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17歳のある朝両親に捨てられた私があの日感じたこと

宇宙の法則と東洋占術を味方に人生を豊かに導くサポート 高橋まゆみです。

私は
「今の人生が最悪な状況だったとしても
必ず人生を理想以上に変えられる」
と確信しています。

その1つに"私たちって願いを叶える"謂わば"具現化"する力を持っています。


人生がうまくいかない時には、どうしても願いが叶える力なんて私たちは持ち併せていないような無力な存在であるような感覚になりますが、私たちは"大きな運命の流れと願いを叶える力"を混ぜ合わせながら、人生のストーリーを体験していると思うのです。

私の父は、自己紹介にも少し書きましたが、エリートである裏でアルコール中毒に苦しんでいました。飲まない時期と飲む時期があって、飲む時期には料理酒も飲んでしまう。
そんな父を何とか飲ませないように監視する必死な母。ピリピリした空気の家の中に、安心できる場所はありませんでした。

母は教育熱心で厳しく、勉強・食事・環境全てにおいて良いものを用意し、そうすれば健康で立派で、何より父のようにアルコールに飲まれるような人間にならない事を願っていたし、同じ血が流れている以上、私が
"父のようになること"
を1番恐れていたように思います。

だから私が自由である事をとても恐れていて、母が信じる"正しい考え"であることを私に求めました。

食事はオーガニック
お金は貯めるもの
衣服は質素に
本は偉人の伝記
音楽や自然を大切に

幼心に大好きな母の愛情とは薄っすらわかっていても

ポテチも食べたい
流行りのリカちゃんも欲しい
可愛い服も欲しい
マンガも読みたいし
流行りの曲も聴きたいし
遊園地にも行きたい

子どもなら自然に湧き上がる好奇心が叶えられることがなければ、

理解されない分かってもらえない苦しみ

だけが渦巻いて、いつしか屈折した形で表現されるようになっていきました。

"反抗"です。

結果的に母は、アルコール中毒の夫(私の父)と激しく反抗する私の二重苦で、家庭を良くしようにも、理想的な愛に溢れる家庭にしようにも、どんどんほど遠くなっていったのです。
そこに母にとっては、救いのような男性が現れて私が17歳のある朝、母は家から出て行ったのです。

この時父は入院生活を送っていて、自宅に不在。もちろん相談できるような正常な精神状態ではなく、私はたった1人家に取り残され、結果私は17歳で1人で生きていくという選択肢しかなくなりました。
あの日、私は両親から私という存在が
"心底生きようが死のうがどうでもよい存在"
という烙印を押されたように感じて、深く絶望したのでした。

ここまでの
"幼少期からの人生"とこの
"17歳で両親から捨てられた"事実は長く私の人生に影響を及ぼし、私を苦しめましたが、紛れもなく私が両親に捨てられたあの日感じたもう1つの感情。それは・・

「ようやく自由になれた」です。

苦しみ抑圧された生活。ただ普通の家庭を望んだ私の叫びが届かない両親。そんな日々からの「自由」。

あの日私は深い絶望と共に未来への期待を感じていた。人はどんな絶望の中にいても、そこに希望の光を見たいのかもしれない。そしてそれが一見絶望に見えるような現実だったとしても、どこかにその絶望を叶えたい自分がいるのだと。

絶望感と罪悪感。
こんな自分を罪深い人間だと私は感じました。"心底生きようが死のうがどうでもよい存在"なのだから当然の報いだと思っていたのかもしれない。そんな風に私を呪っていたのは、私自身。
ただ、光を見たい自分の中にはほんの少しだけ、自分を愛したい自分がいた事も確かだった。
私は私を幸せにしたかったのだと思うのです。

私の人生で、これが最も古い抗いようのない"大きな運命の流れ"と家庭崩壊という一見すると誰も望まないような"願いを叶える力"が混ざり合いながら、"人生のストーリーを体験"した記憶となったのです。

まゆみ。


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