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清潔感と品

その昔私は「清潔感とはなんぞや」と考えを煮詰めた事がある。
先に答えを言うと「衛生では無く見た目」であった。
清潔感という言葉を見るとその漢字から衛生面を読み取ってしまうが実態はそうでは無い。

痩せていてスーツを着ている人
(三日間風呂に入っていない、スーツは1ヶ月クリーニングに出していない)

太っていてTシャツに短パンの人
(毎日風呂に入っている。服も毎日洗濯したてのものを着ている)

この2人の場合は前者に清潔感があると思われるのでは無いか?と思う。
清潔感と実際の衛生は関係が無いので突き詰めてしまえば風呂に入って無くても髪の毛は梳かしてシャツにアイロンかけときゃ大丈夫なのだ。
※ニオイに関してはここでは割愛させて頂く。

この世の中では清潔感はあるに越した事は無く、清潔感さえあればいいといっても過言では無いのかと思うほどに清潔感重視社会である。

ここでふと思い出した事がある。私は昔、大阪難波のたこ焼き屋の前でホームレスに話しかけられた事がある。
その男性は「おっちゃんは銭湯に行っとる。ほら、臭く無いやろ?」と自分の衛生について語り出した。毎日空き缶を集めてお金を作り、食べるものの次にお金を掛けるのは風呂に入る事、洋服はたくさん持って無いけども洗濯はいつもしてるという。たしかによく見ると服は擦り切れて色あせしていても小綺麗な身なりをしていて臭くは無い。「そうですね」と返事をしたところで友人に腕を引っ張られた。
この男性は衛生面に気を付けているにも関わらず清潔感が無いために「くさそう」だの言われて傷ついていたのでは無いか?と推測する。
残念な事に衛生は目に見えないのだ。

人間は目で見たものでほとんどの事を判断してしまう。
いくらでも作る事が出来る清潔感に関わるのが「品」である。品がある人と清潔感は切っても切れないのでは無いかと思う。
これは見た目での知性も関わりそうだがとりあえず品という所に重きを置いて続ける。

下品な人
というのがいる。
これは考えるとなかなかに曖昧で、「上品、下品」と「品がある、品がない」についてはちょっと種類が違うのでは無いのか?と思う時がある。
私の主観で申し訳ないが、下品な人というのはその人の内面を指しているように感じる時がある。(ところが上品については見た目を感じてしまうのだ)
下品な人というのは、デリカシーの無さやモラルの無さ、思いやりの無さなども組み込まれているように感じる。
つまりは自分や他者を丁寧に扱うという事をしていないのが下品という事になるのでは無いだろうか?

私が思う下品な人の対義語は優しい人という事になるのかもしれない。

さて、私が言いたい事は
清潔感は作れるという事である。
作られた清潔感には品がついてくる。
見た目が良くなると周りからの扱いも変わるので、そこで自分も同じように相手を丁寧に扱ってみてはどうだろうか?

太っていたり、痩せていたりも関係するかもしれないが
一番大事なのは洋服と髪型であると思う。
服がシワシワだったり汚れていないだろうか?
髪の毛がボサボサじゃないだろうか?
ここに気を付けるだけで清潔感は急上昇する。
そして、不思議な事に安心感や信頼出来るという印象も与えるのである。
「人は見た目じゃ無くて中身」とはもちろんだが、まずは目からの情報を良くしておく事は損では無いと思う。
誰にでもいい顔をしろと言っているのでは無い。
失礼な人や、嫌いな人などには毅然とした態度で接してもらいたい。

清潔感あるけど実際は不衛生で性格最悪な人も星の数程いるのは確かである。
私は、あなたという人が清潔感のある人になったらもっとたくさんの人と出会い、関係を築き、人生経験が深まるのでは無いかと思っている。

関係を築いてから、自分の内面を出してみてはどうだろうか?
実は大雑把でズボラ、実は口が悪い。など。
関係を築いてからだとそれはギャップとして好意的に受け取られることがある。

初対面で失礼な物言いをする、清潔感のないあなたへ。
私はあなたのことが嫌いです。

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