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親友に感じるコンプレックスと向き合う

私には大学生時代に出会った、親友と呼べる友人がいる。

昔の私はどこかで彼女を羨む気持ちがあった。

距離が近いからかどうしても自分と彼女を比較して落ち込んでしまうのだ。

今は克服しつつあって落ち着いて文字にできるくらいのことになったので書いてみようと思う。

親友の性格

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彼女がいる場は自然と盛り上がるし、どんな場でも気付けば皆が彼女を囲って楽しく話している。

本当に楽しそうだなと人に思われる体験をして、失敗談や苦労話を面白おかしく話すのがとても上手。もっと話を聞きたい、彼女と一緒に何かしてみたいとつい思ってしまうのだ。

そして「能ある鷹は爪を隠す」と言うが、彼女はまさにそのタイプだ。

基本的には隙だらけで「アホだなあ」「なんか面白いことやってるなあ」「放っておけないんだよなあ」と人に思われる。

一方、彼女は教養のある面も持ち合わせている。

勉強がよくできるし、文学や美術作品に関する造詣も深い。彼女の家に行くと小難しいタイトルの分厚い本が壁一面の本棚に並んでいて、彼女の好きな画家の絵が飾られている。

物事に自分の意見を持ち、関心のある分野の議論を振られればしっかりと参加できる前提知識を持っている。

彼女と関われば関わるほど、普段のおどけた様子と教養ある部分のギャップに惹かれていくのではないかと思う。

本人も初対面はアホっぽくしてる方が仲良くなりやすいと分かっていて「爪を隠す」のだ。


人を頼るのも非常に上手でピンチがあってもそれを助けてくれる人が必ず現れる。

己に足りないものがよく分かっているからこそ、思い切って人を頼ることができる、ということなのか。

人と関わり、その人通じてまた新たな出会いを経験し、物凄いスピードでどんどん自分のフィールドを広げていく。

彼女の生活は直接人と関わる時間なくして成り立たないのだ。

1人の時間はほとんど持たず、四六時中人と関わって生きている。

彼女と自分の比較、すり減った精神

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彼女が明るいタイプだとしたら、一方の私は落ち着いていると思われるタイプだ。

出会ってから日が浅い人には「クールだね」「真面目だよね」「若いのに落ち着いてる」と言われる。

(打ち解けた相手にはふざけたこともたくさん言うのだが...。)

彼女は誰かと一緒に過ごすのが苦ではなくむしろ進んでそうするしアウトドアなタイプだが、私はどちらかというと1人でいる時間が好きでインドアな趣味が多い。

彼女は周りに助けを求めるのが上手いが、私は自分の不足を認めきれない上に自分で何とかしようとしてしまう。

彼女は話すのが上手で好きだが、私は話すのが得意でなく聞き役のほうが心地いい。


今では考え方を変えれば自分の性格も悪くないと思えるのだが、昔はどうしても受け入れられず「彼女のように」行動していたこともあった。

とにかく人と会う予定をたくさん入れて忙しくしてみたり、無理やりテンションを上げてオーバーリアクションで相手の話を聞いてみたり、彼女の話し方を真似て話してみたり。

自分の神経をかなりすり減らせば彼女「っぽい」振る舞いができたのだが、彼女の真似をすれば余計彼女との差を思い知ることになった。

どんなに頑張っても付け焼き刃の振舞い方では彼女が元から持つ良さには敵わず、虚しさを感じた。

自分らしさを受け入れる

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彼女と自分を比較して落ち込む日々に変化が現れたのは、彼女との物理的な距離が出来てからだった。

出会ってからというもの勉強も余暇もご飯の時間さえもほとんど彼女と共に過ごしていたが、私が休学して大学を離れたために会う機会がめっきり減った。

それによって知らず知らずのうちに「彼女だったらどうするか」という基準が自分の中に出来上がっていたことを自覚した。

いつも基準にしていた彼女の姿が見えなくなったことで、私の言動の基準がなくなり、自分自身のやり方を見つける必要性が出てきたのだ。

その時に気付いたのだが、それまで私は他人に否定されることをとにかく避けようとしていたのではないかと思う。

否定されるのが嫌だから自分の思いを口にせず胸の内にしまっておく。

自分をさらけ出して否定されたくないから、まるで仮面をかぶるように親友である彼女のように振舞う。

そうして自分を押し殺す間に何が好きで何が嫌いなのか分からなくなっていた。


しかし休学中に出会った様々な大人と接するうちに、全員が自分を肯定してくれるわけではないけども自分の気持ちをしっかりと受け止めてくれる人は必ず存在する、という安心感を得られた。

私の性格を根本から否定するようなことを言う人もいたが、私の意見に最後までしっかり耳を傾けて意見をくれる人もいたのだ。

自分の好きなものや苦手なものをさらけ出せば、私を否定してくる人も出てくるが逆にとても強く繋がりを感じてくれる人もいると分かった。

そこでやっと自分らしさを見つけて受け入れることができた。

今の彼女と私

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彼女と自分を比較してしまう思考を完全に消すことはできないが、比較してしまった後に「まあいいや、あっちもいいけどこっちもいい」と思えるくらいにはなった。

彼女は相変わらずたくさんの人に囲まれてたくさん助けてもらいながら生きている。

私はインドア派な部分に拍車がかかり以前よりもさらに人と会う機会は減った。

しかし私はそういう彼女もいいと思うし、自分のこともいいと思っている。

比較して優劣をつけることが当たり前になってしまっていたときは得られなかった考え方だ。


どっちもいいし、どっちでもいい。

彼女に限らず他人と自分を比較してしまう瞬間があれば、自分に言い聞かせる言葉だ。

今の自分のままでももちろんいい。でももし少し変えてみたくて、変えて自分がハッピーになるなら変えてもいい。その後元に戻してもいい。

自分が自分に納得できるように決断しながら生きていきたい。

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