学者アラムハラドは何を見たか

宮沢賢治の短編『学者アラムハラドの見た着物』を読んだことはありますか?これは賢治が推敲と手入れの果てについに完成することのできなかった未完の草稿のひとつで、賢治の死後、この原稿だけが「別の押し入れから」発見されました。

あるとき、学者のアラムハラドが生徒の子供たちに「火がどうしても熱いように、小鳥が啼かずにいられないように、人が何としてもそうしないでいられないことは一体どういうことだろう?」と問いかける。大臣の子のタルラは「人は歩いたり物を言ったりしないでいられない」と答える。アラムハラドは「確かにそうだ、けれどももっと大切なものがないだろうか」ともう一度タルラに尋ねる。今度はタルラは飢饉のエピソードを出しながら「人がもっとしないでいられないのは”いいこと”です」と答える。

「人はいいことをせずにはいられない」
これがアラムハラドの期待していた答えだった。けれども小さなセララバアドの何か言いたげな様子を見たアラムハラドが意見をうながす。するとセララバアドは「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います」と答える。アラムハラドが自室に帰って目を閉じると、羽のように軽い黄金色の着物を着た人が四人立っているのが見えた。

こんな話です。

人がどうしてもせずにいられないことは「いいこと」ではなく「いいことが何かを考えることだ」という展開だけでも「すごい!」と思います。しかし一方で、「賢治はこの物語の後編で一体何を書こうとしたのか」という大きな疑問が残るわけです。

もちろん答えは「闇の中」ですが、この物語の続きが読者である私たちに委ねられているような気がするのです。少し考えてみましょう。

重要なポイントのひとつは、前編の舞台が「教室」で、後編は「森」に空間を移動するところではないかと思います。すなわち、「教室=知識の世界」で学んだことが、「現実の世界」でどういう出来事として立ち現れ、自分自身はどう行動できるか、という具体的な物語が描かれる可能性があったのではないかと思うのです。

思い起こしてみると、賢治自身も理想の生き方とユートピア(イーハトーボ!)を物語で表現しながらも、それを現実世界で実践しようとして挫折をした人生でした。農民たちの共同体に馴染めず、雨に打たれ風邪をひき、「それでも」思想を完徹しようとした末に倒れて死んでしまったのが賢治の生き様でした。

おそらく賢治にとってもっとも重要だったのは、思想と実践の境に穿たれた溝だったはずで、その抽象から具体への空間の移動をこそ、この物語で描こうとしたのではないかと思うのです。

が、その続きが「ない」というのがやはり重要で、「書こうとしても書けなかった」、すなわち実践と物語の間にジレンマがあったのではないか、などというたくましい妄想をしてしまいます。なぜなら、筆を持ったまま土を耕やすことはできないから。思想家(科学者)ではなく実践家への志向ーーいや、思想家であることと実践家であることがひとつであるような、そのような生ーー。それは賢治がついに果たせなかった、〈ほんとう〉の生き方だったのかもしれません。

さて、あなたはどう考えますか?


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