見出し画像

黛灰で学ぶ心理学① 喪失と悲嘆

みなさん、黛灰の活動終了は受け入れられましたか?私はまだです。
このnoteでは、にじさんじ所属バーチャルライバー黛灰の活動終了にあたり、しがない心理学徒である私が考えたことや調べたことを書き連ねていきます。これが私なりの折り合いのつけ方です。しばしお付き合いください。

喪の作業(Morning Work)

喪の作業とは、フロイトが提唱した概念であり、喪失によって生じる心理的過程のことです。
喪の作業の段階モデルとして、有名なものでは、ボウルビィが提唱した4段階の心理的過程があります。
①無感覚・情緒危機の段階
②思慕と探求・怒りと否認の段階
③断念・絶望の段階
④離脱・再建の段階

他にも数多くのモデルがありますが、いずれも愛する対象を失ってから最終的に喪失の事実を受容し、希望を見出していくまでの心理状態を段階的に表している点で共通しています。
私は今②の段階にいます。皆さんはいかがですか?

あいまいな喪失(Ambiguous Loss)

あいまいな喪失には、2つのタイプがあるとされています。
・さよならのない別れ
身体的に不在だが、心理的には存在している状態をいいます。具体的には、行方不明や、離婚・引っ越しなどによる離別がそれにあたります。
・別れのないさよなら
身体的には存在しているが、心理的には不在である状態をいいます。具体的には、認知症や精神障害、アディクション(依存症)などで「もはやあの頃のあの人ではない」状態などがそれにあたります。
私は、黛灰の(もっと広く、Vtuber全体かもしれません)活動終了は「さよならのない別れ」に該当するのではないかと考えています。
あいまいな喪失では、喪失が最終的なものか一時的なものかが不明確であったり、葬儀などの象徴的儀式がなかったりするため、喪の作業を始めることが難しいことが特徴です。
また、あいまいな喪失の経験は、明確な喪失と比較して周囲から理解されにくく、あいまいな喪失に直面した人々はしばしばストレスに単独で対処せざるを得ない状況に直面します。
黛リスナー、孤独にならずに手を取り合って生きていこうな。

で、それが黛とどう関連するのか

葬儀は、遺された人々が死を現実として受け入れる助けとなることが指摘されています。
しかし、前述したように、あいまいな喪失では葬儀などの象徴的儀式が行われないことが多く、それが悲嘆が長引く要因にもなっています。
……ここまで読んで、リスナーの皆さんが思い出したことがあるでしょう。そう、生前葬凸待ち配信

凸した黛関係者の皆様はもちろん、視聴者にとっても、彼の活動終了を実感する機会になったのではないかと思います。立派に葬儀の役割を果たしていたわけです。
黛灰、天才か……?

しかし、「配信者としての死」「黛灰としてのこれからの生」を語り、身体的不在/心理的存在を強調したのもまた黛。残酷。

そんな黛灰のこと、俺は一生愛しているぞ。

参考

池内裕美,藤原武弘(2009).喪失からの心理的回復過程,社会心理学研究,24-3,169-178
平めぐみ,長野恵子(2014).グリーフケアから見た葬儀・法事,西九州大学健康福祉学部紀要,45,41-49
南山浩二(2016).あいまいな喪失——生と死の〈あいだ〉と未解決の悲嘆——,質的心理学フォーラム,8,56-64
災害グリーフサポートプロジェクト 「あいまいな喪失」情報サイト, 2022.08.07閲覧


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?