて消えてしまうとか、チューブ内を満たす緩衝液はそもそも猫の成れの果てだと噂されたりもするが、目まぐるしく行き交う猫一体一体を認識している市民が居るはずもなく、そう真剣には取り沙汰されない。

 俺はアパートの玄関を切開して、つまり施錠と水圧を無視して、押し入った。室内からは溜まった猫があふれ出た。俺はあらかじめ、運動向きの潜水服に着替えてある。溶かされたり取り込まれたりしない為に。
 小ぎれいな部屋だった。すり足で猫を掻き分けて行く中で、風呂場が出水箇所だと推定できた。一応ノックしてみると、意外にも住人の声が返って来た。

書始:2020/12月頭〜
理由:①このあとつまらない方向に何でもアリすぎた ②他に思い付いた ③(自分的に盛り上がらないということは)出オチてる ④モ●ルカーの後にかぶせる程のものかなと思った



ジンバルロック
 そんな必殺技をご存じだろうか。必殺技ではなく三次元空間でのプログラミング用語で、3D(球面上)の回転を、では軸三本(xyz)のかけ合わせでやっていこうとすると、なぜか固まってにっちもさっちも動かせなくなってしまう日が来るという、白昼の怪事件だ。
 行列の理解がマシになれば厳密に証明とかできて感覚に落とし込めるのだろうがそうではないので、もう一本複素数軸(w)を足すと自由度が確保されて解決するというオチも、面白話以上のものにできない。ピンと来なくても関数用意されてればもう深くツッコまないで使えてしまう。あまりよくはない。
 せっかく自由を手に入れてウェーイしていたのにすぐ凝り固まって身動き不能になってしまうのだから、オイラー角(軸三本)とはいかにも哀れである。スムーズさに投資しなかった選択肢群が役割の重複を引き起こし、意図されていたよりも少ない選択肢としてしか機能しなくなる。お前は俺だ。
 いや、ちょっとよくわからない。正気に戻れ。



・近況のつぶやき

(4月):適当にすべきことをしている。少し元気になった。
(1月):どこを直しても見苦しいだけだなと思ったもの(※年末の日記のこと)を引っ込めたのだが、それも見苦しい。今年は自活して健全に行きたい(※普通に働いて食ってるとかレベルの生活力のこと)。

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