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ゆっくり生きよう

2022年2月25日、私は38歳になったようです。

お父さん、お母さんが出会い人生を共にしようと決めてくれたから私はいまここにいます。ありがとう。

38歳という年齢が何か節目の歳なのか、noteを書くきっかけになったわけではありません。

実はつい最近まで数年ぶりにあまり無理ができないくらい体調を崩しまして、
ベッドで横になり、色んな妄想をしたり漫画を読んだり、少しだけ仕事をするという少しゆっくりした時間を過ごしている中で気づいたことがあり今パソコンのキーボードをカタカタ叩いているわけです。

サラリーマンを辞めて独立し10年目になります。

今現在はLiliとawesome9.という会社を大切にしながら日々活動しています。
私がやっていることやawesome9.を今年立ち上げた経緯は下記noteへ。


少し休んでいる中で一つ気づいたことがあります。

「あぁ、知らない間に結構疲れてるんだな、自分」

ふとそんな感覚が芽生えました。

それは体力的な問題なのか、精神的な問題なのか、わかりません。
ただ、あまり疲れたなぁとか、嫌だなぁとか、そういう言葉はリアルでもSNSなどでもほとんど発しない人間だったと自分では思っていたので少し驚きました。

Youtube、Instagram、Twitterなど世の中には数えきれないほどのSNSが存在し、
目的を持って運用してる人、情報収集のために使う人、目立ちたい、バズりたいと思って使う人など様々だと思います。

私もSNSのおかげで人の繋がりができたり、仕事が増えたり、ましてや会社を作るなかまが出来たりとSNSには感謝でいっぱいです。

一方でSNSによって嫌な気持ちになったことも沢山あります。
いわゆるアンチコメントだったり、殺人予告まがいのメッセージが来たり、ありもしないことを噂で流されたり。

嫌なことと良いことを天秤にかけた時、私は良いことのほうが勝つのでまだSNSをやれているんだと思います、これが逆転したら綺麗さっぱりSNSは辞めるでしょう。


私どちらかというと人付き合いが上手い方ではありません(根底では)

でも、それを外に出さずに良好な関係を築くために努力する能力は長けていると思っています。
嘘の中で人と付き合うのとはまた別、好きな人は本当に好きだし、どこまでも協力したい、力になりたいと思います。

若い頃情報弱者がゆえに多額の借金を背負ったりしたことも何度もあります。

周りからはそんな状況耐えられるわけない、それに人なんて信じれない。
ほぼ100%の人がそんな言葉を投げかけたくなるような状況だったようです。

恐らく自分にはいい意味で何本かネジが外れているんだと思います。

「あーあ、またか。まぁ仕方ない。」
そこに怒りもなければ悲しみも強くないです。
自分にとって嫌なことがあった時に落ち込んだり、ネガティブになるボタンが無いのかもしれません。

だからまた性懲りも無く全力で人を信じるし、そこに見返りも求めない。
見返りを求めだすと自分が嫌いになることもわかっている。
見返りを求めようと思ってしまう人は私が本当に好きな人ではないと判断し適切な距離をとろうとします。

ここまで見るとまるで機械のような人間ですね(笑)


「あなたは素晴らしい」
「才能に溢れてる」
「頑張っている、必ず良い結果がでる」
「君の未来は明るい」

こんな類の言葉を投げかけられたこと、一度はあるかとおもいます。

嬉しいですよね、頑張ろう!って思いますよね。
でも、苦しくもありますよね。

結果が出ていれば苦しくなることもないのかもしれない、でも自分の満足のいく結果が100%でていることなんてほとんどない気がするんです。

この世から去る時にそのジャッジが下されるのかもしれないと思ってます。

でもその言葉に応えるため、SNSで色んな方に認めてもらうために突っ走る、
そんな時期が続いていました。

私は時々、「人生はいつ終わるか分からない、それは明日かもしれない」こんなニュアンスの言葉を発します。


それは実際にそのように思う体験を何回かしたことがあるからなのですが、人の死に近くなればなるほど、自分が年齢を重ねれば重ねるほどそんな想いが強くなっているからです。

