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「お金で買う生活」を何も疑っていなかった

※頭の中を整理するための散文です。

この数か月間で、世の中の空気感が変わった。
今わたしは、かつて感じなかった不安に襲われている。

「まぁ~何とかなるって!」と楽天的なことを言えない。今回ばかりは。

なぜ不安なのか。
なぜ今までとは違うのか。

ただただ不安に襲われているだけでは、心が苦しいので、文章に書きだして頭を整理してみる。

「助け合い」が期待できないから、不安

今回のウイルス騒動では
・いつどこで感染するかわからないので、移動することを自粛する流れになっている。
・経済がどこまで停滞するか予想できないので、支援をする余裕を持てない。

上記の理由で、わたしはかつてない不安を感じていると思う。

過去の大きな震災や、経済不況などあったときは「比較的安全な場所にいる人々が、遠隔から支援する」ことが可能だった。物資やお金を送ったり、実際に現地に行って支援することもできた。

しかし今回の騒動では、困っている人を助けに行くことも、他人を助けるための余裕も「世界中のみんな余裕がない」ように思える。

先が見えない大不況になったら、身体的にも経済的にも、安全を確保することがままならない。

いつ自分が倒れるかもわからない。
いつ仕事がなくなるかもわからない。
いつ大不況が来るのかもわからない。

みんな家族や、自分の身の回りの人を助けるだけで精いっぱいなのだ。


資本主義社会との距離間を考えさせられた

わたしは現在、日本の片田舎にいるので、外部の人との接触は最小限だ。感染リスクがかなり低い場所にいれることは幸いである。身体的には無事だ。

しかし経済的な側面でみると、関わらせてもらっているお仕事が止まってしまったりしている。これから大不況になったら、より顕著に打撃を受けるかもしれない。

「じゃあ不安ばっか言ってないで、SNSに作品投稿したり、自分の資産を作る期間にすればいいじゃん!」という意見は、もっともだと思う。わたしもそうするつもりだ。

…でもやっぱり、大不況が来たら…

その資産がいつ活躍してくれるのか、見当がつかない。買ってくれる人がいなければ、資産として成り立たない気がする。

そう、こんなにも不安になってしまうのは、自分が資本主義社会にどっぷり浸かっているからだろう。

お金がないと、経済が動いていないと、先が見えなくて不安なのだ。

できるかぎり自給自足に近い生活をしていれば…ここまで不安にならなかったのかもしれない。

最低限の電気、水道があって、食べ物は自宅の畑で育てたものを食べる。そんな生活だったら、不安が少なかったろう。

「お金で買う生活」を何も疑っていなかった。食べ物も、住む家も、生活用品も、娯楽も、お金で買っていた。

でも、お金がなくなったら。

おそろしい。こんなにも、お金に頼って生きてしまっていることに。


不安との向き合い方を考えてみる

ここまで、つらつらと不安について書いてみた。

だいぶ頭の整理がついてきたので、今後の身の振り方について考えてみる。

まず
・今できることをやるしかない
・本当にヤバくなったら、国の制度などに頼る

以上。結構シンプルだった。

やっぱり人間は、過去や未来など「今以外」のことを考えると不安になってしまうものだ。未来が見えないって、そりゃ見えんよな。預言者でもないし。そもそも預言者なんかいないし。

今に集中したマインドフルネスな気持ちで、毎日を過ごそう。


少しでも早く、世界中のみんなが平穏に暮らせますように。

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