見出し画像

連鎖律の証明の歴史

序論

2024年3月1日に掲載した「微分の定義と連鎖律」を読んだ知り合いからコメントを頂きました.   その友人はいつも私の記事にコメントと貴重な意見をくれるのですが, 今回のコメントには連鎖律(合成関数の微分の公式)の証明の歴史に関する論文([4])が紹介されていました.   この記事は「微分の定義と連鎖律」の補足として、上記の論文の紹介と有名な日本の微分積分学の教科書における連鎖律の証明を紹介します。

小柴による連鎖律の証明の歴史の考察

この節では小柴([4])の内容を紹介する.

論文では2つの微分可能な関数 $${z=f(y), y=g(x)}$$ の合成関数 $${z=(f{\circ}g)(x)=f(g(x))}$$ についての微分公式

$$
\frac{dz}{dx} = \frac{dz}{dy}\frac{dy}{dx}
$$

の証明の歴史について考察している.

論文ではまず Cauchy の講義録([1])の証明を紹介している.
$${x}$$ の増分 $${\varDelta{x}}$$ に対する $${y}$$ の増分を $${\varDelta{y}}$$, 増分 $${\varDelta{y}}$$ に対する $${z}$$ の増分を $${\varDelta{z}}$$ とすると

$$
\lim_{\varDelta{x}\rightarrow0}\frac{\varDelta{z}}{\varDelta{x}}
=\lim_{\varDelta{x}\rightarrow0}\frac{\varDelta{z}}{\varDelta y}
\frac{\varDelta y}{\varDelta{x}}
$$

と書けるので  $${\displaystyle \frac{dz}{dx}=\frac{dz}{dy}\frac{dy}{dx}}$$ が成り立つとしている.

上の式は $${\varDelta{y}\neq0}$$ のときにしか意味をなさない.
言い換えれば $${\varDelta{y}=0}$$ のときを考慮していない点で誤りである.

そこで小柴は最初に正しく合成関数の微分の公式を証明した文献について考察し, Pierpont ([2])と Tannery([3])の証明を取り上げ, Tanenery の文献を正しく証明した最初のものとしている.

論文中の引用の部分が少ないので証明の全貌を知ることは出来ないが、
小柴によると Pierpont では $${f(y), g(x)}$$ の $${x=a, y=b}$$ における微分可能性を

$$
\begin{array}{rcll}
g(a+h)&= &g(a)+g'(a)h+h\rho_1(h)\quad &
\displaystyle\lim_{h\rightarrow0}\rho_1(h)=0 \\
f(b+k)&= &g(b)+f'(b)k+k\rho_2(k)\quad &
\displaystyle\lim_{h\rightarrow0}\rho_2(k)=0 
\end{array}
$$

と書き換えて示している.

それに対して Tannery では $${\varDelta{y}=0}$$ となるような $${x}$$ の数列の極限を考察することにより示している.   Cauchy は級数の和の極限は扱っているが数列の極限を扱ってはいないようで, Tannery が数列の極限を扱っていること自体が進歩であると論じている.

以下の節からは微分積分学の和書で古くから長く読み継がれている2つの書籍について合成関数の微分の公式の証明がどのように扱われているかを論じてゆく.

藤原松三郎「微分積分学」の証明

藤原松三郎による「微分積分学」は 1934年に初版が発行され, 80年にわたり5回の改訂を経て読み継がれていた.   文体は旧仮名遣いで書かれていたが,
2016年に改訂新編として現代仮名遣いに改めたものが発行された.   この記事ではこの改訂新編([6])を基に論じるが, 改訂新編の序文によると用語等を現在使われているものに改めたほか論証にも一部手を加えたとのことであり, 初版のものとは異なるかもしれないことは注意しておく.