そのためにも時間を無駄にしてはいけない、自分の時間も相手の時間も。
全ての人に与えられる平等は時間だとも言われています。

ただ、そんな気持ちで日々過ごしている中でふと、
「自分は何をそんなに焦っているんだろう、何のために生きているんだろう」

こんなことを思う自分が時々出てくることもありました、厳密にいうと毎日そういう自分との戦いですな。


私は今、卓球のコーチ、卓球カフェの運営、写真家として、映像クリエイターとしてなど複数の顔を持って活動しています。

よく、SNSのDMなどでこんな質問をいただきます。

・なぜそんなに色んなことにチャレンジして結果を出せるのですか?
・村田さんのようになるにはどうすればいいですか?
・自分の才能に気づくためにやってきたことはなんですか?
・人生がとても楽しそうです、自分もそうなるために必要なことは?

まぁ、物凄い褒めてくださっていますよね。。。。

ある意味そう見えてくれているのであればそれはそれでありがたいし、自分の普段の活動は変にみえていないんだなともとれます。

ただ、一つ言えることは。

チャレンジして結果が出ているように見えるのはほんのちょっと出た結果だけを見ているからでその何倍、いや何十倍も失敗して心折れそうになっている。
私のようになるのだけはやめたほうがいい。しなくていい経験や苦労がわんさか待っています。
自分の才能に気づいたことは悲しいかな、一度もありません。そして今やっていることに対して自分には才能があると思ったこともありません。ただ、誰よりも好きである自信はあります。
人生は楽しまないと損!と言いますが正直9割苦しいです。
生きるって大変です、その隙間でちょっと楽しいことがあるからこそ人生って楽しいーって心から思えるんじゃないかと思ってます。修行ですね、私の場合。
綺麗事を言うつもりもないし、中には辛いのも含めて全部楽しんじゃえ!って言う方もいると思います、本当に羨ましいし尊敬します。
あくまで私の考え方、価値観です。


人間は色んな一面を持っているものだと思います。
私もしかり、常に人や周りを信じたい自分と信じれない自分が同居しています。
もちろん自分自身に対しても同じです。

いいことばかり言ってくる人に対してはまず疑いますし、誰にでも同じようなこと言ってるんだろうなと思ってしまいます。

素直に受け取ればいいのに、その人は思ったことや感じたことを直球で相手につたえられる素晴らしい人間なんだから。

考え方一つでこんな真逆の受け取り方になります。

そんなことをここ数日考えていました。


私は仕事上、人のことをレンズを通して見ることがとても多いです。

これは不思議なんですがレンズを通すと今まで見えなかったその人の新しい一面や本質が見える気がします。

新しい自分と出会うことって感動する時もあれば、ショックを受けることもあるものだと思っています。

それも踏まえて全て受け止める覚悟がないと撮れないと私は個人的に思っています。

でもそれが好きなんですよね、恐らく。

私は明日には今普通に毎日見えているものが見えなくなる可能性があります。

だからこそ今見えているものを残したいし、いろんな景色や人、瞬間を残すことで自分の人生が終わる時に色んな人の心の片隅に残り、笑ってくれればいいなと。


最近SNSを見たりしていると少し前の私のように焦って突き進もうとしている人をなぜかよく見ます。

止まるなとはいいません、突き進むべき時は突き進んでいいと思うので。

ただ、少し歩みをすこしゆっくりにすると自分でも驚くくらい余裕ができたり、気づいたらはるか先まで進んでいたなんてこともあるかもしれない。

結果が出ないのは頑張っていないからだ、努力が足りない、やり方が間違っている。そう言われがちの世の中、ましてや無理にそう思わせてビジネスに繋げようとする人たちもいる。

全て正しくやっていても結果が出ないことなんていくらでもあります。

それでもコツコツ積み上げていくのが人生なんじゃないかなって。

題名にある、「ゆっくり生きよう」はそんなことをボケーっと考えていた時に自分自身に課した課題です。

SNS含め、少しだけゆっくり生きてみようと思います。

まだまだ人生経験も大してしてない若造ですが今後ともよろしくお願いします。


そして、生きづらいなと日々悶々と過ごしている方たちの悶々がわずかばかりでも解消されることを願っています。

はっぴーばーすでー、じぶん。



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