友情と戦争について教えてくれる傑作!「拝啓天皇陛下様」渥美清主演、1963年松竹
「拝啓天皇陛下様」
1963年松竹、野村芳太郎監督、渥美清さん、長門裕之さん主演による映画。
日本人の庶民にとって、戦争とは、軍隊とは、どういうものだったのか?を教えてくれる、傑作である。
ありのままを、「喜劇」として描いているからこそ、逆にリアリティがあるように感じる。
天皇陛下に関するお言葉を聞くとき、「恐れ多くも!!」の言葉に条件反射する軍隊!
滑稽に見えるが、実態を的確にデフォルメしているのではないだろうか!!
ボクは、以前にこのnoteにも書いた、「日本のいちばん長い日」を観た後、
この「拝啓天皇陛下様」を観た。
昭和天皇陛下を中心として、大日本帝国政府側と、そこに暮らす庶民側と、「日本のいちばん長い日」と、ちょうど対をなす形で、75年前の日本の「戦争」が描かれており、より感慨深く、この作品を味わうことができた。
日本の根底に脈々と横たわる格差
大日本帝国憲法下の日本では、大学を出た作家の卵であるムネさん(長門裕之さん)にも、カタカナしか読み書きできないヤマショウ(渥美清さん)にも、平等に兵役義務が来る。
ある意味、近代国家「大日本帝国」の平等な「軍隊」が、この二人の熱い友情のきっかけとなるのだが、軍隊に対する思いや、その制度として、軍隊内の階級などにおいて、二人は完全に平等というわけではないことを、この映画はリアルに描いている。
日本における、出自や学歴による、おそらく江戸徳川時代の身分制度まで遡る、脈々たる格差も、この映画は描いている。
仲間の鶴西(桂小金治さん)の嫁様からの手紙を通じて描かれる、日本の農村における貧困。
その窮状は、青年将校たちを五・一五事件に向かわせる。
その後、日中戦争により再招集された時には、大学卒のムネさんの方が、階級は上になり、やがては、「分隊長」として中国戦線に向かい、その経験をもとに、国威高揚作家として、時代の人となるのだ。
時代に翻弄されたのは・・・
しかし!!
気付いたのだが、衝撃的な結末を含めて、この映画は、一見、カタカナしか読み書きできないヤマショウの悲劇を描いたように見えるが、よくよく考えてみると、そのヤマショウよりも、学識のあるムネさんの方が、「戦争」を含め、その人生を時代に大きく翻弄されているのではないだろうか?
確かに、ヤマショウにとって、天皇陛下の「軍隊」は、腹いっぱいおいしい飯を食わせてくれる、ありがたい存在に違いない。
しかし、ボクの印象に残ったのは、その「軍隊」に属さない時期の、ヤマショウの地に這い蹲るような、ある意味逞しい生き様である。
先に書いたように、国威高揚作家として持て囃された時代から一気に落ちぶれて、戦後、嫁様のヤミ屋商売に頼っていたムネさんと比較して、軍隊から、九州の炭鉱、ヤミ屋商売、日光開拓団、華厳の滝の死体処理から、高度経済成長期の東京の水道工事人に至る、ヤマショウのバイタリティ!!
それでも変わらない友情
とはいえ、このムネさんの、己惚れることなく、決してヤマショウを見捨てない人柄にも大いに惹かれる。
このムネさんとヤマショウの「友情」が、デフォルメされながら過剰なまでに美しく描かれていることも、この映画の魅力であると思う。
ムネさんは、その「学識」に囚われるが故に、「挑発じゃ!」と言って盗みまで働く、バイタリティからくるヤマショウの「変わらなさ」に対して、必要以上に厳しく当たってしまう。
それは、ムネさんの自分に対するやるせなさの裏返しであり、自分を翻弄する「国家」に対するやるせなさに他ならない。
ムネさんの嫁様、ブラボー!!
