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デジカメと出会った頃

パラレルワールドのムーニーマンは、2008年に完成した映画「Kenji」の主人公だ。
その主人公であり、パラレルワールドのボクは、「写真展ムーニー劇場」など、開催していないだろう。もしかしたら、デジタル一眼レフカメラさえ、持っていないかもしれない。

ボクが、そもそも、写真を始めた経緯は、今回の本題ではないのだが、小学生の頃に、親のカメラで鉄道写真を撮り始めたことである。
その後、大学時代は写真部で、モノクロフィルムの現像、プリントをして、写真展に出展するに至った。

しかし、社会人になって以降、しばらく「写真の空白時期」が存在する。

ボクは、映画「Kenji」の元になる、その頃のタイトルは、「23」という動画撮影に没頭していた。
そして、世間的にも、ちょうど「デジタルカメラ」が、性能面と、価格面で、一般的に普及し始めた頃だった。
しかし、廉価で小型のコンパクトデジカメの画質は、まだまだフィルムの画質に及ばなかったし、ボクの頭の中でも、まだまだ写真は、フィルムで撮るべき!という考えがあった。

いや、それよりも、ボクにとって、その頃は、記録は全て、動画だった。
miniDV、テープ方式の、デジタルビデオカメラをどこにでも持参していた。
一応、今でも友人であり、「Kenji」の監督を務めて頂いた、Mashimatixさんから譲り受けた、DV方式が再生可能なデッキを持っている。
しかし、その頃に撮りためた大量のDVテープは、度重なる引っ越しで、一部は捨ててしまったし、残った映像も、DVD化はほとんど進んでいないのが、実態である。

おかげで、ボクの2回目の海外旅行、ドイツハンブルク~ベルリンや、父親が元気で、父が、ふと思い立って、実家でアヒルを飼い始めた頃の記録が、全て闇のなか、、、と申し上げてよいかもしれない。

2004年頃、かなり性能が向上したデジタルカメラを購入し、ボクの写真生活は、少しづつ復活してくる。

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2004年、ドイツ、ベルリンの友人宅でカレーを調理する、ムカつく顔のボクである。

2008年、映画「Kenji」が、完成。
完成に至るまでにも、監督である、mashimatixさんからボクのお酒による、失態により破門されたり、それだけでも、noteに書くことはたくさんある。

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しかし、その後、名機!?SONY Syber-Shot DSC-W1を手にしたころから、再びボクの写真熱が過熱し始める。

このカメラは、良かった。カールツァイスレンズで、有効画素数510万画素の解像度だが、あまり大きく引き伸ばさないなら、紙にプリントしても、非常にきれいで、この頃のレンズやデジタル処理性能と、画素数が、マッチしていたのだと思う。
単三乾電池の使用が出来るのも好都合で、充電を気にせず、バシバシ撮りまくったなぁ。

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亡き、父と、犬、ちびを、島根県出雲大社駅跡にて撮った写真。

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