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NHK連続テレビ小説「虎に翼」放送が終わって~法律を学ぶということ~

2024年9月27日、NHK連続テレビ小説「虎に翼」最終週130話、最終回の放送が終了しました。
伊藤沙莉さんをはじめとする出演者のみなさん、脚本の吉田恵里香さん、統括プロデューサー尾崎裕和さんをはじめとする制作陣のみなさん、本当にお疲れ様でした!ありがとうございます!

前回に引き続き、「虎に翼」について。

前回は、自分の映像制作挫折経験を主に書いたが、もう少し追記したいと思う。


「法律を学ぶ」ということ

まず、ボクは「法律を学ぼう!」と思わなかったよなぁ、ということ。
まぁ、18歳のボクは「宇宙の誕生を、真理を解明したいのだ!!」と思って、自然科学系の学部を希望していたのだが、数学で躓いて、みるみる理系の成績が落ちていき、本を読むのは好きで、何とか必死に食らいついていた国語の成績を持って、日本文学を専攻することになるのだが、それ自体は、今も良かったと思っている。
まぁ、高校生、18歳のボクは、未熟なりにも他にもいろいろ選択肢も考えてはいたけれど、「法学部」というのは、全く選択肢になかったなぁ、と。

そもそも「法律」って何なのか?

御幣を恐れずに申し上げると、ボクは人間はそもそも「自由」であり、それこそ、「人間は、人間を殺す自由も持っている」と思っている。

「虎に翼」のなかで、美佐江とその娘美雪が、寅子に質問した、「どうして人を殺してはいけないのか?」へのボクの回答としては、寅子の「本能的に人を殺してはいけない」という回答とは異なって、「人を殺す自由も人は持っている」というものになる。

終盤のクライマックスになった、尊属殺人重罰規定違憲判決に描かれたように、暴力や強姦からの防衛のためのに殺人という方法を選ばざるを得ないこともあると思うし、何より、国家による「戦争」という行為は、「人間が人を殺す自由」の国家的な悪意を持った濫用ではなかろうか。

だがしかし!!

人間は、社会的な動物である。
人間が、社会的に集団生活を送るためには、「ルール」「規範」を作らなければならない。社会の中で、人が人を自由に殺す自由を振りかざしていては、その社会は成り立たないのだ。
人間はその生物の生存戦略として、「ルール」「規範」を作って、生き残っていかなければならないのである。

その社会の「ルール」「規範」である「法律」を制定したり変更したりする権限を、古代では、一部の権力者が持っていた。
しかし、歴史の中で、数々の闘争を通じて、「市民」「国民」がその権限を勝ち取り、近代民主主義国家の成立に至った。

と、ボクは、法律についてぼんやり考えている。

いや、ボクは、「法律」を「ぼんやり」としか知らないから、この社会を上手く乗りこなせていないとも言える。

寅子は、
「法律は盾のようなもの」
「法律は水源のようなもの」
「法律は船のようなもの」

「虎に翼」の中で、物語が進むごとに、そのように、自分の言葉で語った。

社会に出て、社会を上手く乗りこなす、生きていくために、確かに「法律」について学ぶという道があったのだな、と、改めて学んだ。
高校生、あるいはそれ以前のボクが、この「虎に翼」と出会っていたら、もしかしたら「法律について、学ぼう!」と思ったかもしれない。

子どもと一緒に観れたことが、何よりうれしかった「虎に翼」

「虎に翼」最終回を観た翌日、家族で明治大学博物館で開催されている「虎に翼展」を見て、お茶の水界隈の「虎に翼」所縁の地を散策してきた。
甘味処「竹むら」は、さすが朝ドラ効果!ものすごい長蛇の列で断念。

実は、どういうきっかけだったのかわからなくなったのだが、恐らく夏休み期間中だと思う。
ボクが「虎に翼」を観ていたら、ボクの娘も興味を持ってきた。
もちろん、ボクは全く強制したり、「見てごらん」なんて促したりもしていない。

こういう時に、子どもが観ても、危険な表現など無いだろうと、安心できるのも、朝ドラのいいところである。

ボクは、子どもが興味を持つままに、NHK出版の「虎に翼」ガイドブックなどを買ってくると、子どもは喜んで読み漁り、ボクよりも俳優さんの名前を憶えているくらいである。

NHKで取り上げてくれた、三淵嘉子さんの「偉人の年収How much?」なども観たそうだ。

そうこうしているうちに子どもは、学校の図書館で学研から出版されている「弁護士のひみつ」という本を借りてきて読んでいる。

ボクは、「法律を学ぶ」ということが、どういうことなのか、幼少時代に出会うことは無かった。
しかし、こうして「虎に翼」を通じて、「弁護士」「裁判官」など「法律を学ぶ」ということに出会ってくれたことは、ボクができなかったことだからこそ、とてもうれしく思っている。

まぁ、この「虎に翼」では、寅子の親である直言やはる、そして、寅子の親としての、娘である優未との葛藤、さらに、航一と事実婚した後の、星家の子どもたちとの葛藤や、家庭裁判所を通じての、多くの子どもたちとの葛藤・・・。
この「虎に翼」がたくさんの「母親」に「完璧じゃなくていい!」というメッセージを送っていたが、ボクたち父親にとっても、いろいろな面で力を与えてくれる描写がたくさんあったように思う。

未来に繋げていかなくてはならない。

このドラマを見て、改めてそう強く思う。

ボクの映画に出演してくれた統括プロデューサーへ

「虎に翼」統括プロデューサー、尾崎裕和さん。

ボクが学生時代、「少国民の夏」という映画を撮っていました。
何度か撮影をしたのですが、ボクの力不足で、その映画はお蔵入りになってしまいました。
本当に申し訳ございません。
実は、尾崎さんも学生だった当時、縁あって、その映画に脇役ですが出演してくれました。
本当にありがとうございます。

今、ここに書いたのは、尾崎さんの功績に乗っかろうという気持ちは毛頭無い。
微塵もない。
そして、尾崎さんが統括プロデューサーだったからこの「虎に翼」を称賛しているのではない!
実際、尾崎さんが統括プロデューサーだったことは、ボクは「虎に翼」にハマった後で知ったことである。

ただただ、ボクの拙い脚本を読んで、出演してくれた尾崎さんが、この「虎に翼」という作品を、2024年にNHKで制作してくれたことが、本当に嬉しいです。

ボクの拙い言葉で申し上げるよりも、鴻上尚史さんがおっしゃっていたのですが、

僕が創りたい作品は、芸術と芸能の両立です。芸術は、「あなたはそれでいいのか?」と見る者を挑発します。芸能は「あなたはそれでいいんですよ」と肯定します。綱引の片方に芸術が、その反対に芸能があり、その綱がピンと張り、その真ん中に作品が位置する、そんな作品を日々、目指しています。 『虎に翼』は、そんな作品の一つでした。

鴻上尚史X(旧Twitter)

正に、この鴻上さんの言葉通りなのですが、この「虎に翼」を観て、ボクは、「もうこれ以上に目指す作品は無いんじゃないの?」という満足感と、「いや、『虎に翼』が製作されたからこそ、ボクは、ボクらは、もっともっと作り続けなければいけない」という、背中を押されるような思いを、同時に強く感じているところであります。

とにもかくにも、「虎に翼」は終わりました!

さよーならまたいつか


ムーニーカネトシは、写真を撮っています!
日々考えたことを元にして、「ムーニー劇場」という作品を制作しておりますので、ご興味ございましたらこちらをご覧ください!
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