特筆すべきは、最初、ヤマショウを嫌っていたムネさんの嫁様、秋子さん(左幸子さん)の、変化である。
戦後、国家から見放され、落ちぶれて、ある意味拗ねて生きているムネさんに代わって、ヤミ屋の手伝いをしながら、逞しく生活を支える、ムネさんの嫁様、秋子さん。
まぁ、ボクも嫁様を持つ身となったからこそ思うところは多いのだが、ムネさん!!秋子さんを嫁に持って幸せだよ!!
「女性の逞しさ」と申し上げると語弊があるかもしれないが、秋子さんから見ると、ふてくされた旦那さん、ムネさんの姿よりも、逞しいヤマショウの姿の方が、ある意味魅力的に映ったのではないだろうか?
秋子さんは、何かを感じ取り、すぐにヤマショウ贔屓の態度になる。
あ!誤解なきよう!!笑
もちろん、秋子さんが終始一貫、愛しているのは、ムネさんである!!
この映画を観ている側からすれば、秋子さんが、夫の友情を大切にする心意気、そして、ムネさんの夫婦関係の幸せに安心することで、秋子さんと思いを共にしながら、粗野ながら愛すべきヤマショウの人柄に、素直に感情移入していく!!
そして、映画の観客は、ヤマショウが心を寄せるセイ子(中村メイ子さん)との結婚を、ムネさん、秋子さんと共に、全力で祝い、応援したくなってくるのである!!
岡山県が舞台!岡山出身として・・・
少し視点は変わるのだが、ほとんど予備知識無くこの映画を見始めて、岡山の「歩兵第10連隊」が舞台であることに、岡山出身者として、驚いた。
渥美清さんも、長門裕之さんも、全編にわたって岡山弁!!
そして、軍隊のヤマショウとムネさんが通う花街「中島」!
よくよく見ると、長門裕之さんの後ろの背景!!
ボクも通学して何度も通った、岡山の京橋、小橋、中橋の、正に「中島」から見た光景!!
超懐かしい!!!
映画を観た後で、この映画が本当に岡山市内、しかも売春防止法施行直後の中島でロケされたことを知った。
実はボクも学生時代に、ここ中島でロケを試みたことがあるのだ。
まぁ、未完成のままお蔵入りしてしまったのですが・・・
しかし、「中島」は、岡山中心部にありながら、かろうじて、今でも遊郭の名残を多く残す場所である。
改めて、次回岡山に帰った際に、訪問したいと思った。
満期除隊となった二人の背景に映るのは、岡山城と後楽園の入口に架かる「鶴見橋」。
この橋が、1930年(昭和5年)の陸軍の大演習に天皇陛下を迎え入れるために現在の形に改修されたことを初めて知った!!
そのヤマショウが天皇陛下と出会う、陸軍演習も、かなりスケールが大きく描かれており見応え十分である。
今の日本にも通じる・・・
この映画では、日本においては、ヤマショウのような庶民階級ほど、天皇陛下への忠誠心、愛国心が強く、そのことが、戦前、大正デモクラシーや、幸徳秋水などによる社会主義運動を経ながらも、ソ連や中国共産党のように、共産主義革命にはつながらなかったという歴史的側面も端的に描いている。
1963年、正に、60年安保闘争の運動が盛り上がりつつあった時代において、冷静に日本人庶民の根底的な心境を綴ったこの映画が、どのように観られたのか、非常に興味があるところである。
油断していると、平和は簡単に壊されてしまう。
特別出演した、山下清さんのセリフ、盧溝橋事件に際して、「こっちは戦争するて書いてあるし、こっちはしないて書いてあるし、ボクにはさっぱりわからない!!」
そんな曖昧な報道がされながら、日本は、長い長い、戦争の悲劇の時代に突入していくのである。
1963年、戦後、たった18年目、まだまだ戦争の記憶を残す人が多かった時代に、単純に悲劇を伝えるだけではなく、リアリティを持って描かれた、痛烈な反戦映画として、今こそ観なおすべき映画であると思う。
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