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8月18日(水) 青空を見た日の話。

あちらこちらに花が落ちていた。
雨に打たれて散ったのだろう。

バケツをひっくり返したように降っていた雨は幾分か落ち着いた。山の麓に住んでいるから一時は避難もしたけれど、特に大事は起こらなくてよかった。
夕刻の太陽が濡れたアスファルトを照らしていた。せっかく晴れたのだから外に出ようと思って、大学に本を返しに行った。

穏やかな西日。

包まれるような暖かさに、なんだか自由な気持ちになった。土の中から出たばかりの芽はこんな風にのびのびとした気持ちになるのだろうか。


雨ばかりだと朝と夕方の区別がつかない。
部屋は灰色一色でなんの代わり映えもない。
ここ数日は眠たいばかりで、一日中ぼーっとしている。夏休みも相まって、今日が何日で何曜日かもわからないような生活をズルズルと続けている。正す気力も起こらない。

最近、夜にエアコンをつけなくなった。
セミの声が静かになって、その代わりにツクツクボウシがよく鳴いている。道端には花と一緒にセミがよくひっくり返って、夏の生命力を裏づけているように見える。晩夏。
季節を感じることは尊いと思う。こんな時世で祭りやイベントはないが、生き物はいつも移り変わりを教えてくれる。


秋は好きだ。秋刀魚と栗ご飯を早く味わいたい。スーパーに行くと薩摩芋とモンブランのお菓子が並んでいて少しワクワクする。
紅葉と銀杏の葉の絨毯と、景色が深く色付いていくのを見ていると心が満たされる。
秋が好きだ。
何よりも嬉しいことは、わたしは秋の色が似合うということだ。

夏服と冬服の数着しかない貧相なクローゼットを見て秋服を見繕いに服屋へ行った。
行ったけれど何も買えなかった。

服を買うことに苦手意識がある。
可愛いと思っても、どうせ似合わないから、キャラじゃないからとカゴに入れない。店員さんの気遣いがなんとなく苦しい。試着室の閉塞感に耐えられない。服なんていっぱい持たなくていい、オシャレなんてしなくていいと言った母の顔がちらつき、そうだろうか、わたしはいろいろと着たいけどなと思いながらやっぱりいつも同じような服を買い換えるだけで済ませてしまう。

店内ですれ違った人のカゴに服がたくさん入っていた。
なんて豊かなんだろうと思った。
豊かとは、服をたくさん買えるだけのお金があるということではない。自分で自由に選んで、あれも着たいこれも着たいと思えることだ。きっと楽しいのだろうと思う。
そうなれないだろうか、わたしも。


歩いているとき、よく足元を見る。

『にじいろのさかな』という絵本を思い出した。

おわり。

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