藤原の「微分積分学」では $${\varDelta{y}=0}$$ となるような $${x}$$ の集合 $${S}$$ を考える.   $${x=a}$$ を含むある開区間と $${S}$$ が共通部分をもたないとき,   その開区間で $${\varDelta{y}\neq0}$$ だから

$$
\frac{dz}{dx}=\lim_{\varDelta{x}\rightarrow0}\frac{\varDelta{z}}{\varDelta{x}}
=\lim_{\varDelta{x}\rightarrow0}\frac{\varDelta{z}}{\varDelta y}
\frac{\varDelta y}{\varDelta{x}}
=\frac{dz}{dy}\frac{dy}{dx}
$$

が意味をもつ.

一方, $${x=a}$$ を含む任意の開区間と $${S}$$ が共通部分をもつとき.   $${S}$$ に含まれる数列 $${{x_n}}$$ で $${a}$$ に収束するものがある.   これから $${g'(a)=0}$$ を示し, さらに $${g'(a)}$$ を用いて $${(f{\circ}g)'(a)=0}$$ を導いている.

高木貞治「解析概論」の証明

高木貞治の「解析概論」は今でも読み継がれている微分積分学の教科書のベストセラーである.   1933年に岩波講座数学の1項目として世に出た.   1938年に単行本の初版が, 1943年に増訂第2版が出版された.   第3版の準備中の 1960年に著者が亡くなったが, 黒田成勝, 三村征雄, 彌永昌吉の努力により 1961年に改訂第3版が出版されるに至った.   1983年に改訂第3版の軽装版が, 2010年に著者の没後50年を記念して「定本解析概論」が出版された.   小柴の論文によると1933年の時点では $${\varDelta y=0}$$ に関する記述はなく, 1938年の初版では $${\varDelta y=0}$$ の場合に配慮した記述があるそうである. 手元の改訂第3版の軽装版([5])ではまず Cauchy の証明と同様の "粗雑な" 証明を記して, それを補修するよりも Pierpont の方法で証明をする方が良いと述べている.   さらに, 証明後の注意で先の記事で紹介した方法と同様の証明にも触れている.

なお, 前節の藤原松三郎「微分積分学」の第1巻文献補遺では「解析概論」 のこの部分が紹介されていて, この証明が簡潔であることが述べられている.

独り言

この記事を書くにあたって感じたことは名著と言われている著作はやはり素晴らしいということだ.   合成関数の微分の公式に関しても証明だけでなくその後の注意や補足説明も読むとどちらの本でも単に正しく証明しているだけでなく, 本文では採用しなかった証明の方法に関する記述など詳細に記述されている.   一度読んで終わりではなく繰り返し読むことにより新たな知見が得られることも名著の価値の一つだと改めて知ることができた.

最後に, 打ち明けておくとこの記事の著者は藤原松三郎も高木貞治も通読は出来ていない.   どちらも, 微分積分学の授業を受けているときから調べごとのたびに図書館で関係個所を読んでいた.   とくに, 微分積分学の授業をするようになってからはこれまでより頻繁に参照することが増えたので, 微分積分学関連の文献をいくつかそろえた, 高木貞治の「解析概論」も最初に手元に置いた文献の一つである.   藤原松三郎の「微分積分学」は旧仮名遣いだったので正直読むにはストレスがあり, いつも最後に参考にする文献だったが,
改訂新編のカタログを見たときすぐに予約した.  今では, 最初に開く文献の一つになった.

参考文献

[1] A Cauchy. Résumé des leçons données á l’École royale Polytechnique, sur le calcul infinitésimal. 1823. 小堀憲訳コーシー微分積分学要論, 共立出版.
[2] J Pierpont. The Theory of Functions of Real Variables, Vol. I. 1905.
[3] J Tannery. Introduction a la Théorie des Fonctions d’une variable. Paris, 1886.
[4] 小柴洋一. 合成関数の微分公式の証明について(数学史の研究). 数理解析研究所講究録, Vol. 1317, pp. 31–38, 2003.
[5] 高木貞治. 解析概論改訂第3 版軽装版. 岩波書店, 1983. ISBN: 9784000051712.
[6] 藤原松三郎. 微分積分学改訂新編, 第1 巻. 内田老鶴圃, 2016. 浦川肇, 高木泉, 藤原毅夫編著 ISBN13: 978-4753601639.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?