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引換券の期限が昨日までだった悔しさで枕が湿って寝れねぇよ


運命、悪戯しすぎだろ。


酷くないか神様。お戯れがすぎるわ。
なあ、教えてやろうか。
人間はな、繊細なんだよ。

おむつがお前の担任だったら
「あなたがそういう事する人だったなんて先生は悲しい」って確実に言ってる。


これがセブンの蟹パスタ1個プレゼントとかなら幾分ダメージも軽いよ。

当選者1名。それも3万円のお食事券。
で、引き替え期限昨日までなんだろ。

身に余る幸運を自覚させた後に地に落とすなよ。
悔しさで目から血が滲み出るわ。


え、初詣行ったよね。あん時のおみくじ大吉くれたじゃん。
なんで?
なんならその後に行った店の食事券だよ。当たったの。

んでもってどうして期限の次の日、おむつにそれをふと思い立たせて
ホームページ確認させて悔しさを倍増させるんだよ。
間に合わねえのに!!!!!!!
神様もしかして:性格悪い


え、おむつお前になんかした?
こんなんめちゃくちゃ嫌いなヤツに課す運命じゃん。

こちとらこんなものが当選する機会なんか無い人生送ってきてんだわ。
「ラッキー」とは対岸にある集落の生まれなんだわ。

その癖、毎回毎回宝くじだって期待してバカ正直に
一等から順番に確認してく純朴さだよこっちは。
ええ?面白かったかい。

一喜一憂する滑稽なピエロの余興は面白かったかって聞いてんだい。


自分の番号が大きく載ってるのを確認した時はそりゃあ嬉しかった。
一番上から確認するからね。見つけるのも秒だった。

何回も番号を読み間違えてないか確認した。
こんなん当たったことない。
おむつはこの手のものが当たる人生では無い。

何度読んでも自分の番号。心底心が躍った。


長年積んできた徳がついにここで花開いたのだと確信した。

道に迷って困っている着物の翁を目的地まで案内したり、
歩行器ごと道路で転倒し雪に塗れている老爺とエンカウントし、
乗っていた車を停車させて駆け寄って助け起こしたり…。

この令和の世に何かと困っている老人に縁のある
自分の2022後半ハイライトが走馬灯のように駆け巡った。
まんが日本昔ばなしだったら多分そろそろ莫大な富を得ているはず。


なんの打算もなく、善意からしたこととはいえ、
こうも巡り合わせると、何かしら良いことがあるのではと期待する。

善行は巡り巡って、私を助けてくれるのではないか。
てか、助けてくれマジで。頼む。

そんなことを思うこともあったが、無駄ではなかった。
すべてはこのために…。
あまりの嬉しさから、誇張ではなくリアルに震える手を握り締めた。

興奮から、隣の部屋で寝ていた母親を叩き起こした。
1万円分のお食事券が当たったよ。今度一緒に行こうね。

当然、母親は自分のことのように喜んでくれた。
いやまあ一緒に行くなら半分は自分のことかもしれない。


え〜〜本当〜〜〜〜?すごいね嬉しい〜〜〜!
行こう!絶対行こう!


この時の無邪気な時間を返してくれマジで。

何でもするから。
今その瞬間の母親の笑顔を思い起こすと、もう心が潰れそうである。
今思うと、何故ロクに確認もしないその段階で報告しに行ったのか。
誰か、そこで得意げな顔をしているアホを殺してくれ。

期限が切れていることを一人で確認し、一人で落ち込んでいればよかったろうに、
事もあろうに生みの親をその失意の海に巻き込んだ罪、重すぎるだろ。

その後の阿鼻叫喚は、言葉に言い表せない。
確認をしなかった己のズボラさと物覚えの悪さを棚に上げながら、
あまりの後味の悪さに
「私が何をしたんだよ!!!!!!!!!!!!!!!」
心中で泣き叫ぶ。

もし仮に
「(確認とか)何もしていなかったからこうなったんだよ」などと正論を誰かにほざかれていたら、私はその場で助走を付けて躊躇なくソイツを張り倒していたくらいには穏やかではなかった。
(そんなヤツ、地に伏せさせなくては気が済まない。モラルは中学生くらいに落としてきたので。)


