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安心できる場所

自分の掘り下げを続けています。
自分に問題があるのは自覚していて、解決するために少しずつ探っています。

幼い頃、土日が大嫌いでした。
父親が家にずっといる日だからで、心が休まることはありませんでした。
「今日は何をしたら父が怒るだろうか」
「今日は母に怒るだろうか」
「今日の食事のメニューで父は機嫌が悪くならないだろうか」
毎週末、そんなことを無意識に考えていました。気に入らないご飯だとずっと機嫌が悪いし、食べなかったりするし、母に作り直させたりします。
私の足音にも「うるさい!」と怒ってばかりでした。どこに地雷があるかわかりません。

夏休みや冬休みの旅行は楽しい思い出のはずですが、私の記憶では、計画どおりにいかなくて怒っている父の姿、焦っている母の姿が鮮明に思い出されてしまいます。
苦しい思い出です。

今まで、異常だと思いたくなくて封印していましたが、自分のために少しずつ解放してあげようと思います。そのために言語化が必要なのかなと思い書いています。

父がいる場所は、私にとって安心できる場所ではなかった。不安でした。
大学生になってから、家に帰りたくなくて夜遅くまで外にいました。父から怒りの着信がありましたが、怖くて出られず無視していました。
結婚して家を出てとにかくほっとしたのは、父がいない家にいられることでした。

父が嫌いではない、私を愛しているのはとてもわかるから、ずっと変な関係でした。今でもなかなか会いに行けないのです。複雑な関係だからです。
実家が、懐かしい場所ではありますが、安心できる場所ではないのですね、ずっと。

私が娘に対して怒ってしまうときに、ハッとするときがあります。
彼女にとって私がいることはつらいことにならないだろうか。
居心地を悪くしてないか。とても不安になります。娘にとって、自宅が安心安全な場所てあってほしいし、そうであるべきです。

自分にとって、安心できる場所は、今の自宅、心を許した友人たち、顔見知りの多い行き付けの店、なのかなと思います。
一人きりの時間もほっとします。
私は時々ビジネスホテルに一人で泊まり本を読んだりするのですが、それは安心できる空間を確保したいからなのかもしれません。
一人で狭い部屋にいるとほっとするのです。

こうやって自分を分析すると、そんなに悲しくはなくて、ああそういうことかともつれた糸がほどけていく感じがします。
もう少し、自分を見つめてみようと思います。



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