11「ハチェット」/錆付くまで

1月20日リリースアルバム「錆付くまで/宮下遊」の感想noteとなります。
特典のコンセプトブックや対談CD、非公開MVについてもネタバレ有で触れてるので、未読未視聴の方はご注意ください。キルマーアレンジCD買いそびれ民(憐)。→2月27日追記:親切な遊毒者様に1枚譲っていただきました。ありがとうございます!note追加します。

錆付くまで/クロスフェード


生成された構造が錆付く前に、文字に留めておこうと思った。


錆付く前に切り落とせ
【ハチェット】

彼の作る曲は「聞く絵画」のようである。
絵描き、という肩書きが真っ先に思い浮かぶからだろうか?情景描写が容易く、MVを個々で自作したくなるような重厚で唯一無為の、いい意味でボカロ界隈らしくない作風。以前から思っていることだが、Mah氏の紡ぐ世界は、宮下氏がもつ儚く不気味な歌声との親和性がとにかく高い。あれは歌っているのではなく、描いている、もっというなら一緒に世界を作っているみたいだ。そしてお互いがお互いの見たい景色をかなりのシンクロ率で共有しているのではないかと思うくらい、「もうこれ以上の正解が分からない」。もはや歌ってみたでも書き下ろしでもない。異世界転生した宮下遊ではなく、最初からそこに住んでいたけどちょっと出かけてひょっこり戻ってきた宮下遊のほうなのだ。

「錆付くまで」の12曲中11曲が公開された時、書き下ろし提供者の欄にまだMah氏の名前が出てきていなかったので私の心はざわついていた。最後の1曲がMah氏じゃなかった時の現実を受け止められるか、あまり自信がなかったからだ。そのくらい「あなたがいなきゃ宮下遊のアルバムは物足りなくなるのよ」と言う歪んだ執着心を抱いている。いや、瑛太五月さんとかRinさんとか私好きだから、名を連ねたら小躍りするだろうけども……。なんというか立ち位置が違う。「紡ぎの樹」「青に歩く」と登場するスタメンMahさん曲を「一番好き!!」とはならないのに、いなきゃいないで、会いたくて会いたくて震えることが目に見えている。気のしれた兄弟みたいなポジション。

コンセプトブックに寄せた文章も、他のクリエイター陣にはないフランクさで笑ってしまった。彼独自のキャラクター性もあるのだろうが、「どうも!いつものMahです」という身内オーラを否めない(言い方)。そして自分のために書いたけど遊さんなら波長合うよねと言ってしまえる信頼感と確かな手応え。この曲を作るために音素材揃えちゃうガチぶり。いいですね。最後の1曲として勿体ぶらせていたのも、正妻の余裕というやつだろうか(言い方)。Mah氏、宮下界隈の「紫の上」では?

まぁそんなわけではじめて聴くのに安定の郷里【ハチェット】だが、今回は血の匂いのする情景だった。セクトが醸しだす滑るように巧みな洗脳と陵辱、トリックスター的な「軽さ」は排除され、ひたすら重く、浮かぶことさえ許されない沼地で溺れる不快感や倦怠感を全面に出している。かなり直接的でわかりやすい比喩が容赦なく、追い込まれたものをさらに追い込んでいく。「錆付くまで」ツアー最終局面にて逃げ場所を塞いでいく鬼畜。じわじわとクレッシェンドし、音圧を上げていくベース音に呼吸を奪われ、鵺の鳴き声が心地よく死を誘う。

【ハチェット】で歌われているのは、クリエイターとしてのMah氏の生き様と死に様ではないかとやんわり想像できた。あるいは思想的な戦いの課題を彼は抱えているのかもしれない。まだ彼は死んではいないが、その恐怖とはいつも背中合わせ。今まで自分の人生を預けてきた足が使い物にならなくなったその時分には、朽ちるに任せるのではなく、自らこの足を切り落としてやろう。負けるのも、時間に蝕まれるのものごめんだ、と。

コーラスやアレンジは最小限に、感情を露わにせず、努めて音に溶け込み、歌詞の異様さを際立たせる方向性で淡々と歌い上げている印象を受けた。仕上がるまでの過程で、声を荒げてみたり、太い声を出してみたり、悲痛な叫びを入れてみたり、色々手を加えていたのだが、最終的に「良質な曲」へ落ち着かせた、そんな紆余曲折がありそうだ。表面化しない禍々しい死闘を、この曲から察してしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?