刺す。

自分の甘さと、蠅のようにチンケな幸薄人生に対する嘆きと、
「いや引換期間短すぎだろケチンボ!」という店に対しての責任転嫁と、
無責任におみくじで「ヒャッホウ!あけおめ!お前もお前もみーんな大吉!」などと宣いやがった薄情な神に対する怒りと、
さまざまな感情がゴチャゴチャになった結果、
頭に浮かぶ言葉はまさにそれでしかなかった。

太宰凄いな。
人って身体真っ二つに裂けそうなくらい悔しい時、本当にこの言葉しか出ねーや。

ただ彼には「作者の人間性がちょっとね…」とかいう作品とは関係ない
川端康成の意見により、悲願であった芥川賞から退けられる、
な〜んていう悔しすぎる理由とバックボーンが存在する。
「刺す」相当の憎しみも生まれることだろう。

比べて私は、今さっき存在を思い出したお食事券の引換期限が昨日までで切れている、という事実を受け止めきれずに、顔を真っ赤にしてキーキー喚くうんちっぷりである。
客観視するとキツい。お前が刺されろ。

何なら現時点で一番に怒りの矛先を向けているのは、
この仕打ちをした神に対してであるから心底救えない。

命をかけて護った国の末路がこれか、と当時の日本人に嘆かれそうである。

しかもその店、気付いた日の翌日が定休日。
意地汚ねえ奴の
「すみませんあの…(当選番号を見せる)これ昨日気付いて…どうにか…なりませんよね…」という低俗な泣きの一手まで封じ込めようとする残酷なやり口。
嘘だろ。神も仏も死んだのか。マジで。





唐突だが、私は怒りに飲まれて恐ろしいほど感情的に行動することがある。
例えるなら、自分も含め誰も手を付けられないレベルで気性の荒い虎を飼っている。
普段は静かに寝ているが、時折ソレはのそっと起きてくる。

具体的にどういうことか。ぶっちゃけていうと、この場合なら
「いや、何とかならないんですか?」と悔しさと憤怒を相手にぶつけ、
食って掛かってみる
等だ。
最低である。改めて一度死んだ方が良い気がしてきた。


そして更に悲報だが、私は悔しさが激しい怒りに変わるタイプで、
怒りが湧いた時点で燃え尽きるまで行動し続ける。

つまり今、着火燃料は無尽蔵である。



ただ、そんな八つ当たり行為が何も産まないことを、
人生経験上、いい加減分かってきた。

私自身、もうそんなことはしたくないのだ。
しかしソレが目覚める瞬間というのは思いがけず訪れるもので、
眠っていたデッケ〜虎が首をもたげる度、
出てきちゃダメ!とナウシカの王蟲よろしく木の根に隠したくなる。

最近はその形を潜め、可愛い子虎はお花の近くで
毛玉のようにコロコロ転がって遊んでいたが、
それももう見納めである。


ヤバ過ぎる害悪な虎はきっと、近日中に営業日に店舗へ赴き、
店員の喉笛を喰らいたい衝動を堪えながら、最後の悪あがきをして無惨に散り、
「ハッそうですか…もういいです、もう二度来ません」などとほざきやがるし、
私が店員でも「二度と来んな」と思う。


それでも、無駄と分かって居つつも、その時だけはそのムーブをせずにいられない。
だってその時だけ歯茎から血が出そうなくらい悔しいんだもん。

ここ数年は縄張りのアムール川のほとりにも自分を脅かす外敵がなく、
牙も爪も丸くなってきたので「なーんだ、かわいいネコチャン」とホッとしていたが、
時たま今回のようなことがあるので肝が冷える。


一つ誤解してほしくないのは、
虎を飼っている側も決してそれを善とはしていない。


お帰りください!困りますお客様!
と荒れ狂う気の狂った猛虎にも毎度、必死に応対している。
その時は手がつけられなくなってるだけで、本当はこんなんしたくないのである。


叢でバケモンから戻れなくなって悲しそうな声で泣いてる虎がいたとしたら、
それは詩人になり損ねたアイツか私だ。

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